第16話:魔道犬トレーニング
「レオンさん……! 大変です、このままではクロちゃんが……!」
ガストン商会のステーブルの一角に設けられたレオンの仮設工房。
ルカから「ガラルド帝都からルバート次長が到着した」
という報せを受けた日の午後、国家監査局の監査官であるシルヴィアが、シワ一つないはずの完璧な紺色の制服を乱し、青ざめた顔でレオンのもとへ駆け込んできた。
そこには、今後の商会の展望について打ち合わせに来ていたガストン商会長も同席していた。
「落ち着いてください、シルヴィア監査官。ルバート次長による臨検のことですね」
レオンは作業台の上のミシン『ウルフマークⅡ』から静かに手を離し、足元でお散歩レトロドットのフード付きセーラーベストを着てくつろいでいたクロを一瞥した。
「はい……。報告は上げていますが、私が腰に下げていた国家最高峰の『魔力水晶』は、発動すらさせず、ただクロちゃんに近づいただけで許容量を超えて勝手に自壊してしまいました。ルバート次長があらためて持ち込む【魔力水晶】の検査で、クロちゃんの魔力を目の当たりにしたら……私同様に恐れを抱き、危険な未登録魔獣として即殺処分となってしまうかもしれません。対策を練らなければ!」
シルヴィアの告げた異常事態に、ガストンの顔色がさっと変わった。
「なんと……。しかし、今のクロの魔力がどれほど漏れ出ているか、現状を確認する手段すら失ってしまっているということか」
「ええ。私の物は壊れてしまいましたから……」
絶望に沈むシルヴィアに対し、中部物流を支配する大商人であるガストンが力強く立ち上がった。
「このままでは対策のしようがない。国家指定の『魔力水晶』は無理でも、市販されている『魔力結晶』なら手に入るかもしれん。国家のものより計測できる魔力容量が小さく誤差も大きいが、手に入りやすいはずだ。私が街の商館を回って、手に入る限りの【魔力結晶】をかき集めてこよう!」
「ガストン会長、例え魔力結晶だとしても決して安い物では……」
と心配するシルヴィアにガストンは
「この世界の物流を救うレオン殿の愛獣をみすみす殺させるわけにはいかんからな! 少し待っておれ!」
そう言うと、ガストンは急いで工房を飛び出していった。
ガストンが戻るまでの間、レオンはただ待つのではなく、すぐに対策を開始した。
「魔法や魔道具での完全な隠蔽は不可能と判断します。天災級の魔力を強引に覆い隠せる効果の物は存在しておらず、仮にあったとしても反発して周囲に甚大な被害が出かねません」
「では、どうするのですか!?」
「黒竜としての圧倒的な魔力を解放する事が出来るなら、逆にもっと内に抑え込む事も可能なのではと考えます。つまり、『クロ自身の生体コントロール』で魔力を抑え込むのです」
レオンは大きなカバンを探り、自身の腰に一つの小型魔道具を装着した。
『マウンテンブリーザー』である。
「これには本来、高山病対策として周囲の気圧と酸素濃度を一定に保つと同時に、外部からの致死レベルの魔力圧を軽減・相殺する効果があります。これをお手本にしましょう」
カチリ、と起動音を立ててマウンテンブリーザーが作動する。
「周囲の空間の魔力密度を、一定に保とうとする障壁を張りました。クロ、ここへ」
「クゥン」
クロが指示に従い、効果範囲へと足を踏み入れる。その瞬間、クロの巨躯から絶えず漏れ出ようとする圧倒的な魔力が、空間そのものに弾かれ、外に出られずに自身の内側へと相殺されて引っ込んでいく。
クロは、自分の気配が薄くなる『感覚』を物理的に疑似体験した。
「ハフ……?」
クロが不思議そうに自身の身体を見回す。
「クロ。まずはこの状態で、『魔力が抑えられている時の自身の身体の感覚』を覚えてね」
クロが「魔力が抑えられた状態」に慣れたところで、レオンはマウンテンブリーザーの効果をパツンと切った。途端に、再び濃厚な魔力が漏れ出しそうになる。
「さあクロ、今の感覚を、自分で再現してごらん」
クロはレオンの目をじっと見つめ、先ほど空間に押さえつけられていた感覚を必死に思い出した。
そして、意図的に自身の魔力を僅かに引っ込め、気配を薄くした。
その刹那。
――パチリ!
