二つの砂時計
衣装局の書状を、わたくしは作業台の乾いた端に置きました。
工程札を、他領の染め手にも。
窓の向こうでは、ハンナが甕の覆いを直しておりました。婚礼の四十八反を送り出した後も、藍甕の世話は続きます。注文が途切れたからといって、麩を待ってはくれません。
まことに、身分をわきまえない甕でございます。
わたくしは書状をもう一度読みました。書庫には、すでに閲覧の手続きがございます。今回求められているのは、その手続きに従って他領の染め手にも工程札の閲覧を許すことへの、作者としてのわたくしの同意でした。
金貨五十枚で札を渡せとおっしゃった方は、札を一箱ごとお求めでした。
こちらの求めは、札の前に椅子を増やすことでございます。
「ハンナ。少し、よろしいですか」
呼ぶと、ハンナは覆いの紐を結び終えてから来ました。
「この絵札を、ほかの土地でも使えるようにしたいのです。あなたの刻み目も、一緒に」
「九本の、これをですか」
「ええ」
ハンナは藍九度の札を取り上げ、親指で端をなぞりました。
「だったら、砂時計のところを、ミアにも見てもらってください。あの子、昨日、面白いことを言っていたんです」
◇
ミアが持ってきたのは、見習いのころに自分で描いた絵札でした。
甕から布が上がり、その隣に砂時計が一つ。端には九本の刻みがございます。
「わたしは、浸して十五分、風に当てて十五分だと知っています。でも、この絵だけだと、どちらの十五分なのか、初めての人には分からないかもしれません」
文字の工程札には、両方とも書いてございました。
けれど、文字を読めない手に渡るのは、絵の方です。
わたくしには甕から上がる布に見えた線が、ハンナには甕へ入る布にも見えるそうでした。
「ここで、いつもリーゼロッテ様が説明してくれましたから」
ミアはそう申して、札を置きました。
わたくしがそばにいることまで、札の一部になっていたのでございます。
それでは、遠くへは行けません。
新しい板を二枚、作業台に並べました。一枚には甕の中の布と砂時計を。もう一枚には、竿に広げた布と砂時計を描きます。二枚を紐でつなぎ、両方を終えてから刻みを一本数えるよう、下に一本の長い線を引きました。
二十一の工程を増やすのではございません。一つの工程の中にある、二度の待ち時間を描き分けるのです。
ミアが絵を描き、ハンナが刻みをつけました。わたくしは、まだ何も説明していないローザを呼びました。
「この札で、一度ぶんの手を動かしていただけますか。今日は水と端布で」
ローザは桶に端布を沈め、砂時計を返しました。
砂が落ちきると布を引き上げ、竿に掛けます。それから、もう一度、砂時計を返しました。
途中でハンナが刻みに指を置きかけましたが、ローザが首を振りました。
「まだ。こっちが終わってから一本でしょう」
わたくしは頷きました。
口を挟まずに済んだ十五分が、たいそう嬉しゅうございました。
◇
返事には、閲覧に同意する旨を書きました。追記と絵札を含めた写しも使えるようにしてはどうかと、こちらから申し添えました。
茶碗は工房の同じ茶碗を使うこと。灰汁の見立てには、卵の殻が銅貨一枚ぶん出ること。予備の甕を建てておくこと。それらの追記を省かず、絵札も添えていただきたいとお願いいたしました。
札箱に作者の名があるように、写しにも作者と夜明け工房の名を残すこと。ただし、写しを使って染めた布には、実際に染めた方の名をつけること。
わたくしの手が触れていない布まで、わたくしの布にはできません。
最後に、衣装局での公開の色止め試しは、これまでどおり受けていただくと添えました。札を持つことと、布が試しに耐えることは、別の話でございます。
封をする前に、工房の十人に読み上げました。
「ほかでも染められるなら、ここの注文が減るかもしれませんね」
グレーテが申しました。
「そうなることも、あると思います」
わたくしは答えました。
「それでも、読める札にしたいのです」
ハンナが、新しい二枚の札を持ち上げました。
「私は、これがあって働けましたから。よその人にも、あっていいと思います」
全員に同じ答えを求めることはいたしませんでした。グレーテはしばらく考えてから、自分の甕へ戻りました。今ここで働くことも、この先も残ることも、一度の頷きで縛るものではございません。
わたくしは封蝋を落としました。
◇
