第19話 髪に触れたい
優は朝からぼーっとして遥人のことばかり考えていた。
「優、朝ごはん早く食べちゃって!」
母の声に手元を見ると、ほとんど手をつけていない朝食が目に映る。
とりあえず、味噌汁を飲んで目玉焼きに手をつけるが、食欲が湧かずまた手が止まってしまう。
そんな様子を心配して、祖父が「風邪でも引いたんじゃないか?」と優の額に手を当てる。
「熱は無さそうだが、とりあえず今日は休みだな」
優は「休み」という言葉にはっと我に返って首を横に振った。
「心配してくれてありがとう。だけど俺は元気だよ。ちょっと寝ぼけてただけ」
急いで朝食を食べ終わらせて鞄を持つ。
「俺、今日は大事な用事があるから絶対に休めないんだ!行ってきます!」
慌ただしく家を出て行く優を、家族は不思議そうな顔で見送った。
***
校門の前では、いつものように遥人が待っていた。
優は思わず遥人のもとに駆け出す。
昨日、遥人にこの感覚が共感チップの故障によるものでは無いと言われたことで、すでに不安の芽は取り除かれていた。
何が理由なのかはまだ分からないけれど、とりあえず今は命に関わるものでは無いと分かっただけで十分だった。
優は浮き足立つ気持ちを伝えたくて、勢いよく遥人の肩を抱いた。
「おはよう遥人!」
遥人は少し驚いて「おはよう。今日はご機嫌だね?」と返す。
優は返事も返せずに固まった。
遥人の声が至近距離から聞こえたことで、急に腕の中の遥人の体温を意識してしまったのだ。
さらに、遥人の髪はほんのりフローラルないい香りがして、心臓がバクバクと激しく高鳴る。
優が無言で立ち止まっていることを不思議に思った遥人が「どうしたの?」と聞いてきた。
優は頬が赤くなっていることを隠そうと、横を向いて「何でもない」とごまかした。
(病気じゃないならこれは何なんだよ!?)
優は混乱する気持ちを抱えながら、遥人と連れ立って教室に向かった。
***
昼休みになるまで、優は授業中も遥人の顔ばかり見ていた。
午前中だけで3回も先生に叱られて、皆に笑われたのはさすがに恥ずかしかった。
優はようやく訪れた遥人と二人きりの時間を一秒でも長く味わいたくて、『秘密の場所』に着くと同時に共感接続を開く。
遥人は少し躊躇ってから優を見上げた。
遥人の身長はまだ167cmで優より8cm低い。
出会った頃は同じくらいだったのに、いつの間にか見上げるようになっていた。
きっと、優はもっと背が伸びるだろう。
遥人は、体育の時間に陽太とバスケを楽しんでいた優を思い出す。
筋肉が付きにくい自分とは違って、力強くコートを駆け回る姿は逞しかった。
数年前まで遥人が手を引いていたはずなのに、今は優の背中を追いかけている。
あの頃から、自分でも気付かないうちに何かが変わったのだ。
優が目で(早く繋ごう)と訴えてくる。
遥人は観念して共感接続を開いた。
途端、優の感情が津波のように押し寄せる。
『遥人とやっと二人きりになれた』
『ずっとこのままここに居たい』
『遥人のいい香りのする柔らかな髪に触れたい』
遥人は優の感情の波に飲まれて戸惑いながらも、その心地よさに酔った。
幾重にもにも重なる遥人への気持ちが、透明な薄膜のように降りてくる。
その一枚一枚に優の思いが込められていて、遥人を優しく包み込んでいく。
優の想いに包まれながら、遥人も気持ちを流し返す。
『優と一緒に居られて嬉しい』
『ずっと二人でいたい』
『僕の髪に触ってもいいよ』
優は驚いて遥人を見つめる。
「髪に、触ってもいいの?」
遥人は頷いて優を見上げる。
「いいよ」
そう言って微笑んだ遥人は頬が少し赤らんで、優の胸をドキリとさせる。
優は、遥人の耳元を流れる柔らかな髪にそっと指を差し入れ、さらりとした感触を味わった。
遥人はそっと目を閉じて、まだ繋がったままの優の感覚を味わう。
(僕の髪って、優にとってはシルクみたいに滑らかなんだ)
それは、自分の髪なのに自分のものでは無いような不思議な感覚だった。




