第11話 美彩と直人
時は遡り、優が遥人とすごろくで遊んでいた頃、優の母、美彩は弁護士と会っていた。
「あの人が私の記憶を観たいと言ってるんですか?今更どうして」
美彩は元夫の直人が、自分の記憶の追体験を希望していることに驚きを隠せない。
あれほど冷たく共感接続を拒んだ彼が、なぜ今になって過去の妻の記憶を観たいと望むのか。その理由が知りたかった。
弁護士の男性はスクエア型の眼鏡の位置を直しながら、美彩の問いに答えた。
「はい。現在、巨大サーバーに保管されている美彩さんの記憶を追体験することで、二人が何故、共感接続を拒否するに至ったのかを知りたいそうです」
美彩は直人とのこれまでの会話を思い返す。
共感接続もしないなら、夫婦でいる必要もないと言われたこと。
自分も優の親である以上、会いたいと思うのは当然だと言われたこと。
そして昨日、優が間にいないと会話すら出来ないのかと訊かれたこと。
「私たちはすでに離婚していますし、今更過去の記憶を観たところでもう手遅れだと思いますけど……」
直人の「今更だろう」と言ったときの冷たい声が、美彩の心を深く沈み込ませる。
そんな気持ちを察してか、弁護士は現在の法律について解説を始めた。
「現在、共感チップ義務化以前の離婚理由。つまり、不貞行為、暴力的行為、および重度の依存症などの、特定事由に該当しない場合、離婚届は6ヶ月間『仮届』として扱い、期限内に再婚した場合は、婚姻期間の継続とみなす。とあります。」
美彩が「仮届?」と聞き返す。
弁護士は口角を上げて頷いた。
「要するに、共感拒否離婚の場合は、6ヶ月間の猶予があるわけです」
「それなら、私たちはまだ正式に離婚したことにはなっていないんですか?」
弁護士の説明を聞いて美彩の声に生気が宿る。
何もかももう遅いと思っていた。
直人はただ、優を奪うために弁護士を雇ったのだとばかり思っていたのに、もしかしたらやり直す道を考えているのかもしれない。
そう思った後、美彩はまだ直人を嫌いになっていなかったことに自分でも驚いていた。
美彩は意を決して弁護士に尋ねる。
「メモリアの記憶は私も観られますか?私も彼の気持ちを知りたいんです」
人類の記憶を保管し続けている巨大サーバー、グランド・メモリア、通称メモリア。
そこには過去20年間の記憶が複製データとして保管されている。
美彩たちの婚姻期間の記憶は全てメモリア内に保管されていた。
***
美彩は自宅に戻ると、弁護士を通じて医療機関から貸し出されたヘッドセットを頭部に取り付けた。
これから観るデータは既に必要な箇所だけを選り抜かれている。
これまで直人がどのような気持ちで共感接続を拒否してきたのか、それを本人が感じたままに追体験できる。
美彩は直人の本心を知る不安と、自分に対する愛情への微かな期待を胸に、ダイブを開始した。
始まりはまだ優が幼稚園に通っていた頃の記憶だった。
できる限り残業を早く切り上げて帰宅すると、美彩が優を叱っていた。
「お友達の物を持って帰ってきたのは優でしょ?明日ちゃんと謝らないと嫌われちゃうわよ?」
優は泣きじゃくって地団駄を踏んでいる。
「だって、いいよっていったんだもん!ぼくのせいじゃないもん!」
優の泣き声が疲れた頭に響き、頭痛がする。
ため息を吐くと、直人がいることに気付いた美彩が「助かったわ」と優を抱き上げて連れてきた。
「お願い。少し優のこと見てて。まだ料理の途中なの」
疲労を癒す間もなく子供の面倒を見なければならない状況に、さらに疲れがたまっていく。
優の頭をなでながら、今日は共感接続どころじゃないなとため息を吐いた。
***
その頃、直人の意識は、美彩の記憶へとダイブしていた。
午後3時にパートの仕事を終えて幼稚園に向かう途中、立ち仕事のせいで足が棒のように重く、腰も痛くて少しだけ立ち止まる。
これから優と一緒に買い物に行って、夕飯の準備をして、洗濯物を畳んで、お風呂とトイレの掃除をして、とそこまで考えてふと、自分はなぜこんなに頑張っているのだろうと思った。
夫のため。優のため。だけど、自分のための時間はどこにあるのだろう。
(いけない!しっかりしなくちゃ!私は優のお母さんなのよ!)
そう自分に言い聞かせて歩き出す。
こんな気持ちを抱えていたら、共感接続をしても不満の気持ちを流してしまう。
美彩は疲れて帰宅する夫にこれ以上負担をかけるわけにはいかないと、甘えたい気持ちを押し殺した。
***
それから数日の間に数年分の記憶を体験して、美彩はなぜ直人が共感接続を拒否してきたのかを理解した。
彼もまた、自分と同じように疲れていた。
相手に対する愛情が薄れたわけでも、離れたかったわけでもなかった。
それでも気遣っているつもりで、お互いに相手の気持ちを遠ざけてしまっていた。
手に持ったヘッドセットを見つめたまま、美彩はもう一度夫と話し合いたいと思った。
そして即座に弁護士へ夫との話し合いの場を設けて欲しいと連絡する。
(もし、彼も同じように私の気持ちを理解してくれたなら、もう一度やり直せるかもしれない)
美彩は窓の外の月を眺めながら、笑い合っていた頃の直人の顔を思い浮かべた。




