第10話 【我、殺戮使い《ビーストテイマー》になる】
目の前に広がる木製の天井。我はベッドの上にいた。こうしてどこぞの天井を見上げながら意識を取り戻すのは、この世界に来てから数えてこれで二回目である。ちなみに一回目は、異世界の強い酒でアルコール中毒を起こしてぶっ倒れたのが原因だと、後にミツハから呆れ顔で聞かされた。「……んぅ……」前回と全く同じように、ベッドの隣に置かれた椅子では、ミツハが規則正しい寝息を立てて「すぴすぴ」と気持ちよさそうに眠っている。
どうやら我の看病をしてくれていたらしい。今度は彼女を起こさないように、細心の注意を払ってそっとシーツをめくり、静かに部屋を抜け出した。一歩外へ出ると、どこか冷ややかな、しかし心地よい朝焼けの光が我の全身を優しく包み込んだ。
↑ジョニーの脳内のイメージイラストです
あの漆黒の異形――《ホメ猫》に襲われ、文字通り殺されかけたあの瞬間、我の身体に一体何が起きたのだろうか。意識を失う直前に垣間見た、あの気味が悪いほどにリアルな「現実世界(裏)」の光景も、どうやら単なる夢や幻覚ではないらしいということが、この二回目の臨死体験を経てはっきりと分かってきた。
命の境界線を超えた対価として、我の魂には新たな力が刻まれている。確信を胸に、静寂に満ちた朝の空気に向かって、我は静かにその名を呼んだ。
「――《ホメ猫》よ、出てこい」「ニャオオオオオオオオオオオオオオオオオオオン!!」
その刹那、世界が激変した。太陽が昇り始めたばかりの東の空が、一瞬にして辺り一面、光を拒絶するような漆黒の闇に包まれる。天を割るようなけたたましい咆哮が響き渡り、まるで一筋の黒い稲妻が大地に突き刺さるかのように、ソレが降臨した。うごめく黒い影の塊。……しかし、待て。前に対峙したときは、どちらかというと凶暴な「イヌ」っぽい形状をしていなかったか?だが、今我の前に鎮座しているソレは、何事もなかったかのように猫の形を模していた。間違いなく、我が眷属となった《ホメ猫》であった。バタン!!その時、裏口の木製の戸が、立て付けの悪さを物語るような《大きな》音とともに勢いよく開け放たれた。中から飛び出してきたのは、髪を振り乱した《常盤木亭》の店主ミツハだった。
彼女は寝起きのまま、両手両足を広げた大の字の姿勢で立ち尽くし、かつてこの世の終わりを体現するような《殺戮動物》だった存在――いまや我の足元で佇む《ホメ猫》を見て、完全にたじたじになり、驚きを隠せない様子で固まっている。このあまりにも間抜けで、同時に愛らしい彼女の様子を見たのは、世界広しといえども我くらいのものだろう。「な、何事ーーっ!? え、ちょっと待ってジョニー……あなた、《殺戮使い(ビーストテイマー)》だったの!?」開口一番、ミツハからそんな物騒極まりないあだ名を進呈された我は、なんともフクザツな気分にさせられた。
《先導者チーター》に続き、今度は《殺戮使い(ビーストテイマー)》。どうして我の持つユニークスキルは、こうも平和な農業生活に不釣り合いで、お世辞にも便利とは言えない物々しい名前ばかりなのだろうか。
「ごろにゃーん……」そんな我の困惑を余所に、《ホメ猫》はゴロンと地面にひっくり返り、無防備に腹を見せて、腰を抜かして座り込んだミツハの足元にすり寄って甘え始めた。しかし、その外見はやはりどう見ても異常だ。黒い影の身体からは、ひゅうひゅうと禍々しい漆黒の煙が絶え間なく立ち上っており、その瞳には瞳孔がなく、ただ不気味な白目だけが怪しく光っている。絵面的には完全にホラーである。
「ミツハさん、その……《殺戮使い(ビーストテイマー)》とは、一体何なのですか?」
