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迷宮世界に生きる  作者: panda
第二章 人の輪の中へ
22/22

2-6.城塞都市の母娘

「マークスさん、おはようございます!」


 玲奈はフルーとギリムの二人を連れて待ち合わせ場所であるサルフィスの宿屋に現れた。

 寝起きのよくないギリムは眠そうな顔をしている。


「おはようございます、レイナさん。二泊しますが、準備はよろしいですか?」


「はい、泊まれるように準備してきました。」


「では参りましょうか。」


 マークスに続いて玲奈たちが宿屋の外に出て待っていると、馬車がやってきて目の前で止まった。

 昨日見かけた御者が馬車を御している。


「無事直ったんですね?」


「ええ、お陰様で。」


 マークスは御者の右隣りに腰かけ、玲奈は馬車の右側、ギリムは左側を歩き、フルーが後ろを歩く隊形で出発した。

 フルーは大剣と皮よろいに円盾、ギリムも短剣を用意した。

 玲奈は動きやすいに生成りの上下に厚手の外套をまとい、二人と同じくブーツをはいている。

 さらに今回は弓矢も忍ばせている。


 昨日通った鉱泉への道を分け、しばらく進むと山道にかかる。

 デュリシーへの道よりもさらに傾斜はなだらかだ。

 馬車は荷物が少なく、歩く玲奈たちに合わせてゆっくり進むので、馬の消耗が少なくてすんでいる。

 休憩時には玲奈が魔法で水を出して馬にも飲ませた。


「馬は水をたくさん飲みますから、レイナさんにお水をいただけて助かります。」


「自分たちで飲む分のついでですよ。山中は水場も限られますからね。」


「それでも助かります。お陰で馬も調子がよさそうですよ。」


「私たちの歩く速さに合わせてもらっているからでしょう。」


 人も調子よく順調に歩き、昼過ぎに休憩場所に着いた。

 そこは傾斜がほとんどなく平坦で路肩に大きなスペースがあり、馬車や旅人が休むことができる。

 マークスの馬車が到着したときも、他に馬車が三台止まって腰を下ろして休んでいる人たちがいた。

 街道と分かれて下に降りている小道があり、ちょうど小さな樽を抱えて上がってくるところだった。

 近くに水場があるようだ。

 ただし玲奈は水を汲みに行くこともなく、持ってきたケトルにさりげない態で水を満たし、フルーやギリムが集めた枯れ枝や枯れ葉に火をつけてお湯を沸かす。


「とても助かります。今後御者とだけで旅するのが不安になるほどですね。せめて茶葉は私が出すとしましょう。」


「ごちそうになります。グリスターはお茶の名産地なのですか?」


「近郊の村々で産出しますけれど、名産地というほどのことはないですよ。私のところは食器も取引していてティーポットやカップも扱ってますが、肝心の茶葉には詳しくなくてね。レイナさんのお口に合いますかどうか。」


「いえいえ、卑下なさらないでください。マークスさんのお茶、おいしくいただいてますよ。それにこうして旅をしながら自然の中でいただくお茶って素敵じゃありませんか?」


「確かにそうですね。もう少し季節が進めば草木が芽吹き、花が咲きます。」


 マークスの言葉に、玲奈は首を巡らせて周囲を見た。

 薬師のエリーズが言ったように、王国でも南端に近いこのあたりは常緑の木がちらほら目に止まった。

 しかしそれ以外の木々は葉を落とし、寒々しい冬枯れの姿だ。

 玲奈は目を閉じて、脳裏に瑞々しい新緑の森を思い描いた。


 午後もトラブルなく進み、夕方まだ暗くなる前に宿屋が集まっている一画に到着した。

 街道が平坦で開けた地形に差しかかると道沿いに何軒か宿屋が点在している。

 そのうちの一軒にマークスは宿泊すると告げた。


「ここは私が定宿にしているので今回も泊まるのですが、やや高いのです。大丈夫ですか?」


「懐具合なら問題ありません。私は従者たちと別の部屋に泊まることになりますが、空いているどうか気になります。」


「そんなに通行量が多い時期ではないので心配いらないでしょう。レイナさんがよろしければ私が交渉しますね。」


 玲奈はマークスに宿泊の手続きをまかせた。

 マークスと御者、フルーとギリムがそれぞれ二人部屋、れは一人部屋に泊まることになった。

 まだ夕食には時間があり、玲奈は荷物を部屋に置くと外に出てきた。

 建物の裏手にあるうまやではマークスの御者が馬車にくくりつけた桶をはずして馬に水をやろうと準備しているところであった。

 水場まで汲みに行くのは大変だろうと思い、玲奈は御者に声をかけた。


「水でしたら、水場まで行かずとも私が用意しますよ。」


「そこまでしていただくわけには参りません。大旦那様に叱られてしまいます。」


「私が勝手にやったということにしておいてください。」


 そう言うや否や、玲奈は二つの水桶を満たした。

 御者はあきれているが、馬は関知せず、ノドの渇きをいやそうと鼻面を桶に突っ込んだ。

 馬の口の動きに合わせて、水面に複雑な波紋が表れる。

 玲奈はふと思い立って水桶に手をかざして水魔法を発動させた。

 波紋は収まり、水面はピタリと凪いだ。

 馬が水を勢いよく飲んでも、水位が徐々に下がっていくだけである。

 玲奈は水属性の魔力を使って水を抑えつけていた。

 水魔法を使って水をコントロールすることは彼女にとって難しくない。

 逆に魔法を使って水を急に動かすと、水中にいるものにとって姿勢を保つのが難しく、水中の敵に効果があるかもしれない。

 試しに馬が顔を上げたときに水魔法で水面を波立たせてみたり、回転をかけて渦を巻くようにしてみた。

 規模を大きく速度を上げれば、水中の相手に対する妨害になりそうである。

 気をよくした玲奈は、水桶を再び満たし、馬の顔をなで、御者にあいさつして厩を出た。

 御者は馬車に積んできた干し草をあげている。

 彼女は建物の裏手に広がる林の中に入っていった。

 ゆっくり歩きながら魔力をわずかに放散させて周囲の様子を探った。

 前方には人も魔物もおらず、後ろからついてくる人もいないことを確認しながら五分ほど進んだ。

 街道や宿屋の建物が完全に木々の影に隠れていることを振り返って確かめて立ち止まった。

 その場所で木立を標的に見立てて、風魔法と水魔法の練習をした。

 十分ほど練習したが、そろそろ林間は暗くなり始めており、夕食の時間が近いことから、早々に宿屋に戻った。


 夕食後、玲奈は自室で魔法の練習をした。

 一人部屋なのでモールトンで泊まった部屋より狭いが、他の人に見られる心配はない。

 光魔法で指の第一関節、第二関節に魔力を集める練習をした。

 あとは旅の記録をつけて早めに就寝した。


 翌朝玲奈は目覚めると着替えて宿屋の外に出て出てみた。

 まだ空がうっすらと白み始めたばかりで、あたりに人影はない。

 魔力探知をしたが、魔物もいないようだ。

 彼女は裏手の林の中に立ち入った。

 暗くてわからなかったが、朝霧が出ているようだ。

 視界を失わないように宿屋の建物が見える範囲で立ち止まり、しばらく体を動かした。

 剣を振る動作をしつつ魔力を瞬間的に指の第二関節に集める練習をした。

 そうするうち泊まっている宿屋から人が出てきた。

 目をこらすとマークスの御者のようで、これから馬の世話をすると思われる。

 玲奈は練習を切り上げて宿屋に戻り、厩に向かう御者に声をかけた。

 水を汲みに行く前だったので、桶に水を満たしてあげた。

 馬のたてがみをなでながら御者と話していると、フルーが外に出てきた。

 間もなくギリムも生あくびをしながら現れた。

 玲奈はフルーとギリムを連れて裏手の林の中に入り、小さく開けた場所を見つけて体を動かした。

 その後、彼女は弓を取り出して山鳥や小動物がいたら狙おうかと思ってギリムと探したものの、なにも見つけることはできなかった。


 朝食後、マークスとこの日の旅程を打ち合わせてすぐに出発した。

 街道はまだうっすらとモヤがかかっている。

 止まった宿屋の先にも数軒の宿屋が点在し、最後にエリュシオール王国の紋章の旗が掲げられた建物を過ぎると、再び山道となる。

 しばらくは傾斜がゆるい林の中の道を進む。

 ときおり騎馬の列が馬車を追い越して通り過ぎる。

 しばらく進むと路肩が広がり休憩できる場所に出た。


「レイナさん、ここで一休みしましょう。峠を過ぎるまで、この先水場がないのです。だから他の商人たちも必ずここで休憩をとるのです。私たちは今回に限り心配いらないのですが。」


「ここは水場がすぐ近くで手間もかからないんで、わざわざ手をわずらわせることありませんて。」


 マークスは機嫌よく玲奈に話しかけ、御者は水桶を持ち自分で汲むと主張した。

 路肩の脇の斜面から湧き水が流れ出ており、運ぶのに手間がかからない。

 玲奈もここでは魔法を使わずに湧き水を飲んでみた。

 フルーとギリムも彼女からカップを受け取り湧き水を飲み一息入れた。

 彼女はマークスに、気になっていることを尋ねてみた。


「ここから峠に差しかかるとのことですが、一般的に境界地帯は治安がよろしくないと聞いております。このあたりは大丈夫ですか?」


「絶対ではないですが、このあたりは盗賊や魔物はほとんど出ないですよ。詳しいことはわかりませんが、南のトランサリア伯爵と北のエリュシオール王国で協定結んで、事前の承諾なしで事後に現地の報告だけで越境して追跡ができるようにしたそうです。」


「それなら盗賊が反対側の領地に逃げ込んでも追いついて討ち取ることができますね。」


「そうなのです。さっきの宿屋街のはずれにエリュシオール側の詰所があったでしょ? あそこに武官が駐留していて連絡体制をとっていると聞いてます。そのおかげなのか、私はこの峠道で一度も盗賊や魔物と出くわしたことはないです。」


 話していると後から馬事が二台、三台とやってきて停車した。

 既にマークスの馬には御者がたっぷりと水をあげており、早々に出発することにした。

 歩き出してしばらくは平坦に近い道のりだったが、傾斜がしだいにきつくなった。

 きついといってもデュリシーに向かう山越えの道ほどではない。

 登るにつれて霧が濃くなってきた。

 見通しがよくないので、ギリムはもとより、玲奈も魔力を放散して周囲の状況を確かめながら進む。

 傾斜がゆるくなり霧の中から建物が見えてくると、そこが峠だった。


「さあ着きましたよ。お昼にしましょう。」


「ここが峠なんですか?」


「ええ、ここは“分水嶺”と呼ばれていて、この街道の最高点です。」


 道の左側には石造りの建物がいくつかあり、手前側の一つにはエリュシオール王国の旗が掲げられている。

 奥には厩や倉庫があるのか、馬をひいたり物の出し入れをしている人の姿がかすんで見える。

 道の右側は木が切り開かれて露地となっており、木造の小屋が二棟並んでいる。

 既に数台馬車が停まって昼食をとっている人たちがいた。

 マークスも馬車を空いている場所に止めて、玲奈たちと簡単な昼食にした。

 ここでは魔法を使わず、御者が汲んでおいた水を飲用した。

 昼食をとり談笑しているうちに、北のエリュシオール王国側からも南のトランサリア伯側からも馬車が登ってきて、峠は人が増えた。

 後続の馬車が駐停車する混雑に巻き込まれないうちに発つことにした。

 この先は下り坂となるが、雑談の中で御者は下り坂の方が馬車の操縦は難しいと言う。

 その言葉どおり、馬車はソロリと慎重に下る。

 玲奈は下り坂ということもあって体力をさほど消耗することもなく追随ことができている。

 フルーはもとよりギリムもスタミナがついたのか、遅れるをとらない。

 途中、騎馬の兵士たちとすれ違うが、王国の騎士とは装備がかなり違う。

 深緑色にマントを翻した彼らはトランサリア軍の騎士なのだろう。

 一度休憩をはさんで進み、峠道を下りて霧を抜けると、既に日が沈もうとしていた。

 間もなく何軒かの建物が連なっているのが見えてきた。

 暗くなる前にそのうちの一軒に入ることができた。


 翌朝早く起きた玲奈は宿屋の裏手に出てみたが、すぐ急斜面に突き当たった。

わざわざよじ登ろうとまでは思わなかったので、空き地を見つけて体を動かすにとどまった。


 三日目は晴れて、ゆるやかな下り坂が続く道を進む。

 木々が切り払われ開けた場所に通りかかると、大きく視界が開けた。

 うねるような丘陵の先には広大な平野が広がる。

 平野を左右に貫いて光る帯が見える。

 玲奈は歩調をゆるめて景色に見入った。


「雄大な眺めですね。」


「ええ、レイナさんは分水嶺の南に来たのは初めてですか?」


「はい、初めてなんです。見るものどれも新鮮に感じられます。あそこに光っているのは川ですか?」


「ええ、あれがダダリア川といって、この大陸で一番の大河ですよ。私が店を出しているグリスターの街はダダリア川の分流に面していて水運が発達してるんですよ。」


「水運が発達しているということは商業が盛んでモノが豊富ってことですか?」


「まあ、そんなところです。グリスターは商業都市といっていいでしょう。」


 降りるにつれて常緑の木が多くなる。

 整然と植林されたような木々が増え、人里が近いことがうかがわれる。

 さらに降りてくると、道の左右に植えられた常緑樹には緑色の丸い果実が実っている。

 柑橘類の果樹園の中を進むとまもなく開けた草地に出た。


「この先は平らになります。レイナさん、このあたりでお昼にしませんか?」


「おなかがすいてきちゃいました。」


 道中で拾い集めた枯れ枝で火をおこし、玲奈が水を満たしたケトルをかける。

 馬の世話をしていた御者も戻ってきて、パンとお茶、それとドライフルーツで簡素な食事をとった。


「ここまで来るとグリスターまであと半日もかからないので、さすがにホッとしますね。逆に往きだとここから登りにかかるので、気合いを入れ直さないといけない地点です。」


「大旦那様は、あっしを雇う前に峠越えをするとき、歩きだったんですか?」


 マークスが話を始めると、御者が口をはさんだ。


「そうだよ。お前には話してなかったっけ? 歩いて販路を開拓して、大口の取引ができるようになったから馬車を使うようになったんだ。」


「ひゃあ、大旦那様にそんないきさつがあったんですねえ!」


「マークスさんは大旦那様って呼ばれてますけれど、若旦那様もいらっしゃるんですか?」


「ああ、私のせがれです。まだまだひよっこですが、名目的には共同経営者になってます。実際には嫁ともども修行中の身ですけれども。」


「なるほど! ひょっとして商会の名前ってご子息の?」


「ご明察です。マークス・アンド・トレント商会のトレントがせがれの名前ですよ。」


「ではご子息は奥様とグリスターのお店でお留守番ですか?」」


「いや、川向こうにあるフュルカという街にある店をまかせています。」


「マークスさんはもう一つお店をお持ちなんですね。」


「ええ、ただグリスターの方が後発で、元は親父の代からフュルカでは店を開いてますよ。」


「本店をまかせるほどだから、ご子息は優秀なのではないですか?」


「フュルカの方が付き合いが長いところが多いので、良くも悪くも安定しているんですよ。見習いの修行にはうってつけなのです。」


「ではグリスターに新しく支店を開いたのはマークスさんご自身なんですか?」


「そうなんです。元の店である程度はやり尽くした感触はあったので、せがれが一本立ちするのを機に新しい挑戦を始めたのです。エリュシオールで手探りで取引先を開拓したのもそうです。」


「年齢に関係なく未知の道を進もうとする人は尊敬します。」


「そうですか? 見たこともない魔法を軽々と使うレイナさんこそ、未知の道を邁進しているんじゃないですか?」


「私こそまだ駆け出しですよ。ところでマークスさん、外から見たエリュシオール王国の印象はいかがですか?」


「そうですね、私の知っている範囲では北隣りのエリュシオールよりも西隣りのオグレダリカ伯爵様の領地に行く商人が多いのです。これはオグレダリカ様の都市が豊かで発展しているとおもわれているからです。」


「逆にエリュシオール王国側は、端的に言うと貧しく遅れていると?」


「失礼ながらそのような認識が大勢であることは確かです。どうか気を悪くなさらないでください。」


「大丈夫ですよ。」


「ともかく、そんな認識のため多くの商人はエリュシオールではなく、オグレダリカ様の都市に集まります。私などが行っても後塵を拝するばかりです。それなら仮に遅れていると言われている場所に出向いて、グリスターでまだ誰も扱ってないモノを買い入れた方がいいだろうと考えたわけです。」


「その試みは成功を収めつつあるんじゃないでしょうか。」


「油断はできませんが、なんとか商売は形になりつつあると思います。パルマの化粧品や石けんは素晴らしい! 私は生産地の村まで出向いて、肥料や農機具の需要を知りました。これらも商売のタネになってますよ。」


「実際に足を運ばないとわからないことがありますよね。」


「そういうことです。さて、おしゃべりが過ぎました。まだ半日の旅程が残ってますから、そろそろ出発しましょう。」



 最後の丘を下ると、その先は平坦な道になった。

 広々とした黒土の畑の中を進む。

 この時間は隊商らしき列とはすれ違わないが、深緑色のマントを羽織った騎馬隊とは一度すれ違った。

 しばらく行くと道の両側に人家が増え、人通りも増える。

 二度、途中の村で小休止した。

 なおも進むと、はるか先、人家のすき間に都市を囲む城壁が見えてきた。

 ただし、そこからが遠かった。

 日は西に傾くが、壁はなかなか近づかない。

 ギリムが根を上げるころ、ようやく城門をくぐった。

 グリスターの市内は馬車のほか、行き交う人、荷車でごった返していた。

 玲奈は賑やかな雑踏を目にして、足の疲れを忘れた。

 彼女の心が浮き立つのに反して、馬車は人馬の列を避けてノロノロ進んだ。

 大きな通りとの交差点付近から先は中心街にあたるのか、人通りが一層増えて賑わっている。

 馬車は脇道に入り、少し進むと一軒の商店の前に停車した。

 白木の繊細な装飾がドアや窓枠に施された建物がマークスの店舗とのことだ。

 彼は馬車から降りると店の者に一声かけてから、御者を先導して右脇の搬出入口から奥に入って行く。

 敷地は間口はそれほど広くはないが、奥行きがかなりあり、バックヤードには石造りの堅固な倉庫があった。

 馬車は車庫に入り、御者が馬の手綱をひいて厩に連れて行く。

 玲奈はマークスに案内されて倉庫内に立ち入る。


「それではレイナさん、この一画に荷物をお願いします。」


「はい、承知しました。」


 玲奈は慎重に一個一個、まずはドライフラワーが入った木箱、化粧水を入れた壺をアイテムボックスから出して床に並べた。

 預かった荷物をすべて出して床に並べると、マークスが小さくため息をついた。


「はぁ、壺が一つとして割れないどころか、一滴も化粧水がこぼれることなく持ってこれたとは!」


「マークスたちのお役に立てたのならなによりです。」


「あっ、ありがとうございました! 難渋しているところを助けていただいて感謝しています。ごくささやかですが、お茶など召し上がってください。」


 玲奈はマークスに連れられて倉庫を出て、外で待っていたフルー、ギリムと合流した。

 荷物を引き渡して文字どおり肩の荷を下ろした玲奈は安堵すると、ふくらはぎにいつにない重さを感じた。

 昨日昼から続いた下り坂の連続で思いのほか足の筋肉が疲労したらしい。


「マークスさん、ちょっと待ってください。時間をとりませんので、できればこの場所をお貸しください。」


「別にかまいませんが。」


 玲奈はマークスに頭を下げると、フルーとギリムに目配せしてバックヤードの石畳に腰を下ろした。


「レイナさん、なにをなさろうとしているんですか?」


「翌日に足腰の疲れやコリが残らないように、養生しているんです。」


 三人は足首やヒザをゆっくり伸ばしてほぐした。

 その様子を見ているマークスは首をひねり半信半疑だ。


「疲れているなら休んだ方がよくありませんか?」


「筋肉に残る疲れは休めるより動かした方が早く追い出せます。面倒臭くてもこうして手入れしておけば次の日違いますよ。」


「そんなものですか。私の歳になると翌日でなく、翌々日に疲れが出たりしますがね。」


 話しているうちにストレッチが一通り終わり、玲奈は立ち上がり、パンツのお尻をパンパンとたたく。

 マークスは苦笑いし、肩をすくめながらも店内に誘う。

 彼は通用口から入って玲奈たちを応接室に案内した。

 一旦彼は退室し、少ししてお盆になにか乗せて戻ってきて、玲奈にソファに座るよう促した。

 まずは紙袋に入った報酬を受け取った。

 もう一つお盆からバスケットを下ろし、テーブルに置いた。

 中には香ばしいクッキーが入っている。

 彼の後ろにもう一人、長身で彼よりいくらか若い男を伴っている。

 その男は玲奈に深々と頭を垂れた。


「初めてお目にかかります、当店で番頭を務めておりますトニオと申します。レイナ様には、主人マークスの危機を救っていただき感謝いたします。粗茶ではありますが、どうぞ召し上がってください。」


