2.鉛の身体
目を開けると、また知らない天井があった。
いや、知らないわけではない。前に見た、あの天井だ。けれど、様子がおかしい。前よりも部屋の中が薄暗い。真っ暗というほどではないが、ほんのりとした薄闇。昼間の明るさとは、明らかに違う。
どうしてだろう...?前に見た時は、もっと明るかったはずなのに。
そう思いながら、視線だけを窓の方へ向けた。そこにあったのは、濃い藍色に沈んだ空と、ぽつりと浮かぶ銀色の月だった。
....なるほど、夜か。
身体を起こそうとしたが...やはり、動かない。
まるで鉛を身体の中に流し込まれたかのように、指先ひとつ、意のままにならない。
また何度か力を込めてみるが、結果は前と同じだった。起き上がるどころか、寝返りを打つことすらできない。
どうやったら、動かせるんだろう...?
天井を見つめたまま、しばらくそれだけを考え続けた。
手を握ろうとしても指はぴくりとも動かない。足の指先に意識を集めても反応はない。まるで自分の身体が、自分のものではないみたいだった。
┈┈┈┈┈┈┈┈┈┈┈┈┈┈┈┈┈┈┈┈┈┈┈┈☾*.·
何分、何時間経っただろうか。
数え切れないほど同じことを繰り返し、もう自力で動かすのを諦めかけた、その時だった。
指先でも、腕でもない。もっと身体の奥、胸の中心のあたりに他とは違う何かがある感覚に気づいた。
そこには、大きな塊のようなものがあった。輪郭ははっきりしないが、意識を向ければ向けるほどその存在だけがくっきりと浮かび上がってくる。まるで、何かわからない不思議なものの流れをその塊がせき止めているかのように。身体の中に途方もない量のそれが、ゆるやかにとぐろを巻いてわだかまっていた。下手をすれば、自分の身体そのものよりも大きいのではないかと思うほどのずしりとした質量だった。
――これなら、動く。
なぜそう思ったのかは、自分でもわからない。ただ、直感的にそう感じた。
恐る恐る、その塊に意識を差し込んでみる。すると、身体の奥で とぷん と水面が揺れるような感覚がした。驚いて力を緩めると、揺れは静かに収まっていく。
それがなんなのか、わからなかった。
もう一度、今度は少しだけ長く、意識をその塊の中に留めてみる。とぐろを巻いていた塊がほんのわずかに形を変えた。多すぎるほど身体を占めていたその塊がほんの少しだけ、萎むように小さくなる。
すると、次の瞬間。
身体にのしかかっていた鉛の重さが、ほんのわずかに...本当に、わずかだけ....軽くなった気がした。
指先が、震える。
さっきまでとは違う。意志を持って、震えている。
「……っ」
声にならない声が漏れた。もっと。もっとやってみたい....!!!!
逸る気持ちのまま、再びその塊に意識を伸ばそうとした、その時だった。
急激な眠気が、まるで底なしの穴に引きずり込まれるように襲ってきた。
抗う間もなく、瞼が落ちる。指先の震えも、そのまま止まった。
┈┈┈┈┈┈┈┈┈┈┈┈┈┈┈┈┈┈┈┈┈┈┈┈☾*.·
また、眠ってしまった....。
そのことに気づいたのは、次に目を開けた時だった。窓の外は、また夜だった。
こうして、目を覚ます度に同じことを繰り返した。
目を覚ます。身体は鉛のように重い。胸の奥にあるあの塊に意識を向け、ほんの少しだけ、その大きすぎる塊を小さくする。すると、ほんのわずかに身体が軽くなる。そして、力を使い果たしたように眠りに落ちる。
最初のうちは、指先が震える程度だった。それが、手首が浮くようになり、肘が持ち上がるようになり――少しずつ、本当に少しずつ、動く範囲が広がっていった。
6度目か、7度目の夜だっただろうか...。
目を開けて、いつものように窓の外へ視線をやった。その視線が、ふと、ある一点で止まった。
濃い藍色の空。そこに浮かぶ.....少しふっくらとした...三日月...。
あれ....?
また夜?...偶然かな?
そう思い直そうとしてみたけれど、胸の奥にちいさな違和感が残る。
前に目覚めた時も夜だった。その前も、そのまた前も.......思い返してみれば、目を開けた時に朝を見たことは、一度もなかった。
偶然にしては続きすぎている気がする。けれど、その疑問をゆっくり考える余裕は、まだ、なかった。今はただ、目の前の...あの塊を動かすことだけで、精一杯だったから。
誰かに教わったわけでも、誰かに見せたわけでもない。ただ、夜ごとに目覚めては、暗闇の中でひとり、その「塊」と向き合い続けた。それがどれくらい続いた頃だったか、はっきりとした日数はわからなくなっていた。
そして、ある夜。
いつものように目を覚ました私は、いつものように身体の奥にあるあの塊に意識を向け、また少し小さくした。
指先が震え、手首が浮き、肘が持ち上がる――左右の腕、両方とも。
そこまでは、いつもと同じだった。けれど、今夜はそこで終わりではなかった。
肘の次に、肩が浮いた。そして、上半身が、ゆっくりと、起き上がった。
「......っ、あ......!!」
自分の目で、初めて自分の身体を見下ろした。
ベッドの上に扇のように広がる薄いアクアブルーの長い髪。まだ幼さの残る両手...。
やっと、少しだけ自分の身体を取り戻せた気がした。
窓の外では、今夜も月が静かにこちらを見下ろしていた。