我の問いかけに、ミツハはハッと我に返ると、すくりと立ち上がって右手の人差し指を突き立てた。まるで自らの数々の武勇伝を語るかのように、いつもの調子で、この世界に伝わる《概念魔獣》と呼ばれる神の獣の逸話を、少し自慢げに話し始めた。
「いい? よく聞きなさいジョニー。《概念魔獣》っていうのはね、絶対に人に懐かないことで有名なの。彼らは肉体を持たない存在だから、普通の意味で死ぬことはないわ。もし戦いでエネルギーを使い果たしても、核となる触媒さえあれば何度でも現界できるの。でもね、それを仲間にするためには、その魔獣が司る『概念』そのものを手に入れなきゃいけないらしいのよ。……『らしい』っていうのはね、その概念を手にして魔獣を従えた人間なんて、この国の長い歴史の中でもごく僅かしかいないからよ! つまり、今のジョニーがやったことは、前代未聞の大事件なの!」
ガイネン、がいねん、《概念》、か。
我は知らず知らずのうちに、世界を揺るがすようなとんでもない怪物を仲間にしてしまったのだと知り、つくづく反省した。
確かに、一歩間違えればあのまま命を落としていたのだ。これは後で一人反省会を開催するレベルの深刻さである。我はさらに首を傾げつつ、ミツハの弾むような声を真剣に聞き取った。
「それでね、一番すごいのは、その核である《概念》を物理的に破壊されない限り、仲間になった《殺戮動物》はどんなにボロボロになっても何度でもその場で蘇るっぽいよ。それこそが、恐るべき《殺戮使い(ビーストテイマー)》の能力ですよ!!」なるほど、納得した。言葉の響きは悪役そのものだが、《殺戮使い(ビーストテイマー)》の秘める不死身の使役能力は、確かに文字通りかなりパワフルだ。
――その時、我の脳裏にパッと電流のような閃きが走った。もしこの魔獣が我が命令に絶対従う存在であり、なおかつ形を自在に変えられる不死身のエネルギー体なのだとしたら、もしかして、あの作業が劇的に進むのではないか。
「《ホメ猫》、こっちへ来いッ!!」
我の鋭い声に、それまでミツハの足元でゴロゴロと喉を鳴らしていた《ホメ猫》は、ハッと我に返ったように鋭く身を起こし、こちらに向かって突進してきた。しかも、地を駆けるのではない。漆黒の躰を宙に浮かべ、信じられないことに空中を飛んでやってきたのだ。その飛行速度は、まるで音速の壁を突破するミサイルの如きスピード――まさに《マッハ》であった。
「我について来い」
「!”#$%&!”#$%&!”#$Ii’\――にゃーん」
《ホメ猫》は、まるでバグった電子音声のような意味不明な記号じみたコトバと、猫としての動物性を残した鳴き声を同時に発しながら、我の後を追う。裏口から続く狭い通路を通り、我々はあの空き地へと足を踏み入れた。軍手一つで地道に雑草を抜き続けたおかげで、ここはもうじき立派な「畑」となる予定の場所だ。
だが、その行く手を阻むように、巨大で頑強な切り株たちが相変わらずあちこちに深く根を張っている。
これらは、あの臨死の淵で現実世界(裏)を見たことにより、我が魂が垣間見た《真理》という名の力。これこそが、命を賭けた等価交換というヤツなのだろう。
「《ホメ猫》、貴公に命ずる。そこに並ぶ全ての切り株を撤去せよ。なるべく短時間で、速やかにな」
【!”#$%&’()!”#$%&’()!”#$%&’()!”#%&’()!”#%&’()io!”#%&’!#%&’()!”#$%&’】
《ホメ猫》が再び、鼓膜を震わせるような意味不明な記号の鳴き声を絶叫した。
その直後に繰り広げられた光景は、我の貧弱な予想を遥かに絶していた。なんと《ホメ猫》は、そのうごめく影の躰を瞬時に変形させ、先端を巨大な「ドリル」の形状へと変化させたのだ。
ウィィィィィィィィン!!
