▲無趣味なサラリーマンの挑戦3
一歩、また一歩と家へと近づいていく。
この期に及んで、まだどう切り出そうかなんてことを考えてしまっている。
要は言い訳を探してしまっている。
「逃げてばっかじゃねぇか」
この間の旧友の言葉が脳裏に響く。
俺はいつか父の後を継ぐという、生まれながらにして決められたレールに沿い、医者を目指して大学に通い、研修医として病院で実務も経験した。
しかし、俺は正規採用を断った。
医者としてのキャリアを選ばなかった。
単純に怖くなった。
目の前で人間が生死の境に直面する光景もそうだし、自らの目と手で患者を診なければならないという責任の重さもある。
そんなこと子供でも分かるはずなのに、分かっていたはずだった。
このまま医者になるんだろう…そう思って疑わなかったあの日、現場でその現実を目の当たりにしてしまった。
「よくあることだ」「それを乗り越えてこそ医者だ」なんて周りは諭したが、俺は完全にダメになってしまった。
研修医として大学病院で働いていた頃、とある患者に出会った。
その人は同い年の青年で、自分と同じ年齢の人が医師を目指して頑張っている姿に元気付けられたらしく、何かにつけて俺を呼び寄せるようになった。
その頃、あまりうまく行ってなかったこともあり、浮かない顔をしていると相談に乗ってくれた。
彼は医者志望でも何でもない素人だったが、達観した考えの持ち主で、俺に色んな話をしてくれた。
そんな彼は難病だった。
確かな治療法が無く、様々な療法をダメ元で試し続けていて、効果は期待できないと分かっても、いつも前向きで周りの人に明るく振る舞うのだった。
毎日の健康観察を任された俺は、主治医から病状を聞かされた。
病気の進行が着実に進んでいることは明らかだった。
それでもまだ望みはあるとリスクのある手術を選んだ。
手術に臨む前とは思えないほど、晴れやかな彼の笑顔が脳裏に焼き付いて離れない。
「あっ、また浮かない顔してるな。手術終わったら聞いてやるからさ、待っててよ」
やたら馴れ馴れしい奴だった。
そういえば、彼に父の話をしたことがあった。
「家業を継ぐ気でいる」と伝えると、「なら、継ぐ時教えてよ。俺その島に住むから」
生きていたら、今頃何をしているんだろうか。
俺が医者にならず、ふらふらしている姿を見て、あいつはなんて言葉を俺に掛けるのだろう。
色々と考えているうちに家に帰ってきてしまった。
玄関の戸には、
『在宅中 ご用の方は戸を開けて声をかけてください』の札がある。
父がまだ家に居ることを知らせる。
カナデは何の躊躇も無く、それを開け放ち、中に居る父親に声を掛ける。
「ただいま~帰ったよ~」
「おう。勝手に入ってくれ。奥の居間だ」と声がする。
それを聞いて、カナデとともに家にあがる。
靴を放り投げて、少年がバタバタと駆けた廊下を今、ゆっくりと歩いている。
踏みしめるとギシギシと鳴る。
あの頃と何も変わってないようで、色々と変わってしまっていた。
居間から父が顔を出す。
「早かったな」
「そうかな?駄菓子屋と学校に行ってきたよ。ばあちゃんにも会えたし、先生にも会えた。これ、ばあちゃんからお土産だって」
妹から渡された袋を確認して、シワが目立つようになった父の厳格な顔が、不意にほころぶ。
いつ振りだろうか。
父の顔をまじまじと見たのは。
その顔が俺を捉えた時、まるで何かを見つけた時のように見開かれ、けれど、すぐ目を細めて、
「改めて見ると、大きくなったな…」
不意にそんなこと言われて恥ずかしくなる。
どう答えたら良いのか分からないでいると、すぐに俺から視線は外れ、カナデのほうに意識は向く。
「カナデもますます母さんに似てきたなぁ」
「ほんと?」
「あぁ、若い頃の母さんにそっくりだ」
「そっか~なんか嬉しいかも…」と控えめに喜んだ。
たぶん、親子とは二人のような関係性が一般的なんだろう。普通の親子になりきれない俺はなんだか異質のように思えた。
「まぁ、立ち話もなんだ。座れ」と置かれた座布団に招かれた。
のそのそと台所の方へ向かう父。
「喉渇いたろ。待ってろ」
「あっ、手伝うよ」とカナデもついていこうとするが。
「いいよ。くつろいでくれ」
そうカナデを制して、準備を始めた。
座ったカナデはさっき買ってきた駄菓子を机の上に並べ始める。何円分買ったのかと言うくらいの量が並ぶ。
