Ⅺ 娘の料理
次にゆづりが目を覚ました時、部屋の中は真っ暗になっていた。夕方を通り越して夜に近い。かなり長い時間、寝てしまっていたらしい。
「あれ、寝過ぎたか…?」
ゆづりは眠い目を擦りつつ、部屋の明かりを付ける。すると、色褪せた時計の針が二十時近くを指しているのが見えた。
昼寝にしては流石に寝すぎた。ゆづりはノロノロと起き上がると、ハスキがいるであろうリビングに出る。彼女は電球の付け方を知らないのか、リビングは真っ暗になっていた。
「オネーさん。起きたんすか。おはよ!」
暗闇の中からハスキの声だけがする。やはり、この部屋にいることはいるらしい。ゆづりがパチリとスイッチを押せば、部屋はたちまち明るくなった。そして、ハスキの姿もはっきり掴める。
「ちょ……なにしてんの?」
ハスキはシンクの前にドカリと腰を下ろしていた。その手の中には何か赤いものが握られている。そして、足元には銀色のボールと包丁が転がっていた。
「料理。そろそろ夜だろ?メシの時間じゃん!」
ハスキは手を広げ、ゆらゆらと揺らす。彼女が持っているものはおそらくニンジンだ。形が歪で、やけに小さくなってしまっているために、非常に分かりづらいが。
「私がやるよ」
「え?」
「そんな調子じゃ、いつまで経っても終わらないよ」
ハスキの手付きは小刻みに震えていて、危なっかしい。それに、このまま放っておいたら、明日の朝まで台所で格闘されることになるだろう。とてもじゃないが見ていられない。
ゆづりはハスキから包丁とニンジンを素早く奪う。そして、彼女に椅子に座るよう命じた。
しかし、ハスキは急に仕事を奪われたことが不満だったらしい。あーと大声で喚くと、抵抗の意を示すように隣でピョンピョン跳ね出す。
「オネーさん!」
「危ないからダメ。もう夜遅いし昼間にしてよ」
「ちぇっ」
ハスキは不貞腐されたような顔をしつつ、椅子に座る。が、数分後には見ているのに退屈を感じたらしい。足をバタバタ動かしたり、暇暇と念仏のように唄い出したりしていた。
挙げ句果てには、ゆづりの背中にぴょんと抱きついてくる。流石に無視できず振り返れば、彼女の顔には、仕事を寄越せと書いてあった。
「………」
だが、気にしない。これだと手元が狂って指を切りそうになるが、ゆづりに出血や怪我の概念はない。どれだけ邪魔されていようとゆづりが危機に晒されることはない。
ゆづりはハスキの妨害はものともせず、ニンジンの皮を剥き終える。ハスキはちぇっとつまんなそうに舌打ちをして、ゆづりから離れていた。
「ハスキ。袋から食べたいもの取って。皮剥いて切ってあげる」
「あーい」
ハスキは素直にしゃがむと、床で寝ている食材袋を漁る。しかし、彼女に袋をひっくり返したり下から取り出す力はないようで、上の方にあったジャガイモとパックに入った肉を選んでいた。
ニンジンとジャガイモと何かの肉。これで何を作ればいいのだろう。肉は何の動物の肉なのかすらも分からないし、部位などはもっと見当がつかない。
「もう…どうにでもなれ」
とりあえず、火を通せば食べられるようにはなるか。
ゆづりは早々にちゃんとしたメニューを作ることは放棄して、食べ物を作ることに専念する。
一方、ハスキは料理に干渉することは諦めたようだ。彼女は大人しく椅子に戻り、ぼっーとこちらを見つめている。その瞳には生気がなく、死体のように黒く淀んでいた。
「オネーさん。ちょっとお話してもいいすか?」
「うん。いいよ」
「その、さっき、オネーさんお風呂でアタシに言ったじゃないすか。これからどうするんだって」
「あぁ、言ったね」
急に何を言い出すのかと思ったら、そのことか。
ゆづりはあれから何か考えたのかと感心しつつ、ハスキの言葉に耳を傾ける。時間がないので、ジャガイモを切りながらではあるが。
