第三十二話 馬鹿とバカ
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目を開けたら清潔なベッドの上――。
ってことは無かった。
ジメジメとした薄暗い小屋の中。
少し前に嗅いだ、彼の爽やかな柑橘系の香りがし、目を開ける。
私はヘルバートの腕に抱かれていた。
「お嬢!」
「あれからどれくらい、時間が経ったの……」
体感二日だ。
「ほんの一分ほどかと。ロメオがすぐにお嬢を治癒させましたので」
「あぁ……そう言えば優秀だったね、ロメオ……」
傷を受けてから間もない事が作功を奏したようだ。
血はさほど流れず、傷付いた部分もロメオがすぐさま治してくれた。
ほんの少し安心した表情のロメオと目が合う。
「ありがと~」
「喋んな」
「怪我人にかける第一声がそれ?」
「……すまねェ。あの女が変だとは気付いていたんだが、止められなかった」
「ロメオは何も悪くないよ。周りは変な人ばっかりだもん」
「お前を筆頭にな」
ロメオが掠れた声で笑った。
と、近くでドタバタと音がした。
「シャイラ! 止めろ!」
「この女! 許さない!」
クライス王子の声だ。
気絶したローザの胸倉を掴むシャイラを必死に宥めている。
「この体の持ち主はローザではない! 無闇に傷付けるな!」
「大丈夫です。ロメオさんがいますので。殴ったそばから治せば痛みと恐怖だけを植え付けることが出来ます。証拠は残りません」
完全に目が据わっている。
清純かつ柔和な笑みを持つシャイラはどこに行ってしまったのだろうか。
短剣を持ち、切っ先を無表情で眺める彼女はホラーだった。
「待って、シャイラも中身が入れ替わってたり……?」
「いいえ。あれは彼女の素です。ご安心を」
「ご安心できない」
そう言えばローザのビジネスパートナーは?
敵がまだ潜んでいるかもしれない。そう思って周囲を見渡そうと上半身を起こすと、ヘルバートに目を塞がれた。
「お嬢、まだ万全ではないのです。ゆっくりお休みください」
「でも、滅茶苦茶ヨボヨボのおじいさんとムキムキの男の人が二人……いたはず」
「説明が恐ろしく下手ですね。とっくにまとめて縛りあげました。後で然るべき罰を受けさせます。二度と、彼らがお嬢の視界に映ることはないでしょう」
「怖っ」
「……それよりも、お嬢は平気でしょうか」
ヘルバートが私の顔を覗き込んだ。
弱弱しい表情に、結構心配をかけてしまったのだと気付いた。
「平気平気。体も心もなんともない」
「本当ですか?」
「いや、嘘。心は……ちょっと痛いかも。私、ローザに物凄く嫌われているみたい。ちょっと悲しいね」
「はっ。女の逆恨みでしょう。お嬢が気にする人間に値しません」
ヘルバートは苦々し気に吐き捨てた。
マリアの姿をしたローザは、まだ意識を失っている。
「あの女はクライス王子に言って、お嬢に一生近付けないようにさせます。いや、いっそ俺があの女を……」
「ヘルバート、それはダメ。そこまでの事はされてないから」
「っそこまでの事をしようとしたんですよ! この女は!」
「ヘ、ヘルバート。そんなに怒らないでよ……」
「~~っ、あんたが居なくなると思って俺がどれだけっ……」
ヘルバートが今までに見たこと無い程感情を高ぶらせた。
私に大声を上げるなんて滅多にない事だ。
返す言葉を失い、ヘルバートの腕の中で固まってしまう。
「他人の五年間を勝手気ままに生き、あまつさえお嬢の命を取ろうとした。俺は絶対にこの女を許せません。本当ならば俺が一人でこの女を消したかった。……今、あなたが生きているのは奇跡だ。二度と目を覚まさない可能性だってあり得たんだ、それを理解しているのか?」
「ヘルバート……。だ、大丈夫! 私、運には自信があるからさ。そんなに思いつめないで、ね?」
「黙れ。今は楽観的なその考えに心っ底腹が立つ」
「あれ、怒ってる?」
「それ以上軽口を叩くつもりなら口を塞ぎますよ」
「ヘルバートの口で?」
「……っ」
「お、今反応したね」
「寝ろ」
彼はそう言いつつも、私を抱いたまま離さない。
両目が潰れんばかりの勢いで塞がれ、ここは大人しく従うことにした。
しかし、困ったな。彼は非常に怒っている。
ヘルバートの怒りを鎮める方法を、私は持ち合わせていなかった。
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それから数日後。私は彼女に相対していた。
「お前、なんなの? 帰れよ」
「あなたの事が知りたくて」
「消えて」
「嫌!」
マリアに体を返したローザが、牢の中で腕を組んでいる。
彼女の悪事は未だ前例が無く、罪の有無が判断出来ないということで、とりあえず隔離をされているのだ。
実質、ローザの運命は被害者の私に握られている。
マリアは「クラリーネの元から逃げられれば何でも良かった。ローザはどうでもいい」と、やや薄情なコメントを残し、舞台から消えてしまった。
悲しいかな、おっちょこちょいでドジっ子な可愛いマリアはローザの演技に過ぎない。
もうあのマリアに会うことはない。
「何度言えば分かるの? 馬鹿?」
「よく言われるんだけどさ、私ってそんなに馬鹿っぽく見えるかな?」
「だぁから、私に喋りかけるなって何度言えば分かるのよ」
「なんやかんや言って会話してくれるじゃん」
「あぁ、あの時殺し損ねたのが運の尽きだったわ」
「そう私、運だけは強いの」
「……あっそ」
「ローザってさ、どうして私が嫌いなの?」
「お前を嫌うのに理由なんてない」
ローザはふいと窓を向く。
外は自由に鳥が羽ばたいている。
――私も、自由に生きたかった。
温かい家で美味しいご飯を食べて、広い庭で遊びたかった。
人に囲まれて不安なんて感じず生きていたい。
なぜ、同じ条件だったはずなのに道が異なるの?
