第5話:限界集落を救うミシン
麓の宿場町ロドスを出発して十日。
どこまでも続く緩やかな平原地帯の旅路の中盤、レオンとクロの足は、中部経済を支える中継都市グランバザールへと続く街道の手前に位置する、穀倉地帯の村『エイデンス』へと差し掛かっていた。
しかし、のどかな田園風景が広がるはずの村の入り口は、異様な怒号と悲鳴によって凄惨たる戦場へと変貌していた。
「駐在さん! もう槍の柄が持ちません!」
「防衛線を死守しろ! 青年団、絶対にここから引くな!」
「くそっ、俺たちじゃ、あのサイズのグランドバイソンを相手にするなんて最初から無理だったんだ……っ!」
数人しかいない頼みの綱の駐在の老兵士や、地元の駆け出し冒険者たちが、村の青年団たちと共に泥臭く防衛線を構築し、絶望的な戦いを繰り広げていた。
彼らの前には、体重二トンを超える巨躯を誇るグランドバイソンが、泥にまみれた茶色の剛毛を逆立てて狂ったように咆哮し、村の柵を破壊していた。
その背後では、テイマーらしき男が額から汗を滝のように流しながら、必死に杖を突き出し、狂乱していた。
「くそっ! なぜだ! 少しばかり積載量を増やすために、ドミネイトに過負荷の術式を編み込んだだけだぞ!? 言うことを聞け、この木偶の坊め!」
男が焦燥に駆られて無理なドミネイトの光を放つたび、グランドバイソンは脳への過剰なストレスによって狂暴化し、背負わされた粗悪な木製サドルをミシミシと軋ませて暴れ狂っていた。
「――もう術をかけようとするのはやめて下さい。その魔獣は、決して狂暴化したわけではありません。完全に、貴方の初歩的なミスです」
緊迫した喧騒を裂いて割って入ったのは、身の丈に合わない大きいカバンを背負った、地味な眼鏡の男――レオンだった。
「あんたは誰だ! 危険だから下がっていろ!」
「よく見て下さい」
レオンは相手を威圧することのない、物静かで礼儀正しい職人としての丁寧な敬語を崩さず、しかし芯の通った凛とした声で言った。
「あのグランドバイソンが暴れているのは、術の失敗ではなく、その背にある劣悪な木製サドルが骨格を歪め、神経を圧迫していることによる、純粋な肉体的激痛のパニックです。そこへ無理やりドミネイトで痛覚を麻痺させ走らせ続けたため、術式の限界値を超えストレスが爆発したに過ぎません。これ以上の被害を出したくないのであれば、まずはそのドミネイトを解除してください」
「な、何を馬鹿なことを! 魔獣は魔力で従わせるものだ! 小汚いおっさんが知った風な口を叩くな!」
テイマーの男が顔を真っ赤にして怒鳴る。
だが、レオンは男の罵声を完全に無視し、背負っていた大きいカバンを地面に下ろした。ドン、と地面の砂埃を揺らす重厚な音が響く。
レオンはバイソンの死角である斜め後ろの位置から、驚くほど無駄のない足取りで接近した。前世の動物行動学に基づく、動物を刺激しないセーフティアプローチだ。
暴走するバイソンがレオンを視野に捉えようと首を巡らせるより早く、レオンはバイソンの鼻先に、特製おやつを近づけて香りをふわりと漂わせた。
「ブモォ……っ!?」
圧倒的な旨味成分の香りが人間の数百倍鼻の効くバイソンの脳を直接揺さぶり、暴走の駆動がピタリと停止する。その隙に、レオンは持っていた綿麻紐を束ね、素早く関節に絡め、無魔力でその巨躯を安全に地面へと着座させた。
「まずは、この劣悪なサドルを外してあげますからね」
レオンはバイソンの背中から乱暴な作りのサドルを丁寧に外し、擦れて血が滲んだ外傷箇所へ、痛み止めの薬草から作った手製の軟膏を優しく塗り込んだ。
ひんやりとした軟膏が痛みを和らげたのか、時間が経つにつれバイソンの荒い息遣いが少しずつ落ち着きを取り戻していく。
「さて、力による制圧はここまでです」
レオンは魔道具を用いて使い込まれた作業台を展開し、二十キロの鋳鉄製ミシン『ウルフマークⅠ』を据え置いた。
ここから先は、暴力ではなく、職人の時間の始まりだ。
補足情報
・穀倉地帯の村エイデンス
良質な植物が採れる。
距離感: 宿場町ロドスを出発し、緩やかな平原地帯の街道を進んで徒歩で約10日の距離
・グランドバイソン
容姿: 体重2トン超、泥にまみれた茶色の剛毛に覆われた巨大な牛型の魔獣。
生態: 農作業や重機代わりに使われるが、ドミネイトの負荷で暴走しやすい。




