調査する者
リール領北部にあるエトルタという港町を訪れたユーグは、地元の自警団員と合流して路地裏に入った。前日に降った雨のせいで、あちこちに水溜りができている。太陽の光が届かず、いつまでも水が残りやすいのか、レンガの壁は黒ずんでいた。
「ここが襲われた現場らしい。被害者の女を連れ込もうとしたようだが、激しく抵抗されているうちに、人が集まってきた。それで犯人は諦めて逃げていったようだ」
そう説明をしたドミニクという地元の男は、嘆かわしいことだとため息をつく。彼はエトルタにいる自警団員だ。大きな腹の上で腕組みをして、周囲を見回す。
「運が良かったよ、本当に。朝一に漁へ出ていた男衆が家に帰ってきてたし、この辺りは顔見知りばかりだ。女が悲鳴をあげたら荒らくれ共が一斉に飛び出してきて、犯人はさぞ驚いたことだろうよ」
「漁師は気が荒いからなあ」
ユーグと一緒にアルトロワから来ていた自警団の青年――ニコラがそっとつぶやく。
海で危険な仕事をしている男の気性が荒いのは、こちらの世界でも同じらしい。さらに沖合には海に生息する魔獣まで出現するのだから、軟弱な精神では務まらないのだろう。
「被害者からも話を聞きたいんだが……」
「ああ、ここへ来るように手配している」
適当な雑談で時間を潰していると、姉と弟に付き添われた被害者が来た。そこそこ美人だが気弱な態度が魅力を半減している。男に襲われた恐怖のせいだろう。アルトロワから来た見知らぬ男たちの視線に晒されて、顔が青ざめる。
ユーグは彼女がリラックスできるよう、密かに不安を軽減させる魔法を使った。教会の聖職者がミサの前に使うような、ありふれた種類のものだ。
「覚えている範囲でいいから、何があったのか教えてくれるかな?」
なるべく怖がらせないよう、ゆっくりと話しかけると、被害者の女性はユーグの顔を見上げた。だがすぐに目を逸らして姉の袖を掴む。彼女の姉は、勇気づけるように手を重ねて何かを囁いた。
弟の方は家族を心配する気持ちはあるようだが、暇そうに眺めている。道中の護衛として連れてこられただけで、事件のことは何も知らない様子だ。
「怖くて……あまり覚えていないんですが……」
途切れ途切れに話し始めた女性は、時折こちらの反応を伺うように視線を向ける。魔法の効果が効いてきたようで、頬に血色が戻ってきた。
「この辺りを歩いていたら、そこの裏通りから男が出てきて……腕を掴まれたんです。それで、引っ張られたから怖くなって叫んだら……近所の人たちが助けてくれました」
彼女が覚えているのは、ここまでらしい。あとは家族が迎えに来るまで漁師の妻たちに保護されていたそうだ。自警団への通報や犯人の捜索は漁師が率先して行っている。
「知らない人だったということしか分からないんです。すいません……」
「謝らなくていいよ。恐怖で声が出ない人もいるのに、助けを呼べたんだから自信を持って」
女性は完全に姉の背後に隠れてしまった。無遠慮に話しかけてしまったせいかと反省していると、ニコラが呆れたように言う。
「いいよなぁ、お前は」
「何が?」
「……いや、なんでもない。ドミニクさん、次は犯人を追いかけた漁師たちにも尋ねたいんだが」
「じゃあ港へ行こう。船が戻ってきているはずだ」
被害者の女性にはよく礼を言ってから別れ、ドミニクの後ろをついていった。
地元の人間が使う裏道を歩いていると、ドミニクの知り合いが次々と声をかけてくる。ユーグとニコラは会釈をするだけにとどめ、漁港へと急いだ。
港では漁を終えた漁師たちが網を手入れしている最中だった。ドミニクは何人かに話しかけ、犯人を追いかけたという漁師の居場所を聞き出す。どうやら一人ではなかったらしく、数人の漁師が集まってきた。
