XII 会えぬ人との遭遇
次の日、ゆづりは、眠いと呻きながら布団にしがみつくハスキを引き摺って学校へ向かった。
「ここが教室だよ」
「へぇ」
朝早い教室には生徒はおらず、金魚しかいない。だから、ハスキにとってあまり新鮮味がなかったのか、彼女の感想は殊の外薄かった。
「もしかして、ここってあんまり珍しくない?」
「まぁ、アタシの夢ん中と似てるちゃ似てるんで」
ハスキは近くにある机に腰掛け、辺りを見渡す。彼女の夕焼け色の瞳にはやはり感動はなく、レトロなおもちゃに向けるような古くささがあった。
よく考えればそれもそうか。教室なんて授業がなければ、机と椅子が多く並んでいるだけの部屋だ。見ても何も面白いものはない。図書室とか理科室とかでも行かないと、心は踊らないだろう。
試しに図書室にでも誘ってみるか。ゆづりがそう提案しようとした瞬間、閉まっていた背後の扉が開いた。
「佐々木さん。おはよう。今日も早いね」
教室に現れたのは、学ランをきっちり着こなしている古葉だった。彼は相変わらずの面の良さで、ゆづりに手を振っている。ただ親しいクラスメイトに挨拶をしているだけだとでもいうように、手慣れた様子で。
しかし、ゆづりの方はどうにもいかない。彼の黒瞳に見つめられると、心まで見透かされているように思えて落ち着かないのだ。それが態度にも露骨に現れてしまい、「あ、うん。おはよう」とぎこちない返事になってしまった。
古葉と友好的なのかそうでないのか、曖昧な態度のゆづり。そんなゆづりに、ハスキは分かりやすくナニコレと首を傾げていた。
「オネーさん。あの男の子とは知り合いすか?」
「うん、まぁ」
「その割にはガチガチっすけど、好きだったり?」
「いや全然」
「ふーん」
ハスキは古葉に興味を持ったのか、スタスタと彼に近寄る。そして、遠慮無く彼の顔を下から覗きこんだ。
あまりにも大胆で失礼なハスキに、ゆづりはおいおいと止めようと手を伸ばす。しかし、古葉の反応が皆無なのを見て留まった。
そうだ。古葉はハスキのことを認識できていない。だから、ハスキが古葉に何をしても、彼は気付かない。
これは好都合。
とあることを思い付いたゆづりは、ニヤリと悪い笑みを浮かべる。そして、ハスキを手招きして呼び寄せて廊下に出た。
「どした?トイレすか?」
「いや、トイレは一人で行くよ。そうじゃなくて、ちょっとハスキにお願いがあって」
「ほぉ。というと?」
「あの子の髪、ちょっと抜いてきてくれない?」
「……?構わないっすけど、どうしてです?髪を使った呪いでもするんすか?」
「まぁそんなところ」
「えっ」
ハスキは不審そうな顔をする。しかし、特に反抗することもなく教室へと戻って行った。そして、無造作に古葉に近づき、隠密の欠片もない手付きで古葉の髪を一束掴む。
「うわっ?!」
「どひゃっ?!」
急に自分の髪が掴まれた感覚に、古葉は顔を真っ青にさせ飛び上がる。ハスキも急にターゲットが動いたことに肝を抜かれたらしい。蛙のように跳び跳ねると床にひっくり返った。
「おいおい…」
古葉の髪を強く掴みすぎだ。ちょんと指が触れるかどうかくらい優しく抜けばいいのに、大根の収穫でもするかのように強く握り取るからこうなるのだ。
床に転がるハスキと、不安げに辺りを見渡す古葉。本人たちは真剣に驚いているのだろうが、傍観しているゆづりにしてみたら滑稽以外の言葉が見つからない。
ハスキは髪を力任せに引っ張るのはよくないと学習したらしい。次は豆粒でも掴むような優しい手付きに変えて、器用に古葉の髪を引き抜いていた。
「うっしゃぁ!」
任務完了したハスキは、その場でガッツポーズを決める。そして、喜びのままに奪った髪の毛を振り回していた。
「……早く持ってきてくれ…」
