第14話 我、ついに畑に野菜を植えた
【早起きは三文の徳】
我が生まれ育った懐かしき国・日本には、そのような素晴らしいことわざが存在する。
朝早くに起きて仕事に勤しめば、たとえわずかであっても何かしらの利益(徳=得)が得られる、という意味だ。
何事に対しても、ダラダラと怠けることなく一生懸命に取り組むことの重要性を説いた、先人たちの知恵が詰まった言葉である。
――そんな素晴らしい教訓を胸に、我は朝の6時という、この世界においてはかなり早い時間帯にパチリと目を覚ました。
昨夜は、蓄積したゴブリン退治の疲労と睡魔に完膚なきまでに敗北し、夕飯を食べるという生存本能すら放棄してベッドへ直行し、そのまま文字通り「お寝んね」してしまったのだ。
しかし、人間という生き物は実に都合よくできている。大抵の場合、10時間も泥のように眠っておけば、翌朝にはバッテリーがフル充電されたロボットのように、元気いっぱい、フル稼働で動けるようになるものだ。
(まぁ、中には寝すぎて逆に頭が重くなったり、気だるさを抱えて頭を抱えたりする人もいなくはないが、それはごく一部の特異体質な人々であり、少数派の中のさらに少数派だと言っていいだろう。)
ベッドから起き上がり、前世から愛用しているパジャマから動きやすい作業着へと着替える。
着替えを済ませた後は、エルフの少女ミツハが腕によりをかけて作った美味い飯で朝食を摂る。これが我が日常において「お決まりのベストプラン」となっているのだ。
一日の始まりに、こうして自分の理想とする完璧なプランニングを脳内でイメージすることは非常に素晴らしい。何事に対しても向上心が高まり、一日のパフォーマンスを極限まで引き上げることができるからだ。
つまりは、そういうことである。
自室を抜けて階段を下り、喫茶店《常盤木亭》のフロアへと顔を出す。
厨房からはすでに、ガタゴト、トントンと小気味よい音が響いていた。覗き込むと、ミツハがとっくにモーニングメニュー、すなわち朝食の献立の支度で忙しなく立ち働いているのが見えた。さすがはプロの料理人、朝の強さは我の比ではない。
まだ開店前で、ひっそりとしたカウンター席にしれっと腰を下ろすと、調理の手を止めたミツハがこちらを向いてにっこりと微笑んだ。
「あ、ジョニーさん! おはようございます」
「ミツハさん、おはようございます」
普段と変わらない、どこかホッとする挨拶を交わす。
さて、それでは今日も一日を生き抜くための、至福の朝食タイムへと移ろうではないか。
ミツハが「はい、どうぞ!」とカウンター越しに差し出してきた大皿を見て、我は少し目を丸くした。そこには、何とも不思議な質感をした、ふわふわと柔らかそうな白い肉が上品に盛り付けられていた。
「これは……魚の肉ですか? なんだか不思議な見た目をしていますが」
「ふふ、よく分かりましたね! これはですね、ここからずっと北の方角にある『セドス海域』という場所でしか捕れない、【爆弾ザメ】のヒレ肉なんですよ。爆弾ザメの肉は、口に入れた瞬間に弾けるような、独特の弾力があることで有名なんです」
「爆弾、ねぇ……」
一抹の不安を覚えつつも、フォークで肉を突っつき、一口大に切って口の中へと放り込んでみる。
その瞬間、文字通り脳内に衝撃が走った。
炭酸飲料を口に含んだかのような、バチバチ、シュワシュワとした刺激が舌の上で激しく弾けたのだ!
驚いているのも束の間、次の瞬間にはその肉がまるで魔法のように、とろりと溶けて舌の上から消え去ってしまった。
まさに、爆弾の爆発とその後に立ち込める煙のように、一瞬で消え去る肉――。
(まったく、異世界の食材や肉というのは、どうしてこうも一癖も二癖もある奇妙なものばかりなんだ……)
しかし、である。
これ、めちゃくちゃに旨いぞ!
「旨いな! これは本当にイケる味だ。素晴らしいよ。グッジョブ(GJ)です、ミツハさん!」
我の絶賛を聞き、ミツハは「わぁっ!」と嬉しそうにパタパタと両手を振った。
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「良かったぁ! 喜んでもらえて何よりです。これ、実は今日のモーニングメニューの目玉として新しく仕入れた食材なんですよ。これなら暑い日でも、お客さんにサッパリと食べてもらえるかなって思って!」
「ええ、大人気になると思いますよ」
さて、朝食の美味さに胃袋を掴まれたところで、ここからが本題だ。話題をさり気なく、しかし確実に我の目的とする方向へとチェンジする。
【本格的】かつ【商売向け】の規模で行う農業において、絶対に欠かせない要素がある。
それは、常に優秀な《助っ人》の存在だ。
畑を耕し、苗を植え、水をやり、日々の管理を行う――これを全て一人でこなすのは、いくらチート能力があろうとも肉体的な限界がある。お助けマンは、いつの時代、どこの世界であっても農業には必要不可欠なのだ。
(最低でも二人は必要だな。もちろん、作業人数は多ければ多いほど尚良し、だ!)
