第25話 泰・カールミット=ラヤーゴ・バイスミハウの服飾店
「魔獣の気配が消えたよ!
長松、もう自分で帰れる!」
長松は私の背後に隠れたまま店を出て、
きょろきょろと周囲を見回した。
しばらくして問題ないと分かると、小さくうなずく。
私は彼が家の方向へ歩いていくのを見送った。
背中が路地の角に溶けるまで、
ずっと目で追い続ける。
......安心、なんて言ったら嘘になる。
私は光の精霊を呼び出し、
「伊価値」服飾店へ向かいながら、
長松が無事に家へ着くか確認した。
やがて彼が家の扉をくぐるのを見届けると、
目の前に広がっていた光幕の地図は、
白い粒子になって静かに消えていった。
約束の時間より十分早く「伊価値」に到着する。
ショーウィンドウの前でしばらく立ち止まる。
右衽袍の種類は多いけれど、どれも決め手に欠ける。
無地は地味に見えるし、柄物は着こなすのが難しそう。
私の貧弱な想像力では、どれを選んでも泰勇が着た瞬間、
ぴょんぴょん跳ね回る「道化」みたいな姿しか浮かばない。
やっぱり、泰勇に実際に試着してもらうしかない。
そして私は見てしまった。
ガラスの反射に、
宝石のような蒼い髪の影が左の路地口にふっと現れた。
次の瞬間、泰勇は突風のような勢いで私の隣まで駆けてきた。
泰勇は白い短パンに加えて、きちんと白いノースリーブの背心も着ている。
けれどその背心は上腹までの丈しかなく、
引き締まった筋肉の線が浮かぶ白い体がはっきり見えていた。
猿人族からすれば、かなり露出が高い格好だ。
「玉秀主人!
申し訳ない!本個体、遅れてしまったか?」
私が落ち着いて首を横に振ると、泰勇は大きく息を吐いた。
「泰勇、そんなに急がなくていいよ。お店はまだ閉まらな――」
その瞬間、泰勇は再びものすごい速度で店の入口へ突進した。
そして私は見てしまった。
店主が扉の外へ出て、「休憩中」の札を掛けようとしているところを。
「え、あっ!
早く入ろう!」
完全に忘れていた。
営業時間は決まっているとはいえ、
蛟人族の店は状況次第で不定期に営業時間を調整するのだ。
私は本当に有能な賢者だと思う。
六秒の詠唱を三秒まで圧縮し、即座に風の加護を展開した。
周囲の空気抵抗を下げ、移動速度を一気に引き上げる。
「ドンッ!」
しかし泰勇は止まりきれず、
そのまま店の入口に激突して地面にうつ伏せになった。
店長は慌てて彼のそばへ駆け寄る。
そして私は、店の入口ギリギリでなんとか急停止した。
泰勇は素早く立ち上がり、私たちに背を向けて額を押さえた。
......うん、相当痛いはず。
「おや? 失礼しました。
ようこそお越しくださいました。
私は店主、泰・カールミット=ラヤーゴ・バイスミハウ!」
これまで見てきた蛟人は、
細身か引き締まった体格が多かった。
けれど目の前の店主は、がっしりとした壮年の男性だ。
名前もやけに仰々しい。まぶたに鱗がなければ、
蛟人族だと気づかなかったかもしれない。
彼は鮮やかな黄色の盤領右衽袍の前で腕を組み、
土色の帯をきっちりと締めている。
大きな袖には金の縁取りが走り、全身からただならぬ風格が漂っていた。
今まで会った蛟人族とはまるで違う。
私たちが固まっていると、
店主の明るい灰色の瞳が泰勇の全身をなぞり、ふっと笑った。
「友名は泰豪とお呼びください。
ご夫婦でいらっしゃいますか?
お揃いの装いをお探しで?
品揃えは豊富です。ご案内いたしましょうか?」
泰豪は泰勇の横をすり抜け、
店の扉を大きく開けて私たちを招き入れる。
「ち、違います! ただの友達です!」
私は反射的に首を振った。
「これは失礼を。
男性が白装束でしたので、ご夫婦で、
もうお子様もいらっしゃるのかと存じました。」
その一言で、私の思考が止まった。
......子?
私は思わず泰勇を見つめる。
まさか、家庭持ち?
泰勇は慌てて振り向き、
満面の笑みでぶんぶんと首を横に振った。
「違うよ!
本個体、この白い服が好きだから着ているだけだよ!
あっ!
ここの衫裙、とても綺麗だ!」
泰豪店長の顔には、まだ少し戸惑いが残っている。
じっと泰勇の背中を見つめていて、
そのせいで私まで妙な空気を感じてしまう。
気まずさが広がる前に、泰勇は楽しそうに店長の手を引き、
衫裙の展示コーナーへ向かった。
そしてメイハオ村風の花柄が入った淡い桃色の衫裙を手に取る。
数秒眺めて元に戻し、
今度は水色の海梅花模様の衫裙を持ち上げた。
私はすぐに店長へ声をかけ、泰勇を指さす。
「店長、私の『友達』の泰勇に服を一着お願いします。
予算はだいたい千陽陰幣以下で、
見繕ってもらえますか?」
「えっ......泰勇哥!?
俺の店に泰勇哥が!?」
予想外だった。
私が彼を指した瞬間、泰豪の目がきらりと輝く。
まるで菇盹鼠が山盛りの餌を見つけた時みたいだ。
「お美しいお嬢様、
どうぞ先にアクセサリーコーナーをご覧ください!
新作も入っております!
店長泰豪、後ほど参ります!」
そう叫ぶと、
泰豪は目を覚ました獣のように泰勇へ突進していった。
完全に本気モードだ。
泰勇は人気者らしい。
泰豪が勢いよく抱きつこうとすると、泰勇は片手で制し、
もう片方の手でぽんぽんと頭を撫でて落ち着かせている。
男装には詳しくないし、泰勇の服選びは店長に任せよう。
決まったら私が払えばいい。
「玉秀主人は五時に予定がある。
早く試着を始めよう!」
私はずらりと並ぶ花飾りの簪を眺めながら、はっとする。
......そうだ。
五時にプリーモスと約束していた。
遅れたらどうなるか、想像できる。
あの不機嫌極まりない顔で、
火山みたいな口調で延々と説教されるに違いない。
今、もう三十分は経っている。
あと二十分なら、ぎりぎり待てる。
......あとで焼き肉では、泰勇の好きなものを多めに頼もう。
さっきの忠告のお礼だ。
古着屋さんや服飾店って、入ると毎回すごく時間がかかりますよね。
一着選ぶだけのはずが、気づいたら鏡の前で十分経過とか……。
みなさんは、よく行くお店ありますか?