そんなことをしたら髪の毛を落としてしまうだろう。下手な躍りを披露していないで、さっさと持ってきてほしいのだが。
そう思いつつも、ゆづりの口から言葉が出ることはない。下手に声を出して、古葉に変だと勘づかれるのは困るのだ。大人しくハスキが帰ってくるのを待つしかない。
「あい!取ってきたっすよ!」
「うん。ありがとう」
そのまま廊下で彼女を待つこと三十秒。ひとしきり喜びの舞を疲労したハスキは、ゆづりの元へ戻ってきた。そして、ほいと盗んだ古葉の髪を手渡してくれる。
優秀なことに、髪は一本だけではなく、五本程度はあった。あとはこれを金時星に持って行き、彼の過去を覗けば一件落着といくだろう。
「オネーさん、めっちゃ嬉しそうっすね」
「うん。いてくれてありがとうね、ハスキ」
「えっ、そんなすごいことなんすか?これが?!」
ハスキはゆづりからのまっすぐな感謝にたじろぐ。そして、どうしてそんなに価値があるのかと、こちらににじり寄ってきた。
しかし、古葉がいる手前、下手に喋りたくはない。だって、彼に聞かれたら面倒だろう。だから、ゆづりはまぁまぁとハスキを宥めて、預かった髪をスカートのポッケの奥底へとしまうに留めた。
****
古葉と一悶着あった後、学校生活は滞ることなく進んでいった。
ハスキが意外にも大人しくいてくれたのだ。
彼女は授業中は一切騒ぐことなく、澄まし顔で先生の話に耳を傾けていた。休み時間には多少口を開いて喋っていたが、桃やノアのように我が儘を言うことはない。軽い雑談をしていただけ。
唯一、慌ただしかったのは給食の時だろうか。ハスキはお腹が空いたのか、それとも料理に関心があったのか、何度も「ちょっと食べていいか」と、ゆづりの分の食事に手を付けたり、鍋に残っている残飯を食い荒らしたりしていた。
「それで…今日一日が終わったけど、地球の学校はどうだった?楽しかった?」
波風立たずに迎えた放課後。
ゆづりは手際よく帰る支度をしながら、足元に座り込んでいるハスキに声を掛ける。
すると、ハスキは顔を上げて「楽しかったっす!」とピースして見せた。
「授業は何言ってんのかよく分かんなかったっすけど、まぁ面白かったっすね。あっ、キューショクとやらはめっちゃ旨かったっす!機会があればまた食べたいっね!」
「そっか。なら、また誘うよ」
「やりぃ!」
その場で跳び跳ね出したハスキを横目に、ゆづりは制服のポケットに手を突っ込む。すると、ごちゃごちゃとした髪の毛がゆづりの爪先を掠めた。朝奪った古葉の毛髪だ。無くなること無く、きちんと保管できている。
「うし。じゃ、中継場行こう」
「えー?」
「とりあえず、ついて来て」
「うっす!」
ゆづりは特に説明しないまま、ハスキの腕を掴む。そして、彼女が驚く隙も作らずに、ベランダの外へ身を投げた。
「うわぁあ!!?」
ハスキの叫び声が耳を殴る。胸ぐらもガシリと握りしめられ、まともに呼吸すら出来なくなる。
やっぱり説明してからの方が良かったか。ゆづりはハスキの血の気の引いた顔に罪悪感と後悔を覚え、慰めるよう背中に手を回していた。
****
「うへっ、重い……」
あれからどれくらい経ったのだろう。
ゆづりは己の腹にのし掛かっている重さから、苦し紛れに目を開ける。加えて軽く体も起こせば、ボサボサな赤髪が自分の鼻を掠めた。そして、その側ではグガグガと寝言を言いながら俯いているハスキの姿もあった。
「ハ、ハスキ…」
「ん……」
ゆづりはハスキの頭を軽く撫でる。すると、彼女は嫌そうに顔をしかめつつ、固く閉じていた目を開けた。
ハスキは寝起きが悪いのだろうか。ゆづりはじっとハスキを見下ろしながら、「おはよう」と手を上げる。が、彼女はゆづりを見るなりうとうとしていた目を見開いて、ベッドから飛び下りてしまった。
「許さないっす!オネーさん、アタシのこと殺そうとしたでしょ!」
