第2話 侵攻開始2
「っていうことがあった、んだ、よ?」
昼休み、にぎやかな教室の一角で、友人を目の前にした俺は、強いデジャビュを感じて言葉を詰まらせた。
ん? なんだ、この感覚。ちょっと、腹が、痛いか?
「ん? どしたんリョウスケ?」
「あ、いいや、えっと、俺、なんの話をしてたんだっけ?」
目の前で口をあんぐりと開けて呆れ顔を見せるのは、中学以来の友人、木下タクヤ。背の高い順で並べば、クラスの後ろから数えて二人目くらい。短くも整えられた髪は清潔感と、彼の活発的な側面を同時に見せる。
ここで疑問なのだが、側面を同時に見せる場合それは、側面なのだろうか、それとも両面なのだろうか。まあいい。お腹痛いし。
中学の頃から物理的頭角を現し、そのタッパで中学高校とバスケットボール部で活躍中。バスケ部なのに体が黒いのはどういうことなのか、と日々問い詰めたい限りなのだが、その明るい性格が太陽ということで納得することにしている。
「なんか変なもんでも食ったんじゃ?」
「バカ言え、お子ちゃま舌を舐めるなよ」
「そういうこと言ってんじゃねえ。さっきまで何話してたかも忘れるとか、ようやく頭が逝ったか」
「なんだその言い方は、元から願ってたみたいな」
「いや、違うな、『私、あの葉が落ちるまでの命なの』だな」
「手遅れってか」
当たり前だろ、と白い歯を見せて肩で笑った。そんなこいつの方が俺よりもテストの点数は低い。
「さっきまではあれだろ、一番早く走れるのはいつか、って話だろ」
「ああ、うんこの!」
「はぁ? 何言ってんだ?」
手を打つと、タクヤの素っ頓狂な声が飛び出る。
「あれ、うんこの話してなかった?」
「本格的にイカれちまったな」
彼の切れ長の目にはついに哀れみの色が映る。
オレはお前が心配だぜ。
そういうタクヤの側に、別のバスケ部員が姿をあらわす。顔だけは知っている彼はこちらに一瞥をくれると、そのまま目の前の席で背面を抱くように座るタクヤの肩に腕を回す。レンさんたちがバスケやってるから行こうぜって言って、彼も、いいぜって言って立ち上がり、そのままの勢いでロッカー上に置いたシューズをひったくると教室を後にした。
去り際に、シコりすぎてバカになる前に辞めろよ、と言い残した。その言葉は教室中に響いた。
ちょうどお腹が痛くなってきたから、あいつが行ったらトイレに行こうと思ったのに、居られなくなって逃げるみたいになるじゃんかよ! と目の前にいたら叫びたかったが、普通にお腹が痛くなって、背中を丸めて教室を出た。
後から聞いた話では、その後俺がトイレでシコってるらしいという根も葉もない、いや、根はなくもない噂が流れたらしい。
「でも、あの感覚はなんだったんだ?」
濡れた手をズボンのお尻のところで拭きながら、ぶつぶつとつぶやく。
気のせいだというには、あまりにも強い既視感にも似た感覚は、排泄されることなく全身に巡り続けている。
何か、前にも同じことがあったような。いや、そうじゃない、何か戻ったような?
