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異世界たちと探し人  作者: みあし
三章 金時星編

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XIV 忘れん坊の待ち人 


 姉がいないとこの世界はつまらない。

 放課後になり学校を出たゆづりは、朝と同じ公園でブランコを漕ぎつつ、ため息をつく。


 小学生の授業は中学生のゆづりにとっては簡単過ぎてつまらなかった。例えるなら誰でも知っているような童話を、一から懇切丁寧に教えられているような感じだろうか。既に身に付いていることを一から語られる時間は、退屈を通り越して頭がおかしくなりそうだった。


 それに、精神性が未熟な生徒たちのノリにもついていけない。教室は常に誰かしらの奇声で埋められており、ここは動物園だと言われたら信じてしまうほどには騒がしい。


 うるさい空間とつまらない授業。これから毎日あんな日々を送るのだと考えると嫌気が差す。


 しかし、一刻も早く元の世界に帰りたいですかと聞かれれば、やはりノーだ。理由は単純、この世界には姉がいるからだ。


 どんなにくだらなく逃げ出したいような日々でも、姉さえいてくれれば全部どうでもいい。姉がゆづりに話しかけてくれれば、つまらぬ日々にも花が咲く。殴られた体が痛む時も、姉が労ってくれさえすれば気にもしなくなる。


 最悪、ゆづりが誰かに殺されるようなことがあっても、彼女さえ生きていると知らされば、へらへらと笑って許せるだろう。

 それくらい、ゆづりにとって姉は絶対であり唯一である存在だった。


「おまたせ」


 早く姉に会いたいなと、うずうずしていたゆづりの背中を細い手が叩く。遥か奥底に眠っていた懐かしさを思い出させる力にゆづりが振り返れば、そこにいたのはやはり姉だった。

 

「帰ろうぜ」

「うん」


 ゆづりは一人では絶対家には帰らない。もちろん、ゆづりが自分の帰路を覚えていないからとか、極度の寂しがりやだからとか、そんな理由からじゃない。

 一人で家にいると、気違った父に殴られ死にかけたとしても、対処してくれる人が誰もいなくなってしまうからだ。それを防ぐため、ゆづりと姉は常に二人一緒にいるようにしていた。


「ゆづり。学校はどうだ?」

「え」

「楽しいか?」

「…うん。でも、お姉ちゃんといるほうが楽しいよ」

「ふーん?随分と可愛いことを言ってくれるじゃん」


 姉はランドセルの上から背中を叩く。力は少々強いが痛くはない。むしろ嬉しくて、ゆづりの顔には自然と笑みが浮かんでいた。


「じゃ、今日はここでバイバイだ」


 この調子で姉とイチャイチャしつつ帰路を辿る。ゆづりはそう疑っていなかったが、予想外にも姉はピタリと歩みを止めた。


「……一緒に帰らないの?」

「あぁ。ちょっと用事があるんだ。大事なことがな」


 姉は微笑む。その横顔にはいつものように気丈で頼もしい笑みが輝いていた。だから、ゆづりは特に何も聞くことなく頷く。姉がそういうなら仕方ないなと。


「………」


 しかし、違和感があった。頭の片隅にずっと残っているしこりに触れられたように、胸に何かがつっかえる。そして、第六感もずっと訴えている。これからよくないことが起こる。姉を止めろと。

 しかし、ゆづりはそれを口に出せない。こんな不確かな感覚だけで姉を困らせたくない。心配させたくない。

 だから、ゆづりはコクりと頷いていた。

 

「ありがとう、ゆづり。夜には帰るから家でちゃんと待ってろよ」

「うん。分かった……」

 

 姉はゆづりの頭を撫でると、どんどん離れていく。ゆづりはしばらく遠ざかる姉の背中を見届けた。そして、完全に寂れた道しか見えなくなった後、諦めて一人で帰路を辿るのだった。



