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DIVE ~記憶の海~  作者: 月ノ宮 鈴
第二章 ヘブン
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第2話 黒髪の男

 翌日、咲が大学で講義を受けていると、横から鼻歌が聞こえてきた。

 振り向くと、隣に座っていた叶恵がクラブのリストバンドを見つめながら、ふんふんと楽しげに鼻歌を歌っている。


 まだ周りの皆は気付いていないようだけれど、講義をきちんと受けていないことがバレたら教授に怒られるかもしれない。


 咲は叶恵の肩を軽く叩いて「ちゃんと講義を受けないと怒られるよ?」と小声で注意した。

 叶恵は「そうだね」と言いつつまだリストバンドを見続けている。


 そんな叶恵を見て、咲は何だか無性に不安になった。


 講義が終わると、叶恵が今日もクラブに行くか尋ねてきた。


「私は今日も行くよ。咲も一緒に行こうよ」


 けれど、咲はなんとなく不安を感じて首を横に振った。


「昨日は確かに楽しかったけど、料金も高いしそんなに頻繁には行けないよ。悪いけど、今回はパスしとく」


 それを聞いて叶恵が唇を尖らせる。


「私は、咲だから特別に教えたんだよ?他の子には秘密にしてるし、一人で行くしかないのかなぁ」


 そう言って、叶恵は上目遣いに咲の様子を窺っていた。


 ずるいな、と思う。

 けれど「特別」という響きに咲の決意は簡単に揺らいでしまった。


 咲は小さくため息を吐いて、苦笑した。


「もう、分かったよ。そんな風に言われたら断れないじゃん。でも、明日からは本当に自重するからね」


 咲が承諾してくれたことに叶恵の表情がぱっと明るくなる。


「わーい! ありがとう咲、大好き!」


 そう言って抱きついてくる叶恵に咲は「もう、しょうがないんだから」と呆れたように笑った。

 

***


 クラブに向かう途中で、昨日から咲は疑問に思っていたことを叶恵に尋ねた。


「あの時、みんなで肩を組んでたじゃない?別に共感接続を繋ぐだけなら隣にいるだけでも十分なのに、どうしてわざわざあんなことをしてたの?」


 叶恵は一瞬、言葉に詰まったような顔をしてから、「あー、アレねぇ」と視線をそらした。


 咲が不安になって「話せないような理由なの?」と尋ねると、叶恵は観念したように重い口を開いた。


「私も聞いた話なんだけど、ああしてないと時々、輪から外れて歩き出しちゃう人がいるみたいなの。だから肩を組んでみんなが離れないようにしてるのよ」


 咲はその説明を聞いてもいまいち理解できなかったが、それ以上は叶恵も知らないようなので深く考えないようにした。


***


 フロアに足を踏み入れると、ズンズンと空気を震わせるビートに合わせて、若者たちが陶酔したようにステップを刻んでいた。


 咲と叶恵もその中に混ざり、思い思いに体を揺らして踊り始める。

 

 しばらくすると、突然激しかった音と光が止み、フロアは不気味なほどの静寂に包まれた。


 「さぁー! 今日も楽しいヘブンの時間が来たぜ! みんなー! 輪になって肩を組んでくれ!」


 昨日と同じ陽気なMCの声に従って咲と叶恵は肩を組む。

 咲はたまたま隣にいた見知らぬ女性とも肩を組んだ。


 「準備はできたかなー? それじゃあ、合図をしたら共感接続を開いてくれ! ON 、OFF、両方、忘れるなよ? 」


 咲は胸の高鳴りを感じながらその瞬間を待った。

 隣にいる叶恵は既に期待で恍惚とした表情を浮かべている。


 「スリー、トゥー、ワン、Go!」


 かけ声と共に一斉に共感接続を開く。


(ああ、気持ちいい……)


 頭の中が蕩けそうなほどの甘やかな快感が、津波のように押し寄せてきた。

 咲、叶恵、そして見知らぬ誰かの感情が混ざり合い、境界線が消失していく。


 そうして、これまでにあった微かな不安も胸のざわつきも、すべてが圧倒的な多幸感のなかに一瞬で霧散していった。

 

***


 クラブが開店する2時間前。


 誰もいない静かな店内の一角で、クラブ『ILLUSION(イリュージョン)』のオーナーである久我(くが)は、一人の男と会っていた。


 男は濃紺のシックなスプリングコートを身に纏い、長い指先で静かにグラスを傾けていた。

 

 照明の光を弾く黒髪はどこまでも艶やかで、襟足にかかる毛先がさらりと揺れていた。


 二十代前半ほどに見えるその男は、無駄のない均整の取れた体つきで、どこか人を惹きつける雰囲気を漂わせている。


 品の良い微笑みを浮かべた端正な顔立ちと、落ち着いた物腰。

 その姿だけを見れば、育ちの良い紳士にしか見えなかった。


 男はコート裏のポケットから、薄桃色の液体が入った小瓶を取り出した。


 その液体は容器を動かすたびに、薄桃色から薄紫、淡い緑へと万華鏡のように色彩が移り変わる。


 男はカウンターテーブルの上に瓶を置くと、それに目が釘付けになっていた久我に、静かに尋ねた。


「はじめに観賞用とお伝えしたはずですが、まさか、他の用途に使ったりはしていませんよね?」


 男の声は、どこか冷たく澄んで美しかった。


 優しく諭すような、育ちの良さを感じさせる綺麗な響き。


 それなのに、その声を聞いた久我の背筋には、言い知れぬ寒気が走った。

 

 

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