静かな朝の畑に、およそこの異世界には存在するはずのない、凄まじい機械駆動音が鳴り響く。空中へと高く舞い上がった《ホメ猫》は、その先端のドリルの刃先を凄まじい速度で回転させながら、地上の切り株へと次々に突撃していった。
ガガガガガ!と激しい音を立てて、あれほど我を苦しめた頑強な木塊が、一瞬にしてただの細かい「削り粉」へと形を変えて弾け飛んでいく。
その圧倒的な一部始終を横で見ていたミツハは、口をあんぐりと開けたまま、「すっごーい! 何それ!?」と、飛び跳ねながら歓声を上げていた。
《ホメ猫》は、ただの恐ろしい魔獣ではなく、主人の命令次第で何にでもなる詰まる所の「万能猫」だった。これほど優秀なら、もはや小学校の宿題のごとくハナマルをいくつもプレゼントしてあげたい気分だ。
しかし、いくら作業スピードが超音速並みに早いとはいえ、《ホメ猫》は一匹しかいない。
切り株の表面だけでなく、地中深くに張り巡らされた根の末端まで完全に削り粉にするには、いくら万能とはいえ、多少の時間がかかっても致し方ないだろう。
「ふむ……全ての切り株を完全に処理し終えるまで、見積もって半日というところか」
我は満足げに頷いた。ちなみに後から聞いた話だが、あの《シュナウザーの迷森》の攻略中、我は決して魔獣に一方的に殺されかけたわけではなかったらしい。
同行していたベルリンやチワワの視点からは、我が命がけの抵抗によって《殺戮動物》こと《ホメ猫》の躰を一度は粉々に粉砕し、その直後に限界を迎えて気絶したように見えたそうだ。
そして、気を失った我は、巨漢のベルリンに丸太のように担がれて、ここまで運ばれたのだという。
……まあ、事実は当事者たちにとって、実に都合よく英雄譚へと改変されていたわけだが、我を救ってくれたことには変わりない。
その、昏睡している間に迷惑をかけたギルド屋&酒場《酔いどれホライズン》にいるベルリンさんへ、後でお礼を言いに会いに行ったのは、また少し別の時間軸の話である。
「まさか、あの森の奥にいた黒い魔獣を本当に仲間にしちまうなんて、ジョニーの旦那は一体何者なんスか? 《ホメ猫》っていうんスか? 冒険者ギルドの図鑑にも載ってねぇ、聞いたこともねぇ名前の魔獣ッスわ! ……あ、お礼なんて全然いいッスよ! それより、あの時に一緒にいたスタイルのいい姉ちゃんがさ、俺たちに銀貨2枚もチップをくれたんスよ。それだけで十分お釣りが出るッス!」
酒場でベルリンは、豪快に笑いながらそう語っていた。
スタイルのいい姉ちゃん……? 一瞬誰のことかと思ったが、消去法でミツハのことだろう。
因みに、ベルリンは、髪を切ったらしいが、ここは触れないでおく。
いつも近くにいると麻痺してしまうが、まあ、客観的に見れば確かにスタイルが良くて可愛い部類に入るのだろうな、と我は妙に納得したのだった。
そんな回想を終えて常盤木亭に帰ると、店の前に見慣れない立派な宅配便の馬車が止まっていた。
入り口では、ミツハが何やら大きな荷物の受け取り対応をしてくれている。しばらくして、配達員のニッコリおじさんは我の姿を見つけると、白い歯を輝かせて「Boy, good-bye!」と、実に流暢な発音で言い残し、爽やかな笑顔のまま馬車を駆って立ち去って行った。
実に見事な笑顔が似合う、ジェントルマンなニッコリおじさんだった。ニッと笑ったその口元から、前歯が驚くほど白く綺麗に歯磨きされているのが遠目からでもはっきりと分かった。
「あ、ジョニー先輩! ちょうど今、あなた宛ての荷物が届いたわよ。ええっと……伝票には『■■三代目』っていう人からの贈り物みたいなんだけど、心当たりある?」
「三代目……」
その名前を聞いた瞬間、我が脳裏に浮かんだのは、あの昏い暗黒世界で出会った《先導者》、田中三代目の顔しかなかった。
現実世界(裏)では意味不明な狂気的なことばかりを散々抜かす男だが、我の農業をこうして支援してくれることに関しては、素直に《感謝はしている》。
ぎっちりと頑丈に包装に包装を重ねられた大きな段ボール箱は、持ち上げるとずっしりと結構な重さがあった。
