↓ ↑ページトップへ
表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
選んだあとも、選ばれなかったあとも。  作者: 9ry5hrk_2we


この作品ページにはなろうチアーズプログラム参加に伴う広告が設置されています。詳細はこちら

PR
34/42

第33話 ちゃんと言って。

 三月十四日の朝、朔は机の端に置いてあった二つの紙袋を鞄へ入れた。教科書を少し寄せて、紙袋が潰れないようにする。


 昼休みの二年二組では、何人かの男子が小さな袋を配っていた。千夏も朝から二つほど受け取っている。どちらも先月チョコを渡した相手で、ありがとう、と言えば、それで終わった。ただ、今日はまだ、朔とは会っていない。去年は、ホワイトデー当日に何かもらった記憶がある。たしか小さなクッキーの袋だった。朔から受け取って、望の分と並べて写真を撮った気がする。

 今年もきっと何かくれるのだろう、と思いながら、数学のノートを開いた。日曜日に使い切って、望に貸していたものだった。今朝、返してもらった。最後のページを、もう一度確かめた。

* * *

 放課後、望は係の仕事で職員室へ行くことになった。ちょっと待ってて、と言って望が教室を出ていってから、千夏は机に残っていたプリントを鞄へしまった。そこにいつも通り、朔が顔を出した。

「望なら職員室だけど?」

 あえて、素っ気なく言った。知ってる、と朔は答えた。

「じゃあ何?」

「……ちょっと、いい?」

 千夏は少し黙った。

「……うん」

 廊下へ出ると、朔は階段の方へ歩き始めた。昇降口で靴を履き替えて、校舎の脇へ回る。どこまで行くの、と前を歩く背中に聞くと、朔は立ち止まった。


「……ここでいいか」

 振り返って、鞄から小さな紙袋を取り出した。

「はい。先月の」

「あ……ありがと」

 千夏は受け取った。紙袋の中には、小さな焼き菓子の箱と、薄いノートが一冊入っていた。これ……、と思わず声が漏れた。見慣れた細い方眼が並んでいる。

「千夏、これ使ってるだろ」

「……うん」

「この前、町田で見つけてさ」

「よく覚えてたね」

「ずっと同じの使ってるじゃん」

「そうだけど」

 千夏は一枚めくって、また戻した。

「これ、どこで買ったの?」

「駅前の文房具屋」

「ああ、あそこ」

「うん」

「……そっか」

 日曜日、望が町田で待たされていると言っていた。そういうことだったのか、と思った。紙袋の中の焼き菓子も、よく買うものだった。

「……ありがと」


 これで終わりにすれば、後は望を待って三人で帰る。今朝までは、そうなると思っていた。でも、千夏は紙袋を持ったまま、歩き出さなかった。

「……朔」

 千夏は紙袋を胸の前に抱えて、息を吸った。

「この前のチョコ、今年はちょっと変えたって言ったじゃん」

「ああ、うん」

 朔が頷いた。

「やっぱり去年は三つだったよね」

 朔はそう言って、少し笑った。千夏も笑いかけた。けれど、そこで止めた。ここで一緒に笑えば、また去年と同じになってしまう。それが嫌だった。


「……私、朔が好きだからあげた」

 朔の笑顔が消えた。千夏は顔を上げたまま、続けた。

「毎年あげてたけど、今年はそういうつもりだった」

 朔は何か言おうとして、口を閉じた。少し離れたところで、運動部の生徒たちが走っている声がした。千夏は待っていた。朔が困った顔をするかもしれない。先月、そう考えて言えなかった。今、目の前の朔は、その顔をしていた。それを見るのは、思っていたより辛かった。


「……ごめん。俺、今、何て言えばいいか」

「これ、嬉しいよ。それは本当」

 千夏は紙袋を少し持ち上げた。

「朔が私のために選んでくれたんだって、よく分かる」

「……うん」

「でも」

 朔がこちらを見た。

「私、これだけじゃ嫌。……返事、ちゃんと言って」

 言えた、と千夏は思った。朔はまだ何も答えていない。それでも、言えた。

 朔は黙っていた。それから、小さく頷いた。

「……うん」


「……じゃあ、教室に戻るから。そろそろ、望も帰ってきてると思うし」

「うん」

「また明日」

「……また明日」

 千夏は校舎の方へ歩き出した。足が少し震えていることに気づいたのは、昇降口の手前まで来てからだった。

* * *

 朔は千夏の後ろ姿を見送っていた。


 ――私、朔が好きだからあげた。


 先月の茶色い箱。四つ入っていたチョコ。渡したとき、千夏は少し黙っていた。何か言いたそうにしていたのは、覚えている。でも、まさかこんな話だとは思っていなかった。ポケットの中で、何かが震えた。スマートフォンだと分かるまで、少しかかった。