「アタシさ、やっぱりベッドの上には戻りたくないんすよ。でも、あそこ以外にアタシの居場所はない。それは分かってるんす。でもね、それでもイヤなモンはイヤなんすよ。だって、折角真実を知れて、外に出られたんすよ?絶対ちゃんとした世界で生きて、本物の人生を歩んでやる!って思う。…思っちゃう」
「…うん」
「でも、そのために何をしたらいいか分かんないんすよ。だって、アタシに何もないんすもん。あの世界で当たり前に出来てたことが出来ない、友人も家族もいない……逆にオネーさんに聞きたいっすよ。アタシはこれからどうしたらいい?これから何をすれば、何処に行けば、この世界で普通に、あの夢の中のように生きることが出来るんすか?って……」
ハスキの声は弱々しく、そして悲壮に染まっている。その雰囲気に不安を感じたゆづりは、一度手を止めて背後を振り返った。
すると、ハスキは器用に膝を丸めて、椅子の上で三角座りをしていた。小さくなった彼女姿には不安や悲哀、絶望などが伺える。かなり凹んでいるように見えた。
つい数時間前には「夢を現実にしてやる」と吠えていたのに、ずいぶんと暗くなった。今の自分の程度を知り、挫折したのだろうか。
いや、誰でも挫折はするか。ここだとまともに歩けないし、手も上手く動かせない。料理なんてもっての他。
今まで自分ができていたこと、全てが否定されてしまっている。それで、この程度の絶望で済んでいるなら彼女は強い方だろう。
「そうだなぁ……」
可哀想には思うが、ゆづりに出来ることはない。一時的な避難場所として自宅を貸し、寝床と食事を用意するくらいしか出来ない。
間違っても彼女の未来を決めたり、助言したりすることは無理だ。
「……ごめんだけど、私はハスキに本当の居場所は提供できない。他の神に相談してみないといけないし……私だって、この世界について知り尽くしている訳じゃないからね。だから、適当なことは言えない。だけど」
「…だけど?」
「まずは長時間歩けるようになるとか、そういうことから始めればいいんじゃない」
「歩く?それはどうしてすか?」
「これから君が何処に行こうと体力は必須でしょ。なら、今の内につけときなよ。そんな脆い体じゃ、どんな環境にいてもすぐ倒れちゃうよ」
「……なるほど。まずは簡単なことから始めて、ちゃんとした人間になれってことっすね」
「そうなるね」
最終的に纏まった結論は、世の中に溢れているであろう言葉になってしまった。おそらく、ゆづりからでもなくとも貰えるような、当たり障りのない助言。
折角相談してくれたのに、答えがこんなものでいいのだろうか。ゆづりは不安になりつつ、ハスキの反応を待つ。
「…ふふ、そうすか。やっぱりそうなりますよね」
しかし、ハスキはゆづりの予想に反し、とても素晴らしいお言葉を頂戴したかのように嬉しそうにしていた。ニヤニヤが隠せていないし、なんなら今にも踊り出しそうなくらい喜びが全身から漏れている。
なんでそんなに過剰な反応をするのだろう。ゆづりが彼女の反応に気味悪さを覚え始めた頃、ハスキはその理由を満面の笑顔と共に明かした。
「じゃあ、まず簡単なところからってことで、料理やりたいっす!」
「………」
なるほど。こう来たか。
目の前に光るハスキの清々しい笑みに、ゆづりは即座に彼女の掌で踊らされていたことを自覚する。
ハスキはそもそも、自分が料理をすることを諦めちゃいなかった。だから、勝ち気な彼女にしては珍しい、しおらしい態度を見せてゆづりの同情を誘った。そして、それを餌に自分が欲しい「簡単なことからやれ」という旨の言葉を引っ張り出した。
その言葉さえ言ってもらえれば、料理という人間に必要かつ身近なことをさせてもらえるようになるのだから。
自分の立場を使った狡猾な策。心配して損したという怒りよりは、よくもまぁ上手く嵌めたなという感心が勝つ。これくらい豪胆で自分の欲に素直な人間なら、何処に行っても上手くやり過ごすだろう。
「オネーさん!女に二言はないっすよ!」
「はいはい。分かったよ」