****



 姉と別れ、ゆづりは一人家に帰った。家には誰もいない。

 これはゆづりにとってはよくあることなので何もおかしくはない。帰宅後、一人で夕飯を取り、風呂に入り、布団に入るのも、いたって普通のことだ。


 しかし、やはり違和感は消えない。脊髄に冷たいものが這われているように五感は鋭く研ぎ澄まされ、頭はこめかみをつつかれているようにズキズキと痛む。

 いたって普通の日々を送っているはずなのに、まるで鉄砲玉が飛び交う戦場に放り込まれたような緊張感。

 そんな気味悪い感覚は永遠と続き、夜になって布団に入ってもなお、睡眠を妨げる勢いで体を蝕んでいた。


「……まだかな…」


 やけに鮮明な意識を保ちつつ、布団に潜ること一時間。

 未だ姉は帰って来ていない。それどころか父も姿を見せていない。いつもなら酒を飲んで暴れまくっているところだというのに、今日は何故か家にいない。


「おねーちゃん…」


 姉はゆづりに嘘は言わない。だから、夜に帰ってくると約束を破るわけがない。でも、どうしてだろう。彼女は帰宅してくれない。

 もしかして、何か良くないことでもあったのだろうか。今すぐにでも家を飛び出して姉を探した方がいいのだろうか。


「…でも、家にいろって……」


 姉はゆづりに自宅待機を命じた。大人しく待っていろと頼んできた。

 姉との約束は破りたくない。だから、ゆづりは家にいるべきだ。姉のことを信じて待つべきだ。

 しかし、そう思えば思うほど嫌な考えだけが頭を埋めていく。

 姉は良くないことに巻き込まれたから帰って来ないのかとか、もしかして自分を置いて何処かへ行ってしまったのかとか。


「…どうしよ…」


 暗闇の中、時計の針が動く音と雨が窓を叩く音だけが響く。

 早く早く帰って来てくれ。姉が扉を開けてくれれば、ただいまと声をかけてくれたら、こんな不安な気持ちは跡形も無く吹き飛ぶのだ。


 しかし、いくら待てども姉は帰ってこない。

 もう限界だ。ゆづりは掛かっている布団を蹴り飛ばし、立ち上がる。


「何処にいるんだろ…」


 思い切って、外に出た。が、それはいいものの姉の行き先に心当たりはない。用事があると言っていたが、何処に何の予定があるのか見当もつかない。


 ゆづりはとりあえずと足を動かし、家の近所を回り、通学路を辿り、学校まで行く。公園にも赴いたり、姉が帰ってきていることを期待して一度家にも帰ったりした。

 しかし、一向に姉は見つからない。痕跡すらもなかった。真っ黒闇が立ち込める夜しかこの町にはない。

 もっと遠い場所に行ってしまったのだろうか。徒歩なんかじゃ到底行けないような、遠い場所に。

  

「まさかな…」


 捜索を諦めかけたゆづりの視界に、ふさふさと揺れている黒いものが入る。サワサワと独特の音を立てているそれは森だった。

 姉がこんなところに行った訳がない。こんな夜中に姉が森に何の用があるというのだ。冷静に考えたらおかしいだろう。


 しかし、ゆづりは森に進んでいた。姉が居るわけのない場所へ、傘を片手に入っていった。なんとなく姉がここにいると、そんな気がしたから。


 内蔵を圧迫されているような、気持ち悪い感覚に吐きそうになりながらも夜の森を進む。雨をふんだんに吸った地面はぬかるんでいて、容易に転びそうだ。それに、月明かりも電灯もないため、下手に踏み行ったら迷子にもなりそうだった。


 それでも引き返すことなく前へ進むこと十数分。

 何やら前の方が騒がしい。まるで殴り合いでも起きているかのような騒動だ。罵声と怒号が、葉擦れに紛れて聞こえてくる。

 ゆづりは転ばないよう気を付けながら、音源へ駆け寄る。すると、少し先の道に一つの人影が見えた。


「え…」


 短く切り揃えられた黒髪。既視感のあるセーラー服。すらりと伸びた白い足。足元に転がるビニール傘。

 姉だ。ゆづりの姉が、何故か目の前に立っている。


「ゆづり?」


 唖然とするゆづりの気配を感じ取ったのか、姉はおもむろに振り返った。雨に濡れた髪を肌に張り付け、べちょべちょになった制服を垂らしている彼女は、やはり姉だ。のぞみだった。

