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3. 返品できますか

 開店から三週間。同接の平常は、二百人になった。


 七人から二百人。数字より、常連の名前を覚え始めた事のほうが、俺には大きい。切り抜きのまとめ屋、検算好きのそろばん弾き、そして星ひとつの辛口がひとり。


「さて、本日の呪物です。……と、いつもなら続けますが、本日は先に、お返しする話からです」


 配信卓の上に、先週売れた品が戻ってきている。早口の目覚まし。表銘は、必ず起こす。裏銘は――起こすまで、早口言葉を続ける。


「ご購入六日目、箱もお開けになっておられません。銘を確認します。……所有の移転が一件、発動の履歴は、売る前の当店実演の一件のみ。お客様ご自身の発動は、ありません。約款の申します『未使用』は、お客様ご自身の発動がない事です。あなたの縁も、あなたの発動の履歴も、この品には付いておりません――呪いごと、売る前のままの姿で棚へ戻ります」


 三千五百円、耳を揃えてお返しした。


『ほんとに返すんだ』


『なんで返品したんだろ』


『そりゃ朝から生麦生米はきついでしょ』


 理由の欄は空白でよい、と約款にも書いてある。あるのだが。


「ご返品の理由は、うかがいません。……うかがいませんが、備考欄に一言だけ。枕元に置く勇気が出なかった、と」


『わかる』


「未使用なら、八日以内、全額です。約款第四条の、実演でした」


       ◇


 その晩である。風呂から上がると、撫子がスマホをこちらへ突き出してきた。


「叔父さん、これ。……うちの子じゃないですか?」


 短い動画だ。深夜の暗い事務所、無人の机、書類の山。その上で何かが薄く光り、抑揚のない声が読み上げている。


「御請求書、二枚目。ますますの、益の字が、誤り!」


 彫りの模様に、見覚えがあるどころではない。俺は動画に被せて、そらで続きを言えた。


「日没から夜明けまで、押さえた文書の誤りを読み上げて正す。――口うるさい文鎮。うちの子だ」


 題は『呪いの文鎮』。震える手の撮影者ごと、拡散は万を超えている。


 ヨイチの取引記録をたどると、話は単純だった。先週、配信で裏銘まで読み上げて五千円で売った品が、購入八日目に、倍の値で転売されていたのである。裏銘の説明は、値札のどこにも付いていかなかった。


 品だけが遠くへ行き、但し書きは店に残ったわけだ。うちの商品の半分は、その但し書きなのに。


 夜中に正しい事を言い続けて、気味悪がられて、手放される。……覚えのある扱いである。


 俺はその晩のうちに、動画の主へ連絡を入れた。


 翌日、店に現れた会社員は、寝不足の顔で文鎮を差し出してくる。


「三晩目で、心が折れました。夜中の三時に、経費精算の誤字を読み上げるんです。……正座で聞きました」


「正しい発動です。この品は、裏銘を隠されたまま、あなたの所へ行きました。お支払いになったのは、一万円ですね。――一万円で、お引き取りします」


「え……売り値より高いのに、いいんですか?」


「あなたの損は、うちの損です。ご迷惑料も込みで。……うちの品が、黙って夜勤をいたしましたので」


 文鎮は卓の上で、心なしか胸を張っている。誤字を正して何が悪い、の顔である。


 会社員は少し笑い、帰り際に一度だけ振り返る。


「夜中は怖かったですけど……誤字は、全部合ってました」


「でしょうね。うちの子は、間違えません」


 その日の配信で、顛末を包み隠さず話した。締めは数字である。


「売り値五千円の品を、転売価格の一万円で買い戻しました。差し引き、五千円の赤字です」


『商売とは』


『足が出てて草』


『誠実さで食えるのか実験配信』


 その晩、レビュー欄に星ひとつが増えた。


『買い戻しに色を付けるやつがあるか。甘い商売だ』


 開店初日から居る、名前も顔も知らない常連である。俺は律儀に、返信を打つ。


「ご忠告、痛み入ります。長続きの工夫は、只今、経理と協議中です」


 食えるかどうかは、翌週に答えが出た。


 文鎮の新しい買い手は、校正の仕事をしている常連である。


「さて、本日の呪物です。口うるさい文鎮――二度目のご紹介です。表銘は、押さえた紙は、風でも人でも動かせない。裏銘は――日没から夜明けまで、押さえた文書の誤りを読み上げて正す。この店を出て、戻るまでの履歴も全部申します。所有の移転が三件、発動の履歴が十四件――うち一件は売る前の当店実演、残る十三件は、三晩のあいだに正された書類が一枚ごとに、律儀に刻まれたものです。前の持ち主との縁が、品の側に残ります。すべて承知の上で――お値段、四千五百円」


『値下がりした』


『あれ、通算五百円の赤字では?』


「はい。ですが、夜中に誤字を読まれる事務所が、世界からひとつ減りました。安い買い物です」


 校正者は箱を抱え、受け取りの伝票に丁寧な字で名前を書いた。


「夜通し誤りを読んでくれるんでしょう? ……それ、相棒では?」


 その夜、約款に第六条が増える。転売は、当店を通す事。


「裏銘ごと売るのが、うちの商品です。品だけ渡すと、ああなります。……返品は八日以内、未使用に限ります。呪いは、なじむ前にお返しください。――嘘は申しません。本日も、良いお買い物を」


       ◇


 閉店間際、コメント欄に写真が一枚貼られた。


『うちの蔵にヤバいのがあります。見てもらえませんか』


 薄暗い蔵の棚の上――古い指輪がひとつ、豆粒ほどの光で、ぽつんと灯っている。


 撫子が横から覗き込み、俺の顔を見て、それから予定表を開いた。


「……これ、見る流れですよね。鑑定料、決めましょう」


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