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【連載版】「青い手の女など要らない」と婚約破棄されたので、御前染めでは新しい婚約者様ご自身の手で夜明け色をお出しください  作者: ろくさんだ


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10/27

名を読み上げる日

 第二王女殿下のご婚礼は、四十八反を納めてから十二日後、冬の初めの晴れた朝でした。


 夜明け工房の染め手十人は、その三日前にハーゼルを発ちました。王都へ来るのは、皆、初めてでございます。


「石の道ばっかりだ。土がない」


 王都の門をくぐったとき、ハンナが荷馬車の上で言いました。ミアは道の両側の店の看板を、ひとつ残らず声に出して読んでおりました。


 大聖堂の回廊の端、柱の陰に、衣装局が染め手のための席を用意してくださいました。席といっても、立ち見の場所です。けれど、殿下のご衣装が通る道が、真正面に見えます。


 姉と父も、隣におりました。


「リーゼ、あなた手袋は」


「いたしません」


「そうよね。聞いてみただけ」


 姉はそう言って、わたくしの青い手を、自分の手で一度だけ握りました。


 式の始まる前、回廊の柱の陰に、ティモが駆けてまいりました。衣装局の見習いの青い上着を着て、髪をきちんと撫でつけております。


「リーゼロッテ様。審査長が、これを」


 差し出されたのは、細長い木の札でした。工程札と同じ大きさの、白木の札です。表に、衣装局の印と、短い一行。


『夜明け工房 染め手一同 回廊東列』


「席の札です。これがあれば、回廊の東の列に立てます。審査長が、ご自分で書いたんです」


「ありがとうございます。審査長に、よろしくお伝えくださいませ」


「審査長は、今日は祭壇の脇です。布奉行の隣」


 ティモは、そう言ってから、少しためらうように自分の手を見下ろしました。爪の際が、ハーゼルに来る前より、ずっと青くなっております。


「僕、ハーゼルで百日、札と布を照らし合わせてきました。四十八反、全部」


「存じております」


「一反も、札と違うところがなかったんです。十人が染めて、一反も」


 ティモは、顔を上げました。


「手順さえ守れば誰でも同じ色が出せるって、審査長は御前染めのときに言いました。僕、あれは、僕ひとりのことだと思ってたんです。僕が札のとおりにやったから、同じ色が出たって。でも、十人でも同じでした」


「十人でも、百人でも、同じでございます。札のとおりでしたら」


「百人」


 ティモは、その数を口の中で繰り返して、少し笑いました。


「そんな工房、見てみたいです」


 それだけ言って、ティモは祭壇の方へ駆け戻っていきました。


 わたくしは、白木の札をハンナに渡しました。ハンナは、札の字は読めません。けれど、一行目の「夜明け工房」の四つの字の形だけは、ハーゼルを発つ前の晩に、板の上で覚えておりました。


「あたしらの工房の名だ」


 ハンナは、札を両手で胸の前に持って、東の列の先頭に立ちました。


◇


 鐘が鳴り、回廊の扉が開きました。


 最初に、随員の方々が二列になって進んでこられます。四十反の暁染めで仕立てた衣装です。肩は深い藍、裾へ向かうほど赤みが差し、白んでいく。二十人の衣装が、回廊の窓から差す朝の光の中を、ひとつの夜明けのように通っていきました。


「あれ、あたしの甕のだ」


 ベルタが、口を押さえて囁きました。


「どうして分かるの」


「裾の赤みが、膝のところで止まってる。仕上げ浸しの札どおり」


「全部そうでしょう」


「……全部そうだね」


 随員の列が過ぎると、回廊の空気が、ひとつ深く沈みました。


 第二王女殿下が、お見えになりました。


 八反の暁染めで仕立てたご衣装は、肩から胸へ、夜のいちばん深い藍。腰から下へ、紫が差し、赤みに寄り、裾は、ほとんど白に近い淡い光の色。長い引き裾が石の床を滑るたびに、回廊に、夜明けがもう一度通っていくようでございました。


