第十話 見る
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「よう、真邏。調子はどうよ」
局舎の一階に設けられた喫煙所にて、以前まで同じ課で働いていた監査官の同僚・吉祥安悟が薄ら笑いを浮かべて話しかけてきた。
タバコの煙があちらこちらで燻っているが、煙たさは一切ない。
有害物質を99.9%分解可能なフィルターを搭載した換気扇の設置と、自動洗浄効果を持った特殊建材の導入によって、前時代的な退廃的空気感は、その面影すら残されていない。
これも『阿頼耶識』による恩恵の一つだが、どれだけ時代が進んでも人は有害物質の摂取をやめることはできないらしい。
逆に、不可逆的な身体への悪影響を排除する方向で進歩しているのだから因果な者である。
「吉祥か。久しぶりだな」
「おうよ。お前と妙典が異動になってびっくらぽんよ——ところでライターかしてくんない?」
「ほらよ。毎回毎回忘れやがって」
ライターを投げてよこすと、受け取った安悟は口に咥えたタバコに火を点けて、うまそうに吸い始めた。
「ありがとな。お前、ここじゃあレアキャラだから全然会わねえもんな。なに? 悩み事?」
「ああ、まあ」
俺はあまりタバコは吸わない。特にみくにと一緒に行動をするようになって以降は彼女の目の前では吸わないように心がけていた。
吸うときは大抵、行き詰った時。
何にも考えたくないときだけだ。
「相変わらずお前はきついの吸ってるな」
「これくらいきついほうがキマるんだ」
「バカになれる、じゃなかったか?」
「妙典に注意されてな。教育に悪いと」
「は? なんだそりゃ」
吉祥の疑問を無視して、俺は煙を口の中で燻らせる。
ゆっくりと肺に落としていくと、頭にニコチンが回っていくのを感じる。
全身をめぐる血流の感覚に身を浸す。
ああ。いい。何も考えなくていい。
全身が宙に浮くような感覚のその不快さも、今の俺には逆に心地よかった。
「相変わらず変態だな」
吉祥が奇妙なものを見るような目をして言ってくるが、そんなものは無視だ。
失礼な奴め。
「ところでお前、今何してんだ?」
ちょうど一本を吸い終わるタイミング。吉祥は見計らったように問うてきた。
「局長室付けとは聞いたが」
「あんまり詳しいことは話せん」
「おいおい。隠し立てはなしだぞ」
「お前も官僚なら少しはわかるだろ」
「いや、だったら噓くらいつけよ……」
「そういうのは苦手だ」
だから普段同僚には会わない様に気を配っている。
間抜けではないと思うが、油断して変なことをポロっとこぼしてしまったらと思うとどうしても、な。
「あの噂は本当か?」
「噂?」
二本目に火を点けようとしたところで、手が止まる。
噂、だと? みくにのことが知られてしまっている?
一瞬情報漏洩が頭よ過った。が、よく考えてみたら当然のことかもしれない。
俺も異動になる前に、『ノゥバディ』の噂は聞いていたのだから。
「お前は本当に分かりやすい」
吉祥は俺にしか聞こえない声量で呟く。
わかりやすい、か。官僚失格だな。
「『ノゥバディ』の監査官になったんだな」
「噂になっているのか?」
「いや、俺の推測だ。少なくとも俺の知っている範囲では噂にはなっていない」
こいつ、カマかけやがったな。
俺が睨むと、吉祥は意にも返していないと言うようにタバコの煙を吐き出す。
「そういうとこ、直したほうがいい。今後命取りになるぞ」
タバコを口に運びながら、「これで同期の中では一番の出世頭だというのだから、分らんもんだ」と続けやがった。
「ご忠告どうも」
「本当に分かってるのかね」
官僚にとって少しの隙が命取りだ。
魑魅魍魎が跋扈する伏魔殿こと霞が関においては、俺みたいなやつが一番狙われやすいのだということも。
その点、吉祥はそつがない。
いつもひょうひょうとしていてほんのわずかの隙すら見せない。
こいつには言っていないが(言うつもりもないが)、俺はこいつの立ち回りをまねている節が大いにある。
「お前、今俺のことを自分とは逆だと思っただろ」
「何のことやら」
「下手だね。ごまかすのが」
こいつは本当に人のことを見ている。そこが見習うべき点であり、腹立たしい点でもあるのだが。
俺が憮然とした表情で二本目のタバコに火を点けると、吉祥はクツクツと笑い出した。
「お前が周りを見ていなさすぎるだけだよ」
「どういうことだ?」
吉祥を見やる。
すると、隠す様子もなく続きの言葉を吐いた。
「お前は優秀だ。頭も回る」
「褒めるな。気持ち悪いな」
「茶化すな。素直に受け取れ」
一口煙を吸って吐いてから、続きを口にする。
「だが一生懸命過ぎる。適当さがない」
意味が解らなかった。俺の勤務態度はどちらかと言えば不真面目な部類だと思う。
「お前の化けの皮なんて見抜いてるやつは見抜いてるぞ」
「は?」
「お前は不真面目なんじゃない。あえてそうあろうとしているだけだ」
言葉を探す。けれども何も出てこない。
「そういうとこそういうとこ。お前、ちゃんと答えようとしてんだろ」
不真面目な奴はすぐはぐらかす言葉が吐けるんだよ、と。
「お前は人をなめ腐ったような態度をすぐとるが、その実大事だと思ったところでははぐらかさない。心当たりくらいあるだろ?」
吉祥は言う。そう言われても、俺には何のことだかさっぱりであった。
そんな俺の様子に、吉祥はあきれたようにため息を吐いた。
「まあ、分かってたらそんな反応にはならんか」
何も言えない。吉祥の言うとおり、俺は俺をうまく定義づけられてはいない。きっと吉祥が正しい。なぜなら俺は反論一つできていないのだから。
「もっと周りを見給え、真邏くん。そしたら自分も見えてくるさ」
それだけ言うと、吉祥はタバコを消して禁煙室から出ていった。
あとに残された俺は、吉祥の言葉を頭の中で反芻しながら三本目のタバコに火を点けた。