我はコップの水をゴクリと飲み干し、真剣な表情でミツハを見つめた。
「ミツハさん、実は例の野菜作りの件なのですが……裏庭で急成長したあの野菜の苗を、いよいよ本格的に畑へ植えよう(定植しよう)と思っているのです。……もしよろしければ、今日の午後、植え付けを手伝ってもらえないでしょうか?」
ミツハは我の頼みを聞くと、少しの躊躇も見せることなく、楽しそうに自分の胸に手を当てた。
「はい! もちろんです! この優秀な『助手』めで良ければ、なんなりとお申し付けください!」
(おお……これはまた、想像以上にあっさりと承諾してくれたな)
やはり、いざという時に頼りになる助手がいるというのは、これ以上なく心強いものである。前世の記憶でも、人間にとって「友人」や「信頼できる仲間」というものは本当に大切にすべきものだと痛感させられる。
異世界に転生してから今日までに繋がった縁は、いつだって我の大きな助けになってくれている。ミツハの好意に、心の底から感謝した。
◆◆◆◆
午前中の営業を終え、店の入り口にある営業プレートをくるりとひっくり返す。
「CLOSE」の文字が表を向いた。時計の針は、お昼の12時少し前を指している。
我はあらかじめ用意しておいた、手書きの一枚の張り紙をドアの目立つ位置にペタりと貼り付けた。
【新メニューの開発につき、
臨時休店日とさせていただきます。
皆様には多大なるご迷惑をお掛けしますが、何卒よろしくお願いします。】
……という次第である。
常連客の皆さんには少々申し訳ないが、これも未来の《常盤木亭》に革命的な夏野菜メニューをもたらすための、尊い犠牲(準備期間)なのだ。
そして、身支度を整えた我らは、裏庭の「かつてただの荒れ果てた空き地だった大地」の前に凛々しく立った!
――そう、我らの努力の結晶たる『畑』は、遂に完璧な姿で完成したのだ。
土は細かく砕かれ、柔らかく空気を含んで、今か今かと苗を迎え入れる準備ができている。
「いいですか、ミツハさん。野菜をただ土に植えるだけでは、この過酷な異世界では上手く育ちません。美味しく安全な野菜を育てるためには、適切な『肥料』と、初期の段階で害虫をシャットアウトするための『殺虫効果のあるお薬』が必要不可欠になるのです。そして何より忘れてはならないのが、土の性質を整える『石灰』です。……ちなみに、基本となる肥料は事前に土に混ぜ込んでおきました」
我の説明を、ミツハは熱心な様子でフムフムと頷きながら聞いている。
「なるほど……。栄養を与えるだけじゃなくて、お薬や土の調整も大事なんですね。そのあたりは、観賞用の『お花』を育てることとも、共通するものがある気がします」
「その通り、植物を育てる基本は同じです」
我はポケットから、小さな小包を取り出した。
それは、我がかつて生まれた国である地球の日本において、園芸界の「絶対的王者」として君臨していた防虫・殺虫剤である。
その正式名称は――《家庭園芸用GFオルトラン粒剤》。
某特撮ヒーローに名前が酷似しているが、あちらのように怪獣と戦うわけではなく、こちらの「オルトラン」は野菜の天敵であるミクロな害虫たちと戦ってくれる、極めて優秀な薬剤だ。
※ヒーローではない。
「今回は、この『オルトラン』という特殊な薬剤を使います。幸いにもこの街の園芸屋の隅っこで見つけることができたのです。オルトランは、ガーデニングから本格的な農業まで、幅広く害虫予防として使われている万能薬なんですよ」
※【家庭園芸用GFオルトラン粒剤とは?】
商品名:オルトラン。主にアブラムシやヨトウムシなどの害虫を予防・駆除するための殺虫剤。
土にパラパラと撒いておくだけで、植物の根から成分が吸収され、葉全体に行き渡ることで、長期間にわたって花や野菜を害虫の被害から守ることができる。
水で薄めて霧吹きなどで散布する「水和剤」と、そのまま手軽に土に撒くだけで使える「粒剤」があるが、今回は初心者でも扱いやすい「粒剤」を使用する。
「そして、この白い粉が『石灰』です。石灰には、雨などで酸性に傾きがちな土壌を、野菜が好む『弱アルカリ性』に近づけて中和する効果があります。さらに、作物の根を強く張らせる効果や、葉の鮮やかな緑色のもととなる『葉緑素』の形成を著しく促進してくれる効果もあるのです」
ミツハは「すごいです、ジョニーさん!」と言いながら、手元の小さなメモ帳に、ものの数秒で驚くべきスピードでペンを走らせ、メモを取っている。
メモを取るという行為は、その時の体験や学んだ知識を、いつでも『過去形(記録)』として振り返ることができる素晴らしい手段だ。このように、常に学び、極力メモを取ろうとする彼女の真摯な姿勢には、我も心から感心させられる。メモを取ることは、現代人の基本中の基本なのだ。
――全国の若人よ、メモを取れ。メモで学び、メモで世界を識るのだ。
