襲う者
深い森に燐光が漂った。人目を忍んで展開された転移魔法の名残だ。音もなく夜の森へと現れた男達は、声を発することなく前へ進む。やがて足元に石が増え、光が見えてきた。遠い昔に廃棄された建物群の中に、いくつか光源がある。
自然ではあり得ない管理された炎と、魔力を消費して照らす光。
種類が違う明るさは、そこに人がいることを証明していた。
男達は音もなく周囲へ散開した。暗い服を着た彼らは、簡単に森の闇へと溶け込んでいく。ある者は声が聞こえる廃墟に近づき、ある者は焚き火が揺らめく廃墟を伺う。
しばらくして、それぞれが成すべきことを終えた彼らは、建物群から離れた。一言、二言、言葉を交わし、金属製の杭に似たものを地面に突き刺す。作業が終わると黒い紙片を空に向かって飛ばし、二人を残して再び廃墟へと近づいていった。
残った二人は仲間の背中を見送った後、ただ時が来るのを待った。
*
勢いよく扉を開けた奴隷商人の手下は、中央で燃える炎を見て怒声をあげた。
「な、何やってるんだよ! こんな所で焚き火なんてしやがって!」
「何って、寒くて眠れないんだから仕方ないじゃない」
強気な態度で返答をしたのはアニエスだ。腕組みをして堂々と立っているだけで、相手は気圧されている。同じことを言おうとして出遅れたリリィは、大人しく黙っていた。
「火なんて、どっから持ってきたんだ。とにかく今すぐ消してくれよ! 精霊に襲われたいのか!?」
草や木の精霊は森で火を使ったからという理由では襲ってこない。故意に火をつける行為を嫌っているのだ。だからリリィがやったように、燃え広がらないように下準備をしていれば何の問題もない。
わざわざ教える気はないし、言ったところで見張りは信じないだろう。
アニエスは慌てている見張りに、はっきりと言った。
「嫌よ。こんな寒いところに野宿させるなら、せめてまともな寝具を持ってきなさいな。露天に藁だけなんて、家畜以下じゃないの」
「だから仕方ないだろ、俺達だって似たようなもんなんだから」
「知らないわよ、そんなこと。どうして誘拐された私達が、誘拐犯に遠慮して我慢しなきゃいけないの?」
男の顔が引き攣った。扉の前に積んだ木箱を押しのけ、中へ入ってこようとする。その後ろには騒ぎを聞きつけた他の見張りの姿が見えた。肩に斧を担ぎ、真っ直ぐ向かってくる。
「アニエス、退がって!」
リリィは男へ向かって振りかぶった。加工した魔石が手を離れ、男の顔面に吸い込まれるように当たって砕ける。勢いよく吹き出した煙が周囲へ広がり、集まってきた見張りを巻き込む。顔に煙が触れた者から倒れ、眠りに落ちていった。
煙を逃れた見張りには、追加で魔石を投げて逃げ場を無くす。前世で培った野球の腕は消えていなかったようだ。球速こそ落ちたものの、コントロールに狂いはない。
「なかなか強力ねえ……」
深い眠りに落ちた男達を見下ろし、アニエスは感心した様子で言った。崩れ落ちた木箱に乗って、扉の外を見回す。
「アニエス、あまり見張りに近づかないでね。そんなに長く寝てるわけじゃないから」
できる限り効果が続くよう加工をしたが、もとは逃げる時間稼ぎのための道具だ。眠りの耐性も人それぞれなので、距離をとっておくにこしたことはない。ここにいるのは非戦闘員だけだ。
アニエスの腕を掴んで焚き火の近くへ退がった。不安げにしていた少女たちを覆うように結界を展開させる。限りなく薄い膜が出てきたが、すぐに空中へ溶けていった。
魔力が足りていない。道具を使わずに己の魔力で魔石を加工したせいで、想定以上の量を消費していた。見張りが起きるまでには回復していて欲しいが、期待は出来そうにない。
――諦めるなよ。
心の奥で自分の声がこだましている。
この部屋から出されたら、あとは奴隷として売られる未来しかないのだ。助けが来るまでは、無理をしてでも背後にいる少女たちを守る。自分だけが助かろうとするような人間にはなりたくなかった。
もう一度、結界を展開させようとすると、立ちくらみがする。倒れる前にと膝をついたリリィの肩に、白い上着が掛けられた。内側に上質な毛皮を使った、男物のコートだ。
「無理しないで。もう大丈夫だから」
暖かい風が吹き、リリィの耳に待ち望んでいた声が聞こえた。心配そうに見下ろす藤紫色の瞳を見て、力が抜けそうになった。
もう大丈夫――助かった実感が少しずつ胸の辺りに沁みてくる。同時に、彼ほどの力があれば良かったのにと思う。
「おいユーグ、先に行くなよ」
壁の上から黒い服装をした男が数人、降りてきた。そのうちの一人はアニエスと森へ行った時に顔を見たことがある。
「ごめんね。魔力が枯渇しそうな子がいたから、つい」
「さっさと転移させるぞ」
急に現れた不審者に対し、少女達は口々に何かを叫んでいるようだった。だが音を遮断する魔法が使われているのか、リリィのところまで聞こえてこない。
「我らはアルトロワの自警団だ。誘拐された君達の救出に来た。どうか冷静に指示に従ってほしい」
身分を証明する代わりに、自警団は領主の紋章を刺繍した布を掲げた。青と銀の菱形模様と狼、上部に配置された剣。リール領にいるなら、一度は見たことがある。
アルトロワ出身のリリィとアニエスが顔見知りの自警団がいると証言すると、様々な反応があった。泣いて喜んだり呆然とする者がいる一方で、あの外国人らしき女性だけは顔が青ざめているように見えた。
――光の加減のせいか?