いずれもよく日に焼けた、体格がいい若者だ。ユーグとニコラがアルトロワから来た自警団だと分かると、なぜ余所者が調べているのだと疑わしげな目で見られる。
「逃げた犯人が別の女を襲うかもしれないだろ? どこへ逃げたのか分かってないんだ。他の町にも報せて警戒しててもらわないと。次は未遂じゃ終わらないかもしれない」
ニコラが領主の命令で詳しい話を聞きに来たと付け加えて、漁師の警戒を解く。領主の名前を出しただけで、彼らはあっけないほど簡単に好意的になった。
「もう少しで捕まえられそうだったんだがなぁ」
犯人を追い詰めたうちの一人が、そうぼやいた。
「地面に光る線が出たと思ったら、男の姿が消えたんだ」
「輪になってたぞ」
「魔法か?」
「たぶん。俺たちは魔法のことなんて分かんねえよ」
「光る輪が地面に現れて、そこに犯人が入ったら姿が消えた、と」
ニコラはユーグの方を振り向いた。魔法のことなら、お前が聞けと言いたいらしい。
「場所は?」
ユーグが尋ねると、いくつか知らない名前を出された。地元のドミニクには見当がついたらしく、後で連れて行くと言われる。
「犯人の顔を見たか?」
再びニコラが尋ねる。漁師たちはすぐに答えなかった。
「見てないっつーか、見えなかった」
「見えなかった?」
「フードがついたマントを羽織ってて、目から下を布で覆っていた。男だろうってことしか分からん」
これ以上の情報は持っていないようだ。ユーグとニコラは漁師たちに礼を言い、魔法が使われたと思われる地点へ向かう。
「あいつらの説明だと、この辺りなんだが」
女性が襲われたところから、そう離れていない。ユーグは地面に手を置いて、痕跡を探した。
魔法を使うと、その場には魔力の乱れが残される。その乱れは魔法式によってさまざまであり、手順を踏んで観測することで、使用された魔法を特定できる。だが乱れた魔力は元に戻ろうとする性質があるので、時間が経過するほど痕跡を見つけることが難しい。
「何か分かったか?」
「魔法が使われたことは間違いない。でも残滓が少なすぎる。特定は難しいね」
ユーグは手を離して立ち上がった。
「ニコラ。一度、報告に戻ろう。犯人が魔法を使えることは最優先で領主に伝えないと」
「じゃあ捜索は終了か」
ドミニクは犯人に繋がる手がかりが無かったことを残念がっている。
「今できることは、戸締りの強化と夜間の巡察ぐらいだな。暗くなったら女性と子供は外へ出ないようにしないと。まったく、面倒な犯人だ」
他に判明したことがあれば連絡すると約束し、狭い路地を抜けて人通りが多い道に出ることにした。エトルタの自警団本部へ戻るというドミニクとはそこで別れ、ユーグとニコラは町の外へ向かう。
「まだ確信は持てないんだけど」
周囲に人がいなくなるのを待って、ニコラに話しかける。
「帝国の魔法とは少し違う感覚がした。外国製の転移魔法かもしれない」
「外国人の犯行かよ」
「断言しない方がいいよ。転移できる魔導器なら、帝国人でも扱える」
ドミニクの前で詳細を言わなかったのは、誤解をさせて外国人排除に動いてほしくなかったからだ。ただでさえ事件が起きて緊張しているのに、特定の人物が悪いと囁かれたら、あっさり信じてしまうだろう。
一緒に行動した短い間に、ドミニクは何人もの住民に好意的に話しかけられていた。彼もまた住民の中に犯人がいるかもしれないなど、カケラも思っていない様子だった。全てを疑う捜査官向きの性格ではない。
「展開された直後なら追えたか?」
「……どうだろう。転移みたいな国が厳重に管理してる魔法は、まず暗号化するのが基本だからねぇ」
「面倒なんだな、魔法って。もっと単純なもんだと思ってた」
「よく言われる」
帰ろうと声をかけ、ユーグは自身の転移魔法を展開させた。