 そう言うと、玲奈の前のテーブルにティーカップを置き、持ってきたティーポットからお茶をいれた。

 カップの中の液体はくすんだ茶色でもなく、青々とした緑色でもなく、鮮やかな赤だった。

 玲奈は立ちのぼる香りを楽しみながらゆっくりカップを近づけ、一口含んだ。


「おいしい!」


 苦味やえぐみがなく、まろやかな味わい。

 柔らかな香りがひろがる。


「当店でも飛び切りのお客様にだけ出しているお茶ですよ。お気に召したようで幸いです。」


 番頭のトニオはニッコリと笑い、マークスはやや渋い表情を作り口を開いた。


「残念ながらグリスターやフュルカの周辺の産地では出せない味で、他国から買うしかありません。でもレイナさんに声をかけていただかなければ、こうして安らかな気持ちでお茶を飲むこともできませんでしたからな。」


「そうだ! 機会があったらトレントさんがやっているフュルカのお店に寄らせてもらもらってもかまいませんか?」


「もちろん、かまいません。せがれ夫婦にも知らせておきましょう。」


「近々グリスターにまた来ますので、その折に伺いますから詳細はそのときに決めましょう。」


「それがいいですね。」


「それでマークスさん、私たちはこの後買い物をして帰る予定なんですが、食料品や服飾でいいお店をご存知ですか?」


「それでしたら、北門から続く大通り、私たちがさっき通った道沿いに大きな店がありますよ。」


「わかりました。後ほど行ってみます。北門から続く大通りは、どこに通じているのですか?」


「南門、と言いたいところですが、実際は河港です。」


「カコー?」


「ダダリア川を行き来する船の波止場ですね。」


「なるほど、よくわかりました。」


 玲奈はクッキーを一つほおばってから立ち上がった。


「長居してしまいました。そろそろおいとましますね。」


「大しておかまいもできませんで。今回はレイナさんに助けていただいて深く感謝します。また機会がありましたらぜひおいでください。」


「はい、またお邪魔しますね。それでは、失礼します。」


 玲奈はマークスの店を出て、脇道を抜けて大通りに戻ってきた。

 夕暮れ時で、一際人や荷車の通行が多い。


「二人ともさっきは私だけ腰かけてお茶いただいて悪かったね。」


「いや、今回はマスターの能力であの商人を救ったのだから、なにもしていない私はご相伴にあずかる資格がない。あなた一人が受け取ればよい。」


「俺の索敵能力も今回は出番なしだったぜ。」


「じゃあ二人とも、次の活躍を期待しているから。それと、買い物の前に港を見に行かない?」


 玲奈は人混みを縫って南に向けてズンズン歩いて行き、フルーとギリムはその後を追った。


「港を見に行くなんて、レイナさんらしくねえな。ロマンチックな乙女心を取り戻したか?」


「どうだかね。港が目的というより、河港から船に乗って川を渡ってみたいの。川向こうの土地がどうなっているのか、どんな産物があるのか知りたいからよ。」


「ふうん、そんなもんか。」


「それに川船に乗ってみれば、以前フルーが乗った海船との違いもわかるでしょ。」


「マスター、言っておくが私はあくまでも客か護衛としてしか船には乗っていない。乗り心地や船室内の様子はわかっても、操船法や構造はわからないぞ。」


「それで十分だよ。」


 大した時間もかからず河港には着いた。

 夕雲を赤く染めて、日は既に西に沈もうとしていた。

 玲奈たちは河港の手前の堰堤にもたれて、桟橋にもやう小舟や積荷を下ろす人々を見ていた。

 あかりのある波止場とは違い大地は既に闇に沈み、水門の先にあるダダリア川の本流も対岸も目に映らなかった。


「船と港の様子だけでも見れたから気がすんだよ。付き合わせて悪かったね。買い物に戻ろう!」


 三人は元来た道を人混みにもまれて中心街に戻った。

 ちょうど手頃な食料品店があったので入ってみたが、品揃いも豊富でよさそうである。


「ねえギリム、私はこの店で買うもの見繕うから、その間外で商業組合とワープポイントの場所を聞き込みしてきて!」


「おう、まかせてくれ!」


 ギリムは喜び勇んで出て行った。

 フルーは店内を見て回る玲奈から少し離れて無表情について歩いている。

 玲奈は手早く見るために、対象を香辛料、香草、調味料に絞った。

 見た中で一つか二つ、新たな材料を持って帰れれば上出来と彼女は思った。

 いくつか国外から運び込んだという小さな壺をみせてもらう。

 中をのぞき込んで色や形を確かめ、匂いをかいでみる。

 これと思うものはなかなかなかったが、一つだけピンときた壺があった。

 種を粗く挽いた茶色い粉は、ピリッとした辛味を感じさせる香りにほのかな甘さが伴っていた。

 ナツメグに似ているだろうか。

 グリスターのさらに南方から運ばれたらしき香辛料はそれなりのお値段がしたが、玲奈は一つ求めることにした。

 ほかに買うものがないかと彼女が物色していると、自分の手よりも一回り小さく扁平でコロンとした球根らしきものが目に入った。

 薄く黄ばんだ白い塊に鼻を近づけると、刺すような匂いがする。

 形や匂いからユリ科の鱗茎を思わせ、ニンニクやラッキョウに近い仲間かもしれない。

 それほど高くないから、これは三個買うことにした。

 選んでいるとギリムが帰ってきた。


「レイナさん、両方の情報、バッチリ調べてきたぜ。」


「お疲れ様! もう少しだけ買うもの選んだら帰ろう。」


 あとはドライフルーツの袋をいくつか買って店を出た。

 今まで見かけなかったイチジクやナツメヤシとおぼしきものも含まれていた。

 外はすっかり暮れていた。


 ギリムの案内でワープポイントに行き、グレイナーに飛んで二日ぶりの帰宅を果たした。


「アメディア、ダダクラ、ただいま!」


「お嬢様、お帰りなさい!」


「遅くなってゴメン! おみやげ買ってきたけど、明日以降試してみよう。」


 玲奈が厨房に入ると、既にアメディアとダダクラは夕食にとりかかっていた。

 彼女はグリスターで買ってきたものをアメディアに渡してしまってもらった。


 夕食後、玲奈はフルーに尋ねた。


「ねえフルー、さっきグリスターの港で船を眺めていたとき、私がなにを考えていたかわかる?」


「マスター、あなたの考えは私の及ぶところではない。そのとき聞いたところでは、海の船と川の船を比較していたのではないか?」


「船のことも確かに考えていたよ。一番考えていたのは港の水路を魔法でどうにかできないかということ。」


「どういうことだ?」


「デュリシーの近くにある湿原だか湿性だかの迷宮、あそこは沼やら池がたくさんあるっていうでしょ? 港の水面を沼に見立てて、魔法で探索や攻撃の方法がないか考えていたんだ。」


「そうだったのか。それでうまくいったのか?」


「まあまあってところかな。探索に関しては今の私の能力で水面まではわかる。船や桟橋の影でこちらから見えないところで水面に何かが落ちても私には感じ取れるんだ。もし迷宮なら、水中にひそんだ魔物が水面に鼻先を出した瞬間に私は感知できる。」


「私には想像もつかないことではあるが、それで具体的にはなにが変わるのか?」


「こちらが水中にひそむ相手より先に発見されることは少なくなるよ。悪くても不意打ちは避けられると思う。でもね、できれば水中まで探知できるようになったらいいなって思って、まだ模索中なんだ。」


「その模索が終わるまで待たなくてはならないのか?」


「そこまで待たせるつもりはないよ。めどが立ったらってところでいいかな。水を動かすことは既にできるし、表面付近くらいだけとね。できればさらに水中への攻撃手段、それと硬くて厚いウロコを持った相手にも通用する手段も欲しいけど。」


「なかなか欲張りだな。しかし進展があるようなので安心した。」




 翌朝、いつもどおりの時刻に目覚めた玲奈は、いつものとおり庭に降り立った。

 昨晩は再度の静的ストレッチとアメディアのマッサージのおかげで、足の疲れは軽くすんでいる。

 まだ夜は明けていないので、彼女は手のひらにぼんやりとした灯りを点けて庭の奥に進む。

 庭の端まで来ると露地に土魔法でちょっとして穴をうがった。

 水魔法でその穴に水を満たして、少し深い水たまりを作った。

 庭で拾った小石をチャポンと落とし底に沈める。

 魔力をゆっくり少しずつ放って魔力感知を働かせる。

 放出する魔力に水属性を混ぜて、水たまりに溶け込ませる。

 水中に神経を集中していると、水に溶け込んだ魔力がかすかに感じ取れる気がした。

 しかし水底に沈めた小石は感じ取れず、まだまだ道のりが遠いことを痛感した。

 次に魔法で水を動かす練習をした。

 規模の小さい動きであれば今でも可能なので、それをより深くまで動かせるように試してみた。

 浅いところまでは波立たせることができるが、深くなると力が及ばなくなる。

 放出する魔力量を増やす以外で深くまで浸透させることができないか試行錯誤を続けた。

 やっているうちに夜が明け空が明るくなった。

 この日は手がかりを得られなかったので、魔法の練習は打ち切り小さな池は土魔法で埋めて、フルーたちが出てくるまで剣を振った。


 玲奈とアメディアは、朝食の支度で昨日グリスターで買ってきた食材を取り出してみた。

 ユリ科の鱗茎らしき球にナイフを入れて割ってみると、ニンニクでもなくラッキョウでもなく、小さなタマネギに見える。

 目鼻にくる刺激があり、風味は強そうだ。


「お嬢様、なにか調理法を思いつきましたか?」


「そうだなあ、どうしようかなあ。」


「お肉と合わせますか?」


「刻んでお肉と合わせてみるか。夕食で試してみよう。」


 朝食前の打ち合わせで玲奈は、二日間休養すると宣言した。

 午前中しばらくは執務室で図書館から借りてきた薬師の話を読んだ。

 目が疲れると庭に出た。

 サルフィスの鉱泉で手に入れた小さな壺を取り出した。

 強酸性の化合物を溶かした水を生成を試みる。

 結論として、この日は鉱泉の化合物を水に溶かし込むことはうまくいかなかった。

 しかし溶かすための手段の一つとして考えた水温を上げる方法は、ほかにも応用が効きそうである。

 攻撃手段としても熱を加えて熱湯にして鼻腔や口腔内に注ぎ込むと、相手にかなりのダメージを与えられそうである。

 玲奈が現在持っている魔法の能力でも、水魔法で水を出してそれを火魔法によって熱することで可能になりそうだ。

 午前中しばらくは魔法でお湯を出す練習をした。

 しかし同時に水と火を操ることは想像以上に難しく、午前中は進展がなかった。


 昼食後、再び玲奈は庭に出て午前の続きにとりかかった。

 今度は壺を持ってきていない。

 水と火を同時に扱うとうまくいかなかったので、ふと思い立って今度は右手で水、左手で火を別々に扱い、交互に操作してみるようにした。

 最初は切り替えに時間がかかったり、間が開いていたが、慣れるにしたがって徐々に切り替えがうまくできるようになってきた。

 ある程度の手応えが得られたので、彼女はこの練習を明日以降も少しずつ続けることにして、今日のところはここまでとした。


 次に水中の敵、硬いウロコや厚い毛皮を持った敵に対する魔法を試した。

 かねてより玲奈は沼や池の中に潜む魔物、特に大型のワニやヘビは強敵と認識して、対応策が必要だと考えていた。

 自分が使う火や水、風の魔法は空気中でさえぎるものがないとき威力を発揮する。

 しかし水に入ると火は消え去り、水は同化してしまい、風は大幅に減衰する。

 ここは物質的な実体と質量を有する土魔法が適しているというのが彼女の考えた解決策だ。

 土魔法で作った塊を相手にぶつける。

 その塊を土魔法でどのように形成するかが第一の課題、その塊を標的となる魔物のところまでどのように運ぶかが第二の課題。

 後者には風魔法、それと水中では水魔法を補助として使おうかとまでは考えておいた。

 実際に試すのは今日が初めてである。

 まずは手ごろな小石を拾い、それを風魔法を使って飛ばす。

 彼女の左手のひらに乗せた丸く黒い小石は、右人差し指から勢いよく吹き出た風にあおられて、わずかに空中を舞い、二メートル足らず先の地面に落ちた。

 可能性は感じるが、改善すべき点も多々あると感じられた。

 彼女は何度か風の強さや向きを変えて試すと、この日は早々に室内へ戻った。


 裁縫室ではアメディアとダダクラが作業の真っ最中だった。

 ダダクラが作っている型紙はどうやら男物で、ギリム用なのかもしれない。

 玲奈は二人の様子を見守りながら、ついさっきまで試行錯誤した魔法のアイディアを書き留めた。

 水中にひそんだ魔物を探り当てる魔法のこと。

 水中の敵を攻撃できる魔法のこと。

 水と火をあわせたお湯の魔法のこと。

 土魔法で作った物体を風魔法で飛ばすこと。

 魔法によって身体能力を強化すること。

 魔法で探究したいことがたくさんあった。


「お嬢様、熱心に書き物してますね。」


「うん、思いついたことを書き留めているんだよ。大したことじゃないけど、忘れないようにね。邪魔だった?」


「いえいえ、そんなことありません。どうかお気に入りなさらず。」


「それじゃあ、おとなしく隅っこで座っているから。二人とも根を詰め過ぎないようにね。」


「はい、わかりました。」


「俺は大丈夫です。」


 そのまま玲奈は二人の作業を片目に納めながら、夕食の準備にとりかかるまで書き物を続けた。


 裁縫室での作業を終えたアメディアとダダクラに付いて玲奈は厨房に移った。

 通常の調理はアメディアとダダクラにまかせて、玲奈はグリスターで買ってきた食材を使った料理を試みた。

 ユリ科の鱗茎、タマネギの野生種といった様相の植物をみじん切りにする。

 ナイフを入れて細かく刻んでいくと、かなり強い刺激臭がして目にしみる。

 彼女はあわてて風魔法を使って顔の後ろからゆるやかな風を吹かせて、タマネギ由来の刺激物質を吹き飛ばした。

 風は窓際で水仕事をしているダダクラに届いたのか、彼が声を上げた。


「おや、なんだか変な匂いがしてきたと思ったら涙が出てきた。」


「ダダクラごめん、今刻んでる野菜のせいなんだ。風向き変えるね。」


 玲奈はダダクラやアメディアに当たらないよう微妙に風を吹かせる方向を変えた。

 どうにかしてタマネギを刻み終えると、今度はヘビの肉を細かく刻んでミンチにする。

 きちんと血抜きはしたはずだが細かく刃を入れたことで生臭さを感じる。

 そこにいつもの香草のほか、デュリシーで買ってきたカラシとグリスターで買ってきたナツメグを入れてまぶした。

 漂い出ていた血の匂いが消えた。

 これに先ほど刻んだタマネギと小麦粉を入れてよく練る。

 練り上げたら手ごろな大きさに丸めた玉をいくつも作る。

 丸め終わったら菜種油を敷いたフライパンで炒める。

 ジュージューと音がして香ばしい匂いが漂う。

 ダダクラが気になるのかチラチラと玲奈の方を見やる。


「もう少しででき上がるから待ってて!」


「料理する音を聞くだけで期待が高まるってもんです。」


「期待に添えるかどうか。まあ、味付けしちゃうね。」


 玲奈は軽く焦げ目をつけながら、小麦粉を薄く水に溶きヴィネガーとハチミツで味を整えたタレをかけた。

 タレにも火が通ったところでフライパンをコンロから下ろす。

 玉の一つを小皿に取って三つに切り分ける。


「できたよ! ダダクラもアメディアも味見してみて!」


 彼女は三等分した試食品のそれぞれに串を刺して自分は真ん中の一つを取り、両サイドを二人の従者に差し出した。


「ん、食欲をそそる味と香りですよ。俺はこの料理、イケてると思います。」


「さあ、お嬢様もお口に運んでください。」


 アメディアに促されて玲奈も自分が作った料理を口にする。

 串を口に近づけると、熱が通った肉の香ばしい匂いの中にほのかな酸味が感じられる。

 タマネギの刺激臭は熱を加えたことでほぼ消えたようだ。

 口に含み噛んでみると肉汁のうまみとタマネギの甘みがしみ出してくる。

 柔らかく少し粘りがある歯応えは小麦粉を練った成果だ。

 香辛料か肉の臭みを消しカラシが全体を締めることを狙ったが、多少辛味が勝ち過ぎている感はある。


「うんん、どうかなあ?」


「お嬢様の望むような味は出せなかったのですか?」


 首をひねる玲奈を見て、アメディアが声をかける。


「そうだね、狙いは悪くなかったと思うんだけど、バランスがうまく取れてないと感じるんだよね。」


「それでしたら、うまくいっていない部分を直すしかありません。味付けで香辛料の量を加減するか、別の材料を使うかして試してみませんか。次はもっとおいしくなりますよ。」


「アメディアにそう言ってもらえると、レシピの改良に力を注ぐ気になるよ。あっ、ちょっと待ってね。」


 玲奈は厨房を出ると二階の自室に戻りメモ用紙とペンをつかんで戻ってきた。

 今作ったばかりのレシピ、特に香辛料の分量を書き残した。

 次に作るときは、このメモを元に微調整して味付けの改良をすることになる。

 玲奈がメモをつけている間にアメディアとダダクラの調理も終わったようだ。

 ダダクラが他のメンツを呼びに行き、アメディアと玲奈が盛り付けて食堂に運ぶ。

 間もなく全員がそろい夕食が始まった。

 玲奈はそれとなくフルー、スドン、特にギリムの食べっぷりを注目していた。

 フルーとスドンはいつもどおり焼いた肉を先にがっつき、玲奈の作った料理は炒めた野菜と一緒にかき込んだだけだった。

 特に声も上げなければ、表情が変化することもない。

 彼らの味覚には期待していないので、表情の変化がないことは食用不可能なほどでないということで、むしろ安堵すべきなのかもしれない。

 対してギリムはけげんそうな顔をして顔をさらに寄せて匂いを嗅ぐと表情を歪めた。

 恐る恐る口に含むと首をひねる。

 彼が顔を上げると玲奈と目が合った。

 あわてて彼は皿に目を落とした。

 自分でも思うような味が出ていないと思っていた玲奈は、レシピの改良に傾注しなければと思った。


 夕食後彼女は執務室で本を短時間読んだだけで早めに寝室まで引き上げた。

 ただしすぐ寝台には入らず、昼間書いたメモを見ながら魔法の練習をした。

 寝室で火や水を噴出させるわけにもいかないので、右手で光魔法、左手で闇魔法を交互に発動させる。

 そしてそのペースを徐々に速める。

 足でリズムを取りながらそれに合わせて右手と左手で交互に魔法を使う。

 安定して継続できると判断したら少しテンポを上げて同じことを繰り返す。

 多少進展が上がったところで明日以降も続けることにして、寝る前にもう一つ取り組もうと思っていたこと、身体強化に取りかかった。

 身体強化といっても寝室で試すのは筋肉や骨格の強化ではない。

 灯りの魔道具がぼんやりと照らす薄暗い寝室では、視覚、特に暗視の能力を向上させる狙いだ。

 視神経の盲点も魔法でなんとか補いたい。

 玲奈は以前書き残した身体強化のアイディアに関するメモを取り出して目を通した。

 視覚の項目を確認する。

 眼球とそれを構成する角膜、虹彩、水晶体、網膜。

 そして網膜を構成する神経細胞。

 たしか明るいところで働き色を見分ける細胞と、色は見分けられないが暗いところが見える細胞の二種類あったはず。

 錐体細胞ともう一つ、今は名前を思い出せない細胞が光に感受性があったと記憶している。

 どこをどうすれば暗いところが見えるようになるのか?

 彼女は魔力を練って虹彩や水晶体に集めてみた。

 瞳孔が広がり、わずかな光もより集めることができると考えたが、実際には何も起きなかった。

 筋力の強化ができていない現状ではやむを得ない。

 次に彼女は魔力を眼球の裏側、網膜や視神経を意識して集めてみた。

 しかし、この方法でも視界に変化は起こらなかった。

 特定部位に魔力をただ集めるだけでは効果がないことはわかった。

 ではどうするか?