澄んだ金属音が響き、レオンの右手から特製おやつが放たれた。
クロは見事にそれを空中でキャッチし、目を輝かせた。
「よし、いい子だ。『ハイド』」
レオンはこれを何度も繰り返した。
「魔力を下げる=ご褒美がもらえる楽しい遊び(ハイドのコマンド)」として、ガストンが戻るまでの間にクロの脳へ集中的に学習させていく。
恐怖(罰)ではなく、報酬による完璧な正の強化だ。
「待たせた!」
しばらくして、息を切らせたガストンが工房へ戻ってきた。
その腕には、木箱が抱えられている。
「魔力結晶だ。街中から10個かき集めてきたぞ!」
「あんなに高い物を10個もですか?ありがとうございます、ガストンさん」
しかし、水晶すら一瞬で砕く今のクロに、容量の小さい一般普及品の結晶をいきなり近づければ瞬時に全滅してしまう。
ガストンは用心して、クロから十分な距離を取った工房の隅のテーブルに結晶の入った箱を隔離して置いた。
レオンが静かに指示を出す。
「クロ自身のコントロールで、ある程度魔力を抑えられるようにはなりました。ガストンさん、結晶を一つ、少しずつクロに近づけてみてください」
【テスト1回目】
ガストンが隅から結晶を一つ持ち、じりじりとクロへ近づく。中間地点を過ぎたあたりだった。
ピキ、パリンッ!
「うおっ!?」
まだ魔力の漏れが大きく、容量の小さい結晶が耐えきれずに砕け散った。
レオンは動じず、眼鏡の位置を直した。
「まだ漏れていますね。もう一度、調整しましょう。クロ、ハイド」
【テスト2回目・3回目】
トレーニングを挟むごとに、ガストンが結晶を近づけられる距離は目に見えて縮まっていく。しかし、至近距離に入ると結晶の耐久力のなさもあり、パリン、パリンと立て続けに砕けていく。
「ひぃっ、 背に腹は代えられんが......あと4個しかないぞ!」
「レオンさん、本当に大丈夫なんですか!?」
焦るガストンとシルヴィアをよそに、レオンは淡々とマウンテンブリーザーとクリッカーを用いた調整をさらに重ねていく。
近づけると壊れる結晶を徐々に近づけていくチキンレースのような試行錯誤の末、次第にクロの瞳には確かな『理解』の光が宿っていった。
「……掴みましたね。クロ、ハイド」
「クゥン」
クロが完全に『極限まで魔力を絞り込む感覚』を掴み、その存在感は、まさに街角にいるただの大型魔道犬そのものへと変貌した。
【最終テスト】
ガストンが恐る恐る、ついに最後一つになった結晶をクロの鼻先まで近づける。
……割れない。
そのままガストンが息を呑んで結晶を起動してみると、結晶は一般的な魔道犬を示す、淡く無害な緑色の光を安定してポワポワと灯していた。
「おおおおっ!!」
「やりました! レオンさん、やりましたよ!」
10個あった魔力結晶は残り1つになってしまったが、ついに『完璧な魔力偽装』が完成した瞬間だった。
高度な魔法を一切使わず、冒険者用のアイテムと「音としつけ」の反復練習だけで、天災の魔力をコントロールしてみせたレオンの圧倒的な調教技術。
あまりの嬉しさに大喜びするシルヴィアとガストン。
その喜びに満ちた空気に同調して、クロも「ハフッ! ハフッ!」と一緒に嬉しそうに尻尾を全力で振り回した。
緊張が解け、クロの気が緩んだ、その瞬間。
ピシッ……パリーンッ!!
クロの鼻先にあった最後の魔力結晶が、甲高い音を立てて砕け散った。
「あ」
「ああっ! 最後の一個が!」
静まり返る工房の中で、クロは「やっちゃった」という顔をして、ペタンとお座りをして首をすくめた。
レオンは小さくため息をつき、苦笑した。
「……まあ、臨検の日までには、常時この状態で普通に過ごせるよう、もう少し訓練を続けようね」
「流石レオンさん! クロちゃん、頑張ろうね! 大丈夫、あなたなら絶対にできるわ!」
シルヴィアはトレーニングを頑張る健気なクロの姿にますます愛着を深め、少しだけ落ち込んでいるガストンと砕けた結晶の破片など気にも留めず、愛おしそうにクロの首元へ抱きつくのだった。
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