第4話 侵攻開始4
「って、うんこが、あったん、だ、よ?」
昼休み、にぎやかな教室の一角で、タクヤと顔を突き合わせていると、強い既視感を覚えて、変な言葉がこぼれ落ちる。
「は? うんこ? サイバースペース総理大臣の話はどうなったんだよ」
タクヤは真っ黒の顔を歪ませる。
「あれ、え、ん? やっぱり、お腹痛いか?」
「はぁ? お前、さっきから何言ってんだ?」
「いや、痛いんだよ。そう、痛いんだけど、って、なんの話だっけ」
「知らねえよ」
こいつついにイカれちまったよ、とタクヤは隣にいた同じバスケ部のクラスメイトに話しかける。
仲良いな、とそいつは言った。そこに別の他クラスのバスケ部員が現れて、先輩が1on1してくれるらしいぞ、言ってと嬉々とした表情で現れた。タクヤと、隣の、名前はなんだったか忘れたクラスメイトの方のバスケ部員にその表情は伝染して、いこうぜ、と二人はその場を後にしてしまった。
にぎやかな教室の角に空白が生まれる。
嵐の後の静けさや。もし今の時代に松尾場所がいたならば、ここで一句読めるかもしれない。
その空白で息を吐いて、吸い込むと、その前にあった何か、大きな出来事が、鼻を通って心臓の奥深くまで入り込んでくる。
思わずむせてしまった。
近くにいるクラスメイトがこちらを気にするような目線を送るが、クラスの中で目立っているわけでもない、役に立っているわけでもないような俺に声をかける人はいない。別に声をかけて欲しいと期待したわけではないが、
「だ、大丈夫?」
か細い声が、耳元でそう囁いて、全身に変な力が入るのを感じる。
前言撤回、期待していたらしい。
大丈夫、ありがとうと言いながら顔を上げると、そこには、丸メガネの女子生徒がいた。
乗れないジェットコースターはギリギリないかな、くらいの背丈で、でもそういうジェットコースターに乗ったら死んでしまいそうだな、くらい華奢だった。
見覚えは、あるようでないようで、ある。
「あ、ええと、なあ、君ってどこかで」
「あっ、えっと、あの」
俺の問いかけに、彼女は動揺する。それはもう、体を震わせて。
ちょ、ちょっと落ち着けって。
俺が手を伸ばすと、素早く身をひく。此奴、できる……ではなく。
彼女をまじまじと、いや具体的には彼女の黒縁のメガネを、意外とつり目がちな淡い色の瞳ではなく、丸い、この世で最も丸いものを集めて擦り合わせて丸くした、とさえ思わせる、丸メガネを見ていると、自分の中に湧き上がった違和感と既視感が現実の形として降りてくる。
「やっぱり、どっかでさ……」
今度は明確に、確実な意図を持って彼女の手を取ろうとする。
それに気づいてか、まだ名前も知らない彼女は、「ごめんなさいっ」と言葉をその場に残して、教室を飛び出す。
俺の体は、椅子から飛び上がり、彼女の背中を追っていた。
そう思うまでもなく、そうしていた。
この、違和感を突き止めなければ。
小指に詰められた細胞から、心臓の真ん中までがそう言っていた。
彼女を追って教室を飛び出す。
昼休み、クラス外の人と廊下で談笑する男子生徒、歯を磨く女子生徒、しかしそこには、彼女の、あの丸メガネはなかった。
「な、なぁ! 今女子がそこ走っていかなかったか!?」
教室の扉のところで談笑していた男子生徒に飛びつく。
面識のない彼は、とっさの出来事に困惑の表情を浮かべながら首を、横に振った。
「し、知らないけど」
「今、たった今だよ。多分あっちの方向に走って行った」
俺は教室から出て右手の方を指差す。左に行けば一年六組、七組と続く方、右に行けば、四組、三組、と続き、階段も、渡り廊下もある方だ。
「見てないって」
今さっきのことだぞ? 俺はそう凄もうとさえする勢いを、我に返って踏みとどまる。困惑の表情は、本当に知らない、と言っていたからだ。嘘をつく理由もない。
す、すまん。
俺は、困惑の中からどうにか謝罪を捻り出して、とりあえず右の方向へ走り出してみる。
四組と三組の間には、自動販売機のある広い椅子のある空間があり、そこには多くの生徒が談笑しているのが見られた。
俺は一帯を見回す、が、やはりそこに姿はない。彼女は小柄だった、見落としたわけじゃないよな、ともう一度見ても、やはりいない。代わりに静岡キョウを見つけた。
自動販売機の目の前、特等席の広いテーブル付きの椅子でクラスメイトの女子と、そうでない女子と楽しそうに笑いあっていた。
俺はそこに歩み寄って、静岡さん、と言った。
「あ、えっと、リョウスケくんだよね、どうしたの、そんなに慌てて」
「ここを、丸メガネの小柄の女子生徒が走っていかなかった? あ、ほら、昨日教室、に、来た?」
昨日? 教室に来た? いや、来てない。昨日は、あれ、昨日は? 焦りからか、何からかわからないが、昨日何をしていたのかが思い出せない。
その原因なのか代償なのか、頭が痛む。
「ん? 昨日教室に? そんな子きたっけ? それっていつ頃か、って大丈夫? 顔色悪いけど」
「だ、大丈夫、ごめん、ありがとう」
「顔色悪いよ? 保健室行く?」
ほ、保健室? 保健室、保健室!
なぜだかわからないけど、その言葉が俺のぽっかり抜け落ちたところに入り込むのを感じる。保健室に、行けば。
「あ、ああ、そうする、ありがと」
頭を抑えたまま、出涸らしのような声を絞り出した。
数学のジェニファ先生には言っとくから。保健室の方へと向かう俺の背中に彼女はそう投げかけたが、俺にはそれに気を配れるほどの余裕はなかった。