《四時くらいなら大丈夫だよ》

 ひかりからだった。朝、学校が終わったあと少し会えるかと送っていた。

《分かった。いつものとこで》

 送信してから、朔はもう一度、千夏の歩いていった方を見た。

* * *

 高等部の校門を少し離れたところで、ひかりは朔を見つけて片手を上げた。朔はこちらを向いて歩いてくるのに、手を上げ返したのは、ずいぶん近くまで来てからだった。待った、と聞かれて、今来たとこ、と答えた。本当は、十分くらい前から立っていた。


「今日、何か用事だった?」

「うん。これ」

 朔はホワイトデーだから、と言いながら鞄から紙袋を出した。

「あ……そっか。今日だもんね」

 さも今気づいたような声を出した。

「千夏ちゃんにも、もう渡したの?」

「……うん。さっき」

 朔の返事は、少し遅れた。

「そっか。毎年だもんね」

 朔は、うん、とだけ言った。


 ひかりは袋の口を少し広げた。小さな焼き菓子の箱が一つ入っている。開けてみたい、と思って朔の方を見ると、頷いたような気がした。蓋を持ち上げると、レモンの形をした焼き菓子が、きれいに並んでいた。

「あ、レモン……。レモン味のお菓子なんだ?」

「そうみたい」

 試食とかしなかったの、とひかりは笑った。

「うん」

「じゃあ何でこれにしたの?」

 朔は少し考えるような顔をした。


「ひかりちゃん、レモンの飲み物よく飲んでるじゃん」

 ひかりは、すぐには何も言えなかった。冬のコンビニで、冷蔵ケースの扉を開けた朔が、これだろ、と黄色いラベルを差し出したことがある。あのとき、自分が何を飲みたいのか、朔のほうが先に知っていた。

「……覚えてたんだ」

「そりゃ、何回も飲んでたし」

 何でもないことのように、朔は言った。


 先月、売り場を何度も行ったり来たりして、紺色の箱を選んだ。朔くんなら、どれを開けたら嬉しいだろう。ずっと、そればかり考えていた。そして、朔に聞かれた言葉が蘇った。

 ――自分で選んだの?

 あの時は、これがいいと思ったから、としか言えなかった。

「ひかりちゃん?」

 何でもない、と言いそうになった。先月も、そう言って済ませた。


「……ねえ、朔くん」

 ひかりは箱の蓋を閉じた。

「先月、私に聞いたでしょ。自分で選んだのって」

「ああ……うん」

「あのとき、ちゃんと答えてなかった」

 朔がこちらを見た。


「自分で選んだよ。朔くんのこと考えて、選んだ」

 言ってから、ひかりは一度目を逸らした。先月の廊下では、ここから先が言えなかった。帰ってきて、もう二年になる。背が伸びたことにも、声が変わったことにも、もう慣れた。それでも、ときどき思い出す。小さな手で、自分の服の裾をつかんでいた男の子。ひかりは、もう一度朔の顔を見た。

「私、朔くんが好き」

 一瞬、朔の目がひかりから外れて、来た道の方へ動いた。何を見たのかは、ひかりには分からなかった。目はすぐに戻ってきた。朔は、まだ何も言わなかった。


「帰ってきたときは、こんなこと考えてなかったんだよ」

 しばらくして、朔が言った。

「……ごめん」

 自分の顔が曇ったのが、ひかりにも分かった。朔が慌てたように首を振った。

「違う、そうじゃなくて。……今日、色々あって。ちゃんと考えたいから、今は答えられない」

 色々、が何なのかは聞かなかった。


「……行こっか」

 ひかりが言って、二人は歩き出した。いつもの分かれ道まで、どちらもほとんど話さなかった。並んで歩く速さだけは、いつもと同じだった。

 また明日、と言い合って別れた。

 少し歩いてから、ひかりは鞄から箱を出した。蓋を開けて、一つつまんで口に入れた。思っていたより、ずっと酸っぱかった。

* * *

 家に着くと、リビングから望の声が聞こえた。

「朔、ね、明日の体育って合同だっけ?」

「……そうだったと思う」

「雨だったら体育館?」

「たぶん」

 それだけ答えて、朔は早々に自分の部屋へ上がった。

 鞄を開ける。朝、入れた二つの紙袋は、もうなかった。机の上には、井出の沢の資料が広げたままになっている。朔は椅子に座り、この前の続きのページを開いた。しばらく読んでから、もう一度、最初の行から読み直した。

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。