六日後、追記の絵札を受け取りに、ティモが来ました。
百日間いた長屋ですのに、入口で一度立ち止まり、靴の泥を丁寧に落としておりました。爪の際には、まだ少し藍が残っております。
「書庫の写しにも、二枚をつなぐ紐をつけます。離れると、待つ時間が一つ減りますから」
「ええ。札のとおりに」
ティモは頷き、それから、衣装局であったことを話してくれました。
グラーフェン家の商会が、王宮で使う冬の布六反を納めようとしたそうです。御用達の資格は失っていても、セドリック様が組合の元顧問として口を添えれば、受け取らせられるというお話だったとか。
「受付で、六反とも返されました。採用は零反です。私が荷車を門の外へ戻すところに立ち会いました」
御用達資格の剥奪は、商会の名を小さく書けば済む規則ではございませんでした。衣装局の役人は、侯爵家の商会からの納入であることを確かめ、審査へ回す前に返したそうです。
十年という数字には、冬も含まれております。
「空いた納入先は、どうなりますか」
「資格のある家から、試しに通った布を募ります。ロス夫人が、急いでいるときほど試しを省かないように、と」
「かしこまりました」
わたくしは、絵札の紐を結び直しました。
六反の荷車を追いかける用事はございません。目の前には、遠くへ送る二枚がございます。
ティモはローザに実演を頼みました。わたくしは離れて、窓辺の端布を畳んでおりました。
桶から上げる時刻にも、刻みを一つ進める時刻にも、呼ばれませんでした。
◇
その夕方、ユリウス様が工房の入口においでになりました。
「少し、入ってもいいか」
「どうぞ」
ユリウス様は、戸口に近い椅子のそばで足を止められました。
「閲覧の返事は、出したのだな」
「はい。わたくしがいなくても伝わるように、絵を二枚にいたしました」
「あなたは、遠くへ渡すものを作っていたのだな」
作業台には、写しを取った後の札が残っておりました。甕の絵はミアの手で、刻みはハンナの手です。
わたくし一人の手から遠くなることが、失うこととは限りませんでした。
「帰る前に、一つ尋ねてもいいか」
「はい」
「館の夕食を、これからあなたと二人で取れるよう、整えてもいいか」
婚約の届けを出した後も、わたくしは客間で食事を取る日が多うございました。遅くまで甕を見る日には、そちらの方が都合がよかったのです。
ただ、扉の前に置かれる盆を受け取るたび、館へ着いた最初の夜に戻るような気もしておりました。
「毎晩と決めるのは、まだ」
「分かった。決めずにおこう」
そこで話を終えられるので、わたくしは続けることができました。
「今夜は、ご一緒したいです。明日のことは、明日お尋ねくださいませ」
「ああ。今夜の席を頼んでもいいか」
「お願いいたします。長い食卓でしたら、向かいではなく、お隣に」
言ってから、わたくしは札の角を揃えました。もう揃っておりました。
ユリウス様は、静かに答えられました。
「あなたの隣にしよう」
甕の並びより、椅子一つの場所の方が、決めるのに息を使いました。
◇
ティモの荷物には、新しい絵札の見本が納まりました。
わたくしは工房に残す二枚を柱に掛け、紐が絡んでいないことを確かめました。甕の中で十五分。風の中で十五分。二つとも終えて、ようやく九本のうちの一本でございます。
戸締まりをしようとしたところで、外から車輪の音がいたしました。
川沿いの道に、小さな荷車が止まっておりました。引いてきた女の方は、肩の紐を外すと、荷台から木箱を抱え下ろしました。
「夜明け工房は、こちらでしょうか」
「はい」
女の方は箱の蓋を開けました。
中には、形も深さも違う茶碗が三つ、藁に包まれておりました。
「王都で札を見ました。同じ茶碗を使うとありました。でも、うちの三つは、どれもここでお使いのものと違います」
冷えた指が、いちばん小さな碗の縁に掛かっておりました。
「わたしの工房では、どれを一杯にすればいいのでしょう」
わたくしは、閉じかけていた戸を開きました。
「三つとも、こちらへ。まず、水を量りましょう」
(第12話へ続く)
今回の絵札は、待つ場面を二枚に分けただけでなく、両方を終えてから刻みを数えるところまで描いております。絵にすれば伝わる、とは限らないのが難しいところでございます。説明を聞いていないローザに試してもらった理由も、そこにございました。




