第3話 侵攻開始3
「マジで体調悪いんじゃねえの?」
ホームルーム後の掃除の時間に、空な俺にタクヤが話しかける。
「いや、そんなはずはなんだけど」
「いいや、今日のお前は変だ。いつもの五倍は変だ」
その場合、元の俺がどれくらいまともだと言っているのだろうか、と思案していると、「そうだよ、大丈夫?」とタクヤの影から女子生徒が顔を出す。静岡キョウだ。
四月の最初のホームルームの時から、その整った顔立ちとおせっかいな性格から、こちらは意味通りの頭角を現し、そのまま学級委員になったクラスの中心である。タクヤと同じバスケ部のマネージャーとして頑張っているようだが、四月から顔周りが少しふっくらしてきたと皆に噂され、しかしそれはそれで彼女の可愛らしさを増幅しているように感じさせるのだから、スタンディングオベーションである。
もし花に鳴き声があるならこんな声なのだろう、と思わせる気着心地のいい声にほおが緩む。
「なんか、昼休みからずっと変だよ?」
「何言ってんだ、こいつは生まれた時から変だろ」
「おい、静岡さんの優しさを踏みにじるんじゃない」
取っ組み合う二人にキョウは体をゆすって笑う。
ちなみにだが、ふっくらしたという噂は胸部を見て言われている側面もあるので、そうやって笑うと何がとは言わないが、とてもダイナミックである。
「仲良いよね、二人。中学からの知り合いなんだっけ?」
「ああ、中学の時はそこまで仲良かった訳じゃないんだけどな」
「へえそうなんだ。でもあるよね、高校に入って数少ない同中の人見つけると、その人と仲良くなるの」
タクヤも主観的に見ればただの筋肉ゴリラだが、客観的に見ればそれなりに整った顔立ちである。おそらく顔周りの適度な筋肉と脂肪が男らしさを作り出しているのだろう。だから二人が喋っているのを見ると、ああ、自分とは違う人たちが喋っているな、と感じることもある。
が別に、普通に話に割って入る。
「そういや、お前のせいで酷い噂たったらしいじゃんか!」
「うおっ、な、なんのことだ?」
「昼休みの時、あんなこと言うから俺がトイレで一人で、一人で」
その先を言おうとして、その場にキョウがいることに気づく。
「静岡さん、ちょっと耳塞いでて」
「ん? いいけど」
素直に彼女が耳を塞いだのを確認して、タクヤに耳打ちする。
「俺がトイレで一人でシコってるって噂が立ったんだよ」
タクヤはそれを聞いて、笑顔を弾けさせて、声を出して笑う。その笑い声の大きさにクラス中の視線が集まった。
「笑い事じゃねえよ!」
「アハハハ、ハァ、すまん、すまん、悪かった」
タクヤは涙を目尻に浮かべて笑い、キョウは少し気まずそうな顔をする。
「ほんと、どうしてくれんだよ。まだ学校始まって間もないんだぞ」
「大丈夫だろ、遅かれ早かれだし」
「嘘を広められてもらったら困るんだが?」
目尻の涙を人差し指でぬぐうタクヤは「すまんって」と言いながらまだ静かに笑っている。
「あ、嘘なんだ、良かった……」
隣でそれを見ていたキョウが耳から手を離し安堵の息を漏らしたことに困惑し、息を詰まらせる。
「え、き、聞こえてなかったよね?」
彼女は少し言いずらそうに、絵に描いたように人差し指同士を突き合わせながら、
「いや、私もクラスメイトだし、その話は聞いてた、よ」
「ほぉぉらぁぁぁぁ、やっぱりこうなるじゃんかよ! どうしてくれんだぁ!」
まだ笑っているタクヤに掴みかかると、キョウはなだめるように「で、でも私は噂だと思ってたし、別に信じてた訳じゃないからね? 嘘が嘘ってわかって安心しただけで」と色々言ってくれたが、それでタクヤの罪が消えるわけではない。
どうやって仕返ししてやろうか、と画策していたところ、今度は全く別のところから声がかかる。廊下掃除を担当していた女子生徒に、俺に用がある、と言って誰かが来たらしいとのことだった。
俺は渋々タクヤから手を離して、廊下に出たが、そこには誰もいなかった。
「あれ、さっきの子は?」
「え、ここにいたよね」
二人の女子生徒は、顔を突き合わせて向かい合って同じ方向に、正しくは互いに左右逆に首を傾げる。
「どんな人?」
「メガネかけた、女の子。アンタ名前知ってる?」
「ううん、初めて見た」
メガネかけた女子生徒? まだ四月の終わりで、学校内での交友関係は広くない。男子生徒はクラス外にも体育で知り合った生徒はいるが、クラス間での関わりもまだ少ない今の時期に知り合いの女子など俺にはいない。
もしかして、一目惚れとか、と見知らぬ女子に呼び出された俺に妄想する権利が与えられるが、わかってる、どうせ違う。
もし中学生なら思っていただろうが、そんなことはフィクションの中に過ぎなくて、むしろそういうことがないからああいうフィクションが楽しめるのだ、悲しいかな、わかっているのだ。
どうせなんか、落し物とか、探し物とか、そういう類の話だろう。
しかし、メガネをかけた女子生徒か。今日の昼休みにぶつかった生徒もメガネかけてたな。もしかしてその時に何か?
考えたってわからないものはわからない。俺は適当にありとうだか、わかっただかを言ってその場を後にした。
それから戻って俺はちゃんとタクヤを懲らしめてから、晩飯を奢らせることに成功した。タクヤの部活終わり、俺とタクヤとそれに出会わせたキョウの三人で近くのファミレスに寄って暗くなる頃に解散した。
四月も夜になれば冬の顔を覗かせる。住宅街の隙間を縫って吹き抜ける風が、服の隙間から入って、服の隙間から抜けていく。それは体を冷やして、お腹も冷やす。
なんだよ、またちょっと痛み出したな。
赤く灯る横断歩道の前で、俺はお腹をさする。その瞬間、強いデジャビュが全身を駆け巡る。
帰り道。
腹痛。
赤く灯った信号。
なんだ、これ。
脱力した体を脳から揺さぶられたような、そんな衝撃が走る。
それに腹痛なんて些細なものが飛ばされてしまってもなお、残り続ける違和感と既視感。
まだ隣の横断歩道は緑を灯している。
この光景、前に見たことがある。前、前なのか? わからない。昨日? いや違う、いやちょっと待って、昨日っていつだ?
一番下のジェンガを上手に引き抜けなかった。番号のわからないそれは、無数の疑問に埋め尽くされていく。
隣の歩行者用信号が点滅を始めた。
その明滅が、焦らせる。
何か、昨日、いや、今日、同じことをしたような気がする。
何かとんでもないことが起きているのではないか、という不安と期待に駆られる。それが腹痛によって引き起こされることへの、落胆も同時に感じる。
ついには、その明滅も終えて。辺り一帯が赤の光で染まる。
それが意味するものは。
ふと顔を上げると、信号の向こう側に、女子生徒の姿があった。同じ学校の制服で、小柄だった。丸メガネが赤色を反射する。メガネの向こうはうまく見えない。しかし、俺にはそれが誰かわかった。
既視感と違和感が、その形にすっぽりと収まるような気さえした。
その感覚が、歩みを進ませる。
まだ信号は赤だった。
「な、なあ、君って」
俺の声は、エンジンの轟音に消された。
いいや、正しくは、車にはねられて、遮られた。
「……全く、何回死ぬの」
少女は、寂しそうに言った。