 ゆづりは曇っていた目を輝かせる。そして、やっと姉と会えたという喜びと安心から、彼女に駆け寄った。

 しかし、すぐにその足は止まってしまう。止まらざるを得なかった。


「……おねーちゃん…?」


 姉の雰囲気がいつもと異なっている。顔も仕草もゆづりを見る目も何もかもが違う。違っている。

 普段、いや、ゆづりが今まで見てきた姉の顔には、眩しいくらいの頼もしさと優しさが光っていた。

 

 しかし、今はそれがない。目の前にいる姉は何かに怯えるよう表情を強張らせ、ゆづりに化物でも見るのような眼差しを向けている。

 バンと躊躇いを消すよう背中を叩いてくれた手も、痙攣しているように小刻みに震え、キラキラと輝いていた瞳にはあの眩い光が一切入っていなかった。

 

 ただ事ではない。

 初めて見せた姉の有り様に、ゆづりの頭は思考を止める。体も変な魔法にかけられたように重くなり、傘を握って立ち尽くすことしか出来なくなっていた。


「ゆづり、お前……」


 しばらくお互い見つめ会った後、先に動いたのは姉だった。彼女は一歩、一歩とやたら重そうな足取りでこちらに歩み寄ってくる。

 それに対して、ゆづりはやはり何も出来なかった。ただ姉がこちらに来てくれるのを待ち構えることしか、何故か出来なくて。


「死ねクソ女!」


 急に割り込んできた耳を塞ぎたくなる暴言にも、ゆづりは反応できなかった。

 姉の背後に突如として現れ、無防備だった姉の頭にレンガを叩きつけた父に、ゆづりは。


「ひっ…!」


 酷い音がした。頭蓋骨が割れたと嫌でも分かるような、鈍い音が。

 糸が切れたかのように崩れ落ちる姉。火花が散ったかのように舞う血。ひたすら耳を打つ雨音。


 馬鹿だ。何故、この日のことを忘れていた。どうして今日何があったか思い返さなかった。どうしてあの時に姉を止めなかった。


 ーー今日、十月二日は姉が父に殺された日だというのに。


「テメェも同じか!?あ?」


 ゆづりが動揺からその場で動けずにいた矢先、父の手がこちらに迫る。泥で茶色に、姉の血で褐色色に汚れたレンガが、ゆづりを殺さんと振り上げられている。


 殺される。ゆづりも殺される。父に。実の父親に。

 ゆづりは息を飲み、レンガの描く起動をひたすらに見つめる。すると、ふいに声がした。 

 「ゆづり」と。いつものように自分を呼ぶ声が響いた。


「おねちゃ…」


 ゆづりは縋るように顔をあげる。すると、姉が立っていた。顔の半分を血に染め、今にも倒れそうな足で、彼女は地面から起き上がっている。そして、そんな気力なんて何処にもないだろうに、素早くこちらに駆け寄って来てくれる。


「悪いな、ゆづり」

「……え」

「生きろ。幸せにな」


 姉の強い意思を映す黒瞳が、ゆづりの涙目を捉える。しかし、それは余りにも一瞬すぎた。

 彼女はすぐにゆづりから目線を逸らしたかと思うと、父の腰にしがみついてしまったのだから。


「待っ…!」


 このままだとマズい。ゆづりは反射的に姉へ手を伸ばす。

 が、もう間に合わない。姉はふらついた父を力ずくで抱き寄せたかと思うと、ふいと身を投げた。ここから数メートルはある崖の下へと、心中しに逝ってしまった。


「……あ……」


 ドンという、大きな音が遠くから響く。人が潰れたかのような醜悪で恐ろしく無機質な音が、ゆづりの脳を白く染める。


 終わった。もう終わってしまった。

 この後、姉と父は死体で発見される。ゆづりはこの後、家に帰って救急車を呼んだ。しかし、姉は助かなかった。助けられなかった。


「……」


 ゆづりを救ったために、姉は亡くなった。こんな自分を助けるために、命を張ってしまったために、姉は。


 ゆづりは雨を浴びたまま、その場に呆ける。この現実が受け入れがたくて、どんどん自分が遠ざかっていく。そして、今の出来事は全て悪い夢だと、今からも逃げていき。


「なにぼーっとしてんだよ」


 ーー聞き覚えのある台詞が聞こえてはじめて、ゆづりはもう一度意識を取り戻した。

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