あの子は笑って幸せそう。私は泣いて耐え忍ぶ。
「そうね。……お前が幸運だったから。それがお前を大嫌いな理由よ」
大きな屋敷で遊ぶ彼女をこっそり見ていた。
花弁が舞う大きな木の下で、妖精のように笑う彼女。
あの子と近づきたい。お友達になりたい。
その願いはいつしか羨み、妬み、憎しみに変化した。
初めは純粋に羨むだけで済んでいたのだ。
しかし偶然、トリーゼが孤児であると聞いた時、私の中で何かがぐるりと変わった。
私だって同じなのに、なぜ私は苦しみ足掻き、あいつはのうのうと笑っている?
あの女が居なくなっても、誰も悲しまない。
だって、あの子はどこかの空いた穴を埋めるためだけに存在しているんでしょう?
あそこにいるはずだった末来が、私にもあるんだ。
あぁ、ひたすらにあの女が憎い。
私の不幸せは全部あの女のせい。
だから、あの女の手にする未来を私が横取りしたって罰は当たらないでしょう。
――私は歪んでいた。
その事実にはとっくの昔に気が付いていた。
だけれど、もう憎しみ以外に私を突き動かす感情は存在しない。
そう考えると、ある意味トリーゼ・ファルシカは私の生きがいであったのかもしれない。
とても醜く、ねじ曲がった感情だ。
「もう……いいわ。殺しなさい」
「なん、で」
「お前になれなかった私は、生きる意味を失った。ほら、私が居なくなれば全てが終わるでしょ。清々するわ。こうやって毎日頭のおかしいあんたに絡まれることも無くなる」
「私に絡まれるのはそんなに嫌?」
「えぇ、血反吐をまき散らしてのたうち回るほどに」
「なら、私の傍にいて。隣でのたうち回ってよ」
こいつは、何を言っているのだろうか。
精神を何度も入れ替わったせいで、本当に狂ってしまったに違いない。
私の奥歯がギリギリと鳴った。
「情けをかけたつもり? 本当に腹が立つ。お断りよ」
「私の傍にいたら命を狙うでしょ?」
「当然よ。真っ先に首を掻き切ってやる」
今はもう、そんな気力もないけれど。
しかし、トリーゼの妄言にふつふつと怒りが戻ってきた。
「聞いてよ、ヘルバートと初めて喧嘩しちゃってさ。ずぅっと避けられているの」
「あんたまさか……」
「ローザが傍にいたらヘルバートは私の傍に来る。そうしたら多分、自然と仲直りできると思うんだよねぇ」
「あの男が何に怒っているのか、理解しないと解決はしないわよ」
「え」
しまった。
つい口が滑った。
「ローザ、ヘルバートが怒ってる理由分かる?」
「ヘルバートがお前を好きなのを理解していたら、分かるんじゃない?」
「ヘルバートって本気なのかな」
「嘘、信じられない。あの男はお前の体で押し倒したら、何でも言う事を聞くムッツリよ」
「ちょっと待って、私の体でヘルバートと何したの!」
「さぁ? お前は知らない方がいいんじゃない?」
何もしていないが。
この体を人質にして言うことを聞かせたくらいだ。
何か勘違いをしている様子だが、絶対に教えてやるもんか。
「ローザ、お願い。ヘルバートと私が仲直りするまででいいから傍で刃物を握ってて」
「じゃああんた達が仲直りしたら、私は晴れて自由の身なのね」
「うん、処刑する……」
「あんた頭ぶっ飛んでるんじゃない?」
「だって、殺せって言ってたじゃん。……悲しいけど、ローザの望みを叶えるにはそれしかないのかなって……」
「お前を殺そうとした私の望みを叶えるつもりなの?」
「出来る事なら」
「なぜ?」
「だって、ローザ私の事、本当は結構好きだったでしょ?」
「……クソ、あんたになろうとした私が馬鹿だったわ」
初めから決まっていたのだ。
どう足掻いても、私はこの人になることは叶わないと。
バカで愚かで能天気で低俗な女。
この女を必死で羨み、本気で恨めるような人間、この世の中で私しかないだろう。
あぁ。ほんと、馬鹿みたい。
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