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転生した異能者は静かに暮らしたい  作者: 佐倉 百
4章 終わりと始まり

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失踪する者


 扉の上でカランと軽やかな鐘が鳴った。アニエスはこの存在を主張しすぎない鐘の音を聞くのが好きだ。いつ聞いても心地よい。


 実家の製菓店で使う砂糖を発注し終え、アニエスは取引先のジェラルダン商会が借りている部屋を出た。受付の事務員は相変わらず無愛想だったが、扉の音を聞くためなら我慢できる。それに無駄話で引き留めようとしないところは評価してもいい。


 廊下は忙しく歩き回る人で賑わっていた。秋の収穫が終わり、穀物を中心に取引が盛んになっているせいだ。新しく年を迎える前に終わらせたい仕事が山積みで、誰もが気難しい顔をしている。


 アニエスは彼らの邪魔をしないよう、廊下の端を歩いて外へ向かう。


 ここはいくつかの商会が部屋を借りて入っている建物だ。誰と誰が取引をしているのか分からない場所で、余計な争いに巻き込まれたくない。


 ――あの人達の口にチョコレートでも放り込めば、少しは眉間の(しわ)も消えるかしら。


 適当な記念日でも捏造(ねつぞう)してやろうかとアニエスは思ったが、上手い案が浮かんでこない。アニエスが目指しているのは菓子職人だ。流行を作り出す商売人にはなれそうになかった。


 広い玄関ホールから外の通りに出ると、冷たい風が吹いて髪を乱した。苦手な季節が来たことを恨みつつ、足早に家へと向かう。ポケットの中に入れた注文表の写しが、歩くたびに乾いた音をたてていた。


 ――バターも砂糖も今年は安定して入荷してるわね。これなら試作品を作るのも許してくれるかも。


 冬は甘いものの消費が増える季節だ。冬の祭りや新年を祝う行事に欠かせない菓子を作らないといけないため、家族総出で仕込みをする。雪のせいで物流が滞ることもあり、余裕をもって材料を買っていても足りなくなることがあった。アニエスが新しい商品を思いついても、試作品を作れないなんて珍しくない。


 試してみたい材料や調理法はたくさんあるのに、自分の小遣いの範囲内では出来ることが限られている。それはそれで面白いのだが、たまにはお金のことを気にせず思いっきり作ってみたい。


「焦らずに実績を作れば認めてくれる、か」


 漠然(ばくぜん)と菓子職人になりたいと思っていた時に、リリィが教えてくれたことだ。彼女はいつも大人寄りの視点で世間を見ている。そのせいで学生時代は周囲から少し浮いていたけれど、アニエスにはリリィの考え方そのものが新鮮に映った。


 親に言われると理不尽に思える言葉も、リリィが解釈してくれると受け入れることができた。子供の頃のアニエスにとって、大人と子供を繋ぐ通訳のような存在だった。


 半信半疑で家の手伝いを続けていると、両親はアニエスを信用して材料に触ることを許してくれるようになった。学校を卒業する年になると帳簿を見せてくれるようになり、仕入れや税の申告の方法まで教えてくれた。最近では材料を仕入れている商会へ一人で行くことも許され、顔見知りの商人が増えている。


 変化したのは家族だけではなかった。


 真面目に与えられた仕事をしていると、周りからの評価が変わっていく。切長の目のせいで性格まで冷たいに違いないと敬遠されがちだったのに、今では芯が強く意見が明瞭で話しやすいと思われている。アニエス自身はほとんど変化していないのに、信頼を得ると好意的に見てくれるようになるのは面白い。


 リリィと親友になれて本当に良かったとアニエスは思う。気が合うだけでなく、お互いに助言をして悩みも打ち明けることができる。なにより仕事は違っても職人になりたいという同じ夢があった。


 彼女が頑張っているから自分も頑張ろうと、良い影響を与える相手がいることが嬉しい。


 ――似たようなことをユーグさんも言っていたのは驚いたけど。


 考え方が似ているからこそ、突然現れたにも関わらずリリィが惹かれたのだろうとアニエスは考えている。


 リリィには、このまま幸せになってほしい。秋になっても暗い顔をしない彼女を見たのは初めてだった。理由も分からず気持ちが沈んでいるのに、平気なふりをして振る舞っているリリィを見てきたのだ。親友なのに何もできない無力感はもう味わいたくない。


 リリィが成人して正式に婚約が決まったら、彼女が好きなケーキを贈ろうと決めていた。帝都では『食べられる花』が売られていると聞いたがことがある。知り合いの商人に入荷できるか問い合わせてみないといけない。