「し、してないよ。ただ中継場に来たかっただけで…」
「もぉ信じない!バイバイ!」
「あっ、ちょっ…!」
ハスキは寝起きだということを悟らせない足取りで、部屋の外へと出ていってしまう。
しかし、すぐにドンという鈍い音が聞こえて、慌ただしい足音は消え失せた。
「だ、大丈夫?」
ゆづりが乱れたシーツを正してから外に出れば、ハスキが床にうつ伏せで倒れていた。どうやら勢い余って転んだらしい。
「もう…走っちゃダメだよ」
ゆづりはハスキに手を差しのべる。すると、ハスキはゆづりに害意は無いと思ってくれたのか、項垂れつつも手を掴んでくれた。
「その…本当に君をどうこうするつもりはないんだよ。ただ、金時星の部屋に生きたくて」
「きんときせい?」
「そう。この髪の毛を使って、古葉…この髪の持ち主の過去を見せて貰うんだよ」
「なるほど?」
ゆづりの説明にハスキは不可思議そうな顔を見せる。が、特に仔細を聞き出すということはせず、大人しくゆづりの後をついてきた。
彼女は中継場が気になっているのか、チロチロと忙しく辺りを見渡している。昨日とは違って余裕が出来た分、好奇心に赴くままに生きていそうだった。
「別にハスキは付いてこなくてもいいよ。せっかくなんだから、好きな所にでも行ってみたら」
「それは断るっす!だって、一人は怖いし…それに在監者って人も気になるんで」
「まぁ、正直会えるかどうか分かんないけどね」
現在、神はみんな忙しい。おそらく在監者も今頃仕事に追われているのだろう。以前、金時星を訪問した時も、いつも開いている扉に鍵が掛けられていたくらいだし。
ゆづりはたいした期待は込めずに、金時星のノブを捻る。しかし、ゆづりの予想に反してノブは呆気なく回った。
「失礼します」
部屋の中は電気がついていないために真っ暗だ。時計のカチコチという音だけがしきりに聞こえてくる。しかし、その音もいつもよりは遥かに小さい。まるで呻き声のように弱々しかった。
「暗いっすね」
「うん」
ハスキは機械音だけ響く暗室を怖がっているようで、部屋の中に入ってこない。廊下と部屋の境目の所に居心地悪そうに突っ立っている。
一方のゆづりは恐れること無く部屋の中へ入り、奥へ奥へと進んでいく。
「すみません」
暗闇に向かって声を掛ける。しかし、待てど待てども返事は来ない。やはり、在監者はこの部屋にはいないようだ。星にでも赴いているのだろう。
在監者が不在なら、ここにいる意味はない。また今度都合の良い時に出直そう。
ゆづりは在監者のことはきっぱり諦め、帰ろうとハスキを振り返って。
「………あ?」
足を止めた。
同時、順調に動いていた脳機能もピタリと停止する。何が起きた。どうしてこんなことになっているのか、と。
「は?」
ーーーゆづりの目の前、金時星の部屋が大きく変わっていた。
壁一面に張り付いていたはずの時計は、一つ残らず無くなっていた。カチカチと鳴っていたはずの音も、いつの間にか消えている。部屋の外で待っていたはずのハスキの姿も、何処にも見当たらない。
先程あったもの、その全てが無くなっていた。
それだけでも、ゆづりが取り乱すには充分すぎることだった。
しかし、それ以外のことに、ゆづりが唖然としている理由はあって。
「なにぼっーとしてんだよ」
一変した風景の中央に、一人だけ人がいた。
ゆづりと同じセーラー服で細い長身を隠し、短く切られた黒髪を邪魔そうに払っている女性が、いた。
知らない人ではない。きちんとゆづりの知っている人だ。しかし、ソフィーや在監者などの神ではない。古葉のようなクラスメイトなどでもない。
ここに絶対いるはずのない、そんな人がいた。
「……おねーちゃん?」
その人の名前は、佐々木のぞみ。
ーーー当の昔に亡くなったはずの、ゆづりの姉だ。




