第二章 契約
いつも通りの起床時間。
いつも通りの支度。
「行ってきます」
いつも通り、誰もいないその部屋に小さくつぶやいて部屋に鍵かけると、ぼやけたような思考をなんとか巡らせて通学路を歩いた。
他でもない、昨日の夢の出来事とあいつの話を。
「は?契約破棄?」
目の下あたりまで大きく割けた口いっぱいのチョコレートを頬張りながらそいつはそう聞き返した。
「そうだよ!あんなんで来世がなくなるなんて絶対ごめんだ!」
こいつのとんでも発言のあと、思えば所詮夢のできごとだと、冷静に思い直した。が、目が覚めたとき物数の少ないこの部屋で唯一の台である透明なガラステーブルのうえに、当たり前のようにふんぞり返って部屋中のインスタント食品を食い散らかしているあいつの姿を目にして、俺は必死に契約破棄を申し出た。
それもそのはず。名前を知られたぐらいで、勝手に契約を承諾されたことになって、望んでもいない力を与えられ、挙句の果てにその代償として来世に生まれ変われないなどとなれば当然のことだろう。
「ん?できるわけないじゃん、そんなの」
大袋のチョコレートをぺろりと平らげて口周りに残ったチョコレートをなめながらあっさりとそう返す。関係ないけど、食った分はちゃんと買って返せよな!…じゃなくて
「は!冗談じゃない!なんでお前のミスなんかで俺の来世が――」
「来世がなくなるってさ、要するにお前らの魂をいただくようなもんなのよ。んで、人間一人の魂の割り当てはひとつだろ?」
「まぁな」
俺の言葉を遮って始まった説明に、とりあえず相槌を打つ。
「と、まあそういうわけで、契約を結べるのも一度きりって感じで。自然と破棄とかいう生ぬるい選択肢もないんだよ、諦めろ」
「な…っ」
なんだかんだで結局筋の通らない話をあやふやに丸め込んで、また当然のように俺の2種類の味の入ったクッキーに手を出し始め――っておい、せめて食うなら抹茶味の方食ってくれよ、だれがそのチョコ味のためだけに半分は特に好きでもない味の入ったこのお菓子買ってると思ってんだ。
「ていうかそもそもさぁ…」
「うん?」
突然、唐突に話を続けるそいつに思わず気の抜けた情けない声が漏れてしまう。それに、気付かなかったのか、気にしなかったのか大して変わることなくそいつは淡々とその続きを語った。
「基本、契約破棄なんてそうそうできるもんじゃないぜ?」
「そうなのか?なんで」
確かに魂なんて重大な契約が一朝一夕で破棄できるようなものではないと感覚的には思ったが反射的に疑問が口をつく。
「いやだって、そういう展開にならねぇように作るからじゃん。ほら漫画とかで」
「二次元の展開の作り方と俺の一度きりの人生一緒にすんな!!」
あまりにマイペースな返答に思わず突っ込んでしまうと、相当響いたのか不機嫌そうに顔をしかめる。
「いちいちうるさいな、いいじゃねぇか別に。来世なんていらないくらいこの人生を楽しめばそれで」
「それじゃあダメなんだよっっ!!!」
「え…」
「……ダメ…なんだよ、俺は…」
知らぬ間に力がこもっていたらしい拳の力を抜いて、はっと我に返る。
(あ…れ。俺、今なんて…?)
何故、あそこまで強く叫んだのだろう。そりゃマイペースなあの発言に苛立った自分もわかるが、そういう感情とはどこか違った。どちらかといえば叫んだ時の気持ちはとても―――…悲しかった。
「………わるい」
「え?」
ふと悪びれたように顔をうつむかせながら小さくつぶやかれた言葉が、重く冷たかった沈黙を破った。そして、口ごもったままこう続けた。
「実はひとつだけ方法がないことも……ない」
「ホントか!?」
思わぬ方向展開に、俺の声がそいつより一回りも二回りも大きな声で聞き返す。
「その、複雑な手続きが必要らしいから今申請まちでさ。ただ、破棄できる可能性もほぼ0に近いようなもんであまり期待させるのもと思って…その、決定まで………黙っておこうと思って…さ」
終始声のトーンを小さくしたままで、最後の方に至ってはほとんど途切れ途切れであったがひそかに赤く染まった頬と決して合わせようとはしない目線が俺にはとても悪魔には見えなかった。
「なんだよお前…いいやつなんじゃん…」
あまりに恥ずかしげもなくそうこぼしてしまった自分に気がついて、慌てて弁解をしようと思ったが、やめた。
「う、うるさいな!どうせ破棄なんて無理だろうからせいぜい今の内に人生の最高の末路でも考えておくんだな!!」
強気な口調で憎まれ口をたたいてもみせているが、もはや威厳も憎しみも感じられることはない。ただの照れ隠し以外の何物でもないと気付いては少しだけあたたかな気持ちになった。
「んなことさせねぇよな?絶対破棄してやる、出来なかったら死んだ後に呪ってやるからな」
「いや、だからお前の死後、霊魂すらオレんだから。呪うとかできねーし」
「だったら絶対破棄させろよな」
「はっ、どうなるかな。こっから先は上の決めることだからな。お前の運次第さ。」
他愛もないやりとりだが、久々にそんな時間を楽しんでいる自分がいた。
あんな悪夢のことも、
消え去ったこれまでのことも、
一方的に結ばれた契約のことも――――…ん?あれ??
俺、なんか重要なこと忘れてる?
「あ。それより決定が下るまでオレここに住むことにしたからさ、お。これ美味いな、もっとないかな」
とか、なにやらお菓子を探して部屋中を詮索している誰かさんは置いておいて。いったい何を忘れて――…
「は…?」
あれ、おかしいぞ。俺の耳。なんか今ここに住む宣言が聞こえたような…?
「ん? そういや自己紹介もまだだっけな。オレはバク」
ふと思いだしたように振り返ってバクは不敵な笑顔でそう言い放った。
「えっと…つまり?」
「んじゃま、自己紹介も済んだことだし、改めてよろしくな!!相棒♪」
「冗談じゃない!これ以上変なもんと関わる気は……って、また勝手にあさるな!」
人の話も聞かず、戸棚をあさるヤツ。
果たして、この後いったいどうなるのだろうか。それを考えただけで、頭痛がした。
次回の更新予定日は、4月2日(AM9:00頃)です!