「おまたせ。好きなの取れ」
お盆に乗せたお茶やジュースのペットボトルとパックのジュースが机の上に並んだ。
「あっ、懐かしい。これ、待合室の自販機にあったよね?」
カナデは懐かしむようにパックのジュースを手に取った。
「それいっぱいあるから持って帰ってくれ。売り物にならない在庫がまだあってな」
「ほんと?じゃ持って帰ろ~」
と言いながらストローを差し込んで、ゴクゴクと飲み始めた。
それを横目に俺はお茶を取る。
用事を済ませた父がどっしりと目の前に腰かけて、俺と同じお茶を取り飲み始めた。
「二人とも、変わりはないか?」と父は話を始めた。
それに対応するのはカナデだ。
「うん。私はメールで報告した通りだよ」
「そうか。頑張っているようで何よりだ。でも、無理はしないようにな」
「うん。気をつける」
今度は俺の番と言わんばかりに、
「お兄ちゃん、仕事変わったんだよね?どうなの?」
とカナデが俺の話をする。
「そうなのか。今度は何の仕事だ?」
「ガイド雑誌の編集の補助……」
内心、何を言われるのだろうかと不安だったが、俺の答えを聞いた父は何の反応も見せず、
「へぇ。その仕事は儲かるのか?」と訊いてきた。
「アルバイトみたいなものだし、そんなには…」
「そうか……最近は本も売れないようだしなぁ……」
儲からないことをやるくらいなら継げ……なんて言われるのではと思ったが、世間話でもしているかのような反応に複雑な気分になる。
なんでこんなにも普通に話せてしまうんだ…と。
戦々恐々としている俺が軽くあしらわれているようで、ちょっと気にくわなかった。
「ガイド雑誌か……この島も特集してくれたらいいんだがなぁ…」とこちらをちらちらと見ながら言う。
「た、頼まれても、やらないぞ…」
まだ仕事に慣れていないというのに、面倒事を頼まれても困るからだ。
「そうか。残念だ。仕事回してやれると思ったんだがなぁ。仕事を持ってくれば、本採用も視野に入るんじゃないか?」
その言葉に先程の自分の考えの浅はかさを思い知ると同時に、彼の一貫した姿勢に面食らってしまった。
てっきり、いつ頃継ぐのかとか、そういう堅い話をするものだと思っていたのに、そんなこと頭にもないような素振りで、本当は嬉しいはずなのに、どこかモヤモヤとしたものを抱いた。
返答をせずにいると、
「シュウ、まさかすぐやめるつもりじゃないだろうな?」とこちらを睨んできた。
「そ、そんなつもりは無いけど……」
父は何も言わず、話を続ける。
「せっかく、受け入れてくださったんだ。その繋がりを大事にしないとな。もちろん、仕事の内容や待遇にもよるがな…」と珍しく言いにくそうにした。
「子供じゃないんだから…分かってるよ」と答えてやると、
「何を言ってるんだ。いつまでたっても子供は子供だよ」と言い返されてしまった。
拍子抜けした俺はその後、一言も発することができず、カナデと二人の会話をしばらく聞くことになった。
「まぁ、変わりがないというのが一番だ。二人とも何かあればいつでも帰ってこい。別に何もなくても今回みたいにお茶でもしに来ればいいから、たまには顔を見せにきてくれ」
「うん。わかった」とカナデは答えた。
一段落して、お茶を二口ほど飲んだ後、机の上の駄菓子に手を伸ばす。
「さて、これでももらおうか」
「それ好きだね~」
棒状のスナックを慣れた手付きで開封し、口へと運ぶ。
「子供の頃からあるが、これが一番だ」
「へぇ~」
駄菓子談義に花を咲かせた。
そんな二人の会話が一段落する頃、ふと時計を見ると診療所の午後の診察が近づいていることに気づいた。
「さて…そろそろ、私は戻るよ」
「あっ、ほんとだ。時間取ってくれてありがとね」
「家族のためなんだから、時間を取るのは当たり前だ」
そう言いながら、立ち上がる父。
このままお開きになれば、何事もなく終われる。
でも、それで良いのだろうかと考えた。
「あ、あのさ……親父……」
意を決して…というよりは、ほとんど勢い任せのようなものだった。
「なんだ?雑誌の件、話してくれるのか?」
相変わらず父は、あっけらかんとした態度で俺に耳を傾けてくれる。
「そうじゃなくて…その……」
「ん?」
たぶん、父は分かっている。
何を言い出そうとしているか、何を伝えようとしているのかを。
でも、何も言わず、ただ待っていた。




