第五章 澄江の見送り
見送るということは、最後まで目で追うことではないのかもしれない。
そう思うようになったのは、このシリーズをここまで歩いてきたからだろう。
ホームの白線の前で、人は最後の瞬間に決めきれないことがある。
橋の真ん中では、渡ったのかまだ途中なのかが曖昧になる。
坂では、抱えているものが足と息に出る。
待合では、立ち上がる順番を待つ。
庭では、言葉にならないものを少し置く。
そして門では、宿のぬくもりを少し背中に残したまま、町へ戻る一歩目が始まる。
そう考えると、見送りとはただ「去っていく人を遠くまで見続ける」ことではないのだろう。
その人が自分の足で町の速度へ戻る一拍を、邪魔せずに渡してやること。
第十三作で澄江の見送りが改めて前景に出てくるのは、その意味が、ようやく門のところで具体になってきたからなのだと思えた。
翌朝、篠原は一通の聞き書きを持ってきた。
書いたのは、かつて宿へ小さな品物をよく届けていた行商の女らしい。
春口の宿に長く出入りしていたせいで、客の顔よりも、出ていく背中や門のひらき方のほうをよく覚えているような文だった。
その中に、短いが妙に印象の残る一節があった。
――三崎の女将さんは、見送りに出ても「行ってらっしゃい」をすぐには言わないことがあった。
――門のところで、その人の足が町のほうへ向くまで、少しだけ黙っていた。
――こちらには不親切には見えず、むしろその沈黙があるほうが、その人は出やすそうに見えた。
「これですね」
汐里が低く言う。
「ええ」
湊も頷く。
「かなり大きい」
「母」
彼女は紙から目を離さずに続けた。
「やっぱり見送りの言葉より前に」
「足を見ていたんでしょうね」
「はい」
その一文で、澄江の見送りの輪郭がまた一段はっきりした。
待合で声を早くかけない。
土間で立つ順番を邪魔しない。
庭で気持ちを急がせない。
そして門で、町へ向く足が定まるまで言葉を差し出さない。
澄江はずっと、そういう人だったのだろう。
人を迎える人である前に、人の順番を急がせない人。
第十三作では、そのことが“町へ返す”という方向でいっそう明瞭になってきていた。
「相沢さん」
汐里が言った。
「はい」
「見送りって、もっと明るいことだと思ってました」
「ええ」
「笑って、言葉をかけて、気持ちよく出てもらう」
「そうですね」
「でも母は」
「少し違った」
「はい」
「もっと、その人の出る順番に寄り添っていた」
「そうだと思います」
湊は静かに答えた。
その日の午前、ちょうど一泊した若い男がチェックアウトを迎えた。
大きな荷物はない。
仕事とも旅ともつかない、少し軽い鞄を一つ持っている。
会計を済ませ、玄関で靴を履き、土間を出る。
その一連の動きに迷いはない。
だが門のところで、やはり少しだけ足が止まった。
ほんの一拍。
坂の先を見るでもなく、庭を振り返るでもなく、ただ身体の向きだけが外へ変わるまでの時間。
そこで汐里は、何も言わなかった。
男が自分から一度だけ会釈をし、足先が坂へ向いたところで、初めて「お気をつけて」と声をかける。
その間合いは、見事だった。
男が門を出て坂へ下りていく背中を見送ったあとで、湊は言った。
「今の、すごくよかったですね」
「そうですか」
汐里は少しだけ緊張の抜けた顔で答える。
「はい」
「どうして」
「言葉が早くなかった」
「……」
「でも冷たくもなかった」
「それ」
彼女は門のほうを見ながら言った。
「すごく難しいですね」
「そうでしょうね」
「黙っていればいいってわけじゃない」
「はい」
「でも、早く言うとその人の足より先に外へ押してしまう感じがして」
「そうですね」
「母がしていたのも、こういうことなんでしょうか」
「かなり」
湊ははっきり言った。
そのあと、篠原がいつもの静かな声で補うように言った。
「見送りって」
「ええ」
「別れを強調する行為ではないのかもしれません」
