2. 経理と店番
翌日の昼、倉庫の入り口に姪が立っていた。
妹の娘、三好撫子。大学二年、簿記二級。四月の風に髪を押さえて、手には履歴書の封筒がある。
「バズった個人事業主には、経理と炎上対策が要ります。時給千二百円で手を打ちましょう」
「面接もなしか」
「面接するんですか? 昨日まで無職だった方が?」
正論である。断る理由を三つ数え、三つとも言い負かされる未来まで見えたので、俺は姪を雇った。
「ちなみに時給千二百円は、県の最低賃金より上です。調べてあります」
経理は、初日から経理である。
検品を任せて五分後、配信卓のほうから変な声がする。見れば、例の仮面を顔に着け、テストと称してカメラの前に立っていた。画面の隅の同接は五十――昨日の騒ぎの続きを、待っている人数である。
「てすてす、経理担当です。時給、ほんとは千五百円欲しい」
言ってから、自分の口を両手で押さえた。
『本音出てて草』
『あれ? 声は別に大きくなってなくない?』
「はい、そこです」
俺は仮面を回収し、そのまま店頭の教材に使わせてもらう。
「表銘の効果は、対価と合意で品を所有した者にしか働きません。この仮面の持ち主は私です。撫子さんが着けても、声は三倍になりません。――ですが裏銘は、条件を満たした者なら誰にでも働きます。着けたら最後、嘘はつけません」
『効果なしで呪いだけって、理不尽では?』
「それが呪物です。ひとつだけ、覚えてお帰りください。――呪物は、正しく買わないと、呪いしか働きません」
撫子は仮面を外し、しばらく裏側を眺めていた。
「……なんか、字みたいなのがチラッとした気がするんですけど」
「気のせいでしょう。銘は、誰にでも見える物ではありませんので」
姪はもう、次の段ボールへ向かっている。俺は手の中の仮面を、一度だけ裏返して見た。――千人に一人。まさかな。
さて、店番の話である。
防犯にと、師匠の遺品の鎧を入り口へ据えることにした。讃える鎧。表銘は、所有者が纏うとき、膂力二倍。裏銘は――目に映る人を、事実に基づいて讃え続ける。讃えるべき事実が見つかるまでは、黙る。
据えた途端、鎧が胴間声を上げた。
「本日のお嬢さん、履歴書の字に迷いがない!」
「……褒められました」
「事実しか讃えない鎧です。讃える事実が見つかるまでは、黙ります」
実際、午後に来た初見の配達員の前では三十秒黙り込み、店の空気を凍らせている。事実は、探すのに時間のかかる日もあるのだ。
『この鎧すき』
『沈黙の間が本気すぎる』
『ホメ吉って呼ぼう』
店番の名付け親は、視聴者である。鎧は満更でもなさそうに、胸当てを一度鳴らした。
「さて、本日の呪物です。涙の包丁。表銘は、研がずとも、研ぎたて。裏銘は――まな板に当たるたび、小さく啜り泣く。……以上です。実演いたします。安全のため、切るのは胡瓜だけ、指は出しません」
まな板に胡瓜を置き、すっと引く。
切れ味は、研ぎたてのそれである。そして刃がまな板に触れた瞬間――小さく、本当に小さく、すすり泣いた。
『泣いてる』
『かわいそうで草』
『音だけ聞くとホラーなのに、なんか悲しい』
「お値段、四千円。切れ味に、嘘はありません」
『泣く包丁を売るな』
カゴの音が、ゆっくり一度鳴る。
『買います。ひとり暮らしで、台所が静かすぎるのが、こわいので』
一字ずつ、時間をかけて打たれた文字だった。画面の向こうの台所の静けさが、なぜだか俺にも分かる。俺も二階で、鍋の音だけ聞いて夕飯を食う男である。静かすぎる部屋の耳に、この小さな泣き声は、たぶん丁度いい。
「お買い上げ、ありがとうございます。……泣き声も、誰かの声です」
言ってから、仮面を着けていない事に気づいた。着けていても、言えた台詞である。
「返品は八日以内、未使用に限ります。呪いは、なじむ前にお返しください。――嘘は申しません。本日も、良いお買い物を」
◇
閉店後、電卓を置いた撫子が手を挙げる。
「叔父さん、口約束を全部条文にしましょう。約款っていうんですけど」
姪はその晩のうちに、五条まで書き上げてしまった。
一、誇張の禁止。二、裏銘の全文表示。三、売る前に、店主が実演。四、返品は八日以内・未使用に限る。五、使用後の返品は不可。
声に出して読み、俺は少し黙った。俺の商売のやり方が、初めて文字になっている。鑑定書の外で、俺の正直に条文をくれた人間は、この姪が最初である。
「なんでまた、うちみたいな店に来た」
「お母さんが言うんです。兄さんはバカ正直で、損ばかりだって」
妹の声で再生される台詞である。会議室の記憶が、一瞬だけ疼いた。
「……損じゃないって、数字で見たいんですよ、私は。だから経理は、私がやります」
翌日の配信で、さっそくコメントが飛んでくる。
『返品って、ほんとにできるんですか?』
「よくぞ聞いてくださいました。――次回、返品の話をいたします」




