試行する者
扉の近くには大きな水瓶が置いてあった。中に入っている水は、飲み水として用意されたものだそうだ。朝になると男たちが補充しに来る。蓋の代わりに鍋が乗せられていた。
乱雑に置かれたコップや深皿は、水を汲んで飲めと言いたいのだろうか。綺麗に洗ってある食器が、崩壊しかけた部屋とひどく不釣り合いだった。
「リリア、何してるの?」
ノコギリをスコップ代わりにして地面を掘り始めたリリィを見て、アニエスが怪訝そうにしている。
「まずは体を温めないと」
あらかた土を掘ったリリィは、バリケードに使わなかった木箱を解体していく。釘が緩んでいるものを選んで、足を乗せて両手で引っ張ると、簡単に板が外れた。分からないなりにアニエスも真似をして箱を壊し始めたので、予想よりも早く作業が終わった。
リリィは浅く掘った穴に崩れて落ちていた石壁の欠片を積み重ね、解体したばかりの板を組んだ。ボロ布を細かく解して近くに置くと、スカートのポケットに入れていた魔石を出した。
「あなたそれ、いつも持ち歩いているの?」
ここまでくるとリリィが何をしようとしているのか、予想がついたらしい。アニエスが関心した様子で言った。
「私が森で魔獣を倒したら、その魔獣の魔石を貰える約束をしてるの。練習用の素材にするから。それから、自衛のために普段から持っておけってお父さんが」
盗賊に襲撃された日から、テランスは閃光石以外の作り方も教えてくれるようになった。人に使うには危険なものも含まれていたが、出力を間違えなければ問題ない。
加工に使う道具を持っていないので、効率は落ちてしまうだろう。リリィは慎重に魔法式を刻んだ。
出来たばかりの魔石を布に近づけ、一瞬だけ展開させると、ボロ布に火がついた。細く割れた板を使って、全体が燃えるように位置を調節する。火は板に燃え移って勢いを増し、壁を明るく照らした。
「暖かい……リリア、手慣れてるわね。これもおじさんから教わったの?」
「え? うん、そう」
思わず前世のソロキャンプの知識だと言いそうになった。リリィは壁際で固まっている女性たちに火にあたるよう言い、水瓶のところに戻る。
蓋になっていた鍋にコップで水を入れている間に、アニエスと誘拐された女性たちは手分けをして、藁を移動させていた。燃えないよう気をつけながら周囲に敷き、風邪を引いた少女に手を貸して暖かい場所へと導く。
最後に連れてこられたという女性は、気味が悪そうに焚き火を見ていた。落ち着きなく周囲を見回し、やがて空いている場所に腰を下ろす。明らかに他の女性とは浮いている。
リリィはアニエスが置き去りにした袋を開けた。干し肉を取り出して表面を点検した限り、品質は悪くない。わずかに生姜とニンニクの匂いする。ポケットに入れて持ち歩いていた折り畳みのナイフを使って、適当な大きさに裂いて鍋に入れた。焚き火の前に作った台に置き、火がついた木材の一部を移動させて熱を加える。
木製の大きなスプーンを見つけ、湯が沸くのを待ちながら鍋の中をかき混ぜていると、煮込まれた干し肉がほぐれてきた。味付けは肉に残った塩分と薬味だけ。それでも硬いまま食べるよりはマシだろう。
アニエスが人数分の深皿を持ってきた。リリィの隣にしゃがんで鍋の中を見る。
「胡椒なら持ってるけど。使う?」
「何で持ってるの?」
上着の内ポケットから小瓶を出したアニエスは、護身用よと答えた。
「領内で盗賊騒ぎがあったじゃない? あの時に、持っておきなさいってお母さんが」
「親が考えることって、大体同じなのか……」
リリィは胡椒の瓶を受け取り、鍋の上で振った。出来上がったスープは薄味だが
胡椒が入ったことで風味が良くなった。皿に千切ったパンと一緒に入れて少女たちに出すと、小さな声で礼を言ってから食べ始めた。彼女達はすっかり心が折れていて、自発的に何かをしようとする気持ちが無くなっている。
