第7話:天災黒竜のお散歩
エイデンスを発ち、無事に街道へと合流したレオンとクロは、中継都市グランバザールへの道を歩み続けた。
道中、レオンはクロの社会化訓練を怠らなかった。
世界を滅ぼす力を持つ存在といえど、人間の世界ではただのツノの生えた黒い犬だ。
すれ違う大型の乗り合い馬車、騒がしい行商人、突然飛び出してくる子供たち――それらの刺激に対して過剰に反応せず、強大な魔力を隠しながら主人の指示を第一に仰ぐアテンションコントロールの訓練を徹底した。
大きな馬車が激しい音を立てて横を通り過ぎても、クロは吠えることなく、じっとレオンの目を見つめ返した。
「よし、いい子だ、クロ」
レオンが特製おやつを与えると、クロは満足そうに尻尾をパタパタと振った。
この道程はクロという「新しい家族」の心と身体を、この世界の環境にゆっくりと馴染ませるための、極めて重要な期間であった。
「クロ、ステイ」
街道の傍らにある静かな林の中。
レオンが声をかけると、ツノの生えた黒い犬――クロは、ぴたりと足を止め、お座りの姿勢をとった。その丸い瞳は、じっとレオンの右手を見つめている。
「パチリ!」
クリッカーの鋭い音が響いた瞬間、レオンの手から特製のおやつが放たれた。
クロはそれを空中で見事にキャッチし、幸せそうに喉を鳴らす。
「よし、よくできた。お前の学習速度は素晴らしいな。前世の家族(犬)をも凌駕している」
レオンが頭を撫でてやると、クロは嬉しそうに長い尾をブンブンと振った。
その姿には、かつて大断絶山脈で世界を呪っていた『天災』の面影など微塵もない。
(前世の私は……研究に没頭するあまり、家族だった犬たちの本当の心に向き合う時間が少なすぎた。救えなかった命もあった。だが、今世では違う。クロ、お前を世界一幸せな犬に家族にしてやる)
眼鏡の奥の瞳を和らげ、レオンはクロの背中を愛おしそうにブラッシングする。
だが、この心温まる二週間の散歩道の途中で、レオンは何度も「この世界の歪み」を目撃することになった。
街道の随所に、遺棄された魔獣の死体や、大破した商隊の馬車が転がっていたのだ。
ある場所では、過労で心不全を起こしたと思われる一頭のが、冷たくなって横たわっていた。
(……やはりな。ドミネイトによるテイムは、魔獣の精神に強制的な過負荷をかけ続け、肉体の限界を知らせる脳の痛覚サインすら麻痺させる。年間数百件の暴走事故が起きるのも当然だ。この世界のテイマーどもは、インフラの基盤となる魔獣との意思疎通そのものを自分たちの無知で削り取っていることに、まだ気づいていない)
アイアンボアの死体を丹念に観察し、その骨格の歪みと術式の問題点を、レオンは手帳に細かく書き留め、街道から少し外れた場所で燃やし、埋めてやり、その前で静かに手を合わせた。
「クゥン……」
クロが不穏な気配を察したのか、心配そうに鼻を鳴らし、レオンの膝に頭を押し付けてきた。
「大丈夫だ、クロ。お前には絶対にこんな思いはさせない。……さあ、行こう。ガラルド帝都はもうすぐそこだ」
二週間の濃密な時間は、一人と一匹の絆を、何者も引き裂けない絶対の「信頼」へと昇華させていく。
そんな旅路の最中、グランバザールまであと数日という街道で、事件は起きた。
「おい! どけ! 運搬獣が止まらないんだ!」
前方の商隊から悲鳴が上がった。ドミネイトの限界を迎え、ストレスでリミッターの外れた一頭の運搬獣――キャトルタスクが、四本の頑強な角を振り乱し、狂ったように街道を暴走し始めたのだ。ドミネイトで容易に支配できると過信した結果の暴走事故である。
その直線上に、逃げ遅れてしまい、親とはぐれて泣き叫ぶ小さな人間の子供が取り残されていた。
周囲の冒険者やテイマーは恐怖で動けない。キャトルタスクの蹄が、子供を蹂躙せんと迫る。
「クロ。アテンション」
レオンは眼鏡の位置を直しながら、極めて冷静に命じた。
「ハフッ!」
「……ターゲット。あの獣を止めて。竜の力は使っちゃダメだよ。犬としての動きで、相手を傷つけずに無力化してくれるかい?」
レオンの指示が出た瞬間、クロの身体が弾丸のように地を蹴った。
クロは魔法の力など一切使わなかった。純粋な身体能力と敏捷性――犬の身体で出来る最高峰の身のこなしで、暴走するキャトルタスクの懐へと滑り込む。
そして、突進の軸を完璧に見切り、その巨体の側面へと自身の頑丈な身体を鋭くぶつけた。タックルによる運動エネルギーの相殺だ。
ドゴォン!
「ブモッ!?」
キャトルタスクの巨体が不自然に宙に浮き、街道の脇の草地へと転がった。
すかさずクロは首元を甘噛みで制し、相手の戦意を喪失させる。傷一つつけない、完璧な阻止行動。
「ステイ」
レオンが命じ、駆け寄る。
――パチリ!
クリッカーの音を聞き、レオンから特製おやつを貰うと、クロは愛らしい尻尾を振って喜んだ。
一方、無力化されたキャトルタスクは、荷台を外され軟膏で痛みを和らげ、狂乱の原因であった過負荷から解放され、恐怖が消え去った安心感から巨体を縮こまらせた。「フシュー、フシュー」と鼻息を漏らし、馬や牛のように大人しく頭を垂れ、レオンの手元へ静かに鼻先を寄せてきた。
持っていた自作の汎用型ハーネスをテイマーに手渡し代金を受け取った後、レオンが指示を出す。
「クロ、ヒール」
その言葉にクロは嬉しそうに左足側にぴったり寄り添って歩き出した。
「クロ、素晴らしい働きだったね、頑張ってくれてありがとう」
周囲の行商人たちから、割れんばかりの歓声が巻き起こる。その夜の夜営では、レオンはクロを深く労い、顎の下を撫でて深い愛情を伝えた。
補足情報
・アイアンボア
容姿: 全身が鋼鉄の剛毛で覆われた巨大な猪。
生態: 短距離を高速で駆け抜ける物流の要。
・キャトルタスク
容姿: 4本の頑強な角と蹄を持つ運搬獣。
生態: 商隊の荷引きに使われ、性質は本来温厚だが、ストレスリミッターが外れると直線的に暴走する。