 もう少し部位を絞り込んで、効果が出そうな魔力の制御法がないか考える。

 網膜全体ではなく、そこを埋めて広がる光受容細胞、その中でも光に反応する器官、反応を制御する回路、それを意識してみる。

 もっとも細胞の名前や位置、回路の名前もうろ覚えで、どの程度効果があるのかわからない。

 それでも網膜、特に光を受けて反応する細胞を意識して魔力を集めてみる。

 しかし視界にはなにも変化が起こらなかった。

 予想はしていたが漠然と細胞を思い浮かべるだけでは効果がないようだ。

 もう少し細かく具体的に、細胞内の器官、関与する物質や反応する回路が少しは違うのかもしれない。

 かろうじてロドプシンという物質名だけは脳裏に思い浮かんだ。

 それがどちらの光受容細胞で働くのかもわからない。

 ほかに手がかりもないことからロドプシンという名を意識して、魔力を細かく操作してみた。

 あれこれ試す中で光属性を付与することを思いついたが、試してみても変化はなかった。

 光属性が体の活性を向上する性質があるのでそれを期待したが、うまくいかなかった。

 今度はダメ元で闇属性を付与したところ、灯りの周りに広がって見えるにじみ、真っ暗な背景にチカチカと浮かぶ幻覚のようなノイズが減った。

 暗いところが見えてくるわけではないが、視界がクリアになぅた。


 確かに効果はあった!


 もちろん玲奈は魔法の作用で視覚を強化しようと意図して試行錯誤している。

 しかし自分でも本心では半信半疑であった。

 それが、単に視界がいくらかクリアになっただけとはいえ、魔法の作用で自らの感覚に影響を及ぼし得ることが判明して、彼女はいささか気分をよくした。

 ここまでの成果で満足を感じ、この日は就寝した。

 ただし直前まで眼に神経を集中していたため、普段寝つきが良い

彼女にしては、なかなか寝つけなかった。




 翌朝、玲奈は時間こそいつもどおりに目を覚ましたが、頭が重くスッキリした目覚めとはいかなかった。

 それでもノロノロと着替えて外套を羽織りニットキャップをかぶり剣をつかみ外に出た。

 ひんやりした夜明けの空気が彼女の意識を覚醒させる。

 キャップを目深にかぶり庭の奥に進む。

 光魔法で作った手元の明かりを頼りに庭の端までやってきた。

 昨日と同じように土魔法で穴を掘り水魔法で穴を満たす。

 昨日と違って、拾った小石は小さくて平べったい。

 その小石に練り込んだ魔力をまとわせると、水面に浮かべるようにそっと置いた。

 昨日とは違い、小石はすぐに底まで一直線ではなく、揺れながらゆっくり沈んでいった。

 まとわせた魔力を追えば、水面から少しずつ下降する動きが捕捉させた。

 その動きが水底に着いて止まるまでとらえることができた。

 ここまでの成果に彼女は一つうなづいた。

 そして周囲を歩き回りまたも平べったい小さな石を探して拾い上げた。

 今度は小石に魔力を付けることをせず、代わりに自分の周辺、主に小さな池に向けて魔力を放った。

 水属性の魔力を混ぜて水面から水中に溶け込ませるように散布する。

 それがすむと、今しがたと同じように水面にそっと浮かべるように小石を置いた。

 魔力探知を再発動させ、水面近くで揺れている小石をとらえる。

 小石は舞うように水の中を沈んでいった。

 小石を追って探知の腕を下方に伸ばせば、間もなく動きを止めた小石に追いついた。

 水底まで達したようだ。

 ただし探れるのは水面と小石が沈んでいった線上だけだ。

 その線が立体になるように魔力をさらに放って探れる範囲を広げる。

 かなり魔力を使うが、じわじわと探知できる範囲を拡げて、ついに水たまりのような小さい池全体を把握することができた。

 実戦で使うにはもっと素早く細かく探知できるようにする必要があるが、今日のところは満足いく進展ぶりだと彼女は思った。

 魔力が水全体に浸透したところで、その全体を動かせるか試してみた。

 既に表面付近ならある程度動かすことができる。

 それをより深くより広く、自分の操作が及ぶ範囲を拡張しようと試みた。

 自らが放った水属性の魔力を制御して、水たまりの水全体を操作して動かそうとした。

 しかし、込めた魔力の割に手応えは鈍く、底に違い部分の水はわずかしか動かなかった。

 手のひらを開いて水を汲むように、力が指のすき間からこぼれ落ちてしまう。

 細く伸びた指だけが水を捉えて弱く緩慢な水流を生み出す。

 彼女が望んだ形にはほど遠い。

 それでも表面付近だけしか動かせなかった昨日と比べれば、五十センチにも満たない浅さとはいえ底まで力が及んだことはきっかけとして悪くない。

 もう少し練習を重ねようと思っていると、屋敷からフルーたちが庭に出てきた。

 この続きは明日にして、彼女は土魔法で池を埋めフルーたちとあいさつを交わして日課のストレッチにとりかかった。



 朝食後、玲奈は執務室にこもり、図書館から借りた本に目を通し、その後は付与魔法をかけた者同士の戦闘についてレポートを書いた。

 合間に剣を降りつつ、夕食までにレポートを書き上げた。

 夕食後は昨日に引き続き視覚強化に取り組んだ。

 昨夜練習したので、闇属性の魔力を網膜の細胞に付与して視界のノイズを軽減させるまでは難なくできた。

 暗くて見えない部分が見えてくるわけではないが、灯りのにじみが消えて薄暗い中でも細部が明瞭に見える。

 暗順応も速いようだ。

 ただし見えなかった真っ暗な部分が見えてくるわけではなく、いろいろ試したけれどこの日は進展がなかった。

 昨晩は根を詰めて寝つきが悪くなった半生から、この日はほどほどの時間で視覚強化はやめて、後は瞑想をして過ごした。




 翌朝は気分よく目が覚めた。

 庭に出てまた小さな池を作って水魔法の練習をした。

 前日よりは慣れた分、スムーズに発動できるようになったが、それ以上の進展はなかった。


 朝のミーティングで、玲奈はこの日の予定を確認した。

 彼女は午前中に学園に行く予定だ。

 午後からフルーとスドンがゴーレムの迷宮に行くので、アメディアについて行ってもらう。

 このことは前日までに伝達してある。

 また、翌日はアメディアとギリムを連れてグリスターに行くことも確認した。


 アメディアとダダクラが朝食後の片付けをしている間、玲奈は食堂に一人残り、図書館から借りている薬師の本に目を通した。

 学園に出かけたときに返す予定なので、最終確認だ。

 少しするとアメディアが厨房から出てきた。


「お待たせしました、お嬢様!」


「忙しいところ、悪いね。アメディアがよければ始めようか?」


「はい、そういたしましょう。」


 二人は連れ立って二階に上がった。

 奥に玲奈の寝室、その脇が衣装部屋となっている。

 大きなウォークインクロゼットともいう部屋は引っ越してきた当初はガランとしていたが、アメディアとダダクラの働きで少しずつ室内に色彩が増しつつある。


「お嬢様、今日はどのお洋服をお召しになりますか?」


「そうねえ、最近縫ってもらったのでいいのがあったような。」


「それでしたらこちらはいかがでしょう?」


 アメディアはハンガーからはずした一着を玲奈に見せた。

 濃い紫色をしたワンピースは装飾が少なく簡素だが、丁寧に仕立てられている。

 フリルやプリーツはないが、エリや前立て、スカートの裾には白い生地で縁取りをしてアクセントを付けている。


「この服は合わせやすく作ったつもりですが、その分色合いが地味で装飾も少なくなってます。大きめのリボンでも付けて変化を出してみましょうか?」


「なるほどね。たとえばどんなリボンを考えてるの?」


「少々お待ちください。」


 アメディアはチェストの中から赤いスカーフを取り出した。

 それは真紅というよりもえんじ色に近い色をしている。

 アメディアはスカーフを手早く折って蝶のようにして紫色のワンピースにあてがってみせた。


「いかがですか?」


「きれいだし上品な色使いだね。ただし、その服と合わせると同じ系統の色なんでいまいち引き立たないように見えるな。」


「そうですか。ではどうしましょうか?」


「そうだねえ、リボンの色をかえてみようかな。」


 玲奈はチェストの中をあさり、明るい黄緑色のスカーフを取り出した。


「これなんかどう? 紫の補色の黄色がよかったんだけれど、黄緑なら近い色だから映えると思うよ。」


 彼女はスカーフをクルクルと丸めてヒモ状にすると、蝶結びにしてワンピースのえり元にあててみた。


「こんなものかな。」


「なるほど、よさそうですね!」


「それで同じ色のスカーフで髪を結えればいいと思うよ。」


 玲奈はアメディアに髪を結ってもらった。

 ブラッシングした後、軽く編んで後ろでお団子を作りシニョン風にまとめ、ふわりと柔らかく黄緑色のスカーフで止めた。

 服には、同じく黄緑色のスカーフを細くたたんでストリングタイ風にして蝶結びでアクセントにした。

 身支度がすむと、昨日書き上げたレポートをポーチに収めて玄関に向かった。

 足元は白いアンクルソックスに黒いローファーを履けば、派手さはないが清楚なシルエットが完成した。


「アメディアのお陰でとても着心地がよくて動きやすいよ。」


「お嬢様に喜んでいただけてよかったです。よく似合ってますよ。」


 アメディアに見送られて玲奈が外に出ると、先に支度を終えたギリムが待っていた。


「あっ、ギリム、お待たせ!」


 彼は玲奈を一瞥して、フンと鼻を鳴らすと先に歩き始めた。

 二人は特に口をきくこともなくグレイナーからワープして王都に到着した。

 通りを歩いていると、先を進むギリムが振り返りつぶやいた。


「なかなかかわいいじゃねえか。」


 ギリムはなにを唐突に言い出すのかと玲奈はいぶかしんだが、自分の服や髪型について言及して欲しいのだと気がついた。


「ギリムはなかなか個性的だね。」


「そうかよ。」


 紺色の厚手の生地の外套は、ダッフルコートのように猪かなにかの牙をトグルにして革紐のループをくぐらせて左右をあわせている。

 えりには狐かなにかの毛足の長い毛皮を巻いている。

 そのえりに合わせたわけではないだろうが、髪もツンツンと逆だてている。


「その上着のアイディアはギリムが考えたの?」


「ああ、俺だよ。」


「面白い発想だと思うよ。野性的で猟師っぽいよね。」


「なんだよ、猟師って? それに生暖かい笑みはやめてくれ!」


「あっ、ゴメンゴメン! ところで今日、時間が許せば皇都に寄って古着見てみる?」


「それには及ばねえよ。」


「だったら明日グリスターに行く予定だから、ギリムも行ってみる?」


「ああ、ご一緒させてもらうぜ。」


 話しているうちに魔法学園に着いた。

 最初は図書館に向かう。


「図書館に寄って本返したら教授陣と会ってくるね。」


「俺は外で待ってっから。」


 玲奈はギリムと分かれて図書館の中に入った。

 司書のクローカはカウンターにおらず、いずれかの書架にいるようだ。

 玲奈は書架を回ってクローカを見つけると声をかけてカウンターに戻って待った。

 間もなく何冊か本を抱えてクローカがカウンターにやって来た。


「こんにちは! お待たせしちゃったかな。」


「こんにちは! こちらこそ作業を中断させてしまってごめんなさい。」


「気にしないで。急ぐ仕事でもないから。」


「ありがとう! 今日は借りていた本を返しに来ました。」


 玲奈はポーチから取り出すフリでアイテムボックスから二冊の本を取り出してカウンターの上に置いた。

 クローカは本の題名を確認して台帳を取り出してめくり、返却事務を手際よく進める。

 手は止めずに口を開いた。


「今回の本はどうだった?」


「思ったとおりレシピにつながる情報は皆無でした。それでも薬師がどう振る舞ったのか、なにを期待されているのか読み取れたのでよかったです。」


「いくらかでもレイナさんの役に立ったのならよかったわ。今日はなにを借りる?」


「そうですねえ、今のところ思い浮かばないかな。なにか調べたいときや知っておきたいことができたらお願いしますね。」


「ぜひそうしてちょうだい。」


「ところでスプリーン教授はお出かけですか?」


「ええ、甥御さんを連れて西の山間部に出かけてるわ。帰りは来週になりそうよ。」


「皆さん活動的ですね。私も先日、峠を越えてグリスターという王国外の街まで行ってきましたよ。」


「教授に劣らず活動的ね。地理には私、詳しくないのだけれど、その街はオグレダリカ伯爵の領地なの?」


「オグラなんとか伯爵?」


「オグレダリカよ、オグレダリカ! 王様の長女であるジニア様が嫁いでいる大きな貴族家よ。」


「そうなんですね。確か領主様は違う名前だったような気がします。」


「あら、違ったのね。今日も素敵なお召し物のレイナさんなら、あちらに行ったのだと思っていたわ。」


「ということは、あちらは服飾関係が盛んというわけですか?」


「ええ、たとえば私が今着ているこの服も生地はあちらから取り寄せて、こちらで仕立てたものなの。他にもそうしている人は多いわよ。」


「そうなんですね、いいことをお聞きしました。近いうちにオグラ様の街に出かけてみようと思います。」


「帰ってきたら話を聞かせてね! それとオグラ様ではなく、オグレダリカ様ね。」


「今度はちゃんと憶えます!」


 玲奈は苦笑いを浮かべながら図書館を後にした。

 本館のロビーまで戻ってきたが、ギリムはそこにはいなかった。

 玲奈はそのまま上の階にある教授の研究室に向かった。

 幸いお目当の一人、スタローム参謀は在室していた。


「スタローム参謀、お久しぶりです。」


「おお、君か?」


「はい、今日は迷宮に戻ったときに気がついたことがあって、それをもう一度確かめてレポートにしました。」


 玲奈はポーチから書き上げたレポートを取り出してスタローム参謀に渡した。

 彼はレポートに目を落として顔を上げると玲奈をにらむような目で見た。


「意図が分かりにくかったかもしれません、そのレポート。簡単な説明をさせてください。」


「ああ、聞かせてもらおう。」


「はい、付与魔法を戦闘に使用した際に気がついたことを検証してまとめてあります。かねてよりスケルター教授と私は付与魔法を組織的に使うことで戦闘に有用であると訴えてきました。」


「君たちが付与魔法の有用性を訴えていることは知っているし、そのことは理解しているつもりだ。続けてくれたまえ。」


「ありがとうございます。有用であることが広まれば、使用者も増えると予想されます。そうなればいつかは付与魔法の使い手同士の戦闘が起こるかもしれません。そんな事態を想定した戦いを模してデータを集めてみました。」


「動機はわかった。しかし現実的に想定しているような事態はあり得るのか?」


「すぐに起こることではないでしょう。しかし、付与魔法が普及して使い手が増えるといずれ起こり得ると私は予想しています。」


「現状では起こり得ないが、将来的に万が一の場合に備えてということはわかった。それで結論はどうなっている?」


「はい、付与魔法の使い手がいる相手と戦った場合、自分たちだけが魔力を付与した戦闘と比較して、優位さはほとんどなくなります。つまり戦闘結果はどちらも付与しない場合と変わらないということになります。」


「うむ、付与魔法の有用性を訴えている者が逆行するようなことを言っていいのか?」


「むしろ推進しているからこそ欠点をしっかり認識して伝える必要があると考えてます。戦いの場で、相手に対策を立てられて手も足も出ないというわけにはいきませんから。今からでも対応策を考えていかなければ!」


「なるほどな、想定される事態とそれに対する策とはずい分と遠大なことだ。それで、その策とはどのようなものを考えているのか?」


「今は対抗策の必要性を認識するのが精一杯ですので、具体的な策についてはこれからです。まあ付与された魔力を奪うとか、上書きするか、まだ思いつきの段階です。」


「そうか、いずれにしてもこれからだな。そもそも軍事とは考え得るあらゆる危機に即応すべく備えるものではある。その点で、君の心がけは肯定的に受け止められるだろう。」


 これまで厳しい顔を崩さなかったスタローム参謀がようやく表情を和らげた。

 つられて玲奈は小さく息を吐き出し肩の力を抜いた。


「肯定的に受け取っていただけて前向きになれます。そうは言っても取り組み始めたばかりで、なにも成果を上げていないので恥ずかしいところです。」


「なにも恥じる必要はないぞ。魔導士が単体ではなく前衛を置いて戦う局面では、付与魔法が有効だと私も考えている。あとは対抗策だけでなく、研修、編成、評定なども含めて体系化したうえで有用と評価されれば、正式に部隊の戦術として採用されるだろう。」


「そうですか。実は対抗策についてスケルター教授とお話しして、策の内容だけでなく研究していること自体を秘匿しようかと考えています。」


「今はそれでよい。恐らく付与魔法は対人ではなく、対魔物で使用することが多くなるだろう。君も見通しが立ったらまた教えてくれたまえ。」


 スタローム参謀は立ち上がって玲奈を見送ろうとしたが、ふと思い立って彼女を引き留めた。


「ちょっと待ってくれ! レポートではゴーレムを使った実験ではパーティを二つに分けているのだろう?」


「分けるというほどではありませんが、ごく短時間別行動をとります。」


「それなら適した魔法があるのだ。君さえよければ教えようと思うのだが、どうかね?」


「どんな魔法ですか?」


「声を出さずに会話ができる“念話”という魔法だ。」


 スタローム参謀は簡単な説明をして、玲奈が同意したので“念話”の魔法を授けた。


「試しに念話を私にかけてみてくれ。」


 玲奈は参謀に向かって魔法をかけた。


『どうだ? 私の声が聞こえるか?』


 参謀は口を動かしていないのに、耳を経由せずに直接脳に音声が響く。

 玲奈は驚いて体を軽く震わせたが、質問には二度三度とうなずいて応えた。


『レイナ君もなにか念話を使ってみたまえ。』


『この念話って直接脳内に響くんですね。』


『そういうことだ。魔力が十分届く範囲なら多少離れたり物陰に入っても問題ない。』


 そう言ってスタローム参謀は部屋の奥に歩いて行き、書棚の影に隠れた。


『どうだ? 聞こえるか?』


『はい、明瞭に聞こえます。離れても隠れても変わりませんね。』


 スタローム参謀はいかめしい顔を崩して、玲奈のいる入り口近くまで戻ってきた。

 微笑んでいるようだが、かえって恐ろしくみえる。

 玲奈は苦笑いを浮かべて彼を迎えた。


「使い方はわかったろう?」


「はい、一時的に距離をとる必要がある場合に使えそうです。でもこの魔法って、声を出さずに情報交換や命令できますから、対人に有効なのでは?」


 玲奈の問いにスタローム参謀は答えず、ただニヤリと笑っただけであった。


「まあ、この魔法を有効活用して研究を進めたらよいぞ。期待しているので励んでくれたまえ。」


 参謀は玲奈の肩をたたき、外に送り出した。

 玲奈はやや釈然としない気持ちながら、教えてもらった魔法は使いでがありそうと喜んだ。


 階段を降りて次にスケルター教授の研究室に顔を出した。


「こんにちは、スケルター教授! この前お話しした現象について調べ直してレポートにまとめましたのでお持ちしました。」


 玲奈は入室してあいさつもそこそこに、レポートをスケルター教授に手渡し、声をひそめて付け加えた。


「同じものを既にスタローム参謀にもお渡しして説明をすませてます。」


 教授は小さくうなずくと、目を落として紙面に見入った。

 流し読みした彼はおもむろに顔を上げた。


「うん、この前レイナ君が言っていたことに沿った傾向が出ているようだね。なにか対策は考えているのかい?」


「残念ながらまだ思いつきの段階です。これから実際に試しながら方法を確立していけたらと思ってます。」


「うん、がんばってとしか言えないな。この前話したように、その対策が必要となる局面って、まずあり得ないように思うんだけれどな。」


「おっしゃるとおりです。将来への万全な備えということで。」


「備えるのはかまわないよ。ただし、付与魔法を使ってくる敵となると人間、それも魔法使い限定だよ。魔物で付与魔法を使うとなるとよほど知能の優れた高位の存在だろうなら、これは考慮の必要はほとんどないだろう。」


「そのうちの前者、人間こそがやっかいではないですか? 私は付与魔法を簡単に覚えることができました。配下の一人が覚えるのにもそれほど苦労はしませんでした。使いこなしは別でしょうけれど、そこそこの魔力と器用さがあれば、前衛に魔力付与が可能な魔法使いを育成できますよ。」


「ううむ、育成についてはそのとおりだね。しかし、対人に関しては国外の人間に教えなければすむ話じゃないかい?」


「対外戦争という意味ではおっしゃるとおりです。でも国内で対立の芽がないとは言い切れませんよ。教授が教えた弟子の実家が別の派閥に属してこともあり得ますよね。」


 玲奈がこう言うと、飄々(ひょうひょう)としていたスケルター教授の表情が深刻なものに変わった。

 彼女は教授の顔を目に留めると言葉を継いだ。


「複数の付与魔法使いがいれば、偶発的に戦闘が起こる可能性があることをご理解いただけたと思います。ましてや付与魔法使いは直接刃を交えるわけではないですから、本人たちの意識だけでは防げない恐れもあります。」


「ああ、そうだな、直接戦うのは前衛の剣士や槍士で、付与魔法使いが戦うとは限らないんだ。少しホッとしたような、でもよけいにややこしいような不思議な気分だよ。」


「いずれにしても、魔法使いは魔法使いらしく、魔法によって解決できる部分から取り組むことにします。私には残念ながら政治的な問題を解きほぐすような力も人脈も持ち合わせていないので。」


