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選んだあとも、選ばれなかったあとも。  作者: 9ry5hrk_2we


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第28話 まだいたの?

 二月に入って最初の週の木曜日、放課後の二年二組には、千夏と望だけが残っていた。前の日に担任から、三月の三年生を送る会で使うメッセージカードを、クラスごとに分けて台紙へ貼っていく作業を頼まれていた。


 机を四つくっつけた即席の作業台に、大きな模造紙と色の違うカード、両面テープが広げてある。最初の一枚には、ずいぶん時間がかかった。カードの間隔を揃えようと千夏が何度も置き直し、そこ一ミリくらい気にしなくていいよ、と望が横から言う。絶対一時間で終わらないよね、と定規を当てながら千夏がこぼすと、先生の一時間と私たちの一時間は違うんでしょ、と望も苦笑いした。

 それでも二枚目からは要領が分かってきて、机の上のカードは少しずつ減っていった。三枚目の台紙に取りかかったところで、望のスマートフォンが震えた。指についた両面テープを剥がしながら画面を見ると、志保からだった。

《ごめん。買い物したら荷物が重くなっちゃった。駅前のスーパーまで来られる? 無理なら大丈夫》

 望の手が止まった。どうしたの、と千夏が聞く。

「お母さん、スーパーにいるって。荷物重くなったみたい」

 望はすぐに立ち上がりかけて、机の上を見て動きを止めた。切っていないテープ、輪ゴムでまとめたままのカードの束、貼り終わっていない台紙。これから手をつける台紙の方が、まだ多かった。


「……でも、これ」

「いいよ。私一人でやるから」

「一人だと時間かかるじゃん」

「でも、お母さん待ってるんでしょ」

「うん……」

 望は、机の上のカードと千夏を交互に見た。

「やっとくから、行ってきなよ」

 望は、まず志保に《今から行くから、ちょっと待ってて。ベンチか何かに座ってて》と送った。それから、もう一件は朔に。《まだ学校にいる? 帰ってなかったら二組に来て》

 手早く荷物を鞄にしまいながら、望は千夏の方を向いた。


「朔を呼んどいた。まだ学校にいたら、だけど。最近ずっとボソ師に呼ばれてるみたいだし」

「そっか。ありがと」

「二人の方が早いしね」

 じゃ、行ってくるね、また明日、と言い残して、望は教室を出ていった。走っていく背中に、また明日、と千夏は声をかけた。

* * *

 校門を出たあたりで、ポケットの中のスマートフォンが震えた。信号待ちのあいだに取り出すと、朔からだった。

《いるけど、何で二組?》

《先生に頼まれた、私と千夏のやりかけの仕事。お母さんがスーパーで荷物重くなったから、私はそっち行く》

《母さん大丈夫なの? 俺が行こうか》

《朔まだかかるんでしょ。私もう学校出てるから。今度なんかおごる!》

《何を》

 返事を打ちかけたところで、信号が変わった。望はスマートフォンをポケットへ押し込んで、走り出した。

* * *

 四枚目の台紙にカードを並べ終えたころ、廊下から足音が近づいてきた。顔を上げると、教室に入ってきた朔が、机の上を見て、何これ、と言った。

「来たんだ」

「望に行けって言われたから」


 朔は鞄を近くの机に置いた。開いた口から、図師先生にもらったらしいコピーの束が覗いている。何すればいい、と聞かれて、千夏は向かいに座った朔へ両面テープと鋏を差し出した。

「カードの横幅より、少し短めに切って渡して」

 朔は一度だけカードを手に取って、大きさを確かめた。一本目のテープは少し余った。千夏が何も言わずに端を切る。二本目は逆に足りなかった。

「……短い」

「細かいよ」

 千夏は黙って、手元のテープをほんの少し切り足した。三本目からは、ちょうどいい長さになった。そこから先は、ほとんど説明がいらなかった。朔がテープを切り、千夏がカードの裏に貼って、台紙の上で位置を決める。千夏が次のカードへ手を伸ばすころには、切ったテープがもうその横に置いてある。

 途中で四組の束が見当たらなくなり、千夏が手を止めて机の上を見渡すと、それより先に、朔が五組の束の下から引っぱり出した。ありがと、とだけ言って受け取り、作業を続けた。

