第23話 二人の約束
翌朝、日曜日なので両親も祖父母も家に居て、二人きりになるのは難しそうだった。
優は遥人に抱きつきたいのに、それが出来ないもどかしさを感じてため息を吐いた。
昨夜、遥人と二人分の布団を敷いた客間を閉め切って二人きりになれば、家族に怪しまれてしまう。
寝転がって「うーん」と唸っていると、隣に遥人がやって来た。
「優、海に行かない?」
「海?」
遥人は、12年前に祖父母と両親が、亡くなった伯父さんと浜辺で撮った写真を持ってきた。
「僕、ここに行ってみたい。おじさんとおばさんが電車ですぐに行けるって教えてくれたんだ」
そういえば、まだ優が生まれる前に、海で家族写真を撮ったと聞いたことがある。
「そうだな。暇だし行ってみようか」
優が起き上がると、遥人は嬉しそうに笑った。
***
海沿いのベーカリーでサンドイッチとコーヒーを買って、砂浜を二人で歩く。
まだ4月で午前中のせいか、人もまばらで人目を気にせずに歩けた。
優は、遥人が打ち寄せる波をよけながら楽しそうに歩く姿を、腕時計型端末で撮影した。
遥人の笑顔が眩しくて、たまらなく愛おしい。
見ているだけでは足りないと思うほど、その気持ちは膨らんでいった。
優の元に戻ってきた遥人が、「何撮ってるの?」と空間投影画像を覗き込んでくる。
優はホロスクリーンを閉じると、「内緒」と言って遥人を抱き締めた。
ようやく触れられたことに、胸の奥が熱くなる。
遥人の体温が服越しに伝わってきて、心臓がうるさい。
腕の中の遥人も、顔を真っ赤にして俯いていた。
しばらくそうして互いの温もりを感じていると、遥人が優を上目遣いで見つめてきた。
その瞳が、ためらいながらも何かを求めるように揺らめく。
優は辺りを見回した。
近くに人の姿はなく、遠くの方に人影が見えるだけだった。
遥人がまぶたをゆっくりと閉じる。
優は激しくなる心臓の鼓動を感じながら、その気持ちを確かめるように、遥人の唇へそっと唇を重ねた。
***
二人は持参したレジャーシートに座って海を眺める。
「そういえば」と優が口を開いた。
「あの夢の世界は、やっぱり海だったんじゃないかな」
遥人は、優の言っている「夢の世界」が、キャンプ場で二人で見た夢のことだと気付いて笑う。
「まだ言ってるの?もう、雲も夕日もあったんだから空でしょ?」
「遥人に会う前に、確かに魚が泳いでいるのを見たんだよ」
なおも食い下がる優に、遥人は「分かったよ。あれは海だった」と折れた。
優は、「しょうがないなぁ」と笑う遥人の肩にもたれた。
さっき交わしたキスの余韻を胸に抱えたまま、もっと深く遥人と繋がりたいと思う。
その気持ちに導かれるように、優は共感接続を開いた。
遥人もその気配を感じ取り、静かに共感接続を繋ぐ。
二人はどこまでも広がる海を眺めながら、あの日の夢で見た、甘い雲や蕩けるように美しかった夕日を思い出す。
そうしてどちらともなく手を繋いだ。
遥人は優の高鳴る想いを感じながら、恥ずかしさと嬉しさの混じった、浮き足立つような想いを送った。
***
家に帰ってからも、遥人は優との初めてのキスを思い出してぼーっとしていた。
優に抱き締められたのが嬉しくて、思わず自分から求めてしまった。
好きな人に愛されるということが、こんなに幸福な事だったなんて知らなかった。
「……と、遥人!」
「えっ!?」
友江の声に驚いて振り向くと、その表情は怒りに満ちていた。
「何度も呼んでるのに聞こえないの!?」
遥人は我に返って「ごめんなさい」と謝った。
「昨日、知らない人から遥人を預かってるから心配しないでって連絡があったのよ!何で遥人が他人の家に泊まってるの!?」
友江の剣幕に、遥人は宥めようと説明をする。
「いつもお世話になっている友達の家なんだ。昨日は遊園地に行って、帰りが遅くなったから泊めて貰ったんだよ」
「友達?」
友江はその言葉に訝しむ。
遥人は必死に笑顔を作った。
「そう。小学校の頃からずっと仲良くしてるんだ」