わからない、寝る前に都市伝説系の紹介動画を見ながら寝るのやめた方がいいのか? しかししきりに違和感だけが警鐘を鳴らし続けるから、無視するわけにもいかない。というか無視もできない。
既視感が巡るたびに、体が不自然に痛み始める。
いよいよどういうことだ? 保健室にでもいくのがいいか? いやあ、斎藤先生に合法的に会えるのはいいが、頭を見られて終わりだろう。
答えが出るよりも先に教室に辿り着いてしまった。ちなみに、随分とトイレで手こずっていたので、もう間も無く授業が始まりを告げる鐘がなる頃だ。
ドンッ。
教室に入ろうとしたところで、出ようとしていた女子生徒にぶつかった。丸いメガネをかけた、見覚えのない生徒だった。
小柄な生徒だったから、痛みなどはもちろんなかった。しかし、その衝撃が何か、忘れてしまった、いや、消されてしまった記憶を微かに呼び起こす。
「ひゃっ」
ぶつかった彼女は咄嗟に弱々しい声を上げると、反射的に「すいませんっ」と言って、顔をあげる間もなく走り去っていった。
俺はすぐに走り去ってしまったこともそうだが、それ以上に思い出そうとした記憶をつかもうと腕を動かすのに必死で、返事に遅れてしまった。そして、我に返った時には目の前に彼女はいなかった。
そして、その事実を確認したことで、掴みかけたものをまた手放してしまう羽目になった。しばらく虚空で足掻いてみるも、驚くほどに手応えはない。
「何そこでぼさっと突っ立ってんだ?」
ぽすん、とファイルで頭を叩かれる。そして厚みのあるバニラの香りがふわりと香る。
「この匂いは、斎藤先生?」
「その枕詞きもいの自覚しろ」
切れ長のタレ目の端で斎藤先生は俺を捉える。
腰ほどまで伸びた艶やかな黒髪と強いコントラストをつける純白の白衣。あまり凹凸のある体とは言えないのだが、その匂いなのか、仕草なのか、整った顔立ちなのか、この学校一女性的な先生と言って異論を唱える人はいない、そんなドスケベ養護教諭が、教務記録を手に教室に姿を見せたのだ。
なぜ? さっきまで抱えていた疑問がまだ解消しないうちに現れた次の謎のせいで、現状を手放しに喜べない自分がいる。
保健体育の授業だろうか、いやそれはあの水泳部顧問が暑苦しい笑顔を見せながらいつもやっている。この冷め切った表情はそこにはない。そもそも次は保健だっただろうか。いや、先生が現れたからには、保健なのか、願わくば実技であって欲しいところだが、黒板横の時間割に目をやると、そこには数Aという文字があった。
「先生、数学するんすか?」
俺が尋ねると、元々曲がっていた口をさらに急なへの字に歪めて、
「数学教諭を目の前にして何を言ってるんだ?」
「は? 数学教諭? 先生は、ドス、養護教諭じゃないですか」
「養護? 私がするわけないだろ、そんなこと」
確かに養護教諭の割にはガサツだし、香水つけてるし、ドスケベだとは思っていたが、そんなことを言いながらも、彼女が身につけているのは紛れもない白衣である。俺がそれに目をやっているのに気がつくと。
「いつも着てるだろ、チョーク汚れ防止に」
確かに白衣の間から覗くのは髪と同じく漆黒のスーツであったが、それは養護教諭の時も同じであった。
そしたら、彼女は元から数学教諭で? しかし白衣が。
謎に謎が重なって、俺の脳はついに活動を停止した。
「先生、訳がわからなくなったので保健室で休んできます」
「はぁ? ……まあ、好きにしろ、欠席つけとくからな」
先生の言葉に適当に相槌を打って、俺は保健室の方に踵を返した。一連の行動を一人の女子生徒に監視されていたことに気づくほど余裕などなかった。次に出すべき足が右か左かで混乱さえしていた。
「………」
斉藤先生が数学教師になったため、保健室には当たり前に彼女の姿はなかった。二人になっていたらいたで激アツだと思っていたのはいうまでもないが、そこにいたのは折り紙で顔を作ったのかもしれないと噂されている、年寄りの元数学教師だった。
1時間休ませて欲しいと言ってベッドを借り、布団に包まりながら今日起きたことをもう一度考えたが、不思議なものでそれを目の前にしてしまうとそれが現実で、今までのことが夢なのではないかという気が強くなっていく。
しかし、養護教諭が数学教諭で、数学教諭が養護教諭で、何か強い既視感があることは、紛れもない事実だと俺の直感の全てが叫んでいる。
そうして、ぐるりと回って同じ答えに戻ってくる頃に、五限を終える鐘が厳かになった。