「その点は僕も同じだよ。貴族たちの派閥から距離を置いて研究に専念したかっただけなんだ。」


「お互いに巻き込まれないように注意しましょう。心配するようなことはまず起こらないでしょうけれど、用心するに越したことはないですから。私はなにか進展があったら、また伺いますね。」


「ああ、それじゃ!」


 玲奈はやや元気のなくなったスケルター教授を残して部屋を出た。

 階段を降りながら、南方に行くことを考えていると、ふとマークスの馬車が壊れて修理したことを思い出した。


 地階に降りてロビーに行くと、ギリムが手持ちぶさたな様子で待っていた。


「ギリム、お待たせ!」


「今日は時間がかかったな。俺は別にかまわねえけど。」


「うん、ちょっとね。それで、もう一件寄りたいんだけれど、いい?」


「レイナさんは俺に気を使わずに行きたいところに行ってくれ!」


「それじゃ、ありがたくそうさせてもらうね。帰る前にもう一人会いたいんで。」


 玲奈はギリムを連れて研究棟に戻り、階段を三階まで昇った。

 冶金学を教えるクォンタム教授の研究室の扉をたたいた。


「お邪魔します。クォンタム教授にお聞きしたいことがあるんですが、お時間よろしくでしょうか?」


「多少ならかまわん。」


「実は私の知り合いの商人が使っていた荷馬車が壊れたことがありまして、車軸の部分なんですが、修理するのにとても手間がかかってしまいまして。」


「木材のことや商売のことはわからんぞ。端的に話せ!」


「あっ、はい、馬車の車軸に木材ではなく金属を使うことはあるのでしょうか?」


「あるぞ。」


「それは大型の荷馬車ですか? それとも貴族が使う乗用馬車ですか?」


「どちらもあり得る。設計思想やかけられる費用によるとしか言いようがない。」


「そうですよね。では、車軸に適した金属の特性はどんなところですか?」


「まずは剛性が重要だ。それに馬車は屋外で使うので耐候性も必要となる。」


「組成でいうとどうなりますか?」


「ただの鉄では厳しいな。耐候性に重きを置くならニッケルやクロームのような金属を少量混ぜるとよい。」


「わかりました。今日はありがとうございました。」


 玲奈はお辞儀をすると、そそくさと部屋の外に出た。

 彼女の後ろ、ドアの手前で控えていたギリムは先に外に出て、彼女が出てくるのを待った。

 廊下を並んで歩くとギリムが話しかけてきた。


「おっかなねえおっさんだな。」


「職人肌だからね。別に不機嫌なわけではないと思うよ。わかっていてもビビるけどね。」


「おいおい、レイナさんもビビるのかよ。」


「なに言ってるの? ギリムは私をどう思ってるのやら。」


 二人は軽口をたたきながら、学園を出て王都の通りを進む。

 昼どきが近く、道を歩く人が増えてきた。


「そうだギリム、皇都に寄って古着見て行かない?」


「レイナさんが行きたきゃ行きゃあいい。俺のためなら気づかいは無用だぜ。」


「そっか! まあ時間がかかりそうだし、アメディアたちを待たせるのも悪いし、帰るとするね。」


 玲奈たちは寄り道しないで帰宅した。

 昼食後、フルーたちをゴーレムの迷宮に送り出した玲奈は、庭に出て魔法の練習をした。

 火魔法と水魔法を交互に使い、その間隔を徐々に縮めること。

 土魔法で硬い玉を作り、それを風魔法で離れたところまで勢いよく撃ち出すこと。

 一定時間、二つの練習をすると、特に成果もなかったが打ち切って次のことに取り組んだ。

 学園で教授陣と話した付与魔法への対抗策を考え始めた。

 手始めに自分に火魔法を付与して、剣が魔力を帯びて経過を観察した。

 今度は付与を取り消して、剣がまとっていた魔力が消える経過も観察した。

 第三者の立場から、この魔法現象に干渉して付与効果を発揮できなくなるようにしなくてはならない

 根本的には魔法使いに対して、魔法を使われる前に倒すのが一番確実で安全といえる。

 ただし、それは魔法使いや術者全般にいえることで、付与魔法に限ったことではない。

 それはそれで取り組むとして、今は敵が付与魔法を使った後、ないし使っている最中にこれを無効化できないか模索することになる。

 もう一度改めて呪文を唱え自分自身に火属性の付与魔法をかけてみた。

 魔法が発動して剣に魔力がこもる過程をつぶさに観察してみた。

 よどみなく魔法が具現化する様子に、この現象に干渉することができるのかどうか。

 思いつきをいろいろ試してみたが、この日は手がかりが得られなかった。



 翌日再びフルーはスドン、アメディアとゴーレムの迷宮に出かけたが、この日は玲奈も同行した。

 まず石ゴーレムの階層まで降りて、アメディアがフルーとスドンに火属性の魔力を付与した。

 その過程を玲奈は間近で見ていたが、付与魔法をかける前ならいざ知らず、一度かかった後では手の入れようがなかった。

 また、この状態を付与魔法で覆すことができるそうになかった。

 試しに玲奈はフルーに水属性の付与魔法をかけてみた。

 既にアメディアの魔力をまとっているフルーには、玲奈が魔法を唱えても予想どおりなにも起きなかった。

 今すぐにどうにかできるようなアイディアは思い浮かばなかった。

 やむを得ず、この日は付与魔法同士の戦いのデータ集めに徹した。



 翌日午後になると、玲奈はギリムとアメディアを連れてグリスターに飛んだ。

 マークスの店に寄って、彼の出身地である川向こうの街に行く算段をつけること。

 西隣りにあるオグレダリカ伯爵領までの道のりを調べること。

 グリスターの店を見て回り、食材や食器、服でいいものがあれば手に入れること。

 これらの目的があったが、グリスターに着いた一行はまず商業組合の事務所に向かった。

 北門に近い街区にある薬屋を紹介してもらい、さっそくポーションの買取を持ちかけた。

 三軒まわったうち、二軒で断られ、残りの一軒でようやく二本買い取ってもらえた。

 供給は安定しているが、需要はそれほど大きくないとのことであった。


「売却代金を買い物の元手にしようと思ったんだけど、うまくいかないね。」


「しかたねえだろ。この街の商人どもは山越えなんてめったにしねえし、道沿いで魔物がうろついたりもしねえんだから、使い所がねえんだろ。」


「しかたないね。じゃあマークスさんのお店に行こうか。」


 玲奈たちは気を取り直して中心街に戻り、表通りから一本入ったマークスの店に顔を出した。

 彼は客らしき男と話をしており、代わって番頭が玲奈たちを応接室に案内してくれた。


「主人は現在商談中でして、申し訳ありませんがこちらでしばらくお待ちください。」


「いえいえ、お待ちしますから、どうぞお気づかいなく。」


 前回訪問したときと同じ部屋のソファに玲奈が腰を下ろし、その後ろにギリムとアメディアが立った。

 番頭が退出すると、入れ替わって女性店員が玲奈にお茶を入れてくれた。

 店員は深々と頭を下げて退室した。


「お嬢様、ここのご主人はお嬢様をかなり高く評価なさっているようですね。」


「そうなの?」


「ええ、ご主人はお嬢様が店内に入ってから、商談しながら目で追ったましたよ。そして番頭さんに目配せすると、番頭さんは弾かれたように動きました。」


「ああ、それで番頭さんの動きが素早かったんだ!」


「おそらく、お嬢様にかなり大きな恩を感じていて、商会あげての対応になったのでしょう。」


「そう言えばマークスさん個人より、お店の店員さんの方が丁寧に接してくれているような気がするね。」


「だからレイナさん、前回はあの商人に代金をもっとふっかけてやったらよかったんじゃないですかい?」


「あっちは切羽詰まっていたから、もっとふっかけても応じたかもね。でも、マークスさんに声をかけたのは目先の利益を得ようとしたわけじゃないんだよ。」


「じゃあなにを得ようとしたんだよ?」


「そうだなあ、ベテラン商人の経験や知識とか人脈かなあ。ご子息がやってる対岸の街のお店に行こうっていうのもこれの一環よ。」


 玲奈がギリムやアメディアと雑談していると、マークスが遅れて応接室に入ってきた。

 玲奈は立ち上がってあいさつしようとしたが、マークスはそれを押しとどめ向かいの席に腰を下ろした。


「お待たせしました。」


「こちらこそ商談中にお邪魔しました。」


「なにかと野暮用がありましてな、私も長く商売やってますから。お陰でレイナさんに運んでいただいた荷はすぐに良い値で売りさばけましてよ。」


「それはなによりです。ささやかながら私が助力した甲斐がありました。」


「今度は私がレイナさんの役に立つ番です。愚息とは連絡が取れたので、フュルカの店にお招きする準備をしてますよ。」


 玲奈はマークスと、彼の息子が店長を務める川向こうの街フュルカを訪問する日程について打ち合わせた。

 その結果、半月後に日時を決めてグリスターから渡し船に乗ることに決まった。

 その間にマークスの息子はフュルカの名産品をピックアップしておいてくれるとのことであった。


「それとマークスさん、近いうちにお隣りの貴族領に行こうと思ってるのですが、行かれたことはありますか?」


「ええ、以前に何度か行ったことがありますよ。」


「でしたら、道のりわかります?」


「いや、フュルカから川を渡って船でったので、陸路ではなかったんですよ。」


「そうでしたか。」


 玲奈は目を伏せて気落ちした様子をみせた。

 マークスはちょっとした気づかいをみせる。


「実はレイナさん、一度だけですが陸路でグリスターまで帰ってきたことはあるのです。」


「マークスさんの経験は心強いです。逆方向になりますが、道中のことを教えてください。治安はいかがでしたか?」


 早くも立ち直った玲奈にマークスは苦笑いを浮かべて答える。


「私が通った折は、日中の街道上はまったく問題なかったですよ。夜間や脇道はわかりませんが。」


「それを聞いて安心しました。でも油断はしないつもりですけれどね。あと旅程はどんな具合ですか?」


「オグレダリカ伯爵様の領都であるナウスガルスから徒歩による行程でも一泊すれば、翌日の夕方にはこの街に帰って来れますよ。」


「それほど遠くないんですね?」


「そうなんです。それにナウスガルスからは東に向かう乗合馬車が出ていて、一日目の途中まで乗って来ることができますから道中は比較的楽ですよ。ほとんどが平坦な道ですし、路面の状態も良好でしたから。」


「分水嶺を越えて王国領からグリスターに至る道のりと比べると、困難さが少ないみたいでホッとしました。道中のお宿はいかがですか?」


「途中にあるいくつかの街には宿屋が何軒もあるので、泊まるところは選べます。宿屋で困るようなことはまずないと思いますよ。」


「そうなんですね! マークスさんと話してわからなかったことが明らかになって助かりました。」


 玲奈はマークスに重ねて礼を言って商会を辞した。

 脇道を一本戻るとメインストリートに合流する。


「お嬢様、この後の予定はどうなってますか?」


「うん、食材買って服買ってから帰ろうと思ってるよ。その前に試したいことがあるから、ちょっと港に寄ろうかな。」


 玲奈はアメディアに答えるとギリムに向き直った。


「ギリムはその間、近くで聞き込みをしてね。」


「かまわねえけど、なにを探ればいいんです?」


「うん、こことお隣りの領主についてわかることがあればお願いね。」


「んじゃ俺はちょっくら聞いてきます。」


「あっ、ギリム、ちょっと待って!」


 玲奈は呼び止めたギリムに手をかざして、念話の魔法をかけた。


「うわっ!」


 玲奈がギリムの顔をのぞき込むと、彼は自分の耳を押さえてのけぞった。


「おい! なんだよこれ? あんたの声が頭の中から聞こえるぞ!」


「これが念話の魔法ね。声を出さなくても、少々離れていても会話ができるの。これから港まで行こうとおもうんだけれど、近くで聞き込みをしてもらえば、はぐれる心配はないよ。」


「わかりましたよ。港までレイナさんに付いて行って、周辺で聞き込みしますよ。」


 ギリムにはそれなりの金額を渡して別行動を取ると、玲奈はアメディアを連れて波止場の堰堤まで出向いた。

 石造りの堤の外側から数メートル先の水面に向けて魔力を放つ。

 水中に自分の魔力が浸透すると、感知できる範囲が水中まで広がる。

 桟橋に係留している船の底がどうなっているか、おおよそのところが把握できた。

 水中の魔力感知ができると、今度は魔力操作の要領で水を動かせるか試してみた。

 既に自宅の小さな水たまりでは試して成果を得ている。

 港でも魔力が水中に浸透している今の状態であれば、多少離れた川の水にも操作の力が及ぼせそうだ。

 玲奈は水中まで魔力が感じ取ることに再び集中した。

 水面だけでなく船底まで様子が把握できる。

 さらに魔力を起点にして水全体に網を広げるようにして制御を試みる。

 ちょうど近くの小舟が荷物の積み下ろしで揺れて水面に波紋が広がった。

 玲奈はこの小さな波を抑えようと、水面に魔力を集めて平坦になるように制御を試みた。

 魔力の操作によって波紋は収まり、水面はピタッと鏡のように凪いだ状態となった。

 抑える方向ではうまくいったので、次は水を動かすことに挑んだ。

 水面近くの魔力を意識して、ひとかかえほとの大きさの円を描くように水を回してみた。

 水は渦を巻き、ゆっくりと回った。

 玲奈は魔力をさらに操作して一点に集める。

 渦巻の回転は減速し、中心点が鋭く盛り上がり、ひざ下くらいの高さまで持ち上がり、崩れてポチャンとささやかな水音を立てた。

 水面を見つめていたアメディアは、小規模ながら不自然な動きを半ばあきれていたが、水音でふと我に帰り隣りに立つ玲奈の横顔を見ると、ニンマリと満足げな笑みを浮かべていた。


「お嬢様、うまくいったのですか?」


「うん、まあまあかな。規模は小さくて素早さもないけれど、思ったとおりにいったからね。」


「それはようございました。」


「ありがとう。それに規模が小さい分、誰も魔法を使ったことに気がついていないみたい。」


 船上で作業をしたり桟橋を行き来する人たちは小さな水音を気に留めていない。

 周りの様子をうかがい玲奈はわずかに口角を上げた。

 その後は念話でギリムを呼んで落ち合うと、グリスターでの買い物を楽しんで帰宅した。




 その後三日間、玲奈はグリスターで買った食材で料理を楽しみ、古着をリメイクして楽しんだ。

 三日目にして玲奈は改めて動こうと思い立ち、翌日からグリスターに飛んで一泊二日、ないし二泊三日の旅程で隣りの貴族領を目指すことにした。

 道中は平坦で治安が良いと聞いていたので、当初玲奈は単独でも行動しようと目論んだが、フルーが強硬に反対して、結局フルーとギリムが同行することになった。




 三人は早朝、グリスターまで飛んで西に向かう街道を歩き始めた。

 街の西門をくぐって外に出ると、門を入ろうとする人たちが列を作っていた。

 そこを抜けてしばらく両側に人家が続く道を進む。

 近郊の街並みが終わると、周囲は開けて広大な畑地が広がる。

 路面の状態は良好だが単調な道が続く。

 かなり歩き続けて、小さな宿屋兼食堂のある村に差しかかった。

 ギリムの表情に疲れを読み取った玲奈は、食堂で一休みすることにした。


「ギリム、休みを入れずに歩いてきたから疲れたのかな?」


 窓際の席に座り、外を気怠げに眺めているギリムに声をかける。


「ああ、ちょっとだけな。退屈な道のりでダレちまったみてえだ。」


「もっと登り坂だったり魔物や盗賊が出る道の方が良かったのかな。」


「そんなことねえよ。多少の変化があると気が紛れるだけだ。」


 注文したお茶を飲み干して物憂げなギリムの空のコップに手をかざして、玲奈はそっと魔法で水を満たしてあげた。


「明日もあるから、疲れを溜めないようにこまめに休みながら進むとするよ。まずは水を飲んじゃって! ゆっくりでいいから。」


「ああ、すまねえ。」


 一息入れたところでまた歩き出したが、この後は休める所、ちょっとした木陰や幅が広がった路肩があれば腰を下ろして水を飲みドライフルーツをかじった。

 その後、手ごろな木立があったので早めに昼食をとった。

 午後も疲れが溜まらないよう休み休み進み、お昼をかなり回ったころ、貴族領の境界となる小川を越えた。

 なんの変哲もない木橋は、両側のたもとに詰所らしき建物が建っているが、検問など止められることもなく通過できた。

 ただし橋を渡った先には、詰所の背後にどっしりとした石造りの建物があった。

 砦などの軍事的な施設かもしれない。

 その脇を通り過ぎてしばらく進み、右手に時折軍事施設らしき建物を見ながら平坦な道を進んだ。

 ときどき騎馬隊とすれ違う。

 やがて道はまばらな林に入った。

 見通しが悪くなったが交通量は少なくなく、ちらほらと商人や軍人とすれ違う。

 玲奈は念のため魔力探知で周囲を探ってみたが、道路上以外に人は潜んでおらず、他には小鳥やリスくらいで脅威となる魔物もいなかった。

 林を抜けるころには日は西に傾いていた。

 北から伸びる丘陵の斜面に人家の連なりが見える。

 境界を越してから初めての村だ。

 西へ向かう本街道と分かれて北への道をとった。

 街並みは丘の中腹まで続いていたが、坂を登る前、麓にある食堂に入って一休みすることにした。


「ねえギリム、ここで泊まるか次の街まで進むか考えるから、聞き込みしてきてくれない?」


「おお、まかせてくれ!」


 玲奈はギリムに小銭を握らせた。

 彼は食堂の女将と話したほか、ちらほらと食事をとっている客の中で商人らしき人に話しかけ、一杯おごって質問をしている。

 やがてギリムは玲奈とフルーが休んでいるテーブルに戻ってきた。


「レイナさん、ちゃんと聞いてきたぜ。」


「お疲れ! さっそくだけど隣町までは遠いの?」


「ああ、同じ男爵様の領地でそこまで離れちゃいねえが、今から行くと夜になるってよ。」


「それじゃ泊まるしかないね。宿屋のことは聞いた?」


「ちょうどこの食堂が宿もやってるぜ。二部屋くらい空いてるだろ。」


 結局玲奈たちはこの食堂兼宿屋で泊まることにした。

 休み休み進んだため距離が思ったほど稼げなかった割に疲れを感じたので、彼女たちは早めに就寝した。



 翌朝はゆっくり朝食をとり、遅めに宿屋を出た。

 道中も前日と同様、適度に小休止を入れつつ歩いた。

 お昼をまわってそうたたないうちに次の街に着いた。

 ゆるやかな登り坂の先、大きな城門をくぐると城壁の中はにぎやかで整備された都市だった。

 玲奈たちは城門の近くの街路に軽食堂を見つけたので、そこで腰を下ろした。


「レイナさん、俺はまた聞き込みしてくるぜ。」


「うん、お願いね。」


「それとよぉ、早めに宿の確保か馬車の便を調べといた方がいいんじゃねえか?」


「そう? まだ時間はあると思うけど。」


「いや、夕方近くになったら混んで、いい部屋取れるかわからねえぞ。」


「そっか! それもそうだね。じやあギリム、頼んだよ!」


「おお、まかせてくれ!」


 だるそうにギリムが外に出ていくのを見ていたフルーが口を開いた。


「なあマスター、道中魔物も盗賊も出なくて退屈ではないか? なまってしまうぞ。」


「平穏で結構なことじゃない?」


「それなら夕方まで時間があるから、なにか任務をこなさないか?」


「宿の確保が先よ。それに任務ってどんなのがあるの?」


「それはわからない。できれば歯応えのある相手と戦いたいものだ。」


「そんな相手、これから往復できる範囲のいるとは思えないなあ。今からできる任務なんていえば、荷物運んだりドブさらったりするくらいじゃないの?」


「マスターがそう思うのなら、私も強く推すつもりはない。」


 そう言うなり、フルーは黙ってお茶を飲むだけだった。

 玲奈もカップを傾けたが、フルーの士気が下がるのを懸念して言葉を足した。


「デュリシーの迷宮に行く約束を忘れたわけではないよ。水中の探知魔法はなんとかなりそうなんで、攻撃魔法がメドたつまでもう少し待ってね。」


 まもなくギリムが戻ってきた。


「ギリム、お疲れ! どうだった?」


「宿屋はこっちじゃなくて、反対側の門の近くに何軒もそろってるってよ。」


「ならギリムがお茶でノドを潤したら移動しよっか?」


「そいつがいいな。馬車の乗り場もそっちだぜ。」


 大通りを西から東に向けて歩くが、馬車や荷車を含めて交通量がかなり多い。

 ギリムに先導されていくつも交差点を過ぎると、やがて西の城門が見えてきた。


「レイナさん、あの門の前の広場から西に向かう馬車が出てるんだとよ。それとこのあたりに宿屋がいくつがあるんだが、どんなところにするんだ?」


「そうねえ、多少うるさくても便利だから大通りに面したところにしようか。それに高くても清潔なところがいいな。」


「おお、なるべくかなうところを探してみるからな。ちょっとだけ待っててくれ!」


 ヒラヒラと手を振って小走りにかけて行ったギリムを見送り、街路樹にもたれて一息入れた。

 ギリムは通りに面したいくつかの宿屋で聞き込みをして戻ってきた。


「レイナお嬢様、お望みの部屋を探し出しましたぜ。さあ、こちらへ!」


 おどけたしぐさでギリムは腰を折って、玲奈を案内する。

 大通りを歩いてついて行くと、一軒の宿屋に至った。

 受付は間口が広く天井が高くて開放的な造りだ。

 玲奈はここに泊まることにした。

 受付の男性に聞いて、この街がサイラスという名で男爵領の領都であること、このあたりで一番大きい伯爵領の都までサイラスを乗合馬車で朝出発すると夕方には到着することを確認した。

