第8話 毎年だけど。
菅原神社の夏祭りは、毎年八月二十五日と決まっている。曜日は関係ない。夏休みも残り一週間になったその日の夕方、千夏は待ち合わせ場所で隣にいる望にスマートフォンの画面を突きつけながら、遅い、と言った。待ち合わせは五時半。画面の時刻は五時三十四分だった。
「まだ四分じゃん」
「もう四分」
「文句なら朔に言って」
「言う。望は五時二十七分に来たから大丈夫」
小走りの足音が近づいてきて、ごめん、と朔が珍しくしおらしい顔を見せた。
「遅い」
千夏は、朔にもスマートフォンを突きつける。
「ちょっとだろ。財布探してた」
「また? この前プリントなくしてたばっかりじゃん」
「あれは落としただけ」
「同じ」
「違う」
「はいはい、喧嘩はそれくらいで。行こ?」
少し離れて待っていた澪が、呆れたように笑った。
『喧嘩じゃない』
朔と千夏の声が重なった。
「さ、行くよ。ひかりたちとは神社の前で合流だから」
そう言って、澪は歩き始める。
* * *
神社へ続く道には、もう人が溢れていた。提灯が並び、屋台からいろいろな匂いが流れてくる。
「綿あめあるかな。ひかりも好きだったよね」
澪がそう言った時、少し先で結が大きく手を振っているのが見えた。水色の浴衣の結の隣に、由佳とひかりがいた。ひかりは普段着だった。ひかりちゃんは浴衣じゃないの、と聞いた望に、七歳のときの着ろってこと、と言ってひかりは笑った。無理だね、と望が自分で納得する。
「じゃあ九時前には、ここに戻ってきなさいね。そのあいだ、久々に志保とデートしてるから」
由佳はひかりにそう言うと、境内とは別の方向に歩き始めた。
「どこ行くの?」
そう聞いた結に、大人には大人の付き合いがあるの、と由佳は一瞬だけ少女みたいな笑顔を見せて、去っていった。
六人は境内の石段を上がって、まずは参拝を済ませる。本殿までの道すがら、結は屋台の方ばかり見ていた。
「勝手にどっか行かないでよ」
そう言ったひかりに、見てるだけだもん、と言って頬を膨らませる。
「……去年もそう言ってた子がいたなあ」
千夏が言うと、結がぱっと振り返り、それ誰、と目を輝かせる。千夏は、誰だろうねえ、と言いながら望の方を向く。
「屋台を見てたらみんないなくなってたら、それって迷子って言うよね、望?」
望が何も言わずに千夏を睨みつけていると、たまらず、去年そんなことあったんだ、と言って朔が吹き出した。笑うな、と望の矛先が朔に向いた。
石段を下って屋台を冷やかしながら歩くうち、結はいつの間にか千夏の袖を引いていた。
「おすすめは?」
「食べるなら焼きとうもろこし、遊ぶなら射的。でも射的は、あっちの店の方がいいよ。こっちは去年、全然落ちなかったから」
* * *
屋台が途切れたところで、少し休むことにした。澪と望は焼きそば、朔はたこ焼き、結はいちご飴。ひかりだけが、何を食べるか決めかねていた。
「奥の屋台の焼きとうもろこし、おいしいですよ。去年食べたから」
千夏が言うと、望が首を傾げた。
「それ、朔が食べてたやつだっけ」
「それ、一昨年じゃない? 去年、朔は来てないでしょ」
「あ、そっか。熱出してたんだった」
よく覚えてるね、とひかりは千夏に言った。
「三人で食べる予定だった焼きそばが一個余って、望が二つ食べたので、印象に残っていたんですよ」
「一人では食べてない! 千夏も一緒に食べたでしょ」
「私は二口だけ」
「細かい!」
また望と言い合っていると、ひかりが目を細めて千夏を見ていた。
「ほんとに、ずっと一緒なんだなって」
まあ、と答えて、千夏は少し黙った。
朔とも望とも、初等部からの付き合いだ。去年朔が熱を出したことも、その前の年、望が金魚すくいで一匹も取れなかったことも、いちいち覚えようとしたわけではないのに、知っている。
「森野先輩は、こういうお祭り久しぶりですか?」
