36 不器用なマイフェアレディ 3
チェスター伯爵邸の広大な庭園を見渡す、開放的なテラス席。陽光を浴びて咲きこぼれる薔薇に囲まれたその場所で、アリスの社交界デビューの練習となる「小さなお茶会」が開かれようとしていた。
「緊張なさらなくても大丈夫ですよ、アリス嬢。今日の主催は私の姉ですから」
優雅にティーカップを傾けながら微笑むのは、チェスター伯爵家の次男オリバーだ。
「は、はいっ!」
仕立ての美しいドレスに身を包んだアリスは、かちこちに緊張している。
オリバーの隣には、ノアの妹であるカーライル侯爵家の末娘——エレナが座っていた。
「そうですよ、アリスお義姉様! あ、まだ『お義姉様』とお呼びしてはダメでしたかしら? でも私、ずーっとお会いしたかったんです! あの兄様を骨抜きになさった女性が、どんな方なのかしらって!」
ノアを思わせる整った顔立ちだが、兄とは正反対の活発で愛らしい瞳を輝かせ、エレナが身を乗り出す。
「フン……言葉の選択が不適切だ、エレナ。骨抜きになったのではない。脳内の処理容量と視覚能力のすべてを、アリスの保護と最適化に割り当てているだけだ」
テラスの壁側に立ち、腕を組んで不機嫌そうに空論をのたまうのは、もちろんノアだ。動揺を必死に隠しながら、眼鏡のブリッジをくいと押し上げている。
「はいはい、理屈っぽい兄様の言い訳は無視しましょうね」
エレナがあっけらかんと笑い飛ばすと、アリスの肩の力もふっと抜けた。
「ふふ、皆様本当にお仲がよろしいのね」
鈴を転がすような、品格に満ちた声が響く。
テーブルの上座に腰掛けていたのは、オリバーの姉であり、このサロンを仕切るチェスター伯爵家の長女——クラリッサだった。 クラリッサは、弟のオリバーにどこか似た穏やかで美しい笑みをたたえ、アリスに優しく視線を注ぐ。
「初めまして、アリス嬢。私はクラリッサ・チェスターですわ。ノア様やオリバーからお話は伺っております。我が家のお庭師になってくださったご家族共々、歓迎いたしますわ」
「は、初めまして、クラリッサ様……! 本日はお招きいただき、ありがとうございます…!」
アリスが練習通りに背筋を伸ばし、その体幹を生かしたぎこちなくも綺麗な淑女のお辞儀を披露すると、クラリッサは満足そうに目を細めた。
(……なんて素敵な人だろう)
上品で、温かくて、頼もしい。アリスがクラリッサの包容力にほっと胸を撫で下ろした、その時だった。
「さて……ここからは淑女だけのティータイムですわ。男性方は席を外していただけます? ノア様も、あまり壁際で睨みをきかせていると、美味しい紅茶が冷めてしまいますわよ」
クラリッサが柔らかな、しかし拒絶を許さない笑顔で促す。
「……フン。茶会が終わるまでは離れるが、何かあればすぐに叫べ。ひと呼吸で駆けつける」
ノアは不機嫌そうに眼鏡のブリッジを押し上げつつ退散し、オリバーも「ではアリス嬢、姉上に任せてごゆっくり」と笑いながら連れ立って去っていった。
クラリッサが「あらあら、過保護ねえ……」と扇子を口元に当てて微笑み、エレナが「あーあ、頭の固い兄様がいなくなってスッキリしましたわ!」と無邪気に笑った、その直後だった。
「——ごきげんよう、皆様。クラリッサ様、本日は素敵なお茶会にお招きいただき、光栄に存じますわ」
自慢の金髪を艶やかに巻き上げ、隙のないドレスを着こなした美貌の淑女——ビクトリア・モンゴメリー伯爵令嬢が、取り巻きを従えて足を踏み入れた。
(……モンゴメリー伯爵家からの強い申し出を断りきれずお招きしたけれど、ずいぶん早いお着きですこと)
クラリッサは笑みを崩さないまま心中でため息をつく。格式高いモンゴメリー家からの打診を無下に断ることは、社交界の義理上難しかったのだ。
ビクトリアは洗練された動作で一礼すると、アリスへと優美な視線を向けた。
「まあ……そちらが噂の、新しいお庭師のご家族の方ですのね。ノア様の寛大な御心には感服いたしますわ。ですけれど……こういった高貴なサロンでの振る舞いは一朝一夕で身につくものではございませんでしょう? よろしければ、私どもの席で淑女の嗜みについて、じっくりとお教えしましょうか?」
完璧なマナーで包み隠されたマウント。取り巻きたちが扇子で口元を隠し、優雅に微笑み合う。 エレナが「ちょっと、ビクトリア様……!」と眉をひそめて助け舟を出そうとした瞬間——クラリッサが静かに優雅な手つきでそれを制した。
(貴族の間で嫌味のやりとりなんて日常茶飯事。
……アリス嬢、この程度で呑まれてもらっては困りますわよ?)
クラリッサは静観を決め、アリスの出方を見守る。アリスはぐっとお腹に力をこめ、まっすぐにビクトリアを見つめ返した。




