第一章 悪魔と少年
こちらも友達のリクエスト作です。
どうぞ楽しんでいただけたら嬉しいです(*^^)
『…ル…ア…ル……ア………ル…。』
(やめろ…)
頭の何処かから声がする。消えそうでか細いが、鼓膜はしっかりととらえていて、絡みつくように、大きくなったり小さくなったり。
(やめろ…やめろ…)
形のない恐怖に足をすくわれるように、たまらず両耳をふさぐ。
それでも、そのかすかな隙間を抜けるようにするりと耳に流れ込む。
暗い闇の中。まるですがるかのように繰り返す何人かの死人の声。
(やめてくれ……!!)
―――…PiPiPiPi。
無機質な目覚まし時計の音が飛び込んで、布団から跳ね起きて目が覚める。
少しの間、あたりを軽く見まわすと少年は安堵するように知らぬ間に力の入っていたらしい肩を落とした。
「…なんだ。また”あの夢”か」
外からさしこむ陽射しの眩しさで朝だと理解した少年が、ふぅっとため息をつきながら苦々しく顔を歪めると、右手で毛布の端をぎゅっと一度強く握った。
少年は、立ち上がるとすぐに制服のシャツに手をかけて支度を始める。毎朝、着替えるだけが学校への支度だった。開襟シャツのボタンを留めながらふと、心臓のあたりで手を止めてみる。
目覚めたばかりだというのに、少年の動悸は激しく脈を打っていた。
というのも、苦々しく顔を歪めた”あの夢”というのがすべての原因なわけなのだが。
「…いってきます」
誰もいない一人暮らしのアパートの部屋に小さくこぼすと少年は学校へと向かうべく家を出た。
少年の名は、夜月 或斗。
スタイルは平均。頭脳も至って平均。手入れもしない黒髪が人より少しだけ艶やかなくらいで、特に目立つところもなくどこをとっても平凡な中学生だった。……ただ一つを除いては。
(…またか。)
視界に映ったものに対し、心の中で少し呟いてみる。
彼の目線の先には、誰もいない。
と、いうと嘘になるだろう。
普通の人には映らないであろうその少女の姿が、彼には見えているのだから。
彼は、誰の目にも映らないはずの少女に気づかれないように、できるだけ視線をそらして一度止めかけた歩をまた進めた。
早くも、今日で何度目かのため息がこぼれる。
(はぁ……、”幽霊”なんて見えちまってもしょうがないっていうのに)
いわゆる、霊感というものだった。それも初めてじゃない。記憶にある限りではずっとその目に映し続けてきたのだから、今更驚くこともない。ただ、彼が”ただ一つ”奇怪なのは霊感があることではない。
”あの夢”のことだ。
あの夢とは、彼が見ていた悪夢のこと。なぜかここ最近同じ悪夢を、繰り返し見続ける日々が続いていた。内容もいつも同じ、真っ暗な闇の中で、見えない闇の向こうから『ルア』とただひたすらに繰り返す、恐ろしいまでに単純なだけの幻聴のようなもの。しかしさすがに毎晩見るせいか次第に最近では浅い眠りの短時間睡眠ばかり。
(なんなんだよ、もう…)
そんな眠れない夜が続き、疲労はもう限界にきていた。
「おはよう、夜月くん」
突然、背中に聞こえた声に後ろを振り返るとそこには見慣れた低身長の女子がいた。
「ああ おはよう、小梅」
小梅 悠。
少しばかり周囲に無関心な性格がたたってか、女子はもちろん男子とさえあまり打ち解けてはいない。そして、小梅はそんな彼に唯一話しかけてくれる女子生徒だ。
疲れた気味の表情をなんとか繕って、笑顔であいさつを返す。
が、小梅は童顔の顔に眉を寄せ、怪しむような心配するような目で小首をかしげた。
「ねぇ 夜月くん。だいじょうぶ?」
「え。だいじょうぶって、なにが?」
「寝不足でしょ。夜更かし?それとも悩みごと?」
「そ、そんなことないだろ。いつも通りじゃないか」
いきなり、的確に核心を突いてきた小梅の答えに思わず言葉に詰まる。
「夜月くん」
「は、はい」
「あ、あの…ね…」
「………?」
「…やっぱりいい。夜更かしには気を付けてね」
「お、おう」
そんなやりとりを交わして、二人はそれぞれの席へついた。
そして迎える、放課後。
(今日ももう終わりか。最近、一日が早く感じるな…)
以前より夜が、長くなってしまったような錯覚さえする。彼は財布以外ほぼ空っぽのショルダーバッグを肩にかけると、まっすぐ家路へとついた。
彼の住むアパートは近い。校門から出て少し歩き、すぐの角を曲がってまた少し歩くとすぐだ。歩いて10分もかからない道のり。しかし、めんどくさがりでもあるはずの彼だが、いつもその道を使わず遠回りの裏門を通って帰る。理由は単純。裏門は細い道が複雑に入り組んでいるせいか、近隣住民すらあまり使わない人気の少ない道なのだ。そんな道を好んで使いたがる彼は友人たちの目には少し”変わり者”に映ってもいたが、彼は構いはしなかった。他人にどう思われているのか気にとめない、それも彼の性格だ。
そうこう考えているうちに、アパートへ着く。
彼の自室は、アパートの2階の階段から一番遠い左端。
部屋の前にたどり着き、いつものようにポケットから鍵を取り出して待つ家族のいない、ドアを開け中へすぐにベッドのある寝室へ直行する。
息苦しいネクタイを緩めて荷物をその辺に投げ捨てると、ぽすんと軽い音を立ててベッドへ倒れこむ。
(なんか、急に疲れが出るな…)
天井をぼんやりと眺めていると、秒針の音が刻む音が心地よくリズムを奏でているのがよくわかる。
(あの夢のせいで最近あまり眠れてないし、当たり前か…。)
自問自答をしたあと、ふっと目を閉じてみる。
そうだよ。 あの夢のせいで――…。
あの夢が。 得体の知らない声が、闇が。
飲みこもうとするんだ。
果ての見えない闇に、引きずり込むように。
誰かをずっと呼んでるんだ。ねぇ、ずっと呼んでるんだよ…。
――――――……誰を?
