第1話 天国への扉
【読者のみなさまへ】
※本話の冒頭には、第1章のネタバレが含まれています。第1章を未読の方はご注意ください。
咲がフードコートでフライドポテトを食べていると、二つ隣のテーブル席に、男子高校生が二人向かい合わせに腰を下ろした。
「もっと落ち着いた場所にしようかとも思ったんだけど、バイトが始まるまで少しでも長く遥人といたくてさ」
そう言って、背の高い少年が少し照れたように微笑む。
向かい側に座った遥人と呼ばれた少年も同じように顔を赤らめて微笑んだ。
「優と一緒なら何処だって嬉しいよ。僕もできるだけ長く一緒にいたいし」
「今年は受験もあるし、今月末でバイトも辞めるんだ。だから、次の休みは遥人と一日中一緒に過ごせるよ」
「一日中一緒にいられるなんて、夢みたいだ」
「俺も。遥人が今目の前にいるなんて、まだ実感が湧かない」
二人は見つめ合った後、互いに照れたように視線を彷徨わせた。
「あっ!そうだ。遥人、アレ持ってきてくれた?」
優が袋をテーブルの上に置いて、中からプレートを取り出す。
「ちゃんと持ってきたよ」
遥人も袋からプレートを取り出した。
二つのプレートは一見同じ物に見える。
「三年か。……長かったな」
「そうだね。でも、これからはずっと一緒だよ」
そう言ってプレートを合わせる。
すると、クリスマスツリーの前で笑い合う二人の少年の画像が映し出された。
それを見て優と遥人も笑い合う。
「仲良いなぁ」
咲はそんな二人を少し羨ましく思った。
18歳になり、法律で『共感接続の送受信』が全面解禁されたばかりの若者たち。
まだ送信を禁止されている17歳以下の子供達とは違い、大人になった彼らは今、自分の意志で自由に心を繋ぎ合っているのだろう。
あんな風に、大切な人と温かい記憶を共有し合うために作られた、幸福なツール。
この時の咲は、共感接続に対してそんな純粋なイメージしか持っていなかった。
「何見てんの?」
パンケーキの乗ったトレーを手に、叶恵が戻ってきた。
自然な明るさのブラウンに染めたセミロングの髪を、大きなフリルシュシュで手早く一つにまとめている。
咲もそれを見習って、胸の下まである長い黒髪を髪ゴムでさっと縛った。
「仲の良い高校生カップル。男子二人」
すると叶恵は目を輝かせて男子高校生二人を見つめる。
「おー。いいですねぇ。目の保養になる」
「あんまりじろじろ見ない。失礼でしょ?」
咲に諭されて、叶恵が「はーい」と残念そうに返事をしてパンケーキを食べ始めた。
叶恵はちょっとミーハーなところがあるけれど、引っ込み思案な咲にも優しく接してくれる、かけがえのない存在だ。
口に運んだパンケーキを飲み込んで、叶恵が声を潜める。
「実はね、ちょっと人には言えないんだけど、すっごく楽しいことをしてるんだ」
続けて叶恵は咲の耳元に手を添えて皆に聞こえないように囁く。
「本当は秘密なんだけど、咲にだけは教えてあげる。咲は口が硬いから」
誰にでも明るく気さくに話しかける叶恵だが、咲にだけは悩みを打ち明けてくれる。
そんな、自分だけが叶恵の秘密を知っているという特別感が、咲の中でちょっとした優越感にもなっていた。
「なによ、勿体ぶって。何か危ないことじゃないでしょうね?」
叶恵は得意げに口端をつり上げた。
「それは行ってからのお楽しみ。見た感じ普通のクラブだから、この後一緒に行ってみない?」
叶恵の誘いになんとなく不穏な気配を感じて咲は首を横に振った。
「何か嫌な予感がするから、今回はやめておこうかな」
咲に断られて叶恵は口をへの字に曲げる。
「咲は私が何をしてるのか心配じゃないんだ? 私って、咲にとってその程度の存在だったのね」
そう言って拗ねる叶恵に根負けして、咲は「しょうがないなぁ」と観念する。
「叶恵一人じゃ確かに心配だし、ついていってあげる」
咲が了承すると、叶恵は「咲大好き!」と言って笑った。
