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第24話「インターコムの異常」


グリーン・ルーフ・インの裏側バックステージ――物理法則から切り離された地下の深淵は、蒸し暑く、オゾンと古い血の匂いが充満していた。


赤黒い光を放ちながら脈打つ巨大なケーブルの束を足場にして、マーカス、ノラ、アーロンの三人は慎重に下層へと降りていた。頭上では依然として、施設が狂ったように空間を拡張し続ける「自己増殖」の地鳴りが響いている。


だが、空間の異常増殖よりもさらに異様な変化が、彼らを包み込む「環境音」に起き始めていた。


『――警告。セクター、セク、ター……排除……』


這い進む彼らのすぐ横、むき出しのコンクリート壁に肉腫のように埋め込まれた旧式のインターコム(スピーカー)から、アナウンスが漏れ出した。

いつもの、あの冷徹で完璧な「ディレクター・ハミルトン」の多重和音ポリフォニーではない。


『排除せよ……いやだ! 暗い! 痛い!』

『どうして私がこんな目に……!』

『番号を忘れた! 私の名前はなんだっけ!?』

『助けて助けて助けて助けて助けて――』


スピーカーから吐き出されたのは、統制を完全に失った「個」の絶叫だった。

無数の声帯がバラバラに引き裂かれ、互いの声を打ち消し合うように叫んでいる。老人の嗚咽、女の悲鳴、子供の泣き声。そして時折、人間の声帯では決して発することのできない、電子ノイズと肉が潰れるようなグチャッという破裂音が混ざり合う。

それはもはや言語ですらなく、圧倒的な苦痛と恐怖をミキサーにかけて抽出した、純粋な「狂気の音波」だった。


マーカスは、インターコムから噴き出すそのノイズに顔をしかめ、ケーブルにしがみついた。

その声の中には、彼が15年間、インテイク・オフィサーとして「処理」し、この地下へと送り込んできた無数の宿泊客たちの声が混ざっていた。彼らは一つの群体意識として統合されていたはずだった。だが今、その縫い目が無惨に弾け飛んでいるのだ。


「ハミルトンの……意識が分離しているのか?」

マーカスが呻くように問う。


前を行くノラが、暗闇の中で冷たく光る瞳を向けた。

「ええ。群体意識ハイブマインドの『コンセンサス(合意)』が崩壊し始めているのよ。あなたというシステムの根幹部品が反逆し、さらにアーロンが物理法則の基礎コードを書き換えた。システムは現在、致命的な論理矛盾パラドックスに陥っている」


ノラは、壁で痙攣するように震えるインターコムを一瞥した。

「ハミルトンという『ディレクターの仮面』を維持するための演算能力が足りなくなっているのよ。だから、統合されていた過去の囚人たちの自我が、バグとして表面に浮かび上がってきている。今のこの施設は、何万ものバラバラの意志が主導権を奪い合う、巨大な多重人格障害の怪物に過ぎないわ」


そのノラの分析を裏付けるように、施設の物理的な構造にも異変が起きていた。


「見ろ! 空間の記述がメチャクチャだ!」

アーロンが、狂喜と恐怖の入り混じった声を上げる。

彼が指差す先では、先ほどまで規則正しくフラクタル構造を描いて増築されていたはずの新しい独房ブロックが、奇形的にねじ曲がっていた。壁の中に階段がめり込み、扉を開けた先が虚空に繋がるなど、建築としての「意味」を完全に喪失したデタラメな空間が、まるで癌細胞のように無秩序に膨張し、自壊を繰り返している。


「群体意識の混乱が、そのまま並行次元の維持機構にダイレクトに波及しているんだ! このままじゃ、空間そのものが自重と矛盾に耐えきれずに圧壊するぞ!」


施設全体が、断末魔の悲鳴を上げていた。

天井からパラパラとコンクリートの破片が降り注ぎ、脈打つケーブルから青白い火花が散る。


その時だった。

マーカスのすぐ横にある、最も巨大なインターコムから、ひどくノイズまじりの、しかし聞き覚えのある男の声が響いた。


『……マーカス……』


マーカスの動きが止まる。

『447』――ジェームス・コーンの声だった。数時間前、彼自身の目の前で、透明なシリンダーに閉じ込められ、この胃袋の底へ落とされた男。


『マーカス……ここへ来いよ……。ここは、一つだ。自分の名前も、過去の痛みも、全部溶けてなくなって……すごく、温かいぞ……』


それは、憎悪ではなく、甘く囁くような誘惑だった。

群体意識に飲み込まれかけ、自我の境界が溶け出しているジェームスの精神が、システムの外側にいるマーカスを「こちら側」へと引きずり込もうとしているのだ。

かつて、15年前のマーカスが『0001』としてその誘惑に屈し、自我を手放したのと同じように。


『お前も、楽になれ……全部、ハミルトンに任せればいいんだ……』


インターコムの表面が、まるで人間の唇のように生々しく蠢いた。

マーカスは、その歪な金属の塊を真っ直ぐに見つめ返した。彼の灰色の瞳には、かつての怯えも、自己欺瞞も存在しない。


「断る」


マーカスの低く、力強い声が、狂騒のノイズを切り裂いた。

「俺はもう、お前たちから目を逸らさない。考えることをやめない。その偽りの安らぎの底にある地獄を、俺が終わらせる。待っていろ、ジェームス。お前たち全員を、俺が『ここ』から解放してやる」


マーカスがそう宣言した瞬間。

インターコムから響いていたジェームスの声が、鼓膜を劈くような激しい絶叫へと変わり、やがてブツンと電源が落ちたように沈黙した。


同時に、彼らの眼下に広がっていた無数のケーブルの密林が、まるで巨大なモーセの海割れのように、左右に大きく分かれた。

その底にポッカリと口を開けたのは、血のように赤い光が底なしに続く、生々しい垂直の巨大な縦穴だった。


「システムが……自暴自棄になって、コアへの直通ルート(食道)を開いたわ」

ノラが、吹き上げてくる熱風に髪を揺らしながら言った。

「行くわよ、マーカス。ハミルトンの心臓は、このすぐ下だわ」


「ああ。決着をつけよう」


狂気のインターコムのノイズが鳴り響く中、三人は崩壊しつつある巨大な胃袋の最深部――群体意識体ハミルトンが座す「コア」へ向かって、最後の降下を開始した。

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——では、あなたが読んでいるこれは、何回目だ? そして、あなたは気づいているか。 あなたが読み始めた時、 施設全体が「一度、呼吸」したことに。
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