「よし、それではこの『オルトラン』と『石灰』の2つを、まずは土にしっかりと撒いておきましょう。これが野菜作りの最初の基本形となります。そうしたら、農業経験者である我が、この『鍬』を使って見事な『畝』を立てていきます。畝を立て、その上にマルチフィルムをしっかりと張って、ようやく苗を植える段階に入るのですよ」
※【畝とは?】
漢字では【畝・畦】と書く。
畑において、野菜などの植物を植え付けるために、土を幾筋も細長く盛り上げた場所のこと。
畝を立てることで、水はけ(排水性)が劇的に良くなり、根に十分な酸素を行き渡らせることができるほか、栽培管理や収穫の作業が圧倒的に行いやすくなる、農業の基礎中の基礎である。
我は自分の右足を滑らせるようにして、地面にスルスルと一本の直線を引いていく。
本来であれば、長いひもの両端を二人で持ち、地面にピシッと擦り付けることでまっすぐな目印(線)を引くのだが、今回は我の洗練された足さばきで十分だ。数分のうちに、畑の土の上に美しい直線が何本も引かれた。
「さあ、始めましょう!」
トマト、ナス、ピーマン、キュウリ――夏野菜カルテットのために用意した4本の列に、オルトランと石灰をバランスよく振り撒く。その後、我は鍬を握り締め、腰を入れて土をさくさく、かつ豪快に盛り上げていった。経験者の技が光り、瞬く間に美しい「畝」が立てられていく。
※収穫後のイメージです。
それを見ていたミツハが、目を輝かせてマルチフィルムのロールを抱えながら声をかけてきた。
「ジョニー先輩! 畝がすっごく綺麗に立ちましたね! 次は、いよいよこの黒い『マルチフィルム』を張るんですね!」
「その通り! マルチを綺麗に張るコツを教えましょう。このフィルムは真ん中が筒状になっているから、この長い木の棒を筒の中に通してください。我とミツハさんで両端を持って、コロコロと畝の上を転がしていくのが最も美しく、最適な張り方なんですよ。そして、転がしながら、要所要所でマルチの端を土でしっかりと埋めて固定していきます」
「わかりました! 息を合わせて……せーのっ!」
二人で棒の両端を持ち、盛り上がった畝の上を滑らせるようにマルチフィルムを転がしていく。
ピンと張られたマルチはたるみもなく、完璧に土を覆い隠した。
マルチフィルムには、あらかじめ等間隔で作物を植えるための「丸い穴」が開けられている。
「よし、マルチ張りも完了だ。あとはこの開いた穴のところに、裏庭で育てた夏野菜の苗を植えていくだけだ」
我らは軍手をはめた手で、ポットからそっと優しく苗を取り出し、マルチの穴の中の土を少し掘って、一つ一つ丁寧に植え付けていく。
冷たい風に苗が痛まないよう、優しく土を寄せて固める。二人の間に言葉はなく、ただ静かで心地よい、沈黙の共同作業(黙々とした苗植え)が続いていく。
全ての苗を植え終えた時、ミツハが額の汗をぬぐいながら、満足そうに畑を見渡した。
「ジョニー先輩、確認のために右側の畝から順番に見ていきますね。ええと……トマト、ナス、ピーマン、キュウリ、そして一番端がカボチャですね! あとはお水をしっかりあげて、育つのを待つだけでいいんですか?」
「ええ、その通りです。ただ、水やりをするときは、マルチの穴の隙間から、苗の根元に直接しっかりと届くようにあげるのがポイントですよ」
「分かりました! たっぷりあげますね」
ジョボジョボと、じょうろから優しい水が苗たちに注がれていく。
「よし、これで終わり……と言いたいところですが、次の工程が本当の『最後の仕上げ』ですよ」
我は、あらかじめ裏庭の隅に用意しておいた、弾力があって十分に「撓る竹」の束を取りに行った。
一本の畝に対して、両側から交差させて支えるため、少なくとも10本以上の竹が必要になる。かなりの本数になるため、ミツハにも手伝ってもらい、何往復かして畑まで運んだ。
「ジョニーさん、この竹をどうするんですか?」
「現代の農業ならプラスチック製の『U字支柱』という便利な道具を使うのですが、この世界にはありませんからね。このしなやかな竹を2本、畝をまたぐようにしてアーチ状に曲げ、組み合わせて代用するのです。これを一定の間隔で畝全体に刺していきます」
竹のアーチが畝を覆うように、いくつも等間隔に並んだ。
その上から、我らは大きな透明のビニールシートをふわりと被せる。
「ミツハさん、ビニールの端っこを持って、ピンと引っ張ってください。一箇所の端を地面に深く埋めて固定したら、もう一方の端を引っ張って、同じように地面の土を被せてしっかりと埋めていくのです」
「はい! よいしょ、よいしょ……!」
風でビニールが飛ばされないよう、二人の息を合わせてピンと張りながら、周囲の土で完全に密閉していく。
そう、これこそが、寒冷地や急な気温の変化から野菜を守るための【トンネル栽培】なのだ!