リリィの疑問をよそに、地面から光の門が現れた。以前にも見たことがある、領主の魔導器だろう。風邪を引いて動けない少女を自警団員が抱き抱え、迷うことなく潜る。歩ける者は団員に誘導されて門を通り抜けていった。
いつの間にかユーグはリリィの側から離れていた。周囲を警戒している団員に話しかけた後、焚き火を崩して消火に取り掛かっている。
半分以上の女性が脱出した時、部屋の外が賑やかになった。叫びに似た声や、耳障りな笛の音、何かが壊れる音が聞こえてきた。
「ここは安全だ。慌てずに門を潜りなさい」
落ち着いた声で団員が女性に言った。別行動をしていた団員達が、奴隷商人を拘束しているのだと明かす。その堂々と語る姿に安心して、騒ぐ者は現れなかった。
団員の一人が足音を忍ばせて移動し、侵入しようとしていた奴隷商人を弓で射抜いた。喉を貫かれた男は声をあげる暇もなく倒れる。幸いなことに扉と真逆の方向に転移門があるため、リリィの他に気がついた女性はいなかった。
「リリア、私たちも」
アニエスがリリィの袖を掴む。二人で転移門がある方へ行き、黙って順番を待つ。
焚き火は完全に消化され、転移門の光がよく見えた。リリィ達の近くに、あの外国人風の女性がいる。順番待ちをしている横顔は、苛立っているようだ。体調が悪そうな者から脱出させているので、なかなか外へ出られないことが嫌なのかとリリィは思った。自分でも何故この人が気になるのか分からない。
転移門を潜らせる順番を決めている団員に、ユーグが何かを囁いた。無言で頷いた団員は、周囲を警戒していた者に合図をしてから、何事も無かったように作業に戻った。
部屋に残っている女性が減っていくにつれ、自警団員が周囲を囲むように移動している。女性を脱出させた後に一緒に安全地帯へ移動するというよりは、包囲網を形成しているように感じた。
リリィとアニエスが呼ばれ、門を潜るよう指示された。先に捕まっていたアニエスを優先して、後ろからついていく。アニエスがあの女性の側を通った時、彼女の右手が動いた。
「アニエス!」
光に反射したものが見えた。リリィは咄嗟にアニエスの腕を掴もうとするが、親友の体は女性に引っ張られて離れてしまう。だがアニエスが抵抗して踏みとどまったため、女は中途半端な体制でナイフを構えることになった。
「動くな! この――」
女が持っていたナイフの刃が割れた。アニエスを人質にしようとしていた女は、何が起きたのかとナイフの柄に視線を向けた。その隙に音もなく距離を詰めた団員が、強引にアニエスを抱き寄せて女から引き離す。
「ニコラ、そのまま門へ走れ!」
アニエスを助けた団員は振り返ることなく、彼女を連れて転移門の先へと走り去っていった。
自警団に追い詰められた女は胸元のブローチに触れた。中央にはまっているのは青い輝石だ。女の指先が石をなぞると、淡く発光して燐光が溢れる。
「まさか、魔導器だったの?」
装飾品に偽装されていたせいで、気が付かなかった。恐らく青い石をくり抜いて、その下に動力用の魔石を隠していると思われる。ブローチの裏側には魔法式が刻まれているに違いない。堂々と見える場所に身につけているせいか、少しも疑わなかった。
「無駄な抵抗は止めろ」
取り押さえようとした団員へ向かって、女は柄だけになったナイフを投げつけた。
「こんなところで捕まるわけにはいかないのよ」
光が強くなる。女は逃げる気だ。かなり使い慣れているらしく、戸惑うことなく発動に必要な魔力を注いでいく。ブローチの表面に魔導式が浮かび上がり、光が弾け飛んだ。
「な……なんで? 動きなさいよ!?」
展開は失敗に終わったようだ。狙った効果が現れなかったことで、女は焦った様子でブローチを掴む。だが肝心の道具は沈黙したまま動かない。
「君達が魔法で転移することは判明しているからね。封じさせてもらった」
ユーグは右手に魔法式が刻まれた金属製の杭を持っていた。部屋の四隅には同じ杭が打ち込まれて淡く光っている。あれが女の魔導器を使えなくしたのだろう。
ユーグがリリィの前に立った。背後に庇われて、何となく面白くない気持ちになる。常に守ってもらわないといけないほど弱いことが嫌だ。
リリィは残っていた魔石をポケットから出し、思いっきり女へと投げつけた。低めの軌道で手を離れた魔石が、女の肩に当たって砕けた。中から煙が噴出し、女の顔にまとわりつく。
「しまっ――」
眠りの効果を刻んだ石の力で、女は崩れるように冷たい地面の上に倒れた。
たとえ相手が女だろうと手加減をしてはいけない。男女の筋力差など、魔法で補うことができるのだ。攻撃できると思ったら、躊躇うなとテランスも言っていた。
「……リリィちゃん?」
「抵抗できないようにするのは、犯罪者を捕まえる基本じゃないの?」
「そうだけど」
ユーグは納得いかない顔でリリィを見ている。言いたいことがあるなら遠慮せず言ってほしいものだ。
「すげぇな、男だったら真っ先に自警団に誘ってるわ」
弓を構えていた団員が矢を戻して言った。褒められて悪い気はしない。足を引っ張るのではなく、自分の身は自分で守れることを証明できて何よりだ。
「おい、引き上げるぞ」
統率を任されているらしい団員の一言で、女の首に変わった形の首輪が取り付けられ、転移門へと運ばれていく。
リリィは残っていた団員達から投石の腕を讃えられながら門をくぐった。