―――――――――――『…君を。』――――――――――――
「…ん。あれ…ここって…夢、か?」
真っ暗な闇。そのなかで、不思議と自分はよく見える。それだけでもずいぶんと不思議なものだが、彼にとってそこはさほど気にはならなかった。それよりも、いつもの”あの夢”ではなかったことがただひたすらに嬉しかった。
(やっと、解放されたのか…。)
あの悪夢から。
うなされ続けてきた夢から。
「よかった…」
思わず胸をなで下ろしたそのとき。ふと、奥の方に自分自身と同じようにぼんやりと鈍く輝く影に気づく。
(なんだ…?あれ…)
割と距離があるため、よくは見えないが上部が動いているのだから、生き物ではあるだろう。
そして、その位置が低い。
(ってことは子どもか…?なんで子どもの夢なんか――…)
すると、じっと見つめ続ける視線に気づいたのかそれはこちらを振り返る。
次の瞬間、瞬きひとつほどのほんの一瞬のことだった。尋常じゃない速さでそれは目の前まで迫ってきた。驚きのあまり、思わず反射的に固く目をつぶる。
(霊か…)
どう考えても人間のスピードじゃない。所詮は夢だから、実際にはそんなこと関係ないのだろうけど。寒気を覚える感覚といい、雰囲気といい、とにかく普通ではないことだけは、確信した。
「おい」
目を開くことも忘れて、そんな思考を巡らせていると目の前の存在から鋭い声がした。
(え…)
固く閉じた目を恐る恐る開いてみる。
そして、瞳に映った姿は人でも、子どもでも、ましてや霊なんてものでもなかった。
最もわかりやすく例えるなら、悪魔をかたどったぬいぐるみだろうか。
二本の角に、ボタンのような目。人間でいうと目じりの下ほどまで大きく割けたような口からのぞく歯に、右上から左下にかけて大きな縫い目のような痛々しい跡がある。
(へぇ。珍しい霊の姿もあるもんだ…)
普段は見えることが気付かれてしまうと憑かれたり、懐かれたりと好かれても嫌われても面倒事しかないので目もくれないが、今回はその珍しい風貌もあってか、思わずまじまじとその姿を眺めてしまった。
「お前。俺が見えるんだな?その割にはずいぶん薄い反応だけど」
「あ、ああ。まぁそんな珍しいことでもないんでね」
突然口を開いたそれに少し動揺しつつも慌てて簡潔に答える。
「なんか、おもしろくねぇの」
不機嫌そうに口をとがらせるそれに動揺を隠すように、平静を装ってみせる。
「期待外れのリアクションで悪かったな。
で、お前霊―――…だよな?ずいぶん珍しい姿してるけど」
「霊?何言ってんの?お前」
「は?」
「オレの正体なんて見てのとおりだろ?」
「見てのとおりって――…だから悪霊だろ?
何をどうやったらそんな全く別の生きものになれるんだ?」
「なに、お前俺が悪霊に見えんの?」
「いや、見えないけど。
じゃあなんだ?悪魔とか、死神とかとでも言いだすつもりか?」
ありえるはずもないだろうが、目の前の姿を見て何に見えるかと問われれば脳裏をよぎったのは小説や映画などで登場しそうな悪魔や死神だった。当然、否定の返事が返ってくるものだと思っていた。
「ああ、合ってるぜ」
「お前さぁ、嘘つくならもうちょいマシな嘘つけよな」
あまりに涼しい顔でそう答えてくれるそいつに呆れ顔で、ため息混じりにそう口にしてすぐのことだった。目の前でふよふよと漂うように浮いていたそいつのボタンに似た目が本当にすぐ目の前まで間をつめて静かにこう言い放った。
「あまりオレを怒らせるなよ。その気になればお前ら人間なんてとり憑いて、なんなら…」
言葉が切れて、そいつは手らしき部分を近づけ来た。そして、次の瞬間、それは音もなくじわじわと俺の心臓のあたりに入り込んでいく。
「!? 何して――…」
痛みはない。何かが入っていく感覚もないというのに、容易く自分の体が侵食されていくような恐怖が身を震わせた。
「内部から心臓を一握りに潰してやることだってできるんだからな」
目と鼻の先でそれは口を大きく裂けてニヤリと笑った。本気なのか冗談なのか、意図の読めないボタンの目はあまりに不気味だった。
「わ、わかった!悪かった!」
慌てて距離を取って後ろへ下がると、そいつはまた徐に口を開く。
「……ところでお前、異契約者を見なかったか?」
「異…契約者…?」
「そうだ。さっき追ってたんだけどお前の夢に飲みこまれて
見失っちまったんだよな」
あたりを見回したあと、そいつは俺をにらむように凝視した。
(え… それ俺のせい?)