***
ILLUSIONと書かれた看板が掲げられた扉の前には、大柄な男が二人、腕を組んで立っていた。
楽しそうに近づく叶恵とは対照的に、咲は思わず足をすくませる。
男の一人が、鋭い眼光で咲の顔を覗き込んできた。
「お姉さんたち、ここ初めて?」
低く威圧感のある声。
咲が息を呑むと、隣の叶恵が「あ、私は二回目です。この子は初めて」と言って、男に自分のリストバンドを見せる。
男はポケットから出した小型のライトをつけ、叶恵のリストバンドにかざした。
怪しい紫色の光が当たると、バンドに隠された特殊な紋様がぼんやりと浮かび上がる。
「……OK。じゃあ、次はそっちの初めての子、身分証出して」
男は、咲の腕時計型端末から空間投影画像に表示されたマイナンバーカードを見て、顔と写真をじっくりと見比べた。
まるで犯罪者でも探すかのような厳しいチェックに、咲は(やっぱり来るんじゃなかった)と後悔し始める。
「よし、入っていいよ」
男は確認を終えると、手元にあった蛍光色に光るリストバンドを取り出し、咲の細い手首に素早く巻きつけた。
「はい、初めての子はコレね。中で外したら即つまみ出すから」
顎でクイッと入り口を指され、重い防音扉が開く。
中に入ると、鼓膜を激しく揺らす大音量とともに、どこか甘く、退廃的な香りのする熱気が咲の全身を包み込んだ。
もっと怪しげで、アングラな世界が広がっているのかと身構えていたのに、視界に飛び込んできたのは、どこにでもある『普通のクラブ』の光景だった。
薄暗いフロアでは、流行りのアップテンポな音楽に合わせて大勢の若者達が楽しそうに身体を揺らしている。
バーカウンターでカクテルを注文する女の子たちの笑い声や、ストロボの光に照らされる笑顔。
危うい雰囲気なんてどこにもなく、むしろ拍子抜けするほど健全で、眩しい熱気に満ちあふれている。
それを見て咲はほっと胸をなで下ろした。
「なんだ、普通のクラブじゃない」
そんな咲を横目に叶恵はふふんと得意げに笑う。
「これから始まるのよ」
そう言いながら、他の若者達と一緒に踊り出す叶恵。
咲は自分も一緒に踊りながら、微かな不安が湧き上がるのを感じていた。
そして音楽が止まった瞬間、入り口の鍵が閉められ陽気なアナウンスが流れた。
「みんなー! 今日も超最高のヘブンに連れて行くよ! さあ!みんなで輪になって肩を組んで!」
響き渡る声に、咲は不安になって叶恵を見る。
けれど、叶恵は「ほら、咲も!」と言って嬉しそうに咲の肩を抱き寄せた。
仕方がなく、咲も隣の見知らぬ男性と肩を組んだ。
そして次に、MCの声は予想外の言葉を吐いた。
「さあ! 合図をしたら共感接続をオンにしてくれ!送受信両方だよ!」
咲は焦った。
共感接続はプライバシーそのものだ。今日会ったばかりの他人とするなんて考えられない。
けれど、周りの皆は当たり前のように期待した表情で頷く。
「用意は良いね!? それじゃあ行くよ! Here we go!」
そして陽気な男の声が止むと、一転して静寂に包まれた。
この場で自分だけが共感接続を閉じていたら確実に怪しまれる。
咲は覚悟を決め、諦めて共感接続の送受信を解放した。
その刹那、これまで味わったことのない濃厚な多幸感が脳内に直接流れ込み、咲の思考を一瞬で塗りつぶした。
あまりの心地よさに、胸を支配していた不安は、まるで嘘のように綺麗さっぱり消え、代わりにすべてのものとひとつになったような一体感が訪れた。
***
帰り際、夜風に吹かれながら「あれは一体何だったのだろう」と考え込んでいる咲に、叶恵がいたずらっぽく人差し指を立ててみせた。
「ほらね。超気持ちよかったでしょ? 絶対に、誰にも言っちゃだめだよ!」
そう言って、叶恵はステップを踏むように楽しそうに夜の街へと駆け出していく。
はしゃぐ彼女の後ろ姿を見つめながら、咲の脳裏にはまだ、あの蕩けるような快感の残滓がしがみついて離れなかった。




