補章三 白い牙と最後の夜
最初に会ったのは、北の関所だった。
仇を追い始めて、二年が経っていた。
その男は、関所の門番をしていた。大柄で、無口で、目に光がなかった。老騎士はその目を見て、何かを感じた。感じたが、確信はなかった。
通してもらった。
フェルが、老騎士の傍らで、低く唸った。
「知っているか」
老騎士は小さく聞いた。
フェルは答えなかった。しかし唸りを止めなかった。
それだけだった。その日は、それだけだった。
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二度目は、廃村の近くだった。
追っていた者たちの痕跡が、そこへ続いていた。廃村の外れに、男がいた。関所で見た男だった。
男は老騎士を見た。
老騎士も男を見た。
男は何も言わなかった。老騎士も何も言わなかった。
男は剣を抜いた。
戦った。
男は強かった。人狼の力を持つ者の戦い方だった。しかし至上主義派の荒々しさとは少し違った。どこか、抑えているような戦い方だった。
決着はつかなかった。
男が引いた。
老騎士は追わなかった。追えなかった、というより、追う必要を感じなかった。男が引いたことに、何かがあった。しかしそれが何かは、その時は分からなかった。
フェルが、男の去った方向を見ていた。
銀の瞳が、静かだった。
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三度目は、山道だった。
老騎士が罠にかかった。至上主義派の者たちに囲まれた。数が多かった。フェルと共に戦ったが、劣勢だった。
そのとき、背後の者たちが崩れた。
誰かが、背後から攻めていた。
老騎士は前を向いたまま戦った。背後で何が起きているかを、確認できなかった。しかし劣勢が、均衡に変わった。そして均衡が、優勢に変わった。
終わった後、振り返った。
誰もいなかった。
フェルが、山道の影の方を見ていた。
老騎士は、その視線の先を見た。
何もなかった。
ただ、地面に、血の跡があった。
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最終決戦は、冬の夜だった。
仇の本拠へ辿り着いた。長い年月をかけて、辿り着いた。
男がいた。
今度は、引かなかった。
老騎士も、引かなかった。
戦いは長かった。フェルが傍らにいた。三人で戦った、という意味ではなかった。男と老騎士が戦い、フェルが老騎士の背を守った。
男は強かった。二度目より強かった。抑えていたものを、今夜は抑えていなかった。
老騎士が押された。
そのとき、フェルが動いた。
白い影が、男と老騎士の間に入った。
男の剣が、フェルに当たった。
老騎士は、その瞬間を見た。
見て、何かが止まった。止まったのは内側だった。外側は動いた。動いて、男を打ち負かした。
男は地面に倒れた。
老騎士は、フェルのそばへ行った。
フェルは地面に横たわっていた。白い毛並みに、赤いものがあった。銀の瞳が、老騎士を見ていた。
「フェル」
老騎士は言った。
フェルは答えなかった。
しかし瞳が、静かに光った。
それから、フェルは目を閉じた。
老騎士は、フェルの傍らに膝をついた。
冬の夜だった。風がなかった。静かだった。
しばらく、老騎士はそこにいた。
どのくらいいたかは、分からなかった。
⸻
力が来たのは、夜が深くなってからだった。
老騎士は気づかないうちに、目を閉じていた。閉じた目の中に、何かが流れてきた。
言葉ではなかった。
映像でもなかった。
強いて言えば、知ること、だった。
フェルが長い年月かけて積み上げてきた何かが、老騎士の中へ流れてきた。気を練る力。身体の内側に眠っているものを引き出す技。人狼の血が薄い老騎士には、本来扱えないものだった。
しかしフェルの血と魂の繋がりが、その扉を開いた。
老騎士は、その力を受け取った。
受け取りながら、器が軋む感覚があった。合わない力だった。合わないものを、無理に入れている感覚だった。
それでも、受け取った。
フェルが渡したものを、受け取らない理由がなかった。
⸻
力と共に、記憶が来た。
フェルの記憶ではなかった。
男の記憶だった。
フェルは長い年月、男を見ていた。追いながら、見ていた。見たものが、フェルの中にあった。そしてフェルから、老騎士へ渡った。
記憶の中に、懐かしい面影があった。
若い頃の母だった。老騎士が知っている母より、ずっと若かった。祖母として共に暮らしていた頃とは違う顔をしていた。笑っていた。誰かと話していた。
その誰かが、男だった。
男も若かった。今の険しい顔ではなかった。苦悶の皺もなかった。ただ、母を見る目が穏やかだった。人狼の目は、ただ静かで穏やかだった。
記憶は続いた。勇者が来た場面があった。
男の表情が変わった場面があった。
母が勇者と共に去った場面があった。
男が一人残った場面があった。
それから、長い年月の記憶があった。
憎しみに変わっていく過程があった。そそのかされる場面があった。加担してしまう場面があった。
しかし記憶の中に、別の場面も混じっていた。
山道で、老騎士の背後を守った場面があった。
関所で、老騎士を通した場面があった。
廃村で、引いた場面があった。
男は、老騎士を殺せなかった。
母の子だったから。
老騎士は、その記憶を受け取った。
受け取って、目を開いた。
冬の夜がまだあった。
フェルが、傍らにいた。もう動かなかった。しかし白い毛並みが、月の光を受けていた。
老騎士は、男の方を見た。
男は地面に倒れたまま、動かなかった。その顔が、今は穏やかだった。険しさが、なくなっていた。
老騎士は、立ち上がった。
膝が痛んだ。
器に合わない力が、身体を削っていた。それが今夜から始まったのか、これからも続くのかを、老騎士は考えなかった。
考えても、仕方がなかった。
老騎士は、フェルの傍らにもう一度膝をついた。
白い毛並みに、手を置いた。
冷たかった。
しかし、そこにあった。
「ありがとう」
老騎士は言った。
返事はなかった。
しかし老騎士には、それで十分だった。
老騎士は立ち上がった。
冬の夜の中を、一人で歩き始めた。
白い毛並みが、月の光の中に残った。
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*(補章三、了)*