「で、どうだ?」
「い、いや。その前に契約者って…契約って、なんのことだ?」
「は? お前、契約のこと知らねぇの?」
「当たり前だ。俺は霊感がちょっとあるだけで悪魔とか、ましてや死神なんて知らないし見たこともないっての」
「ちょっと?霊感が?おかしいな、霊感だけじゃ俺を夢に飲みこんだりはできないはずなのに…」
そういって、そいつは何やら呟いて考え込みはじめる。
「おい、聞いてるか?」
「…まぁ、いいか。契約ってのは、要はおれら悪魔なんかの力を人間らが手にするための手段だ。んで、悪魔との契約条件を結んで同意を得ることでその契約を交わした人間を契約者という。」
「ふーん…。それで?」
まあ、大方冗談だろう。というのが本音だ。が、ただの夢なら、聞く分聞いてみるのも面白いかもしれない。
「まぁ契約だったら別に口出ししないんだけど。つい数日前、ある精霊たちが宿り場から逃げ出して人間を宿主にしたらしい。俺はその宿主たちを探している」
「なるほど……あれ? でも、お前確か”異”契約者って言ってたよな?
契約者とはどう違うんだ?」
「そ。ここからがまた厄介で…どうやら人間側の同意もなく一方的に結ばれた契約、異契約らしくて。こういうの、お前ら人間の一番近い言葉で”とり憑く”っていうみたいだけど」
そいつの話によると、精霊とはいったものの、人間を宿主とした精霊たちは大抵人から受ける負のエネルギーの影響から穢れとなり、悪魔へと変わってしまうのだそう。
しかし、魂が代償だというのに自ら望んで悪魔と契約するやつらも少なくはないというのだから驚きだ。
「悪魔の力なんて…そんなもん手に入れて何しようってんだよ?」
「さあな。俺らはただ契約を望む人間に力を提供して、その条件としてそいつの来世に生まれ変わるだけさ」
「生まれかわる?」
「そうさ。人間と契約したら、力を与えるのと引き換えとしてその人間の死後、その魂を食らってその力で自分が生まれ変わるのさ」
「人間の方はどうなるんだ?」
「さあな。魂がなくなるんだから生まれ変われないだろ」
冷たく引き離すような鋭い口調。だが、俺にはその言葉の裏に、寂しさがあるような気がした。ずっと生まれ変われずに、きっと暗い世界で、悪魔として生きてきたんだろう。そう思うと、返す言葉が見つからなかった。
「……ところで、お前名前は?」
ふと、長い沈黙を破るようにそいつは尋ねた。
「あ 俺は或斗。夜月 或斗」
「ふーん。或斗、ねぇ…」
「ねぇ、じゃなくて。」
「ん?」
「名前。こっちも名乗ったんだし、お前は?」
「ああ、オレの名前は――…って、あぁ!!」
「なんだよ、急に大きな声なんかあげて…」
至近距離での大きな声に、思わず肩がすくんで、顔をしかめた。顔をあげると、そいつは明らかに声を震わせて動揺しているようだった。
「な、なぁお前…。もしかしなくても夜月 或斗ってフルネームだよな…?」
「? そうだけど?」
「わ、わりぃ… その…、そんなつもりはなかったんだ、うん…。これは流れであってその不可抗力というか…」
「は? 一体どういう―――…」
疑問ばかりが渦巻く俺の言葉を打ち切って、そいつはこう言い放った。
「契約条件
Ⅰ 悪魔が人間の本名を知ること、これ承諾行為とみなし、契約を完了したものとする 」
「は…? ま、まさかとは思うけど、それってつまり……」
「まあ…な、こういうこともあるさ、うん。割り切っていこう 」
「う、嘘だろ…?お前、まさか…」
嫌な予感がした。
(名前…契約……? て、ことは……)
自分の中で導き出した答えに、サッと血の気が引いていくのを感じる。その答えを肯定するかのように、そいつはまた口を大きく裂けて笑った。
「そういうわけでよろしくな ……相棒!」
「う…っ、嘘だあああああああぁ!」
こうして悪魔のまさかのミスのせいで、望まずして悪魔の力を手に入れた代償として来世を失ってしまったのだった。
そして、来世と同時に平凡な日常を失うことになると知ることになるのはまた少し先のことだった。