 婚礼の八反は、五十八日目に、ハンナの甕とミアの甕と、ほかの六つの甕から上がった布でした。


 わたくしの隣で、ハンナが、息を止めておりました。


◇


 式次第の読み上げは、聖堂の祭壇の前で、衣装局の布奉行が務められました。


 殿下のご衣装について。仕立て、王室衣装局。刺繍、王都の刺繍工房。それから。


「染め」


 布奉行は、手元の紙から顔を上げて、聖堂の隅々まで届く声で読み上げられました。


「ハーゼル領、夜明け工房。リーゼロッテ・ヴァイト」


 三年間、どの書類にも書かれなかった名前でした。


 侯爵家の工房の布は、侯爵家の布でした。昨年の春の夜会で一反が広げられたときも、拍手は起こりましたが、誰も作者の名を尋ねませんでした。


 その名前が、王家の婚礼の式で、声に出して読まれております。


 布奉行は、続けられました。


「染め手。ハンナ。グレーテ。ミア。ベルタ。ローザ。アンナ。カティ。ゾフィー。リーナ。エマ」


 十人の名が、ひとつずつ、聖堂の高い天井に響きました。


 ハンナが、大きな赤い手で口元を覆っておりました。ハーゼルで雇った日に字の読めなかった四人は、自分の名の字だけは書けるようになりました。けれど、布奉行の手元の式次第は、まだ読めません。それでも、読み上げられた名は、聞こえます。


「……あたしの名前だ」


 ハンナが言いました。誰に言うでもなく、もう一度。


「あたしの名前が、王家の式で」


 ミアは、ハンナの袖を掴んで泣いておりました。グレーテも、ローザも、カティも。泣いていないのはエマだけで、エマは、天井を見上げて、読み上げられた順番を指で数えておりました。


 わたくしは、泣きませんでした。泣く手順を、まだ思い出せなかったのです。


◇


 式が終わり、聖堂の前の広場に人が溢れました。


 王都の呉服屋の主人たちが、夜明け工房はどこにあるのかと、衣装局の役人に尋ねて回っております。ハーゼル領の名が、広場のあちこちで聞こえました。


 姉が、人混みの中でわたくしの耳元に囁きました。


「父上が数えたのよ。グラーフェン家と組合が、この半年で失った金貨。御前染めの千五百枚。組合の返金と違約金で二千六百三十六枚。灰の買い占めで百二十枚。メルツ家の賠償が百五十枚。合わせて四千四百六枚ですって」


「父上は、そういうことだけはお早いのですね」


「御用達の資格は、残り九年と八か月。それから、セドリック様のお手当は、もう一枚も出ないそうよ」


 姉はそれだけ言って、ハンナたちの方へ行ってしまいました。


 広場の端の、噴水の縁に、ユリウス様が立っておられました。


 わたくしが近づくと、ユリウス様は上着の内から、一枚の紙を出されました。四つに畳まれた、白い紙です。


「約束したことを、覚えているか」


「はい。届けは、婚礼の布を納めてから」


「四十八反は、納めた」


 ユリウス様は、畳んだ紙を差し出したまま、開きはなさいませんでした。


「婚約の届けを、出してもいいか」


 この方は、ハーゼルに着いた朝から、一度も急かされませんでした。工房の場所も、甕の並びも、灰のことも、セドリック様への答えも、工房の名も、全部わたくしに尋ねて、わたくしが答えるのを待っておられました。


 わたくしは、紙を受け取りました。


 自分で広げます。噴水の縁に紙を置いて、上着の物入れから、工程札を書くときのペンを出しました。


 届けの欄は、二つございました。


 わたくしは、先に、自分の名を書きました。リーゼロッテ・ヴァイト。藍の染みた指で、一字ずつ。


 それから、ペンをユリウス様に差し出しました。


「わたくしが選びました。次は、あなたのお名前を」


 ユリウス様は、ペンを受け取る前に、わたくしの手を見ておられました。


「手に触れても?」


「どうぞ」


 ペンと一緒に、ユリウス様はわたくしの青い手を一度だけ包んで、それから離して、隣の欄に名を書かれました。ユリウス・ハーゼル。


 インクが乾くまで、二人で噴水の縁に座っておりました。


◇


 ハーゼルへ戻って五日目、衣装局からの書状が届きました。


 マグダレーナ夫人の字ではなく、書庫の司書の、小さく揃った字でございました。


 十年の剥奪のあいだ、グラーフェン家の商会が受けていた王都の注文は、宙に浮いたままです。御用達の資格を持つ染めの家が、王都にひとつ欠けている。その穴を、まだどの工房も埋めておりません。


 書状の最後に、こうございました。


『暁染めの工程札の閲覧を、他領の染め手に許したい。作者の同意を求めます』


(第11話へ続く)

書いたばかりの紙をすぐに畳むと、向かい合う面にインクが移ることがございます。噴水の縁で乾くのを待つ二人には、そんな紙とインクの都合もありました。名を書くのは一人ずつでも、乾くのは一緒に待てるのですね。お読みいただきありがとうございます。


新しいお話を書いたときにお知らせが届きますので、よろしければ作者をお気に入りユーザに登録していただけると嬉しいです。

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