※【トンネル栽培とは?】
畝の上に、U字の支柱(または曲げた竹などの代替品)をアーチ状に設置し、その上からビニールや不織布などの透明な被覆資材をトンネルのように覆う栽培方法。
これにより、内部の温度を一定に保って寒さから苗を守る(保温)ことができるほか、強い風や害虫、泥はねによる病気などからも野菜を優しく保護することができる。
露地栽培(屋外の畑)において、秋から冬、あるいは春先の寒い時期に収穫を行いたい場合には必須の技術であり、作物の種類によっては半年以上も被覆したまま栽培を続ける場合もある。
◆◆◆◆
※イメージです。
気がつけば、太陽は西の空へと大きく傾き始めていた。
作業を開始してから、実に半日以上の時間が経過していたのだ。
「はぁ……! 完成ですね、ジョニー先輩! 最初は雑草だらけで、本当にひどい有り様の空き地だったのに……先輩のおかげで、こんなに綺麗で見違えるような素晴らしい畑になりましたね!」
ミツハは完成したミニビニールハウス(トンネル)がきれいに並ぶ畑を見つめ、両手を組んでうっとりと感激していた。
確かに、数日前まではゴミと雑草まみれだった場所とは思えないほど、整然とした「最先端の畑」がそこには広がっている。
「ありがとう、ミツハさん。……ただ、この畑が完成したのは我だけの力ではないですよ。畑の真ん中に居座っていた、あの巨大で頑固な切り株を、凄まじい勢いで削り粉にしてバラバラに粉砕してくれた《ホメ猫》の多大なる功績も、ぜひ追加して記録してやってほしいな」
我の言葉に、ミツハは「あ!」とポンと手を叩いた。
「ふふ、そうでしたね! ホメちゃん、すっかり忘れていました。あの時、ホメちゃんが体を高速回転させて、切り株に突撃したときの……あの『ウィィィィィィン!』って音を立てていたやつ、本当に、もの凄く格好よくて驚きました!」
確かに、あの時のホメ猫の姿は圧巻だった。
この世界には、当然ながら現代の土木工事で使われるような「重機」や「パワーショベル」など存在しない。ましてや、高速で穴を開けたり削ったりする『ドリル』という工具すら、概念として存在していないのだ。
すなわち、あのホメ猫の荒技こそが、この世界における『ドリル』という概念の最初の創造主となったわけだ。
「あのホメの動きは、我が生まれた世界では『ドリル』と呼ばれる、土や鉄に穴を開けるための非常に便利な工具の動きにそっくりなんだよ」
我の言葉を聞いた瞬間、ミツハはゴクリと唾を飲み込み、なぜか畏怖と尊敬の念が入り混じったような、ものすごくシリアスな表情で我を凝視してきた。
「……まさか、ジョニーさん!? あなたは、遥か彼方の異大陸に伝わる、高度な超古代文明のロストテクノロジーを受け継ぎし、伝説の【鉄塊機ギミック・メタリスト】なのですか……っ!?」
(てっかいき……ぎみっく、めた、りすと……? 一体全体、それは何なんだ?)
突如として飛び出した、中二心をこれでもかとくすぐる謎の単語に、我の思考は完全にフリーズした。
この時の我は、将来的にこの異世界において、携帯電話をはじめとする様々な前世の「デジタル電子機器」を各種揃え、本当に文明の先導者となっていくことなど、夢にも思っていなかったのだ。
だからその時は、ただ単に、
(ははぁ……。ゴブリン退治に続いて、また何だか変な尾ひれが付いた異名(二つ名)を付けられてしまったな……)
と、苦笑い混じりに内心で思うことしかできなかったのである。
ともあれ、夏野菜の畑はこれ以上ない形で完成した。
我らの冒険と、農業の未来はここから大きく動き出すのだ。
魔獣コロシアムの開催まで、あと2日。
つづく。