 荷物を部屋に置いて外に出ると、街は比較的平坦な丘の上に広がっているが、北側の一段高い段丘には要塞のような男爵の館が睥睨している。

 西門周辺で露店を見て回ったが、ピンとくるものがなかったので、なにも買わずに早々に宿屋まで戻った。


 翌朝、玲奈たちは西門広場から乗合馬車に乗った。

 二頭引きの馬車が三台連なって運行されていることから交通量がかなりあるのだろう。

 動き出した馬車は西門をくぐるとゆるやかな坂を下っていった。

 下り切るとあとは平坦な道をひたすら西に進んだ。


「ねえギリム、この馬車、揺れが少ないと思わない?」


「ああ、そうだな。乗ってて楽だな。」


「座面もフカフカの布製だし、クッションいらなかったな。」


「旅で座る機会は馬車の座席だけとは限らないだろ。レイナさんが苦でなければ持ってきて良かったんじゃねえのか?」


 途中、昼食をとるため休止した際、玲奈は馬車の下をのぞき込んだ。

 御者は馬の世話で少し離れたところにいる。

 大きな車輪は金属製、車軸も金属製のようだ。

 そして車体を大きな板バネで支えている。

 車体の装飾がなく簡素な造りではあるものの、以前乗った貴族家の馬車と同じ構造であった。

 乗り心地が良いのも当然というわけだ。

 加えて路面がきれいに整備された石畳みで凹凸が少ない。


 お昼の休止後、馬車は何事もなく運行を再開して西に向かった。

 馬車の窓から差し込む日差しが赤みを帯び始めたころ、北側にゴツゴツした岩山が見えてきた。

 道の両側には人家が立ち並び、往来の人馬は数を増した。

 馬車は速度を落として人波をかき分ける。

 しばらくノロノロ進むとやがて城門をくぐった。


 車窓の景色をながめていた玲奈は思わず身を乗り出した。


「広い!」


 大通りは道幅があり大型の馬車が余裕ですれ違うことができ、両脇の歩道も広く露店が並んでも十分な幅員がある。

 建ち並ぶ両側の建物は四階、ないし五階で高さが統一され、西日に長く伸びた影も一直線となっている。

 その日陰の下、歩道には人波が途切れることはない。


「大きい!」


 交差する通りの先を見ると、夕陽に染まった岩山が目に入った。

 その上部には岩をくり抜いた人工物がうかがえ、要塞のようだ。

 その下のゆるやかな斜面には木々の間に邸宅が建っている。

 そこまで数キロの平地にはビッシリ家屋が並んでいる。

 王都の何倍の規模があるのだろうか。


 間もなく馬車は大きな広場で止まった。

 ここが東から来た乗合馬車の乗降場らしい。

 他の乗客に聞いたところ、一つ先の街区で横切る大通りが中心街路とのこと。

 大きな石像が立つ広場を後に次の交差点まで移動したが、たしかに道ゆく人の数を多い。

 玲奈はギリムに聞き込みを頼んだ。


「ギリム、着いた早々で悪いんだけれど、ワープポイントの場所とか調べてきて!」


「あいよ!」


 念話の魔法をかけられたギリムは人混みにまぎれた。

 玲奈は近くの露店で果実水を三つ買い、フルーと街路樹にもたれてギリムを待った。

 果実水に口をつけつつ周りの露店や通行人をながめていた。

 露店が扱っている品物はまちまちで特に傾向がなく、場所がランダムに決められているのかもしれない。

 ながめているうちにギリムが帰ってきた。


「おい、レイナさん。聞いて回ってきたぜ。」


「お疲れ! これ飲んで。」


 玲奈は持っていた果実水の一つをギリムに渡す。

 彼はおいしそうに一口飲んでから口を開いた。


「レイナさん、ワープポイントはこの通り沿いだがちょっと離れたところにあって、少し歩かなきゃならねえだとさ。」


「そうなんだ。のんびり買い物もしてられないね。」


「ここに泊まるんじゃねえのかよ?」


「もう二泊しているからね。夜中になるとかじゃないなら帰ろうかと思うんだ。」


「まあ俺も同感だな。ところで、この街はナウスガルスって名前なんだとよ。それと商業組合は二つ先の交差点に支部があるけど本部は上の街にあるんだつてよ。」


「上の街?」


「ほら、あそこに見えるだろ?」


 ギリムは岩山を指差して振り返る。


「あそこにある貴族様のお屋敷の下のあたりに商店街があるんだとよ。本部はそこらしいぜ。」


「お貴族様御用達の商人なら力持ってるだろうね。私としてはなるべく近づきたくないけれどね。」


「俺も同感だ。」


「ともかくありがとう。時間もないし、ギリムが飲み終わったらワープポイントまで歩こう!」


 ギリムは軽く杯をあおって空にすると、大通りを先頭に立って歩き始めた。

 玲奈とフルーは彼の後ろについて黙々と歩く。

 途中一回、玲奈は露店で鮮やかな赤紫色の服を目にしてギリムを呼び止め、チュニックとスカーフを買った。

 その他は露店や店舗をながめながらではあったが歩き続けた。

 丘の麓が近く見えるところまで歩いて、ようやくワープポイントにたどり着いた。

 グレイナーに飛んだころには薄暗くなっていた。




 翌日、玲奈は久しぶりの自宅のベッドでまどろみながら、新しい魔法を考えていた。

 前日までの旅では、ギリムが情報収集で活躍したのに対して、戦闘の機会がなくフルーは付いて回っただけだった。

 フルーにも活躍の機会を与えたいと思えば、デュリシー郊外の迷宮にでも行くのが有効だろう。

 ただしその迷宮では湿地や沼が多いので、水中の敵への備えが必要になる。

 そのため探知の魔法と攻撃の魔法を開発してきたが、水中の探知に関してはグリスターの河港で確認して最低限の水準には達したと思われる。

 また魔力操作によって水を自在に動かすことができるようになったので、水中の敵をあぶり出したり牽制することができるようになった。

 あとは攻撃手段だが、水面から上を狙うなら土魔法で作った球を風魔法で飛ばす手法を開発し始めている。

 迷宮に出かける前に攻撃魔法を完成させたいと玲奈は思い、数日は開発に時間をかける算段をした。


 彼女は朝食後、庭に出て剣をしばらく振った。

 それがすむと、今度は魔法の練習をした。

 以前やっていたように庭の隅に魔法で穴をあけて水を満たした。

 探知魔法には習熟してきたので、水中の様子は手にとるようにわかる。

 水を動かしてみるが、じわじわとしか動かせない。

 いろいろ試してみるが、この日は進展がなかった。

 魔力操作はそれくらいにして、次に攻撃魔法にとりかかった。

 まずは土魔法で球を作る。

 人差し指の先ほどの大きさをできるだけ真円に近くなるように、そしてできるだけ硬く比重が大きくなるように魔力をこめた。

 実際にやってみると、魔力を多くこめるだけでは形がいびつになったり不均一だったり、成型の段階でうまくいかない。

 球が不均一だと風魔法で射出しても軌道が定まらず命中率が低くなってしまうため、玲奈は球の成型に時間をかけて取り組む必要を感じた。

 午前中はひたすら均一で真円になるように土の造形に励んだ。


 昼食後、玲奈は裁縫室でアメディアとダダクラが仕立て直しするのに立ち会った。

 室内で腰かけて二人が作業する様子をぼんやり見ていると、頭の芯に杭を打ち込まれたような鈍い痛みを感じた。

 見ながら球を作る魔法の練習をするつもりであったが、頭痛のため見るだけにとどめていると、アメディアが話しかけてきた。


「お嬢様、これがナウスガルスで買ってきた服ですか?」


「うん、そうだよ。」


「やはりバラして素材として再利用しますか? というのも、見た限り生地に破けたところはありませんし、糸のほつれもないので、バラさずそのまま着るのもよいかと思ったので。」


「そっか、じゃあ丈だけ直してもらおうかな。」


「はい、承知しました。」


「素材に良いもの使っていて、仕立てもしっかりしているなら、高かっただけのことはあるね。ここらで買う数倍したんだよ。」


「そうでしょうとも。服飾関係はあちらが本場ですから。」


「そうなの?」


「はい、王国の貴族御用達の仕立て屋も服地や糸はオグレダリカ伯爵領から取り寄せてますよ。」


 アメディアは領主の名を知っていた。


「へえ、そうなんだ! それなら今度行ったときは既製の服だけでなく材料を買ってきてもいいかもね。」


「私が思いますに、お嬢様は一流のお店で仕立てたらよろしいのではないでしょうか?」


「それはちょっとどうかな?」


「さあお嬢様、袖丈を詰めましたので着てみてください。」


 アメディアは玲奈と話している間に待ち針で仮止めして袖の長さを詰めた。

 玲奈は立ち上がって袖を通してみた。


「うん、かなりいい感じ。でもちょっとだけ長いかな。」


「では心持ち詰めてみますね。左も同じ長さに整えますから、着てみてください。」


 アメディアはテキパキと作業し、ダダクラは隣りで長さを測ったり針を渡したり手伝いをしている。

 玲奈は言われるままに立ったり座ったり、話したりしているうちに頭痛が軽くなっていることを感じた。

 いくらが自分に集中力が戻ってきたように彼女は感じたので、再び魔力を練って土魔法で球を作り始めた。

 丸さや均一さは保ちつつ球にこめる魔力量を徐々に増やして凝集させて密度を高めた。

 そんなことを夕食の準備に取りかかる時間まで続けた。


 翌日、玲奈は球の成型と並行して、風魔法による球の運搬方法も模索した。

 命中率を上げるためには風魔法の精度が重要になる。

 彼女は魔力を練ると手のひらに乗せた球を慎重に起動した風魔法で遠くへ飛ばそうと試みた。

 しかし実際にやってみると、直線的で均一な空気の流れを作りだしたつもりでも、球の軌道は予測不能で不安定なものにしかならなかった。

 風魔法を精度を高めても球の軌道は安定しなかった。

 それならばと直進性をあきらめ、放物線を描くように空気の流路を変えてみたが、かえって軌道は不安定になった。


 午後になって再び庭に出た玲奈が、今度は空気が渦巻くように風魔法を使うことで軌道の安定性の問題はようやく解決の糸口を見出すことができた。


 二日に一度、ゴーレムの迷宮にフルーたちと出かけたり、グレイナーの城内や皇都パルピナで買い物をした。

 そうして十日で、土魔法と風魔法を用いたこの攻撃手法は玲奈の納得できる最低限のレベルに達した。

 風は高速で渦を巻いて標的まで伸び、球は楕円から円錐形、紡錘形へと変化していた。

 また、より素早く大きく水を操作することもできるようになっていた。


「フルー、待たせたね。ようやく沼地の迷宮に対応できる魔法をなんとか開発したよ。」


「待っていたというわけではない。マスターがそのように判断したのだから、私はそれに従うまでだ。」


 フルーは喜びを外に表さなかったが、デュリシー近郊の迷宮に行くことには同意した。

 スドンとギリムも同行して三日後に出かけることに決めた。

 そのまでは準備にあて、必要なものを買いそろえるためにあちこち出かけた。

 木道があるとはいえ、足場が悪い湿地に備えて木枠と皮で作られた靴に取り付けるかんじきのような器具、それと大量のロープや杭、手ぬぐい、ナタを買い求めた。

 またゴーレムの迷宮に入り、ゴーレム相手に魔法を試した。

 既に十メートル離れた拳大の的を狙えるだけの精度を開発の過程で身につけている。

 その距離で土ゴーレムはもとより、石ゴーレムも一撃で倒せることを確認した。

 ただし金属製のゴーレムはさすがに打ち破れなかった。

 魔物でも硬いウロコや分厚い毛皮は貫通できないかもしれない。

 その場合は目や鼻腔などの柔らかいところを狙うことにして、魔法の試し打ちを終えた。


 街から迷宮まで多少距離があると事前に聞いていてので、玲奈たちは朝一番でデュリシーに飛び、冒険者協会の支部に立ち寄った。

 玲奈は窓口の男性係員に迷宮までの道順を尋ねた。


「湿地の迷宮ですね? それでしたらデュリシーの南門を出て道沿いに三十分も歩くと高い木が三本並んでますから、そこを右に曲がってください。あとは道なりでそのまま進めば東の丘を越して入り口に行き着きます。」


「わかりました。ありがとうございます。時間はどのくらいかかりますか?」


「これから出ると、お昼より前に余裕をもって着くでしょう。着いた後のために迷宮内の地図はいかがですか?」


「実は既に手に入れているんです。」


「そうでしたか。それでは五階より深い階層の地図がないことはご存知でしょう。実地に踏査されて地図を作っていただければ、買い取りますよ。」


「考えておきます。」


「もう一つ申しますと、湿地の迷宮を踏破されますと辺境伯様から報奨金がいただけますよ。」


「せっかくですが、ちょっと難しいですね。」


 その間にギリムは素材の買取価格を調べた。

 彼女たちは調べものがすむと、早々に協会の事務所を出て教えてもらった道のりで迷宮に向かった。

 街の南門から出てしばらく人家と畑が点在する開けた道を進む。

 二十分も歩くと背の高い木が三本連なっているのが見えてきた。

 木の下は交差点となっており、右に折れると丘を越えて迷宮に至る道だ。

 少し細くなった道を正面に登る太陽を見ながら橋を渡り、畑の中を進むと東の丘が近づいてきた。

 この丘を超えた先に迷宮はある。

 果樹園の中を登り、常陽樹の森に入ると傾斜がキツくなる。

 ギリムもスドンも遅れずについてくる。

 小一時間で登り切ると、稜線には石の壁が立ち並び、峠には石造りの小屋と門があった。

 玲奈たちは小屋の脇で小休止してから門を通り抜け、今度は下り坂を進んだ。

 三十分ほどで坂を下り切り、枯れ草の茂る平原を歩く。

 道は木道となっており、周囲は湿原のようだ。

 湿原を横切って向かいの山並みが迫ってくると、大きな鉄の門が見えてきた。

 近づくと鉄門の内側、山腹に大きな洞窟が口を開けており、チョロチョロと水が流れ出すその口が迷宮の入り口らしい。

 山側にはいかめしい石造りの建物があり、脇のポールには辺境伯の水色の旗がたなびいている。

 門の中に入ると囲いと一回り小さな門があり、辺境伯の紋章がついたマントの兵士が門番をしている。

 玲奈は魔法学園の学生証を兵士に提示してフルーたちを引き連れ内側の門の中に入った。

 そして迷宮の入り口の脇にある小さなスペースで軽くストレッチをして体をほぐすと迷宮の中に踏み入った。


 中に入るとギリムが前に出て警戒し、その後ろで玲奈が地図を見てフルーとスドンが続く。

 沼地が点在する湿っぽい環境で、地盤がぬかるんでいるため、木道の上を歩くしかない。

 一階は事前に調べた限りでは小さなトカゲやカエルなどが主で、手強い魔物は出現しない。

 ただし木の上から落ちてくるヒルやフラフラと飛ぶブヨは人の血を吸うので、ギリムが警戒している。

 一度近寄ってきたブヨを玲奈が火魔法で焼き払ったほかは、ギリムが用心しているため魔物との遭遇を避けられている。

 特にはぎ取りをしたい素材もないので、一階は戦闘をほとんどせずに二階に降りた。


 二階はヘビが多く出る階層だが、幸いなことに毒を持っていないそうだ。

 ヘビは皮や肉に需要がありそこそこの値段で買い取ってもらえるので、ここで狩りをすることにした。


「フルー、お待たせ! この階でヘビを狩るから頼むね。売り払いたいのでなるべく一撃で損傷が少なくなるようにね。」


「承知した。できるだけマスターの期待に沿うように努力しよう。」


 一階に続いて二階でもギリムが前に出て、木道沿いに警戒しながら進む。

 間もなく木道のすぐ脇にヘビが鎌首をもたげ、ギリムは飛び退き後ろに下がる。

 代わってフルーが先頭に出て大剣を抜く。

 ヘビは網目の派手な模様で、学園の迷宮より一回り大きく胴回りも太い。

 フルーは体勢を低くして剣を下段に構えてゆっくりと接近する。

 ヘビは口を大きく開き長く鋭い牙を見せつける。

 フルーは体を右に開いて半身はんみになり、間合いに入ると横合いからコンパクトに剣を振った。

 ヘビは反応が一瞬遅れ、頭を下げて剣をかわそうと身をよじったが間に合わず、剣先で横殴りに頭を叩かれて吹き飛んだ。

 泥濘をのたうつヘビに向かってフルーは剣を振り下ろしとどめを刺した。

 ヘビの死体は頭がつぶれ胴体は泥にまみれて、これを素材として持ち帰ろうという意欲をそぐ状態であった。


「マスター、すまない! 気を配ったつもりだったがひどい状態になってしまったな。」


「フルーが気を配ってくれたことはわかったから気にしなくてかまわないよ。今のは素早く小さく剣を振っていて、やり方は間違ってないと思うから続けてみて!」


「ああ、今度はもう少しうまくやってみせよう。」


 再びギリムが先頭に立ち、警戒しながら進む。

 しばらく木道を歩くと、ギリムが立ち止まりアゴで前方を指し示した。

 そこには木道から剣の届く範囲でわだかまるヘビが見えた。

 フルーは軽くうなずくと、スルスルと先頭に出てヘビに近づく。

 ヘビはフルーに気がついて鎌首をもたげる。

 フルーは剣を抜くとすぐに半身はんみになり、左手を前にそろりと進み、右手を後ろにしてヘビの目から剣が見えないような体勢をとる。

 そして間合いに入ると彼を体をひねり右手を巻きつけるように回し、剣が遅れて出てくるように振った。

 さらに途中から手首を利かせて剣速を上げる。

 ヘビが剣に反応したときには刃が目の前に迫っていた。

 最短距離を通った剣はヘビに避けるいとまを与えず、頭のすぐ下の胴体を大きくえぐって一撃で絶命させた。


「フルー、お見事! 今度はうまくいったんじゃない?」


「ああ、なんとかなったな。先ほど対峙したヘビは私が剣を抜くと、私ではなく剣先を見て反応していると感じた。だから今回は剣をできるだけ相手から見えにくくなるように試みたのだ。」


