第3話:始まりを告げる一着
「よし、いい子だ。よく頑張ったね」
レオンは今までに見せたことのない、とても優しく穏やかな顔付きを浮かべ、長年の仕事により出来たタコの目立つ右手で黒竜の硬い額に触れた。
その瞬間、レオンの脳内に、言葉ではない強烈な思念の奔流が直接流れ込んできた。
それは黒竜の、生涯誰にも届かなかった魂の慟哭だった。
(……もっと。もっとあの音が、味わったことのない極上の肉が欲しい。我が身を苛むこの終わりのない飢えと、世界のすべてを拒絶したくなるほどの孤独を、お前の手で、もっと、もっと満たしてくれ――!)
神話級の竜とは、言ってしまえば強すぎる魔力の塊だ。
ゆえに、常に飢餓感に苦しみ、それを周囲への破壊衝動として撒き散らすことしかできなかった。
人類はそれを天災と呼んだが、本質は違う。
これは、あまりの巨体と強さゆえに、誰からも触れられず、正しい導きを得られなかった命の悲鳴だ。
レオンは前世、地球で同じような目を何度も見てきた。
人間の身勝手な飼育によって檻に閉じ込められ、狂ったように吠え、殺処分寸前になっていた動物たち。
彼らもまた、ただ正しく愛され、満たされるための行動を求めていた。
レオンは眼鏡の奥の瞳を和らげ、優しく語りかけた。
「お前を苦しめるその巨大な魔力も、その山ほどもある身体も、ここに居ては誰も救ってくれない。……私と一緒に来るか? 来るなら、お前をその呪縛から解放してやろう。ただし、人間の街にその姿では行けないんだ」
黒竜の巨躯が、歓喜に震えた。
(行くとも。お前の隣へ行く。そのためなら、この肉体も、竜の頂点の座も、私はすべてを捨てよう。私はどうすればいい!?)
「その強大な魔力のせいなのか、詳しくは説明出来ないが最初に触れた時、私にはお前の全てが見えたんだ。お前も私の前世の記憶が見えたんだろう? 前世の世界で最も知的で、優しく、人間を愛し、長年人間からも等しく愛された動物がいる。――ラブラドールレトリバー。その姿を、お前の魔力を使って魂と身体に模倣出来るか?」
レオンが背負う大きいカバンの中から、犬たちの骨格や筋肉、血管の一本に至るまでを緻密に模写した一冊のノートが、かすかに共鳴したように感じた。
それに応じるように、黒竜の巨体がミシミシと骨を軋ませながら、爆発的に収縮していく。
世界の特異点が、レオンにとって愛くるしい見慣れた形の動物へと再構成されているのだ。
数時間後、宿場町ロドスの灯りが遥か遠くに見える雪原の端。
そこに佇んでいたのは、頭部に小さな二本の角を持つ以外は、細部まで完璧な再現度を誇り、漆黒の体毛で覆われ、気品と愛くるしさを併せ持ち、大部分の魔力を使ったはずなのに、それでもまだ圧倒的な強大さを感じさせる魔力を保有している事がわかる、ラブラドールレトリバーの姿だった。
「……クゥン」
戸惑ったように、しかし確かに軽くなった心と身体で、黒い犬は鳴いた。
「よし。今日からお前の名前は『クロ』だ。お前の新しい犬生を、クロのためだけに設計する一着の仕立てから始めようか」
レオンはクロの顎の下を優しく撫で上げて、気持ちよさそうに目を細めさせた。
これから、魔法や暴力ではなく愛情の絆で結ばれた、本当の家族になっていくのだと誓いながら。
補足情報
【宿場町ロドス】
《大断絶山脈の麓に位置する》小さな町。
距離感: 大断絶山脈のベースキャンプから、猛吹雪の中を徒歩で下山して約3日の距離