「うん。フランスにも似たようなのはあるけど、全然違うかな。町によるけど、音楽やってたり、踊ったり」
「踊るの? ひかりちゃんも?」
朔が食いついた。踊ってたよ、と答えたひかりに、朔はふと思い出したように言った。
「そういえば前、フランスで何やってたか、今度教えてくれるって言ってたよね。他にどんなことがあったの?」
ひかりは少し驚いた顔で、覚えてたんだ、と言った。
「朔、変なことだけ覚えてるんですよ。プリントはなくすのに」
千夏が言うと、ひかりは笑って指を折りながら、しゃべり始めた。
「学校でバドミントンやったり、演劇みたいなのやったり。あと一時期、ダンスも。日本みたいにずっと同じ部活に入るんじゃなくて、時期で変わるの」
「へえ」
「……朔くん、反応薄くない?」
「そうかな」
何それ、とひかりが呆れたように笑った。
* * *
暗くなるにつれて、人はさらに増えた。結がヨーヨー釣りを見つけて朔と望が付き合っているうちに、澪は綿あめを買ってくる、と言って本殿の方の屋台に向かった。人の流れを避けて道の端に寄ると、千夏とひかりの二人になった。
「千夏ちゃん、今日楽しそうだね。毎年だと、飽きない?」
「……毎年だけど、毎年ちょっと違うので。森野先輩は、ここは七年ぶりですか」
「多分そうだね。澪と来てたと思うけど、あんまり覚えてないや」
そう言って、ひかりは何かを思い出すように軽く目をつぶった。
「森野先輩と澪先輩って、幼馴染なんですよね。朔とか望とかも」
そうだね、と答えた後に、ひかりは少し体勢を変えて、千夏に向き合った。
「その『森野先輩』っていうの、私だけ他人みたい。澪たちのことは名前で呼んでるでしょ」
「……じゃあ、ひかり先輩?」
「先輩は取れないんだ」
「取れないです、だって澪先輩も、澪先輩ですから」
ひかりは笑って、それでいいよ、と言った。それから、もう一度聞いてきた。
「千夏ちゃん、今年はどう?」
「何がです?」
「今年のお祭り、どう?」
結がヨーヨーを二つ持って走ってくる。その後ろを朔と望が追ってくる。
「……まだ分かんないです。終わってないので」
「それもそうだね」
そのとき、綿あめを三つ抱えた澪が戻ってきて、綿あめ、という結の声が大きく響いた。
* * *
八時を過ぎたころ、神社の脇から花火が数発上がった。それでも結は歓声を上げた。写真を撮りたい、という結に急かされて、六人で少し開けたところへ移った。千夏がスマートフォンを石の柵に立てて角度を合わせ、セルフタイマーを押して走る。
結がひかりの隣に入り、望が千夏の腕を引っぱり、澪が後ろへ回る。朔だけが少し遅れて、俺どこに入ればいいの、と言った。そこ、と全員がてんでに指をさした。どこだよ、と朔が叫んだところでシャッターが切れた。
画面を覗くと、結は満面の笑みで、ひかりはその肩に手を置いていた。望は千夏の腕を掴んだままで、澪は普通に笑っていて、千夏も笑顔だった。朔だけが、何か言いかけたような顔をしている。
今度はちゃんとしてよ、と結が言い、二枚目を撮る。少し余裕を持って並んだ。シャッターが切れる直前に望が、花火上がらないね、と言って、千夏は思わず笑った。そのまま、シャッターが切れた。
* * *
家に帰って風呂を済ませると、千夏のスマートフォンが震えた。今日作ったばかりのグループだった。
《結が写真欲しがってるから、貰える?》
ひかりからだった。千夏が二枚の写真を送ると、すぐに既読が増えていく。
《一枚目の朔やばい》
《普通だろ》
《普通ではない》
《お前らうるさい》
望、朔、澪、朔。少しして、ひかりからも来た。
《ありがとう。二枚目、すごくいいね》
千夏は改めて二枚目を見た。結が笑っている。ひかりも、望も、澪も、朔も、そして自分も。花火は、どちらにも写っていなかった。
《うん》
そう返すと、すぐ下に朔のメッセージが増えた。
《俺、一枚目も別に変じゃないだろ》
《変だよ》