この世界の厳重すぎる何重目かの包装を引き剥がしていく動作すら、だんだんと面倒に思えてくるのは致し方ない。ようやく現れた本体の隙間を、ガムテープがこれでもかと強固に固定している。
我はポケットから鎌を取り出し、急いでガムテープをバリバリと豪快に引き剥がした。中身が露わになる。
「ええっと、これは……【支柱】に【マルチ(マルチングフィルム)】、それに【ビニールひも】だ!」
どれもこれも、あの暗黒世界で我が必要だと目を付けていた近代農業の必需品ばかりだった。差出人欄には、確かに『■■三代目』と薄く書かれている。
間違いなくあの田中三代目だろう。名前の肝心な部分を伏字にする意味はもはやこの世界において何もないと思うのだが、アレはアレで、彼の存在そのものがこちらの世界のシステムにとって不都合なものなのだろうか。
いや、否である。それは田中さん本人が判断することであり、我のような新米農家が兎や角いう資格は無い。むぅ、と我は一人納得して腕を組んだ。
「ねえ、その『■■三代目』って、一体誰なのですか? すっごく怪しい名前だけど……」
ミツハがジト目で箱の中身と我を交互に見つめてくる。
「あ、あええっと……ちょっとした知り合い、さ。ほら、我の記憶が失われる前、の古い友人だよ」
「ふーん……変な名前の知り合いが多いんですね、ジョニー先輩って」
これ以上追及されると色々とヤバそうな領域に突入しそうなので、我は適当な嘘でその場を誤魔化すことにした。慌てて話題を切り替える。
「そ、そういえば、開墾を頼んだ《ホメ猫》はどうなりましたか?」
「ああ、ホメちゃんならねー、さっきお仕事が全部終わったみたいで、今は縁側で気持ちよさそうにお昼寝してますよ。それから、言われていた空き地の切り株、本当に全部撤去されてるわ!私もさっき髪、
切ってきたからよろしくね」
《ホメ猫》のホメちゃんねぇ。ミツハの付けたその呼び名を聞いて、我は内心で首を傾げた。まぁ、良いとも言えないが、特別に悪いセンスでもない。無難に批評するならば「ネーミングセンスゼロ」と言ったところだろう。
人間のネーミングセンスにはプラスに働くこともあるが、彼女の場合はマイナスも当然あるということだ。髪を切るのは、割とどうでもいい。、エルフは魔法で、自分の髪を切ったり伸ばしたり色を変えたり出来るらしいのを知ったのは、まだ先の事。
しかし、ミツハは我が驚く顔を見て、両手でVサインを掲げて自慢げに胸を張っている。当初は半日はかかると見積もっていたあの膨大な量の切り株の撤去作業を、《ホメ猫》はわずか3時間足らずで全て終わらせてくれたのだ。
たったの3時間で、あの硬い木塊をすべて均一な削り粉に変えてみせたのである。
この大量の木くずは、ただ廃棄するには勿体ない。
家畜の肥しと混ぜ合わせて適切に発酵させれば、植物にとって丁度良く栄養が詰まった最高の【堆肥(肥料)】になるのだ。畑の土にこの肥しを均一に散布すれば、木くずと土が混ざり合い、これから植える夏野菜たちの成長を劇的に助けてくれるだろう。
あの《シュナウザーの迷森》で命がけで手に入れた肥しとこれを混ぜ合わせて、最高の畑を作ってやるぞ、と我の胸は農業の熱い野心で満たされた。「――ああ、そうだ。大事なことを忘れるところだった」
我は段ボール箱を片付け、縁側で丸くなって寝ている《ホメ猫》のもとへと歩み寄り、優しく声をかけた。
「ほら、お前が如何にも好きそうな、市場で一番美味そうな魚の丸焼きを買ってきたぞ。ご苦労だったな」
「ニャァァァァァァァァァァァァァァァァァァン!」
焼き立ての香ばしい魚の丸焼きを鼻先に差し出すと、《ホメ猫》は嬉しそうにひと鳴きした。そして魚をガブリと大きな口で咥えたかと思うと、そのまま煙のように我が身体の中へと吸い込まれ、一体化するように入っていった。
……優秀すぎる猫とは、まさにこのことだ。開墾もできて、コンパクトに収納もできる。まさに万能猫、ヒャッハーだぜ☆
《ホメ猫》のホメちゃん。
あまりにも便利すぎて、異形の姿すらだんだんと可愛く思えてくる、夏が到来する前の、ある穏やかな日の出来事であった。
つづく。