言質は取ったぞと言わんばかりに、こちらに迫るハスキ。ゆづりはその気迫に押され、彼女に包丁を手渡してしまった。
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あれからハスキは試行錯誤して食材と戦っていた。しかし、最終的に完成したものは料理とも呼べないであろう、調理の残骸だった。
具体的にいえば、ニンジンとジャガイモに火を通して、豚か牛だかの肉を焼いただけのもの。味付けをしていないのは序の口、腹に入れても体調を崩さないか心配になるような食事だった。
「これを食べても腹壊さないすかね…」
「まぁまぁ。大丈夫だよ」
あまり食欲をそそらない夕飯にハスキは怯えて口をつけない。
しかし、ゆづりは味見もどき毒味として、黙々と食事を進めている。
確かにハスキの警戒通り、ニンジンは少し固いし、肉は生っぽい。レストランで出したらまず保健所が来るだろう。しかし、家で食べる分には全く問題はない程度のものだ。
ゆづりが黙々と食事を進めていれば、ハスキも観念したようだ。近くにあるニンジンを鷲掴むと、一気に口に突っ込む。
「どう?」
「……思ってたよりはイケるっす」
「よかったね」
ハスキでも問題なく口にできる程度のクオリティなら上々だ。彼女は初めて料理をしたのだし、少々甘く評価しても平気だろう。
しかし、ハスキの心持ちはゆづりとは異なるようで、しょんぼりとしていた。
「そんなに落ち込む?初めてなんだから、上手く出来なくても仕方ないよ」
「えぇ…。だってあんなに頑張ったんすよ。それなのに、こんなもんしか出来ないなんて…」
「充分でしょ。私がやったらもっと酷いもの出てきてたよ」
「これより酷い料理ってあるんすか?」
「あるよ」
ゆづりだったら野菜なんてまず切らない。だって、人間には歯が生えているだろう。固いものをそのまま齧っても、食べられるように人間の体は出来ている。だから、食材を切る必要なんてない。水で軽く洗って口に詰めてしまえばいい。
肉や魚はもちろん生で食べるわけにはいかないから、火を通す。しかし、正しい加減を知らないから、いつも少し灰になるまで燃やしている。
料理というよりかは、食材を処置するという言葉が正しそうなゆづりの手料理。それよりかは、ハスキの作った食事の方が幾分かマシだろう。
ゆづりがそう慰めてやれば、ハスキはあんぐり口を開け、手から肉片を取りこぼしていた。
「……え、なに」
「いや、なんかオネーさん、その、ヤバイっすね」
「えっ?」
「ホント…えぇ?マジすかそれ?」
ハスキは夕焼けに染まった瞳をゆづりに向ける。心から理解できない怪物に向けるかのような、憐れんだ目を。
かなり驚いている様子を見せるハスキに、ゆづりは一瞬何がそんなに変なのかが分からず、返す言葉を失う。しかし、すぐにゆづりの食生活が変だと思われていることに気付き、一言「忘れて」と吐き捨てた。
「まぁ、また時間あるときに料理してみなよ。回数こなせばきっと上達するからさ」
「おっ!なら、明日の朝にまた試してみてもいいすか?」
「いや朝は止めて。忙しいから」
「忙しい?何か用事がおありで?」
「学校だよ。地球の人間は学校に行くの」
明日は月曜日だ。ゆづりは学校がある。朝っぱらから料理なんぞしたくない。
ゆづりから提案したのに、こちらの都合で足蹴してしまった。が、ハスキに落ち込んだ様子はなく、むしろ興奮した顔をしていた。
「へぇ、チキューにも学校あるんすか!オネーさん、アタシもついてってもいいすか?気になるっす!」
「いいよ。おいで」
「えっ、いいんすか?本当に?」
「うん。いいよ」
ハスキのことを、地球人の生徒や教師は認知できない。だから、彼女が授業中煩くしていても踊っていようと問題はない。来たいなら来ればいい。
ゆづりの淡々とした返答に、ハスキは予想外だったそうで固まる。しかし、すぐにやったと騒ぎだし、皿を机から落としそうになっていた。