「どういう意味で」
汐里が訊く。
「その人が、もう一度町へ入っていけるようにする行為なんでしょう」
「……」
「だから、見送る側が主役ではない」
「はい」
「言葉も、笑顔も、立ち位置も」
「全部、その人の一歩目のため」
「そうですね」
その整理は、第十三作の芯を真っ直ぐに言い当てていた。
見送りは別れの演出ではない。
町へ戻る一歩目のための時間。
だから澄江は、その人の足が外へ向くまで待った。
だから汐里もまた、いまその加減を自分の手で覚え始めている。
昼前、湊は一人で門の内側に立ち、澄江の立っていた位置を思った。
門柱から半歩。
庭を背中に、坂の先を前に。
近すぎれば人を縛る。
遠すぎれば、もう見送りではなくなる。
その“半歩”の位置を毎日守ることが、どれほど難しく、どれほど誠実な仕事だったかを、いまは少しだけ分かる気がした。
澄江は、人をとどめるために立っていたのではない。
その人が自分で外へ戻るまで、宿の側から一拍だけ支えるために立っていたのだろう。
そこでふと、父のことが重なった。
父もまた、この門で見送られたことがあったのではないか。
しかも、ただ“遅れた人”としてではなく、町へ戻る足が定まるまで待たれた人として。
それは、これまでの父の像にとってとても大きい気がした。
失敗のあとも、迷いのあとも、父はこの門で“出ていく人”として見送られたかもしれない。
その事実があるだけで、父はもう少し生活の中の人になるのだろう。
午後、近所の老婦が干物を届けに来た。
用事はすぐ済んだが、門のところで「今日は風が少しあるね」と言ってから、すぐには出ていかなかった。
潮の音を聞いているのか、それとも外の光の具合を見ているのか、しばらく外を向いたままでいる。
汐里は何も言わず、門の内側に半歩の位置で立っていた。
そして老婦が自分から「じゃあ、また」と足を出してから、「お気をつけて」と小さく声をかける。
そのやり取りは、ごく短い。
だがそこには、門の時間がきちんと流れていた。
「今のも」
湊が言う。
「ええ」
汐里は少し笑う。
「母の見送りに近い気がしました」
「どうしてですか」
「門のところで、その人の外の音を取る時間があったので」
「……」
「私は何もしていないようで」
「はい」
「でも、何もしていないわけじゃない」
「そうですね」
「その間を壊さないように立つ」
「かなり大事な仕事です」
湊は答えた。
その夕方、汐里は門のひらきを少しだけ狭めた。
風が強まってきたからでもあるだろうが、それだけではない気がした。
春口の門は、ただ気候で開閉されるわけではなく、その日の人の出入りの速度でも少しずつ意味を変えるのだろう。
返す門。
待つ門。
夜へ入る門。
その変化を自分の手でつくることもまた、見送りの一部なのかもしれなかった。
夜、帳場で帳面を閉じながら、汐里がぽつりと言った。
「母の見送りって」
「ええ」
「さみしい感じがしないんですよね」
「どうして」
「別れを強くしてないからだと思います」
「……」
「その人がまた町へ戻ることのほうを見てる」
「そうですね」
「私も、そういう見送り方をしたいです」
「もう」
湊は静かに言った。
「かなりその方向へ進んでいると思います」
汐里は、その言葉にすぐには笑わなかった。
だが、門のほうを見た横顔に、どこか静かな確かさがあった。
見送りを演じるのではなく、門の時間をその人へ渡す。
彼女はもう、その仕事の本質に手を触れ始めているのだろう。
その夜、ノートにはこう書いた。
――澄江の見送りは、別れを強調するものではなく、その人が町へ戻る一歩目の順番を渡す行為だったのかもしれない。
――だから言葉は少し遅く、立ち位置は半歩だけ内側で、見送りの主役はいつも相手の足だった。
――父もまた、そのように見送られた人の一人だったのかもしれない。
――汐里はいま、見送る人から、町へ返す門の時間を渡せる人へ変わり始めている。




