第3話 お父さんに会いたい
すっかり涙は収まったけれど、優は顔を上げられずにいた。
泣きはらした顔をクラスのみんなに見られたくなかった。
本当の理由を言えるわけもなく、嘘をつくのも上手くできない。
どうしようと悩む優の気持ちを察したように、遥人がそっと肩を叩いた。
「保健室に行こう。先生には、優の具合が悪くなったから僕が連れてきたって言うよ。優は黙って寝てれば大丈夫だから」
***
遥人の優しい嘘のおかげで、優は誰の目にも触れずに保健室へと避難できた。
ベッドに横たわったまま、優は自分を救ってくれた新しい友達の横顔を、じっと見つめていた。
優の視線に気付いた遥人が「何?」と首をかしげる。
優は慌てて布団に潜り込み顔を隠した。
「何でもない。えっと……授業始まってるけど、良いの?」
遥人はくすっと笑って布団の中の優に問いかける。
「戻った方が良いの?」
「だって、みんな心配するだろ?」
「担任の先生には保健の先生から伝えて貰ってるよ。……でも、優が戻った方が良いって言うなら戻ろうかな」
遥人はわざと椅子を少し持ち上げてカタンと音を立てた。
それを聞いた優が慌てて布団から顔を出して起き上がる。
「待って!戻った方が良いなんて言ってないだろ!?」
そう言って遥人を見ると、先ほど見たときと同じ位置で優に微笑みかけていた。
それを見た優は顔を真っ赤にして頬を膨らませ、ふたたび布団に潜り込んでしまう。
遥人は布団の上から優をぽんぽんと軽く叩いて謝った。
「ごめん。ちゃんとここにいるから許してよ」
「知らない!」
口では怒りながらも、優は遥人がここにいてくれることにほっとしていた。
***
家に帰ると祖母が出迎えてくれた。
「おかえり。お母さんは前のお家に荷物を整理しに行っているの。だから今日はおばあちゃんたちと寝ましょう。明日には帰ってくるそうだから、それまで良い子で待っていましょうね」
祖母の言葉に、優は胸がきゅっと締め付けられるような苦しさを覚えた。
(お母さんまでいなくなっちゃったらどうしよう)
けれど、祖父母にそんなことは言えず、優は作り笑顔で「大丈夫。ちゃんと待ってる」とできる限り明るく答えた。
***
その夜、優は廊下から聞こえてきた声に目を覚ました。
「……困ったわね…優も落ち着いているようだし、こっちは大丈夫だからきちんと話し合っていらっしゃい…」
その声は祖母のものだった。
何やら電話で誰かと話しているらしい。
優は音を立てないように気を付けながら、そっと襖を開けて聞き耳を立てた。
「……そうは言っても優にとっては実の父親なのよ」
その言葉を聞いた途端、優はいてもたってもいられなくなって祖母に駆け寄った。
「お父さんがどうしたの!?お父さんに会えるの!?」
驚いた祖母は手に持っていた腕時計型端末を弾くように落としてしまった。
優はすぐにそれを拾い上げ、マイクに向かって叫んだ。
「お父さんに会いたい!会わせて!」
深夜の静かな廊下に切実な声が響き渡る。
すると、デバイスの向こうから自嘲するような母の声が聞こえた。「そう…優は、お父さんの方が好きなのね」
通話が切れた後、優は自分がひどいことを言ってしまったのだと気付き、一瞬で青ざめた。
***
昨夜は母との通話が切れた後、祖母が「大丈夫よ。すぐに帰って来るから」と言って慰めてくれたが、結局ほとんど眠ることが出来なかった。
(俺、ひとりぼっちになっちゃうのかな)
そう思うと涙があふれそうになる。
(これから学校なのに泣いちゃだめだ)
優は深呼吸をしてランドセルを背負った。
***
学校に着くと、校門の前で遥人が待っていた。
「おはよう!」
その笑顔を見た瞬間、優は胸の中にあった重りが一瞬で軽くなったように感じた。
優はすぐに「おはよう!」と返して遥人の元に駆け寄った。
教室ではまた同級生たちから「昨日はどうしたの?」と質問攻めにあったが、遥人が説明をしてくれたおかげで落ち着いて過ごすことが出来た。
それでも昨夜の母の言葉が頭から離れない。
優は深いため息を吐いた。
***
昼休みになると遥人は他の子たちの目を盗んで、優を昨日と同じ『秘密の場所』に連れて行った。
「優、元気ないね」
遥人の心配そうな眼差しに心が少し軽くなる。
優はため息を吐いた後、昨日の出来事を話し出した。
「……だから、お母さんもいなくなっちゃうかもしれないんだ」
また泣きそうになるのをぐっと堪えて下唇を噛んだ。
遥人は優の言葉を隣で静かに聞いていた。
優にはそれがとても心地良くて、遥人になら何でも話せるような気がしていた。
遥人は優の話を聞き終えた後、「僕で良ければいつでも話を聞くよ」と言ってくれた。
遥人は祖母のような気休めの言葉で慰めたりはしなかった。
けれど、優を思いやる気持ちは充分に伝わっていた。
不思議だった。出会ったばかりなのに、遥人は誰よりも信じられると思えた。
***
優が家に帰ると、そこでは予想外のことが起きていた。
父と母が居間の座卓テーブルに向かい合って座っていたのだ。
「お父さん」
優は夢でも見ているかのような心持ちで父を見つめる。
次いで、母を見つめた。
「お母さん」
「仲直りしたの?」
優の表情がぱっと明るくなった。
それを見た両親が真剣な顔で優を見つめ返す。
先に父が口を開いた。
「優、お父さんと暮らさないか?」
その言葉に舞い上がっていた気持ちがすーっと引いていくのを感じる。
すかさず母が口を開いた。
「優はお母さんと一緒に居たいわよね?」
期待に弾んでいた心が一瞬で凍りつき、粉々に砕け散った。
二人が向き合っていたのは、やり直すためではなく、優の親権の決着をつけるためだったのだ。
どちらを頼っても、もう片方の親を傷つけることになる。
優はただ首を横に振り、うつむいて泣き出した。
優を祖父母の家に残したまま、母は以前住んでいたアパートの部屋に、父は新しく借りたという家に帰っていった。
結局、三人は親権が決まるまで別々に暮らすことになった。