「うん、フルーが工夫したからヘビが反応し切れなかったんだと思うよ。お陰で状態が良好だから素材として買い取ってもらえそうだね。」


「マスターの役に立てたのなら幸いだ。」


 玲奈がフルーをねぎらっている間に、ギリムはゲッと言いながらもナイフでヘビの頭を切り落とし、胴体を木道近くの木の枝にかけて血抜きしていた。


「ギリムもお疲れ! 血が抜ける間にこれでも飲んでて。」


 玲奈はカップに魔法で水を注ぎ、ギリムに手渡す。


「なんだか中は蒸すね。」


「そうだな。涼しいくらいなのに動くとイヤな汗かいちまうんだよな。」


「ここに棲息している魔物ならともかく、ヒトが活動するには酷な環境よね。下の階には木道もないんだから、戦闘はもちろん移動するだけで泥まみれよ。」


「できれば俺は御免被りたいね。」


「料理長が以前いたベテランパーティも途中で撤退したくらいだからね。私たちは無理しないでおくよ。」


「ああ、そうしてくれ! レイナさんが魔法で宙に浮いたり、泥をなんとかしてくれるなら別だが。」


「浮くのはともかく、水や土は魔法でなんとかできる部分もあるけれど、この地面全体だと現実的ではないかな。」


「そうかよ。」


「現実的には脱水症にならないように水を補給するのが一番だね。フルーもスドンも水飲んで!」


 フルーやスドンにも水を飲ませている間に、吊るしたヘビの血抜きがすんだ。

 玲奈はヘビをアイテムボックスに収納し、一行は再び歩き出した。

 この後フルーは二階で六匹ヘビを狩り、下の階に降りた。


 三階には大きなワニが出現する。

 冒険者協会で教えてもらった情報によるとワニの大きさや強さには幅があるが、大きな個体だとフルーの大剣がどれだけウロコを斬り裂けるか玲奈は懸念している。

 もし通用しない場合、開発した新魔法を使ってみるつもりだ。

 三階は湿地というより沼や川といった水面が増える。

 木道を歩くと右側をさざなみが立った水面と並行するようになる。

 川のようにゆっくりとした流れがあり、水面に落ちた葉が流されていく。

 玲奈は先頭のギリムを呼び止めて、川の中を魔力で探知する。


「うん、水中は小魚か甲殻類らしい生き物しかいない。魔力もほとんど感じないから脅威になる存在はいないかな。」


「レイナさん、このあたりに脅威はいねえとしても、あそこのあれは脅威だとおもうぜ。」


 ギリムが指差す上流から黒いコブのようなものが近づいてくるのが見える。

 水面から目と鼻を出したワニのように見える。


「あれはワニだろうね。しかもかなり大きい。」


「あんなヤツとは戦いたくねえな。」


「マスターとギリムは下がっていてくれ! 私が仕留めてみせる。」


 フルーは大剣を引き抜き川の上流をにらんで気合いをみなぎらせる。


「フルー、水中の敵と戦うのは分が悪いよ。場所を変えて陸に上がったワニと戦うようにしよう。」


「しかしマスター、一撃で倒すなら水中相手でも問題ないはずだ。」


「いや、即死させないと水の中に逃げられてしまうよ。それに私たちが水の中に入ると武具の重さもあって勝負にならないって!」


 玲奈は今回弓矢を持ってきた以外はいつものとおりギリムとともに軽装だが、フルーとスドンは金属製のよろいと小手、すね当てを身に付けている。


「なんとかするのでここはまかせてくれないか?」


「そんな勝算の立たないあやふやなことではダメ! ワニが迫ってきて時間がない。」


 意を決した玲奈は声を一段高めた。


「全員に命令します。今から移動するので、私について来なさい!」


 そう言うと彼女は身を翻して、木道を元の方向に小走りに戻った。

 フルーは渋面を作り、スドンとギリムは淡々と後に続いた。

 二十メートルも戻ると川は大きく曲がって木道から離れ、木の間にやや湿っぽいが広い草地が広がった場所に出た。


「ここなら迎え撃つのに適しているでしょ?」


「ああ、いくらか戦いやすいな。」


 首をひねっていたフルーも一応納得はしたようだ。

 さらに戦いやすいように、玲奈は水魔法で木道近くの地面から水分を抜き、土魔法で固く突き固めた。

 これでブーツがぬめり込んだり、滑ったりすることは起きにくくなったはずである。


 玲奈たちを追いかけてきてワニは間もなく川から陸に上がり迫ってきた。

 玲奈はフルーとスドンに土属性を付与した。

 フルーは大剣を再び抜いて、左手の大楯を前に半身に構える。

 少し離れて斜め後ろにはスドンが右手にハンマーを掲げ、左手に凧盾を持って重心を低く構えている。

 その後ろにギリムと玲奈がひかえる。


「ねえギリム、ナイフ投げてワニの目を狙えない?」


「投げんのは別にかまわねえよ。かまわねえが、的を狙えるほど精密にゃ投げられねえのは知ってんだろ? それでも投げろって言われりゃ投げでやるぜ!」


 腰につけたポーチからナイフを一本取り出すと、ギリムは目一杯の力をこめてナイフを前方に投げた。

 本人が言ったとおり、ナイフは的であるワニを大きくそれて、はるか上方を通過して水音を響かせて川に飛び込んだ。

 ギリムはさらにもう一本投げようとしたものの、ワニが身をくねらせてフルーに急接近して誤射の恐れがあるため、投げる機会を逸してしまった。

 ワニは口を大きく開け、鋭くとがつた刃の列を誇示しながらフルーに飛びかかる。

 フルーはワニの動きをよく見て素早く左に飛び退いてワニの突撃をかわす。

 その際に彼は右手を回すように振って、ワニの鼻面に合わせて剣をたたいたが、体重の乗らない攻撃は厚いウロコにはね返された。

 それでもワニは虚を突かれたのか、一瞬全身を硬直させた。

 その間に彼は体勢を立て直し、ワニに正対する。

 改めてワニは口を開くと躍り上がるようにフルーに飛びかかった。

 フルーは盾をワニにたたきつけたが、ワニはひるむことなく押してくる。

 盾で勢いを止められないと悟ると彼はワニをいなし、今度は右後方に飛び退く。

 目の前から敵がいなくなったワニは向き直るが、そこへブルーが体重を乗せて上段から大剣を振り下ろす。

 剣先がワニの鼻先をとらえ、左鼻腔の脇のウロコが軽くえぐれて血が流れ出す。

 ワニは一瞬硬直してなにが起こったかわからないようであったが、痛覚に反応があったのか左右に首を振って暴れ出した。

 ワニの血が飛び散る。

 ワニは再び突進してきたが、フルーは冷静にかわして合間に剣を相手に当てている。

 しかしワニはひたすら突進するため彼は自分の間合いで戦えず、威力ある攻撃ができずワニに有効なダメージを与えられていない。

 そればかりか、ワニの猛攻にペースを握られてズルズル後退する。

 連れて、フルーの斜め後ろにいたスドンも攻撃参加の機会が見出せず後退する。


「相手は硬いなあ。ねえギリム、ワニの口の中にナイフを当てられない?」


「おい! 俺が今ナイフを投げてみろ、フルーかスドンの背中にブチ当たるかもしれねえぞ。」


「それはまずいな。よしっ! 私がなんとかするから、ギリムは下がっていて!」


「えっ?」


 一瞬ギリムは当惑した表情を浮かべたが、すぐ気を取り直すと軽くうなずいて後方に下がった。

 反対に玲奈は前に進み出て、スドンより前、フルーのすぐ左脇に位置どった。

 魔力を練り、ワニが口を開けた瞬間を狙い風魔法を発動した。

 空気の二枚刃はワニの凶悪な歯に大半が防がれたが、すき間をくぐり抜けた風がワニの舌に傷をつけた。

 痛みを感じたのかワニは身をよじったが、前に出てきた玲奈を新たな敵と認識して向かってきた。

 玲奈はズシリとした紡錘形の球をアイテムボックスから取り出し、魔力を練り込む。

 ワニとの距離が三メートルを切り玲奈に噛みつこうと大きく口を開くと、彼女は極度に圧縮した空気を解き放ち、高速で回転させた渦の先に球を乗せて撃ち出した。

 球は低い破裂音とともに目にも止まらない速さで口の中、上あご側の奥に飛び込んだ。

 玲奈は、ワニを倒すため脳を狙って攻撃することを考えていたが、実物の頭部を見て目のやや後ろに脳があると予想した。

 狙いは口を開いたタイミングの上あご、脳を支える頭蓋骨の底部だった。

 十メートル離れた的を捉える練習を重ねてきた彼女なので、三メートルの距離でははずさない。

 予想どおりの位置にあった脳を一撃で破壊されたワニは、電池が切れたように突然動かなくなった。

 フルーはワニと玲奈を見比べる。


「マスターか?」


「うん、詳細ははぶくけれど、この日のために開発した新魔法。」


「そうか、助太刀感謝する。ただ、次は私に最後までまかせて欲しい。」


「次はおまかせするよ。その前に血抜きしようか。」


「レイナさん、せっかくだがもうお次が来なすったようだぜ。」


 ギリムが知らせたように、川を数珠つなぎになってワニがむかってきた。

 先頭のワニは既に岸へ上がり、一直線に近づいてくる。


「ここは私が引き受けるけれど、三人も念のため警戒を怠らないこと。」


「ああ、マスターにおまかせしよう!」


「って、おい! ワニは十匹以上いるぞ! レイナさん一人で大丈夫なのか?」


「正確には十六匹ね。でも球は足りてるし問題ないって。」


 フルーとスドンは重心を低くして盾をかまえ、玲奈は二人の間から顔をのぞかせつつ魔力を練った。

 ワニが五メートル以内に近づき口を開けた瞬間に風魔法で球を撃ち込んだ。

 ワニたちは次々と近づき、かみつこうと口を開いて死んでいった。

 瞬く間に十六の死体が積み上がった。


 誰も口を開かない。


 玲奈も黙ってワニの死体をアイテムボックスに収めた。

 大して時間をかけずに収納を終えると、今度は木道脇の地面を土魔法で盛り上げ傾斜を作った。


「ギリム、近づいてくるワニはいない?」


「ああ、もう近くにゃいねえみたいだな。」


「ありがとう! 私は魔法の仕込みするから、みんなは手分けして血抜きをお願いね。」


 玲奈は、頭を下にしてワニを坂の斜面に並べて出した。

 フルーたちが血抜きの作業を始め、玲奈は土魔法で球を作り出した。

 今の戦闘で、あらかじめ作って持ってきた分の大半を使ってしまったので、補充すること必要があった。

 そうするうちフルーたちの血抜きが終わったので、パンとドライフルーツで簡単な昼食にした。

 その間も玲奈は球を作り続けて、十分な数を確保した。


「さあ、お昼がすんだら次の行動だけど、上の階に戻ってヘビを何匹か狩って街に戻るということでいい?」


「マスター、ちょっと待ってくれ!」


「なに? フルー!」


「上の階に戻らず、この階で私にもう少しワニと戦わせてくれないか? 徐々に相手のクセもつかめて、なんとかなりそうな感触があるんだ。」


「そうなの? 一方的に押されていたように見えたけれど、ひっくり返す手立てはあるの?」


「できそうな予感はあるのだ。おそらく戦っているうちになにかつかめるに違いない。」


「現状ではなにも策がないってことね。でもまあいいわ。もう一度来ようとも思わないんで、フルーの希望を考慮するよ。」


 そう言うと玲奈は背負ったバッグから迷宮の地図を取り出した。

 地面に目を落としていた彼女は中央付近の一点を指差した。


「地図のこの地点までは行ってみましょう。それまでに単独でワニがいたらフルーが戦いなさい。なにもいなかったり、群れになっているワニしかいなければ大人しく引き上げます。それでいいね?」


「配慮に感謝する。今度は必ず私の力でワニを仕留めてみせよう。」


「ただし、不利に陥ったり、膠着してしまったら私の判断で介入するからね。」


「もちろん、それでかまわない。」


 一行はお昼休みを終えて、ギリムを先頭に再び歩き出した。

 指定した地点の少し手前、木道の左側には少し離れたところに大きな水面が見えてきた。

 波がなく凪いでいることから川ではなく池なのかもしれない。

 その凪いだ水面に波紋が広がると、ワニが岸に上がり近づいてきた。

 玲奈がフルーに戦うようにそれとなく促したが、ギリムがそれを止めた。


「レイナさん、こっちに向かってるのは一匹だけじゃねえな。後ろから何十匹もきやがる。こいつぁやべえぜ!」


「ああ、確かに多いね。数えてみると、全部で三十五匹か。また球の残りには余裕があるし、まずは私が対応するから。」


 前に出ようとするフルーを制して玲奈が一歩踏み出す。

 ワニは一番小柄で弱そうな個体の人間が先頭に出たせいか、勇んで身をくねらせ突き進む。

 三メートルまで近づくと相手にかじりつこうと大口を開いたところで、ワニの動きはパタリと止まった。

 なにが起きたのか知ることもなく突如絶命した。


「フルー、悪いね。後続のワニがたくさん来てるから、今はあなたの修行を優先できない。」


「マスターがそう判断するならやむを得ない。」


 戦いたがる素振りをみせていたフルーは引き下がった。

 玲奈はチラリと振り返って確認すると、ワニの死体をアイテムボックスに収納した。

 そのときには既に次のワニが上陸しようとしていた。

 ワニたちにはリーダーがおらず、連携して行動することもないようで、一匹が動くとそれにつられてまわりも追従して動く。

 個々には大きくウロコは硬く力が強いので、もし周りを取り囲むように動き一斉に接近されると対処が難しくなっただろう。

 しかし実際にはどの個体も一直線に列を作って近づいて来るだけで、順次玲奈から紡錘形の球を口腔内に撃ち込まれた。

 さしたる時間もかからず、この群れも死体の山を築いて壊滅した。

 フルーたちは棒立ちになっているところ、玲奈は淡々とワニの死体を並べ直して血抜きの準備を進めた。


「ギリム、周りにワニや他の魔物は残ってない?」


「ああ、俺がわかる範囲にゃワニどもは一匹もいねえよ。小さな虫ならあちこちにいるけどよ。」


「そっか、ありがとう! フルー、悪いけれどワニは近くにもういないみたい。」


 フルーはワニと再び戦う機会を逸して落胆したようだ。


「気を落としたところすまないけれど、フルー、血抜きを手伝ってくれない? スドンとギリムもよろしくね。」


「レイナさん、ちょっといいか?」


「ん、なに?」


「前の群れとあわせると今日狩ったワニは五十匹いってねえか?」


「うん、合計で五十二匹だね。」


「それなら冒険者協会で報奨金が出るぜ。」


「そうなの?」


「ああ、窓口で貼り出されていやがった。」


「でもワニ五十匹なんて運び込めないんじゃない?」


 ギリムはポケットから折りたたんだ紙切れを出した。

 彼の拙い字でメモが書かれている。


「右前脚の手首から先を切り取っておけばいいんだとよ。」


「そうなんだ! じゃあ、血抜きの後はそっちの作業をしなくちゃね。」


 玲奈はフルーたちにも手伝ってもらい、血抜きのほか、前の群れも含めてすべてのワニから右手首を切り落としてから迷宮を出た。

 既にお昼を大きく回り、山中で夜を迎えるのを避けるため急いでデュリシーの街に戻った。

 スタミナのないギリム、スピードのないズドンには辛い道中であったが、まだ日が沈まないうちにデュリシーの南門をくぐることができた。

 すぐに一行は冒険者協会の買取窓口に向かう。

 建物に入る前に玲奈は背負っていたバッグを手で持ち、代わりに矢筒を背負い、弓を肩にかけた。


「湿地の迷宮で魔物を狩って、素材をお持ちしました。買い取りをお願いします。」


 買取窓口で声をかけて魔法学園の学生証を見せ、彼女はバッグから取り出すフリをして、アイテムボックスから首を落としたヘビを二匹取り出した。

 状態の良好な個体を売却して残りは自家消費の予定だ。


「おお、ヘビだな。どちらも損傷が少ないし大きさも十分のようだな。よし、規定の満額で買い取ろう。」


 担当者であるいかつい初老の男は、持ち込まれたヘビを査定して玲奈に告げた。

 玲奈はバッグに手を入れて、アイテムボックスから取り出したワニの手首をつかんでテーブルの上に置いた。


「それと地下三階でワニを狩ってきまして。」


「ほう!」


「たしか五十匹以上だと報奨金をいただけると伺ったのですか?」


「ああ、たしかに五十匹ないし百匹以上だと報奨金を出しているぞ。ただなあ、ワニは群れを作るんだ。お前さんのように一匹ならなんとかなっても、群れに囲まれると上級者でもどうにもならん。悪いことは言わないから、群れに対応する方法を身につけてから挑んだ方がいいと思うぞ。」


「ご助言ありがとうございます。でも既に狩って持って来ているんですよ。」


「えっ、なんだって!」


「もう既にワニの手首を五十匹分以上持って来ています。ここに置いていいですか?」


 玲奈がバッグに手を入れて中から取り出す動作をすると、担当者はあわてて止めた。


「おい、ちょっと待て! 待ってくれ!」


 玲奈が手を止めると、担当者も落ち着いた。


「本当に五十匹以上持って来ているんだな?」


「ええ、本当です。」


「それなら場所を変えよう。ついて来てくれ!」


 担当者は玲奈をカウンターの奥に誘い、裏の通路に出て空いていた小部屋に案内された。

 フルーたち三人も続けて小部屋に入り、腰を下ろした玲奈の後ろに立つ。


「こちらのテーブルの上でよろしいですか?」


「ああ、頼む。」


 玲奈はバッグから取り出すフリでアイテムボックスからワニの手首を次々取り出して積んでいった。

 すぐにテーブルの上にはウロコと爪の小山が盛り上がり、血と泥の匂いが漂った。

 担当者は小声で、マジックアイテムかとつぶやく。

 彼女は聞こえないフリをして手首を取り出しながら、自分のアイテムボックスによる運搬量を平凡なバッグをマジックアイテムと誤認させてごまかすことができ、内心ほくそ笑んだ。


「これで全部です。ご確認ください。」


 担当者は山の頂上から手首を一つつまむと、表裏をしげしげと見た。

 他は詳細を見るまでもなく数え終わると口を開いた。


「確認したが、成獣の右前脚で間違いはない。全部で五十二匹だから報奨金の条件は満たしているな。」


「手首だけでワニってわかるんですか?」


「他の魔物とは区別がつくよ。大きさ、指の長さ、爪の形、見比べればわかるようになるぞ。」


「見るところ見ればわかるんですね?」


「そういうことだ。報奨金を取ってくるから、待っていてくれ。」


 担当者がそそくさと出て行った。

 玲奈たちは小部屋に取り残される。


「レイナさん、なんかすまねえ。俺が報奨金なんて言い出しちまったせいでよ。」


「ううん、受け取るかどうか判断したのは私。情報拾ってきたギリムを責めるつもりはないから安心して。」


「こんな部屋に押し込められて、めんどくせえことになっちまったな。」


「そうだね。でも私も考えはあるから。」


 そう言って玲奈は手に持ったバッグや肩にかけた弓をポンポンとたたく。


「夕方に長く時間がかかるのはかんべんしてもらいたいけれどね。」


 話しているうちに、先ほどの担当者が長身の中年男を連れて戻ってきた。

 彼の上役らしい長身の男は革袋を持っている。


「お待たせした。こちらが報奨金となる。」


 上役はテーブルの上に革袋を置き、玲奈は受領書にサインした。


「ありがとうございます。たしかに受け取りました。」


「こちらも助かった。三階まで降りてまとまった数のワニを狩る者が少なくてな。定期的に間引きの必要があるのはわかるだろう?」


「お役に立てたのなら幸いです。」


「四階も三階と同様の生物相になっている。五十と言わず、百匹狩ってもらえれば倍以上の報奨金が出るぞ。」


「それは手ごわい依頼ですね。機会がありましたら。」


「いやいや、五十匹でも大したものだ。湿地の迷宮は初めてだろう? よくぞ無傷でこれだけの成果をあげたものだな。」


「運が良かっただけです。」


「運もあったろうが、それだけではないだろう? どうやってワニを倒してのか教えてくれないか?」


「そうですね。飛び道具を使うこともあるとだけ。」


 そう言って玲奈は弓をかけた肩先にチラッと視線を動かす。


「私も弓をやってたが、ワニのウロコは厳しいんじゃないか?」


「はい、ウロコは弓で簡単には打ち抜けませんね。なので、ワニが近づいてかみつこうと口を開けたら、口の中を狙います。」


「至近距離になるな。怖くはないのか? というより、かなり危険だろう?」


「はずすと危険ですね。しかし私は魔法学園の学生なので、魔法を援用しています。」


「そうか、私は魔法が使えないので見当もつかないが、参考までにどうやるのかな?」


「そのあたりは、師匠から口外しないようにと。」


「ならばやむを得ないな。それと君はその若さでマジックアイテム持ちだそうだな。木道の補修や延伸で資材を大量に運び込む必要があるのだ。手を貸してはもらえないか?」


「今日、迷宮にはいってみて、木道の重要性は身に染みてわかります。名誉なことだとは思いますが、容量の限界もあるので、ご期待に沿うのは難しいかと。」


「いや、なにも資材のすべてを運んでくれというのではないよ。一部だけでも運んでくれれば助かる。もちろん工事は別の者がやるし、なんなら現場で護衛をつとめてもらえば相応の報酬を出そう。」


「せっかくですが、近日中こちらに伺う予定がないので、またの機会とさせてください。」


「そうか、残念であるな。今度来たときには是非最奥まで踏破を目指してくれたまえ。」


「いささか買いかぶりかと。」


「まあそのときに考えてみてくれ。しばらくこちらに来ることがないなら、これを機に支部長と顔合わせをしていかないか?」


「いえ、もう遅いですし、わざわざ時間を割いてもらうのも心苦しいので、私たちはそろそろ失礼しますね。」


 まだなにか言いたげな上役の男を残して、玲奈たちは冒険者協会のデュリシー支部を後にした。

 既に空は暗くなり始めていた。

 玲奈たちはどこにも寄らずに、真っ直ぐグレイナーの自宅に戻った。



 帰宅した玲奈を厨房で迎えたアメディアとダダクラは、ほとんど夕食の準備を終えていた。


「ただいま!」


「お帰りなさい、お嬢様。遅くなりましたね。」


「うん、あちらの冒険者協会でちょっと時間がかかっちゃってね。そのせいでなにも買えなかったよ。」


「それは大変でしたね。そろそろ夕食ができあがりますから、よろしければ食堂でお待ちください。」


「そうさせてもらおうかな。それと、迷宮ではおみやげ代わりにこんなもの持ってきたから、よければ後でさばいて!」


 玲奈はアイテムボックスからヘビを取り出して見せる。

 アメディアはその物体がなにであるかわかると、あとは料理に集中した。

 逆にダダクラは不思議とヘビに関心を持ったようで、おずおずと口を開いた。


「あの、お嬢様、もしよろしければ肉を取った後で、皮を俺にいただけませんか?」


「皮を? 別に構わないけれど、どうするの?」


「いや、模様が変わっているなあと思ったんで、アクセサリーに使えないかと思ったんです。」


 玲奈は自分の短剣が柄にヘビ皮を貼っていることを思い出した。


「バッグやポーチに使うのかな。私から提案するなら、剣やナイフの柄に使ってみない?」


「お嬢様がご希望なら、俺に異存はないです。剣の柄で使って、残りを俺のアクセに使わせてください。」


「うん、それでいいよ。」


 アメディアとダダクラの温かい料理を味わって食後まったりしていると、フルーが玲奈に話しかけてきた。


「マスター、デュリシーにはもう行かないつもりなのか?」


「いや、今日買い物できなかったから、近いうちにまた行くつもりだよ。」


「買い物も結構だが、ほかにもやり残したことがあるのではないか?」


「どうだろう? 湿地の迷宮にはやり残したことはないと思うよ。」


「手近な例で言えば、ワニ百匹なら次の機会で達成できるのではないか?」


「ワニの個々の強さや群れでの動きが今日のとおりなら、たしかに百匹倒すのも不可能ではないだろうけれど、既に五十匹倒しているのにさらに百匹倒すことに意義を感じないなあ。」


