29 アーチボルト・サマセット子爵令息事件 7
いつもありがとうございます!
ノアとアリスの関係も転換期に入ってきました!
お楽しみ下さい!
重かった瞼を持ち上げると、熱で霞んでいた視界がゆっくりと鮮明になっていった。
脳内の不快なオーバーヒートは治まり、代わりに心地よい静寂が広がっている。 ふと横に視線をやったノアは、そのまま息を呑んだ。
ベッドのすぐ脇、丸椅子に腰掛けたままベッドの縁に突っ伏して、アリスがすやすやと穏やかな寝息を立てて眠っていた。彼女の肩には、バロウズがそっと掛けたのであろう薄手のブランケットが載せられている。
「……っ」
ノアの天才的な頭脳が、記憶を爆速で遡り始めた。
(……待て。僕は……寝る前に、何をした……?)
うわ言のように「行くな」と引き止め、彼女の素手を引き寄せ——手の甲、手のひら、そして脈打つ手首にまで、熱に任せて何度も何度も深く唇を押し当てた記憶が鮮明にフラッシュバックする。
爆発的な勢いで顔面へ血が上っていく。 だが、その羞恥と動揺を上回るほど、目の前にいる少女の無防備な寝顔はあまりにも愛おしかった。
(……何という無防備さだ。僕がどれほど……)
理性を総動員して自制しなければ、どうなってしまうか分かったものではないというのに。 ノアは吸い寄せられるようにそっと手を伸ばすと、彼女のやわらかな栗色の髪を指先ですくい上げた。
指をすり抜けるふわふわとした毛先。 愛おしさに胸が締め付けられ、ノアはその毛先にそっと、静かに唇を寄せた。
——カチャリ。
「……っ!?」
静けさを破って、桶の水を替えに来たバロウズが扉を開けた。 アリスの髪に唇を寄せたままのノアと、バロウズの瞳が、寸分の狂いもなく正面から衝突する。
(——!!!!)
ノアの顔が「やばい」という感情だけで埋め尽くされた。
バロウズは一瞬だけ目を見開いたものの、すぐに手にした桶を持ち直し、どこか呆れたような、実に深い溜め息を混じえた視線をノアへ向けた。
かつてアリスを冷酷に突き放したノアの言葉をしっかりと覚えている老執事は、半ば呆れ、半ば「実にやれやれですね」と言わんばかりの半目で、じっと若き主人を見つめている。
「……ぼっちゃま。お目覚めですか。ご気分はいかがでしょうか」
バロウズがわざとらしく静かに、だが部屋に響く通った声で問いかけた。
「……ん……。あ、あれ! ごめん、私、寝ちゃってた……!?」
その声に反応して、アリスがハッと目を擦りながら跳び起きた。
「っ……!!」
ノアは弾かれたように弾丸の速度でアリスの髪から手を引っ込め、何事もなかったかのようにベッドの上で姿勢を正した。顔の赤さを隠すように、そっぽを向きながら不自然に咳払いをする。
「あ、あぁ……。もう大丈夫だ。……熱は下がった」
「本当……? よかったぁ……!」
ほっと胸を撫で下ろすアリス。 だが、アリスの視線がふと、自分の右手首に落ちた。
(……夢じゃ、ないわよね。ノアが私の手首に何度もキスして、離してくれなかったの……)
手首に残る熱い感触と、いま目の前でバツの悪そうな顔をしてそっぽを向くノア。そして、どこか呆れ顔で二人を見守るバロウズ。
アリスの中で、いよいよ「ある確信」が疑いようのない事実として固まり始めていた。
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