第3話 咲と孝治
咲は、このまま叶恵に付き合ってあの場所に行き続ければ、そのうち自分まで夢中になってしまうのではないかという、強い不安に襲われていた。
叶恵は相変わらず咲を誘い続けたが、咲はこれ以上は危険だからと叶恵の誘いを断っていた。
叶恵はここ最近、咲が話しかけてもぼんやりとしていて心ここにあらずといった調子だった。
(なんとかして叶恵をあの場所から引き離さなきゃ)
咲はネットで依存症対策の方法を調べて回った。
一週間後、その日も咲は叶恵にクラブ以外の趣味を持つよう提案していた。
昼食をほとんど食べ終え水を飲んでいた叶恵を、斜め横の席から咲が真剣な顔で見つめている。
「最近の叶恵はなんだか変だよ?それにあのクラブの料金も普通じゃないし、お小遣いじゃ足りないでしょ?」
心配そうに説得してくる咲を見て、叶恵は少しだけ良心が痛んだ。
確かにクラブ『ILLUSION』の料金は日に日に高くなっていて、アルバイトをしていた頃のお金は尽きかけている。
咲の言う通り、そろそろクラブ通いをやめないと借金をすることになりそうだった。
「そうね、もう……」
叶恵は、「もう止めようかな」と言いかけて口をつぐむ。
(今行くのをやめたら、二度とあの感覚を味わうことができなくなるかもしれない。アレが無い生活なんて考えられない)
叶恵は突然席を立った。
「私、咲のこと好きだけど、これだけはやめられない。ごめん」
そう言って叶恵は食堂から走り去ってしまった。
咲は友達を救えなかった不甲斐なさで胸がいっぱいになり、その場に立ち尽くした。
***
咲は、大学からほど近い小高い丘の上にある公園から、ぼんやりと街の景色を眺めていた。
あれから三日、叶恵は相変わらずクラブ通いを続けていて、どうしたらあの場所から引き離せるのか分からなくなっていた。
咲がどんなに説得しても叶恵自身が望まない以上、これ以上どうすることもできない。
せめてあのクラブで起きていることが何なのか分かれば、対処のしようも分かるかもしれないが、咲には見当もつかなかった。
「どうしよう……」
咲がため息を吐いていると、一人の青年が声をかけてきた。
「咲ちゃんじゃん。どうしたの? ため息なんか吐いて」
顔を上げると、そこにいたのは三週間ぶりに会う恋人の孝治だった。
整髪料で無造作風にセットされた茶髪に、黒のスカル柄の長袖シャツとダメージジーンズ。
そんなラフな装いは、咲の好みとは真逆のものだった。
半年前に飲み会で告白されて付き合い始めたが、あまりにも感性が合わなくてしばらく疎遠になっていた。
咲は孝治に叶恵のことを相談するか悩んだ。
正直に言えば、もうこれ以上自分ひとりではどうしようもないと思っていた。
それでも孝治の軽さを見ると、なんとなく相談することを躊躇ってしまう。
咲が悩んでいると、孝治は咲の肩を抱いて含みのある笑みを浮かべた。
「とりあえず、こんなところで立ち話も何だからさ。バーにでも行こうよ」
内心不安ではあったが、他に頼れる人もなく、咲は諦めて孝治についていくことにした。
バーに着くと、孝治は慣れた調子でカクテルのスクリュードライバーを頼んだ。
咲は酒にあまり強くないため、飲みやすいファジーネーブルを注文した。
すると、孝治が自分のスクリュードライバーを咲の前に滑らせた。
「それファジーネーブル? 俺のもオレンジベースなんだよね。どっちが美味しいか飲み比べてみない?……こっちも結構甘くて飲みやすいんだ。交換してみようぜ」
ファジーネーブルは初めてバーを訪れたときに、叶恵が咲に勧めてくれたカクテルだった。
咲は気乗りしなかったが、孝治が見ている手前飲まないわけにもいかず、仕方なく一口だけ口をつける。
すると、孝治は我が物顔で咲のカクテルを引き寄せた。
「じゃ、俺はこっちな」
彼はグラスに直接口を付けると、ゴクゴクと喉を鳴らして飲んでいく。
咲が驚いて止めるタイミングを見失っている間にカクテルは減っていき、一息ついたときにはグラスの三分の一ほどを残して、大半が彼の胃袋へと消えていた。
孝治が咲のカクテルをほとんど飲んでしまったため、咲はやむを得ずスクリュードライバーをもう一口飲んだ。
孝治が眉尻を下げて咲に詫びてくる。
「ごめんな。あんまり美味しかったもんだからさ。ついいっぱい飲んじゃって」
そう言いながらも咲のファジーネーブルから手を離さない孝治を見て、咲は「もう全部飲んで良いよ」と苦笑した。
孝治は嬉しそうに残ったカクテルに口をつける。今度はほとんど飲まずにグラスを置いた。
「それ、結構美味しいだろ?味もオレンジでこれと似てるし、俺はそれが好きなんだ。だから咲ちゃんにも飲んで欲しかったんだよ」
そう言われてしまうと咲もこれ以上「気乗りしない」という態度を続ける訳にはいかなかった。
せっかくのバーの雰囲気を壊したくないという思いもある。
咲は小さく息を吐くと、仕方なくスクリュードライバーのグラスを持ち上げた。
「そうだね。じゃあ、もう少し飲んでみる」
今度は躊躇わずにコクコクと少し多めに飲む。
確かに味は似ているけれど、叶恵が教えてくれたあの優しい甘さとは違う、どこか大人の味がした。