友江は遥人の言葉に違和感を覚えた。
そういえば、最近遥人は家に帰ってもぼーっとしていることが多い。
「遥人、お母さんと共感接続してくれる?」
「えっ!?」
遥人は焦った。
最後に母と共感接続をしたのは、もう一年以上前のことだった。
最近はずっと繋いでいなかったから、まさか今になって求められるとは思ってもいなかった。
いつもなら共感接続をする前に気持ちを落ち着けて、母に見られては困るような感情を整理する時間がある。
けれど、今日はそんな準備をする時間もない。
何より、今の遥人の頭の中は優への想いでいっぱいだった。
遥人が後ずさると、友江はなおも詰め寄る。
「遥人には隠し事なんてないわよね?」
遥人が答えずにいると、友江は目を細めて、底冷えのする冷たい声で言い放った。
「……遥人はもう家から出なくていいわ。外に出るから余計な事を考えるのよ」
友江の目は本気だった。
遥人は観念して、できる限り母の事だけを考えるように努めて共感接続を開く。
友江も共感接続を受信モードにして息子からの愛情を受け容れようとした。
次の瞬間、友江の中に流れ込んできたのは母に対する恐怖と、見知らぬ少年に対する深い想いだった。
どれほど遥人の心の中を探しても、自分に対する愛情はなく、あるのは見知らぬ少年の笑顔や声、温もり。そして、唇の感触だった。
友江は激しい怒りと嫉妬に襲われて手を振り上げた。
「優って誰!?遥人はお母さんのものでしょう!?」
その瞬間、友江の手がバチン!と遥人の頬を叩いた。
遥人の痛みと友江の行為が巨大サーバーで照合される。
一瞬でそのアラートは警察に届いた。
友江は肩で息をしながら、殴られた拍子に倒れた遥人を見下ろした。
遥人は痛む頬を手で押さえ、ゆっくりと立ち上がる。
友江は遥人を殴った自分の手を見つめた。
(私は今……何をしたの?)
遥人から感じたのは、まだ幼かった頃の遥人から受け取った無償の愛では無かった。
友江は遥人を見つめる。
遥人は何も言わず、ただ悲しそうに俯いていた。
立ちすくむ友江の耳に、遠く、パトカーのサイレンが聞こえる。
その音に、友江は体中の力が抜けて座り込んだ。
***
翌朝、学校の秘密の場所で遥人と優は向かい合って立っていた。
遥人が申し訳なさそうに項垂れる。
「ごめん。こんなことになっちゃって……」
その声は今にも泣きそうに震えていた。
優は慰めるように遥人の肩をそっと抱きしめる。
「昨日の夜、俺の家にも警察が来たんだ。大人になるまで、もう二度と共感接続の送信を行わないようにって注意されたよ。……あれは、俺たち二人だけの秘密だったのにな」
優は、そう言って遥人の髪を優しく撫でた。
そして、思い出したように足元に置いてあった袋の中からプレートを取り出す。
遥人はそれを見て目を丸くした。
「それって、クリスマスに貰ったお父さんからのプレゼント?」
優は懐かしそうに目を細めて微笑む。
「そう。ふたつ合わせると、俺たちの画像が表示されるやつ。これ、遥人の分を持っていて欲しいんだ」
遥人は頷いてプレートを受け取る。
このプレートを父から受け取った時の幸せな気持ちを思い出して、涙がこみ上げてくる。
「僕、お父さんに引き取られることになったんだ。新しい引っ越し先も、連絡先も、誰にも教えないようにって言われたよ」
遥人の目から涙が零れ落ちる。
優は初めて遥人の泣き顔を見た。
遥人はこれまでどんなことがあっても泣かなかったのに、優への想いだけは堪えきれなかった。
「優、最期に一度だけ、繋いでくれる?」
遥人は優の腕の中で尋ねた。
優は遥人を抱き締める腕に力を込める。
「良いよ。でも最後じゃない。3年後、18歳になったらまた繋がろう。そうしたら、プレートもまた繋がって、ひとつになる」
遥人は腕の中で頷いた。
二人は共感接続を繋ぐ。
流れてきたのは、
『大好き』
『離れたくない』
『離れてもずっと思い続ける』
そして、
『三年後、また必ず繋がろう』
という強い想いだった。