 気持ちが上向いてきたアニエスは近道をしようと裏通りに入った。少し薄暗くて苦手な道だが、忘れないうちに家に帰りたい。


 まずは両親に注文してきたことを報告して、伝票の控えを渡す。それから――







 テランスに魔導器の構造について教えてもらっていると、アニエスの母親が工房を訪れた。中にいるのが二人だけだと分かると、困ったような途方に暮れた顔になる。


「リリアーヌちゃん、うちの子を見かけなかった?」

「アニエス? 見てないよ。何かあったの?」

「それがねぇ……」


 砂糖を扱う商会に仕入れのための注文をしに行ったきり、帰ってこないという。


「家を出たのが朝なのよ」

「それは変ね」


 今はもう昼を過ぎている。アニエスは製菓に生きがいを見出しているような性格だ。遊び呆けるようなことはせず、仕事を終えたら真っ先に店に帰る。たとえ途中で気を引くものがあったとしても、数分で用件を終わらせるはずだった。


「いつも注文している商会に聞いてみたら、とっくにお使いを済ませて帰ったって……普段着だったし町の外には出ていないと思うんだけど」

「アニエスが森に行くなら、いつも私のところに寄って行くからね。お父さん、私もアニエスを探しに行ってもいい?」

「ああ、俺もちょいと探してみるか」

「そんな……テランスさんまで、いいんですか? お仕事だってあるのに」

「いやなに、急ぎの仕事はもう片付いた。今日は客も来ないし、早めに閉めようと思ってたところだ」


 あまりに暇なので壊れた魔導器を使って授業をしていたのだ。それにテランスは体を動かしたいのだろう。座ったままでは体に良くないと言って、森にリリィを連れ出すこともある。


 手早く道具を片付けてカーテンを閉め、三人で外に出た。


「俺は郊外に行ってみるか。さすがに森には入ってないと思うが、一応な」

「本当に、すいません」


 恐縮しているアニエスの母親とはそこで別れ、リリィは学生時代の友人のところを中心に回ることにした。だが何人かの友人に聞き込みをしても、誰もアニエスと会っていない。唯一、大通りの近くに住んでいる子が姿を見かけただけだった。


 家の裏で調理道具を洗っていた彼女は、手を止めることなく答える。


「商会がたくさん集まってる建物あるじゃない? あそこから出てくるのを見たわ」

「それ、いつごろ?」

「今日の朝よ。仕込みが終わって屋台に届けに行く時だから、昼前……よりは早いわね」


 大通りには昼になると軽食を出す屋台がいくつも出ている。彼女は母親と共同で店を出していた。いま洗っているのも、その屋台で使っていたもののようだ。


「ねえ、何かあったの?」


 友人は心配そうに小声で聞いてきた。急に訪ねてきたかと思えば、同級生の行方を尋ねてきたのだから無理もない。


「商会に行ったきり、家に帰ってないらしくて」

「うそぉ。まさか商会の人と駆け落ちしちゃった? 最近、若い子の駆け落ちが増えてるらしいのよ」

「……あの子がお菓子作りを放棄して、全てを捨てて商人と駆け落ちすると思う?」

「そうね、聞いた私がバカだったわ……アニエスなら駆け落ちしようなんて言う男がいたら、きっとフライパンで殴るわね」


 アニエスの製菓にかける情熱を知っている友人は、すぐに誤りに気付いてくれた。相変わらずねぇとため息をついて、洗い終えた道具をカゴに入れる。


「家の仕事を放り出して遊びに行くような子じゃないんでしょ? 私、夕方まで時間があるから、大通りで屋台を出してる人に聞いてみる」

「ありがとう。何か分かったらアニエスのおじさんに知らせてあげて。店にいるから」


 友人と別れてアニエスが行きそうな店にも寄ってみたが、何も情報は得られなかった。商会から店までは真っ先に母親が探したと言っていた。アルトロワは決して大きな都市ではない。それでも一人の人間を探すには広すぎる。


 ――闇雲に探しても時間を消費するだけか。何かいい方法は?


 ふと思い出したのは、ユーグのことだった。よく既存の魔法を改良したり新しく作っている。人を探すことに使える魔法に心当たりはないだろうか。アニエスとも会ったことがあるので、手が空いていれば手伝ってくれるかもしれない。


「昼はよく家にいるって言ってたっけ」


 夕方までまだ時間がある。リリィは郊外へ向かって歩き出した。


 住宅街を進むにつれ、建物の屋根が低くなっていく。より低層に、建物の間隔も広くなり、どんどん郊外へ向かっていることがよく分かる。


「お嬢さん」


 抜け道として使っている路地を歩いていると、知らない男の声がした。

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前作はこちら
ウソつき勇者とニセもの聖女
不幸な事故をきっかけに異世界転移した二人。
お互い性別が入れ替わっている上に、誰かと勘違いされて誘拐されて……

前作終了後の短編
放浪の終わり

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