恐怖と寒さと飢え。
ここには気力を奪う要素ばかりが揃っていた。部屋の中に見張りを置いていないのは、彼女達が何も出来ないと知っているのだ。
食事を配り終えたアニエスがリリィの隣に座って、即席のスープを飲んでから安堵のため息をついた。
「ねえリリア。あなたと私、同い年よね?」
「うん」
「知らない場所に連れてこられたのに、取り乱さずに焚き火を作って、スープまで。大胆すぎるわ」
実は誘拐されるのも知らない場所で目が覚めるのも二度目だ。こんな時は焦っても良いことがないと経験で知っている。それにアニエスが先に来て聞き込みをしてくれていたのも大きい。
「アニエスがいなかったら、こんなに動けなかったと思う。そっちこそ、この状況でよく見張りから色々と聞き出せたね」
「まあ、知らない人と話すのは慣れてるし」
小さな頃から店先で接客をしていたアニエスらしい特技だ。
二人で並んで食べていると、アニエスが小さな声で尋ねてくる。
「ねえ、助けが来ると思う?」
「大丈夫。だってリール領の領主はいつも私達を助けてくれるから」
「……そうよね」
アニエスも信じたいようだが、不安の方が大きいようだ。大丈夫だと言ったものの、証拠があるわけではない。不意打ちで連れてこられたので、ポケットには加工前の魔石と小さなナイフしか入っていなかった。
一つの部屋に集められているうちは、まだ見つけてもらえる可能性がある。大勢の人間を生かしておくために、食料や水を搬入する必要があるからだ。特に廃屋に人が出入りすれば目立つ。
売り先が見つかって部屋から出されてしまうと、行方を追うのは難しくなるだろう。外国へ連れ出されてしまえば、顔見知りと出会う確率が低くなる。
――ここにいる間に、どうやってユーグと連絡を取ればいいんだろう。
自惚れているわけではないが、一言『助けて』と伝えることが出来れば、きっと来てくれる。だがもらった鳥の折り紙は家に置いてきてしまった。
知っている魔法式は相手を眠らせたり閃光で視覚を奪うような、逃げる時間を稼ぐためのものだ。気力が萎えている少女たちを連れて、何人いるのか分からない奴隷商人から逃げるのは難しい。
冷静に分析するほど不可能なことばかりが明らかになる。廃屋がある場所すら見当がつかないのだから。
いっそのこと上から抜け出して偵察してこようかと夜空を眺めていると、上から白い紙が落ちてきた。リリィの目の前で滞空していたので、手を出して受け止める。鳥の形に折られた紙は、リリィが待ち望んでいたものだった。
――奴隷商人が隠れ家を襲撃されたら、どう動く?
転移魔法を使って集めた『商品』だ。元手がかかっているだけに、簡単に手放しはしないだろう。ここへ商人が来て一緒に避難させられることもあり得る。
こうして考えていると、ゆっくりと前世の自分が現れてくるようだった。どちらも自分に変わりはないが、俯瞰して現状を眺め、合理的な解決法を探そうとする傾向が強くなっている。
ユーグと再会する前の自分なら、不安を抱えながらも体が動いていただろうか。壁際で座り込んでいた少女たちのように、奴隷商人に捕まったと聞いて、気力が萎えていたかもしれない。
このまま前世の思考に引っ張られて心の性別まで戻ってしまったら――あの人と一緒に生きていくことに疲れてしまうのではと考えてしまう。一度でもリリィが拒否をすれば、二度と触れてくれない気がする。
そんな心変わりすら黙って受け入れる人だから、手を離してはいけないのに。
――しっかりしなさい、私。今はここから逃げることを考えないと。
リリィは加工前の魔石をアニエスに見せた。
「……ねえ、アニエス。一方的に傷つけられるだけって面白くないよね。私に考えがあるんだけど」