「マスターには大した敵ではないだろうが、今日戦ってみて力強さといい、ウロコの硬さといい、私にはかなりの難敵と感じたぞ。強者が対応するに値するだろう。」


 フルーが苦戦したワニを一撃で倒す魔法を続けて放つ能力は、もし敵に回すと厄介に感じるだろう。

 この魔法を極力知られないように公にせず使用を控えるべきだと玲奈は考えた。


「もし迷宮から魔物があふれ出るような状況なら、私としても助力するのにやぶさかでないね。でも平常時なら、地元の人たちにまかせて私たちは静観していたらいいと思うよ。」


「うむ、そうか。私の考えとは違うが、マスターがそう判断するならやむを得ないな。それでも次にデュリシーの冒険者協会に寄ったら支部長と面会すべきだと思う。それこそ平常時なら相手も拒まないだろう。」


「私は迷宮に入りたくないというより、その帰りに冒険者協会に寄るのが特に気が滅入るんだよね。そもそもなんで支部長に会わなくてはいけないか理解不可能だよ。」


「いや、支部長と面識があれば特別に指名依頼を受ける機会が増える。マスターなら難易度が高い案件もこなせるだろうから、遠からず高い名声を得るのではないか。」


「指名依頼なんて一番避けたい事態じゃないの! 一般に公募できない依頼なんて、単に敵が強いじゃすまないよ。」


「そうなのか?」


「そうよ! 敵が強いだけならいいけど、水中に棲んでいて毒を持っていてとか条件を著しく悪いんだと思うよ。もしくは貴族の利害が複雑に絡んで一筋縄ではいかないような案件とかね。」


「でもそれはマスターの想像だろ?」


「うん、実際に聞いたわけではないから予測でしかないよ。ても考えてみて。単に敵が強いだけなら地元の上位者が応募するだろうから、筋が違う話なんでしょ。」


「そうなのか?」


「そうでなかったら誰が手を挙げてとうにすませているでしょ。すんでいないということは条件が悪いか、割に合わないかということだと思うよ。私に起因することなら、魔法の能力が必須なのかもしれないね。」


「なるほど、話が見えてきた。」


「厄介なのは理解できるでしょ? 事前に予想はついたから、魔法による攻撃ではなく弓矢を使ったように誤認させたり、アイテムボックスの魔法でなくマジックアイテムのバッグで運んだように見せかけたのよ。」


「マスターの懸念は理解した。私より一歩先が見えてるのだな。」


「一歩先か後かっていうより、フルーと私は方向性が違うんだと思うけどね。」


 フルーがなにも言わなくなったので、早々に玲奈は自室に引っ込み、この日の旅の記録をノートに書き記して早めに就寝した。




 翌朝、いつもどおりまだ夜も明けない時刻に玲奈は目覚めた。

 前日の強行軍のためか、多少脚に筋肉痛があり体が重く感じ、時間がなくてクールダウンを行えなかった影響が残る。

 しかし、眠気はなかったので起き上がって着替え短剣を持って庭に出た。

 朝のひんやりした空気を胸いっぱいに吸い込みながら体をゆっくりほぐす。

 その後彼女は剣の素振りを始めたが、足が重い分、フットワークを意識して動いた。

 運動量が増えた分、いつもより早く息が上がってきたので、ほどほどのところで素振りは切り上げた。

 次に草の上に腰を下ろして瞑想した。

 目を閉じてゆったりした気分でいると、自然に呼吸が穏やかに整ってくる。

 落ち着いたところで、今度は自分の内側に意識を向けて魔力を感じ取り動かしてみる。

 およそ思いどおりに動かせることを確認してから、やおら立ち上がり魔法の鍛錬に取り組んだ。

 攻撃魔法に関しては前日の経験で威力の高いもの、前例のないものを大っぴらに使うことはリスクがあると痛感したため、しばらく生活魔法関連に重点を置くことにした。

 まだ朝晩寒い季節でもあり、水魔法と火魔法を同時行使することによりお湯を出せるようになることが目標である。

 右手から水魔法で水を、左手には火魔法で火を扱い、左右交互に魔法を使い、徐々に間隔を短くする練習をしばらく続けた。

 フルーたちが庭に出てきて、最後にギリムがあくびしながらフラフラやってきた。


「ギリム、朝食後に執務室においで! 時間ある?」


「ん? 別にかまわねえぞ。」


 まだ眠そうなギリムは生返事だった。


 ストレッチと朝食の後、ギリムが執務室に顔をのぞかせると、玲奈はなにやら紙を切っていた。


「お呼びでしょうか? ってなにやってんだよ?」


「ここに数字が書いてあるでしょ? これを使ってちょっとした遊びというか、鍛錬法を試してみようと思ったんだよ。」


 丸く小さく切り取られた紙には一桁の数字が書かれている。

 玲奈は残りを手早く切り取った。


「一から十までの紙切れが十枚あります。」


「おいおいレイナさん、いくら俺でもそのくらいのことはわかるって。なんなら足し算や引き算だってできるぜ。」


「最初の頃からずい分と進歩したね。今度は次の段階だよ。」


 そう言って玲奈は紙切れをかき混ぜて、不規則になるようにテーブルの上に並べた。


「数字がバラバラになるように置いたから、その中で一から十まで順番に見つけて指差すんだよ。」


 彼女は置かれた紙片をながめ回すと、一、二、三、四と順番に指差した。


「やり方はわかったよ。それは理解した。でもな、そんなことしてなんになるんだ?」


「まず眼を素早く細かく動かす練習ね。」


「たしかに眼は鍛えられそうだな。」


「それと頭も鍛えようと思ってるの。」


「アタマか?」


「うん、アタマ。ギリムが戦闘でナイフ投げるとき、とんでもない方向に飛んでいくのは肩に力が入り過ぎなんだよね。」


「いきなりなんだよ!」


「あれって魔物が怖いってこともあるけれど、目で見たり探知能力でつかんだ情報を頭で処理し切れなくて、パニックを起こしているんだと思うんだよ。だから能力を高めるため頭を鍛えようというわけ。」


「なんだかうまく言いくるめられた気分なんだが、レイナさんがなにを心配してるのかとか、なにを狙ってるかがわかった気がするぜ。」


「それなら大丈夫だね。じゃあ紙切れを数字の札として並べ直したら始めようか!」


 玲奈は再び紙切れを動かして位置を変え、号令をかけてギリムの訓練が始まった。

 ギリムは、玲奈の説明とテストプレイでなんとなくわかったつもりになり、すぐに軽くこなせると思っていた。

 しかし実際にやってみると初めてということもあり、なかなか探す札は見つからない。

 ギリムはイライラして思わずチクショウと悪態をついた。

 玲奈はギリムのイラつきを感じ取り、彼の背中をポンポンとたたいて落ち着かせる。


「焦らない焦らない。うまくいかなくても別に罰を与えたりしないからね。落ち着いて冷静にやれば大丈夫だよ。」


「す、すまねえ。」


 ギリムは一度目を閉じて深呼吸してから訓練を再開した。

 それでもすぐ上達するわけではなかったが、なんとかイラついたり声を荒げるようなことはなく、最後までやり切った。


「よくがんばった! 初めてにしては上々じゃない?」


「へへっ、そうかよ!」


「それじゃあ、札を置き直してもう一回挑戦してみよう!」


「えっ、今終わらせたばっかじゃねえか。もうやらねえでもいいだろ?」


「ギリム、疲れてヘトヘトになっちゃったかな?」


「さすがにそこまで疲れちゃいねえよ。」


「だったらもう一度やってみよう。その方が効果が早く表れると思うよ。」


「表れる効果ってなんのことだよ。」


「そうだなあ、大雑把に言うと、周りの状況がくっきりと素早く把握できるようになるかもね。」


「ふん、よくわからねえな。」


「戦いなら、相手が複数でも全個体の体の大きさや筋肉の動きを瞬時に読み取れるようになるかもね。そうなると、相手の出方を予想したり、効果的な作戦を思いつくかもしれないよ。」


「札を指差すだけで作戦を立てられるようになるのかよ?」


「それだけではならないね。」


「へっ! 意味ねえな。」


「すぐなれなくても、なるための第一歩、出発点には立つことができるって思ってる。」


「ずい分と気の長い話だな。」


「長い道のりを行くには早めに出発しないとね。」


「それで長い道を歩くのがなんで俺なんだよ?」


「ギリムは戦闘力が売り物ってわけではないでしょ? だったら別のなにか強みを磨いてはどうかなって思ったわけ。ギリムの場合、既に探知能力って強みがあるんだからそれを活かしたらいいんだよ。」


「俺としては今でも探知能力を活かしてるつもりなんだがな。」


「うん、活きてるよ。そしてもっと活かしたらいいと私は思ったんだ。探知能力をもっと鍛えて高度にしたり、派生して作戦とか指揮の能力を得るようにするとか、いろいろあるんじやない?」


「俺にそんな高度なことができるかっていうんだ!」


「今はできないよね。だから、これから身につけましょうって話なの。それにギリムだけでなく私も身につけたいから、やってみようと思っているんだ。ギリムも手伝ってくれるよね?」


「ハイハイ、わかったわかった。レイナさんの熱意はわかりましたよ。俺も手伝いますよ。」


「じゃあさっそくだけど、札を並べ直してくれるかな?」


 玲奈はギリムに数字の札を並べてもらい、順番に指差すトレーニングを始めた。

 玲奈が簡単そうに十まですませると、今度は札を並び替えてギリムが探す番となる。

 こうして二人は何度か役割を交代しながら、昼までトレーニングに励んだ。


「すげえ気疲れしたけど、ホントにこれで作戦とか思いつくようになるのかよ?」


「作戦そのものを生み出す力があるわけじゃないよ。作戦を立てるときに必要な情報をより速く正確につかむことを第一の目標としてるんだ。」


「なんだよ! うまい作戦思いつくようになるんじゃねえのかよ?」


「自動的に作戦が思い浮かぶようになるわけじゃない。頭の回転をよくすることで副次的に判断を早くするのが狙いなんだ。」


「作戦が上手くなるわけじゃねえんだな。」


「うん、どうやっても作戦を考えるのは自分の頭をひねるしかないよ。頭を使う際に少し楽ができるようになるって思って試してみてるんだけれどね。」


「じゃあ、俺が訓練する必要もなさそうだな。」


「知識よりとっさの判断力を養うのが主眼だからね。大部隊の参謀より、小さな冒険者パーティの後衛に向いていると思うんだけれどね。」


「今日やった限りでは、俺の能力に影響がありそうには思えねえぜ。」


「今日やった形で完成ではないからね。できるだけ良い効果が出るよう改良し続けるつもりだよ。」


「またロクでもないこと考えてんじゃねえだろうな。」


「考えているのはね、一から十までの順番でやっているのを十から一まで逆に数えるとか。あるいは十までだったのを二十までにするとか。」


「ほら、やっぱりロクでもねえな。」


「そう? ほかにもアイディアはあるんだ。たとえば、一つおきに一、三、五、七って数えていったり、二つおきに一、四、七、十って数えたり。」


「それ、明日からやるのかよ?」


「明日その場で考えればいいでしょ? 別に罰とかないんだから。それより食事にしましょう!」


 玲奈は複雑な表情をしたギリムを食堂に誘った。

 ギリムには言っていないが、彼女は自分がやっているときには魔力による視覚強化を試していた。

 瞳孔、水晶体、外眼筋、網膜、視神経と意識して魔力をまとわせて効果を確かめてみた。

 ルールを定めたゲーム形式だと効果が計りやすい。

 多少目に疲れを感じた玲奈は自分とギリムの目に治癒魔法をかけて食堂に向かった。


 食後、玲奈は再び庭に出て魔法の練習を始めた。

 火魔法と水魔法を交互に出して間隔を少しずつ詰める。

 多少疲労と手応えを感じるほど練習をこなした後、彼女は室内に引っ込んだ。

 裁縫室に顔を出すと、アメディアはいつものように針仕事に精を出したいたが、ダダクラは短剣を持ち込んでなにやら作業をしていた。


「ダダクラ、その短剣でなにをしてるの?」


「あっ、お嬢様、これはいただいたヘビの皮を剣の柄に貼っているところです。今日中になんとか仕上げますんで。」


「途中で構わないんで、ちょっと見せてくれる?」


 玲奈はダダクラから作業中の短剣を受け取る。

 まだ一部皮がはみ出していたり、末端が巻き切れてなかったりで未完成なところが目につく。

 はがさないように注意しながら、そっと柄を握ってみた。

 少し硬質で冷ややかな感触が手のひらから伝わってくる。

 彼女は自分の短剣の柄に小さなヘビの皮を巻いていて、共通するものを感じる。

 逆にウロコ一枚の大きさ、厚さが異なり、微妙な抵抗感の違いに現れている。

 それでも総じて握り心地は良好で、変な滑りやすさも違和感もなく、柄の素材として優秀なのかもしれない。

 なによりもヘビ皮の網目模様を斜めになるように貼り付けたダダクラのセンスにより、独特の禍々しさ、存在感があって、武器屋の店頭に飾ると目立ちそうだ。


「いいよ! 思った以上にいい! 時間は問わないから丁寧に仕上げてね。できが良ければ売ることも考えるから。」


「売りに出すんですか? それならちゃんと仕上げますよ。」


「夕食の準備と後片付けは私がやるから、ダダクラは根を詰めて夜更かしし過ぎないようにね。」



 翌日の朝食後、ダダクラは彼なりに柄を仕上げた短剣を取り出してみせた。

 手渡された玲奈は柄を握り、鞘をつけたまま構えてみる。

 構えや持ち方を少し変えてみて納得して一つうなずくと、彼女は短刀をフルーに渡した。

 フルーは鞘から剣を抜き、軽く数回振った。

 それで納得したのか剣を鞘に納めると、玲奈に手渡した。


「ダダクラ、私の感触では問題なさそうで売りに出しても大丈夫だと思うよ。フルーはどうだった?」


「握り心地も振ったときのバランスもおかしな点はなかったように感じる。私が実際に使うとしても不都合はないだろう。」


 玲奈は短剣を今度はスドンに渡した。


「スドンは刃を軽く磨いて! あとは念のため剣心と柄の軸にズレやねじれがないか見ておいてね。」


「うん、やってみる。」


 スドンは鍛冶場に行くと、それほど時間をかけずに磨きと最終チェックをすませた。

 短剣をスドンから受け取った玲奈は、グレイナーの城内に出かけた。

 黄色いワンピースで身を包み、アメディアに手早く編み込んでもらった髪をおさげにして、パンプスを履いている。

 彼女は城門をくぐると道具屋に行った。

 愛想のない店主は渡された短剣を手に取ってつまらなそうに見ていたが、剣を抜いて検分するとニヤリと笑った。


「こいつぁ面白れえ! 俺は剣に詳しいわけじゃねえが、真っ当な出来であるのは確かだ。」


「恐れ入ります。」


「店頭に飾っておけば目立つ。恐らく腰に帯びても目立つだろう。悪目立ちと言えるくれえにな。きっと物好きな御仁が目に留めて買うだろうよ。よしっ、少し色つけて買い取ってやるよ。」


「ありがとうございます!」


「じゃあ契約成立だな。それにしてもあんた、本職の武器屋じゃなく道具屋の俺っちになぜ持ち込んだ?」


「武器屋さんは剣の目利きの分、剣心の出来だけを見て、柄には目もくれないだろうと思ったからです。」


「ほう、なかなか戦略家のお嬢さんのようだ。それなら余計なお世話を焼かしてもらうが、俺っちのとこじゃ、剣よりナイフの方がずうっと売れるんだぜ。」


「なるほど、ご助言感謝します。」


 道具屋を出た玲奈は、短剣を売った代金の一部で串焼きやお菓子を買ってお昼前に帰宅した。

 一堂に集まって昼食をとった後、玲奈はダダクラに道具屋での首尾を話した。


「というわけで無事買い取ってもらえたし、次もあるかもね。」


「それはよかったです。」


「それからね、剣よりナイフの方が需要が多くて、すぐに売れそうなんだって。しばらくナイフを優先してもらえるかな。」


「はい、お嬢様の言われたとおりにします。」


「それとスドン、ナイフを先に十本ほど作ってダダクラに回してくれるかな?」


「うん、そうする。」


「私は明日王都に行くけれど、フルー、あなたも王都に行って学園の迷宮に入る?」


「なんだか微妙な言い方だな。マスターは入らないのか?」


「うん、そのつもり。騎士団に行く用事もあるから、時間が厳しいんだよね。アメディア、明日フルーたちにつき合ってくれないかな?」


「はい、私はかまわないのですが、午前中はお仕事がありますので午後からでよろしければ。」


「うん、それでいいから明日よろしくね! ギリムも付き添ってくれるかな。探知能力をあてにしてるよ。」


「ハイハイ、俺は戦闘がからきしなんで探知でお役に立ちますよ。」


「ギリムの能力をあてにしてのお願いだけど、四階のゴブリンや五階のコボルトは大きな群れを作るから気をつけて。戦うのは六匹までにして、七匹以上の場合や特異種や上位種がいる場合はすぐ撤退すること。」


「ああ、逃げるのはまかせてくれよ。」


「フルーは不本意かもしれないけれど、ギリムが撤退の判断をしたら私の判断だとみなして従うこと、万が一ケガがあったら治癒魔法を使うこと。」


「はい、かしこまりました。」




 翌日午前中、玲奈は火魔法と水魔法を交互に使う練習をした。

 お昼の片付けがすむと、玲奈はフルー、ギリム、アメディアを連れて王都に飛んだ。

 スドンとダダクラは残って生産にあたるよう指示を出した。

 王都では学園の迷宮に向かうフルーたちと待ち合わせ場所と時間を決めて別れ、玲奈は王立騎士団の詰所に顔を出した。

 定期的に買い取ってもらっているポーションを渡す。

 団長は不在だったが、受付に出た若い団員に受領書をもらい少し世間話をした。

 貴族街の入り口にあるせいか、団長が平民出身のためか、王立騎士団は平民を見下すこともなく心地よい。

 次に訪れた王立魔道士隊の詰所は貴族街の奥、というよりも王宮のすぐ手前にあるせいか、排他的でトゲトゲしい空気がある。

 玲奈はポーションを取り出すと、事務的に最小限な話をして受領書を受け取るとそそくさと退散した。

 帰り道、表通りをそれて薬屋に立ち寄り、ポーションを買い取ってもらう。

 もう一軒寄って売却をすませて、王都の門をくぐり学園を訪れ、図書館までやって来た。

 いつもの午前とは違い午後のこの時間帯は資料を探したり、筆写している人が何人も見受けられた。

 司書のクローカはカウンターでなにごとか対応していて手が離せそうにないので、玲奈はブラブラ開架式の書架を見て回る。

 魔法学園だけに魔法に関連した本が多い。

 試しに一冊取り出してめくってみる。

 当時の王族や有力貴族との交流が細かくかかれている。

 肝心の魔法については具体的なことは言及されず、褒賞を受けたことが大きく記載されていた。

 他のページを見ると別の人物のことが載っているが、家名が同じであることから親子や兄弟なのかもしれない。

 次に別の本に目を通す。

 魔道士隊の人物の記録のようで、魔物との戦いについての記述があった。

 しかし機密事項なのか、肝心の魔法の詳細をはじめ編成や装備についてはきれいに抜け落ちていた。

 予想された軽い失望を味わいながら本を書棚に戻し、別の本を取り出そうとしていると後ろから声がかかった。


「お嬢さん、なにをお探しです?」


 振り返ると、声音を使ってニンマリ笑うクローカが立っていた。


「あれっ、もういいの?」


「うん、用件のある人はすんだから今は大丈夫よ。それで、なにを探していたのかしら?」


「剣について書かれた本がないかと。」


「ケン? ケン、剣、剣ね? レイナさんは前にも剣って言ってなかった?」


「言ってました。あれは剣術とか剣技で、今度は武器や装備品としての剣なんです。」


「相変わらずね。」


「以前伺った折に、剣の技術的な事項を書いた本はなかったと記憶しています。なので剣の製法や素材について書かれた本はないと覚悟しています。」


「検索していないので断言はできないけれども、剣の作り方は鍛冶屋に聞けばいいって考えで、恐らく本はないんじゃないかな。」


「でしょうね。私は配下の一人に鍛冶をやらせているので、剣に求められているものや、理想とされる剣の像がつかめればと願ってます。」


「なるほどね。レイナさん、すっかり武闘派だね。」


「私が、ではないですよ。配下が剣を打つので、ときに売りに出すので。それで、剣の名人、達人と言われたかつての偉人はどんな装備をしていたのか、当時の人々が剣をどのように見ていたか知りたいのです。」


「わかったわ。では剣を扱っていた過去の偉人の記録を探してみましょう。」


 クローカは先に立って別の棚に玲奈を連れて行く。


「と言っても、刺客や傭兵の記録はないわよ。騎士団関係の冊子を調べてみるね。騎士だと剣よりも槍を使うことが多いかもしれなきけれども。」


「はい、それでけっこうです。」


 クローカは書棚を見渡していっさつを取り出すと、パラパラとめくっては棚に戻し、別な本を取り出してまためくるを繰り返している。

 しばらく見た後、選んだ二冊を玲奈に示す。


「このあたりはどうかしら。パッと見た限り、装備についてもそれなりに記述があるみたいよ。」


「ありがとうございます。帰宅したら読み込んでみますね。」


 受け取った本を胸に抱いて玲奈は頭を軽く下げ、にっこり微笑んだ。

 思わずクローカは玲奈の頭を撫でたくなったが、思いとどまり微笑みを返した。


「レイナさんは丹念に読んで活用してくれるから、こちらも貸す甲斐があるわ。」


「貸してもらえるだけありがたいです。ところで、スプリーン教授は?」


「教授は一度帰ってきたのよ。でもハズレだったって言って、すぐにまた出かけてしまったの。今度は西方辺境伯様の領地に出かけているはずよ。」


「そうだったんですね。あのあたりには私も行きました。なんとなく古い事物が埋まってるような気がします。」


「実際はハズレってことが多いのよね。レイナさんはその後、どこか出かけた?」


「ええ、グリスターからお隣りの領主の領都まで行きましたよ。」


「川を渡ってではなく、陸路で?」


「はい、途中から乗合馬車に乗りました。」


「それならオグレダリカ伯爵のナウスガルスってところね。」


「そこです! 実際に行った私よりクローカさんの方がスラスラ地名が出て来ますね。」


「王都でもあのあたりはよく知られているから。レイナさんもあちらが服飾の本場であることはご存知よね?」


「ええ、そのつもりで行ったのに、日程の都合であまりお買い物できなかったんですよ。近いうちにまた行きたいですね。」


「そういえば今、私が履いているこのスカート、これもあちらから服地を取り寄せて仕立てたの。」


 クローカは赤というよりエンジ色に近いロングスカートのプリーツを指で軽くつまむ。


「わぁ、きれいな色ですね! それになめらかな生地なのにプリーツがきれいに出ていて、服地、仕立てとも素敵です。クローカさんによく似合ってますよ、」


「うふふ、ありがとう!」


「今度行ったときは服地も見てみようかな。」


「時間の余裕を見ておくとよさそうね。それと、ジニア様と会ってきては?」


「ジニア様、ですか?」


「前にも話したように、ジニア様は王家の長女で伯爵家の跡取りに嫁いでいるの。それに、あなたや私の先輩でもあるのよ。」


「えっ!」


 思わぬ筋から学園と王族を結びつける人物の名が出て、玲奈は思わず小さなうめき声をもらす。


「ジニア様は私の二つ上で、幼少期から王宮魔道士から手ほどきされたのか、学園に入ったときには教授陣をしてなにも教えることはないと言わしめたそうよ。相手の都合によるけど、謁見を求めてみては?」


「いやいや、雲の上の人ですよ。」


「そうでもないんじゃない? 後輩の動向は気になるでしょ。その中で自分の代でもいなかった新魔法の開発者が訪ねてきたら興味を持つと思うわよ。ひょっとしてしたら既にもう興味津々かもね。」


「うっ、でも、そんな才能があって恵まれた地位にいて安泰な立場の人がわざわざ私に関心を持つとは思えないです。」


「さてどうだか。みやげ話を楽しみにしているよ。」


 玲奈は多少の混乱と当惑を胸にかかえて図書館から出てきた。

 研究棟に向かいスケルター教授の研究室に出向く。

 珍しくスケルター教授は不在で、玲奈は騎士団と魔道士隊の詰所で受け取った受領書をポストに入れて立ち去った。

 待ち合わせの時間はまだだったので、購買でブラブラして売っている装備品や道具を見る。

 杖は安い初級品から値が張るものまであるが、玲奈は自分が杖を使わないため関心がなくスルーする。

 魔道具を一通り見ると、初歩的な物が多く、あまり高価な物は置いていない。

 説明書きを読むと、火を点けたり水を注いだりする生活用の魔道具が多い。

 彼女の感覚では、単純に火や水が必要なら魔法を使えばいいと考えるが、魔法の使えない従者に使わせるか、魔法使い本人でも戦闘に備えて魔力を節約するためなのだろうか。

 内部を見てみたかったが、試しに魔力をわずかに注ぐと中で反応するものがある。

 何度か繰り返して全景をつかむと、回路に組み込まれた魔法陣だと判明した。

 彼女はミセリ教授から習ったので簡単な魔法陣なら読み解ける。

 いろんな魔道具に組み込まれた魔法陣を見比べると、それぞれに設計思想がうかがえて面白い。

 しばらく楽しむと待ち合わせの時間が近づいたので、彼女は購買を出てロビーに向かう。

 彼女がロビーに着くとまもなくフルーたちが引き上げてきた。


「やあマスター! 待たせてしまったから?」


「私も今来たところだよ。」


 見ると、フルーはいつものとおり無表情で、アメディアは淡々としているが、ギリムは気疲れした様子だ。


「お茶飲みながら話聞くよ。その後のお買い物の都合もあるから皇都に行こう!」


「はい! 承知しました、お嬢様。」


 アメディアが機先を制して発言して、すぐに皇都まで飛ぶことにした。


 皇都では軽食の店で空いている席を見つけて入ったが、いつも店を探しているギリムがお疲れなので、代わりに玲奈が探して大通りを一本入ったところで席をみつけた。

 空腹でないというフルーとアメディアはお茶だけだが、それ加えて玲奈はクッキーを頼んだ。


「ギリムもなにか頼みなよ。疲れているなら甘いものにしたら?」


「それじゃ、濃い味付けの串焼き!」


「このお店にはないって。」


「しかたねえな、木の実か果物が入ったヤツを頼む。」


 玲奈がギリムに代わってフルーツケーキを注文した。

 ギリムはボソボソとした声で迷宮でのことを話したが、お菓子が出てくると玲奈とともに黙々と食べた。

 ガツガツと先に食べ終えた彼はお茶を一気に飲み干すと再び口を開いた。


「ふぅ、ちょっといいか? 今日のことだけど、レイナさんの言うとおりやろうとしたら、すげえ大変だったんだぞ。」


「危ない目にあった?」


「いや大して危ない目にゃあってねえけどよ。パーティが進むか退くか俺が判断しなきゃなんねえんだぞ。」


「なるほど、判断に迷った場面があったんだ?」


「いや、せいぜいゴブリンが五匹のちっこい群れしか出なかったんたけど、次に出たのが十二、三匹だったんで退いたんだよ。」


「うんうん、大変だったね。」


「そりゃかまわねえんだよ。問題は、フルーに退けって言ったって、言うこと聞くかどうかなんだよ。」


「彼は言うこと聞かなかったの?」


「いや、レイナさんの言いつけだって言ったら黙って従ったぜ。戦いたそうだったけどな。」


「なら問題ないんじゃない。」


「いやいや、今回は十匹超えてたからいいけどよ、七匹とか八匹だったらごねたかもしれねえぜ。そう思うと心労がすげえんだ。」


「ギリムには苦労をかけるね。でも少しずつ慣れるよ。」


「おい! またやらせる気かよ?」


「ふふっ、機会があったらね。」


 玲奈もクッキーを食べ終わったので、一行は立ち上がり通りに出た。

 帰宅する前に古着を買う予定で歩き出した。

 玲奈はギリムに念話の魔法をかけて別行動を取らせた。

 にぎやかな表通りに出て露店で古着やアクセサリーを手に取って見ていると、アメディアが玲奈に近寄り小声で尋ねた。


「お嬢様、ギリムという男を野放しにしていいのですか?」


「えっ、あっ、うん、私から頼んで珍しくものを探したり、耳よりな話を聞いて回ってもらってんだよ。」


「先ほどはずい分と失礼な物言いをしているのが耳にはいったのですが、よろしいのですか?」


「うん、敬語使わなくっていいと許可しているし、自由に意見してもかまわないって公言しているからね。それはアメディアに対しても同じだよ。」


「ありがたいことだと思いますが、それをいいことにつけ上がるのは別です。私の方が新参ですが、彼は生産でも戦闘でも役に立っているわけでもないのに、フラフラしてばかりいます。」


「それでいいと私が許しているんだよ。代わりにいろいろ情報を集めてもらってね。あの話し方、接し方だから、私には聞き出せないようなことを引き出したりもできるんだし。」


「はぁ、そんなものですか。」


「うん、それぞれ持ち味が違うからね。もちろんアメディアも頼りにしているよ。」


「私のことに関しては感謝しております。」


「時間が許せば、買い物とかで街に行くときはアメディアも一緒に行こう!」


「お嬢様にはかないませんね。」


 アメディアをなだめつつ、手と目を動かして古着を四着、五着と買い集め、途中でギリムと合流して、夕方前にはグレイナーの自宅に戻った。


 それから二日間、玲奈は借りてきた本を読み、合間に魔法の練習をし、ときには剣を振ったり弓を引いたりした。

 その間にスドンは剣やナイフをたたき、ダダクラが柄にヘビ皮を巻いていった。

 三日目の朝に一振りの短剣、五本のナイフが完成して、午後になると玲奈はアメディアを連れてグレイナーの城内に出かけた。

 同じ時刻、フルー、スドン、ギリムの三人はゴーレムの迷宮に入った。


 最初に玲奈たちは、先日短剣を買い取ってもらった道具屋に立ち寄った。


「おう、嬢ちゃんか! あの剣は案の定、目をつけたヤツがすぐに現れてその日のうちに売れたぜ。」


「お陰さまです。今日はあいにく剣でなくナイフをお持ちしたのですが。」


「わかってるじゃねえか! ナイフの方が売りやすくて助かるってものよ。」


 ナイフを五本とも買い取ってもらい、次に彼女たちは商業組合に向かった。

 武器屋と薬屋を調べて、まだ行ったことのない店を一軒ずつ見つけて訪れることにした。

 どちらの店も街の西側にあり、東門の外に居を構える玲奈にはなじみの薄い地域だ。

 商業組合で写した地図を頼りに歩いたが、武器屋は比較的わかりやすい場所にあり、迷うことなく行き着いた。


「自作の短剣を持参したのですが、買い取っていただけませんか?」


 目つきの鋭いやせた店主にヘビ皮の柄の剣を渡す。

 店主はまず剣を抜いて剣心や刃を確かめて、剣を鞘に納めて柄を見た。


「なかなか興味深いな。剣そのものはしっかり水準に達していて、柄で変化をつけたのか。」


 店主は鋭い目つきのまま、口角を少しだけ上げた。


「いいだろう。気持ちだけだが色つけて買い取るぞ。」


「ありがとうございます!」


「きちんと仕上げて一点だけ個性を表した武具なら面白いな。自信作ができたら、また持ってこい!」


「はい、また伺います。」


 剣とナイフがすべて売れて気が楽になった玲奈は足取りも軽く最後の薬屋に向かった。

 薬屋も比較的わかりやすい場所にあり、簡単な地図で難なくたどり着いた。

 店の前で商人らしき二人の男と少女がなにか話をしているのが目に入ったが、玲奈は気に留めず薬屋のドアを開けた。

 店主と交渉して持参したポーションを二本買い取ってもらった。

 ホクホク顔で玲奈が外に出ると、男たちは立ち去ったのか姿が見当たらず、少女が一人うつろな表情で立ちつくしていた。

 これは以前王都で見た光景に似ている。

 あれは別の少女が病気の弟を治す薬を探していた。

 今回はどのような事態なのだろうか。


 少女は薬屋から出てきた玲奈と目が合うと一瞬ひるんだような顔を見せたが、意を決したように玲奈に近づいて話しかけてきた。


「あの、一つお願いがあるのですが、母がひどいケガをしてしまったので、お薬を譲っていただけないでしょうか?」


 深々と下げた頭を上げ、玲奈を見上げる瞳は真っ赤で涙がたまっていた。

 アメディアが玲奈の左袖をそっと引いて、無言の意見具申を行う。

 理性はアメディアに従うことを勧めていたが、すがるような涙目に見つめられて退路を絶たれた気持ちになった。


「私たちは薬屋に取引しているように、多少の薬なら融通できるかもしれません。お母様の容態を教えてくれませんか?」


「母はケガが元で具合が悪くなって、今は家で寝ています。足をケガをした後、手当てをしたのですが、傷が膿んで熱が出て起きられなくなりました。」


 母親のことを語る少女は震えていた。

 玲奈は安心できる言葉をかけてあげたかったが、聞く限り症状は安閑とできるものとは思えない。

 アメディアが再び左袖を軽く引くが、玲奈が唇に人差し指を当てると諦めたように小さくうなずいた。


「お母様の様子を見るから、お家に連れて行ってくださいね。正直に言って状態は良くなさそうだけれど、できるだけのことはしてみるから。」


 少女はもう一度深々と頭を下げると、先導して歩き始めた。

 ほっそりしたシルエットは十歳か十一歳に見える。

 少女はいったん東門から続く大通りに出て、すぐ南側の小路に入る。

 大通りの北側は貴族や聖職者の住まいが建っているが、南側は商人や職人が多く暮らしている。

 道々涙声の少女から彼女の境遇を聞き出した。

 それによると、少女の父親は行商人をしていたが、二年ほど前に急病で亡くなったそうだ。

 それからは母親がなじみの商店から仕事をもらい、配達や連絡、御用聞き、売掛の回収などをして糊口をしのいできたとのことだ。

 話しているうちに少女の家に着いた。

 大通りからかなり入ったところにある簡素な平家に少女は入った。

 続いて玲奈が戸をくぐるとき、彼女は後ろのアメディアを振り返った。


「さっきは止めてくれてありがとう。でも今は力を貸して!」


「お嬢様のお望みのままに。」


 二部屋あるうち奥の部屋で病人はベッドに横たわっていた。

 苦しげな表情を浮かべた顔は土気色で、呼吸は荒く意識がもうろうとし始めている。

 足の傷口から細菌による感染が広まり全身に症状が及び始めたようで、予断を許さない。

 この時点で玲奈はポーションによる治療ではなく、魔法を複合的に使った治療を試みることにした。


「これからお母様を魔法によって治療します。ここで見たことは他言無用でお願いしますね。」


 魔法による治療という言葉に少女は虚を突かれたように目を見開いたが、あわててコクコクとうなずいた。

 玲奈は懐から手ぬぐいを取り出し、開いて三角に折り直して口と鼻の周りに巻いた。

 アメディアもならって同じように自分の手ぬぐいを巻く。

 玲奈はもう一枚手ぬぐいを取り出しアメディアに渡して、熱が出て額に汗が浮かんだ病人の顔を拭くよう指示した。


「痛めた箇所はどこになりますか?」


「右足の親指です。」


「それでは脱がせますね。」


 玲奈は病人のすぐそばまでにじり寄り、顔をのぞき込んで声をかけた。


「お嬢さんの案内で参ったレイナと申します。これから足の治療を行います。痛みが出るかもしれませんが、少しの間こらえてください。」


 病人は玲奈の呼びかけが聞こえたのか、薄っすらと目を開けた。

 玲奈を映す青い瞳は焦点が定まっていないようだ。

 唇がわずかに動いてなにか言おうとしたが、かすれて声にならない。

 病人の無言の負託に応えようと、玲奈は大きくうなずいてみせた。

 失礼しますと断って、かけていた毛布をまくり、パンツの右裾をたくし上げた。

 ふくらはぎにむくみがあるのか、まくるのに少々引っかかる。

 次にソックスを脱がせると親指には包帯代わりの布がキツく巻かれ、血がにじんだのか一部が茶褐色に染まっている。

 布を取ると、指の前半分が紫や茶色に変色し、手ぬぐい越しでも腐臭が鼻を突く。

 改めて患部の状態をよく観察して、自分が治癒に使える魔法を再確認してみる。

 神聖魔法の小治癒はケガした箇所の回復、自己治癒能力の向上をもたらす。

 単純な切り傷、すり傷ならいいが、感染症を併発している場合、細菌の増殖を促しかねない。

 使いどころに注意が必要だ。

 解毒やしびれ治癒の魔法なら毒素や原因物質の分解促進の効果があるものの、生きた細菌を分解できない。

 最後に浄化魔法があるが、玲奈はこの魔法を実際に使ったことがない。

 指導を受けた神官から効果について説明はなかったが、たとえばアンデッド系魔物や腐乱死体に使うものと想像している。

 その想像が正しければこの病人の病状に有効かもしれない。

 それでもいきなり生体で試すようなことになることに玲奈はためらいを感じた。


「私たちは全力で治療にあたりますが、正直お母様の容態は楽観を許しません。また助かったとしても右足に障害が残る恐れがあることを理解してください。」


 多少酷なことを告げている自覚が玲奈にはあったが、かえって少女は覚悟が定まったようで、涙をたたえていた目に強い光を宿して、きっぱりと言った。


「母はこのままでは助からなかったでしょう。手を差し伸べていただいて感謝しかありません。結果がどうなっても、決して恨みになど思いませんので、どうか思うまま腕を振るってください。」


 少女の言葉に玲奈は改めて気合を入れ直した。


「アメディア、始めるよ!」


「はい、私はなにをすればよろしいですか?」


「つま先の傷んだ部分に私が魔法をかけて取り除くから、無事な部分が出血したら合図をだすので、親指の付け根に治癒魔法をかけてみて。」


「なるほど、わかりました。」


「私の腕では二種類以上の神聖魔法は同時に使えないので、アメディアを頼りにしているよ。」


「ご期待に添えるように努めます。」


 玲奈は全身の活性化と免疫機能の向上を狙って、光属性付与魔法の呪文を唱えた。

 母親の体が一瞬光に包まれ、思わず少女が息を飲む。

 次に毒素の影響を和らげるため、解毒魔法を全身に付与する。

 そのうえで患部の治療に取りかかった。

 呪文を唱えて慎重に浄化魔法を発動させる。

 腫れて変色し大きく膨らんだ右足の親指の先に少しずつ魔力を当てて、変化を確認し、また魔力を当ててを繰り返す。

 しばらくすると膿んで膨れた部分がしぼみ腫れがひいてきたが、痛いのか病人からうめき声が漏れる。


「アメディア、お願い!」


「はい!」


 アメディアの助けで小治癒も交えて、あわてず治療を進め悪くなった箇所の除去をようやく終えた。

 さらに細菌や毒素が残存しないように広めに浄化と解毒の魔法をかけた。

 最後にベッド周りを浄化してこの日の治療を終えた玲奈は緊張が解けるとドッと疲れを感じた。

 母親も痛みを伴う治療でぐったりとして声も出ない。

 玲奈はまずアメディアを小声でねぎらい、振り返って少女に向かい合った。


「今日できる限りの治療は試みて、悪くなった箇所は取り除きました。ただ思ったより深くまで傷んでいたため、回復具合によっては歩くのに不自由となるかもしれません。私の力不足です。申し訳ありません。」


「とんでもありません。後ろで見ていてあなたがどれだけ細心の注意を払い、手間をかけて治療していただいたとこか! いくら感謝しても感謝し切れません。」


 多少疲れても玲奈には少女の反応はオーバーに思えてこそばゆく感じてきたので、アメディアに合図して引き上げることにした。


「どうかお大事にしてください。また明日様子を見に伺いますよ。あっ、そうそう、もし夜中に痛みが出たらこれを飲ませてくださいね。」


 ポーションを一本渡し、手を振って少女の家を後にした。

 少女は玲奈たちが路地を曲がり見えなくなるまで深々と頭を下げ続けた。


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― 新着の感想 ―
[一言] 一話が長いですね~。 現在歯茎が痛いです。 頻繁に痛み止めを飲んで過ごしてます。 玲奈さんに治療してほしい。
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