 教室には、鋏が紙を切る音と、両面テープの剥離紙をはがす音だけが続いた。廊下を通る生徒の声も、いつの間にか少なくなっていた。


 望とやっていたときより、作業が速かった。最初の二本は長さを間違えたし、一度はカードを上下逆さまに置いたのに、千夏が次に何をしようとしているのか、朔にはだいたい分かっているようだった。思えば初等部のころから、図工の時間も、係の仕事も、こうだった。

 最後の五組に取りかかろうとしたところで、朔が、別の机によけておいた台紙を見た。

「これ、曲がってない?」

 確かに一枚だけ、ほんの少し右へ傾いていた。曲がってる、と千夏が言う前に、朔はもう端から慎重に持ち上げようとしていた。千夏も反対側を押さえる。紙が破れないように少しずつ剥がして、貼り直した。

「でも、一ミリくらいずれてるかも」

「細かすぎ」

 朔は笑いながら、貼り直したカードの端をもう一度指先で押さえた。千夏もつられて笑い、次のカードへ手を伸ばした。その拍子に、近くの机の朔の鞄が目に入った。コピーのいちばん上に、見覚えのない系図のようなものが印刷されている。


「そういえば、ボソ師と何やってんの」

「自由研究の続き。もう少し調べてみたら、だって」

 手を動かしたまま、朔は答えた。まだ続いてるんだ、と言うと、図師先生が終わらせてくれない、と返ってきたが、嫌そうには見えなかった。

「好きなんじゃん」

「まあ、面白いけど」

 朔は袋から新しい両面テープを取り出した。

「高等部とか大学でも続けるの?」

「さあ、まだ分かんない。でもこの前、ひかりちゃんにも同じこと聞かれたな」

 千夏は、貼りかけていたカードの位置をほんの少し直した。

「歴史やるのって?」

「うん。まだ中二なのにって答えたけど」

 朔は何でもないように言った。

「千夏は将来、何かやりたいことあんの?」

「分かんないよ」

 そう言って、千夏は手を差し出した。朔は何も言わずに、切ったテープを渡した。

* * *

 最後の一枚を貼り終えたころには、窓の外はほとんど暗くなっていた。貼り終えた台紙を床に並べてみると、最初の一枚だけ間隔が少し広く、途中から急に揃っているのが、自分たちにも分かった。

「最初のやつ、ダメだね」

「望がいたときの?」

「そう」

「まあ、望だし」

 何なのそれ、と笑いながら、千夏は散らばった剥離紙を集め始めた。朔も足元の切れ端を拾う。机を元の位置に戻し、定規と鋏をまとめて教卓に置いた。千夏は完成した台紙を重ねて抱えた。

「じゃあ、ありがとう。先生のところに持っていくから」

「手伝おうか?」

「そんなに重くないし」

 鞄を肩にかけて、教室の電気を消し、二人で廊下へ出た。職員室へ向かう階段の手前で、千夏は立ち止まった。

「ありがとう。先に帰ってていいよ」

「うん」

 朔はそれだけ言って、昇降口の方へ歩いていった。千夏は反対へ向かった。


 担任は台紙を一枚ずつ広げて確かめ、きれいにできてる、と言った。千夏は頭を下げた。遅くまでありがとう、成瀬さんたちに頼んでよかったわ、気をつけて帰ってね。職員室を出ると、校内はさっきより静かになっていた。

 階段を下りる途中、窓の外に照明のついたグラウンドが見えた。部活の掛け声が、ガラス越しに小さく聞こえる。昇降口まで来たところで、千夏は足を止めた。

 ベンチに、誰かが座っている。鞄を足元に置いて、さっき覗いていたコピーを膝の上に広げていた。足音に気づいて、顔を上げた。

「遅いよ」

「先生が確認してたの」

 朔はコピーを二つに折って、鞄へしまった。

「……何でまだいたの?」

 千夏は朔を見た。

「一緒に帰ればいいじゃん」

 それだけ言って、朔は靴箱を開けた。千夏も少し遅れて、自分の靴を出した。

* * *

 外は冷えていた。そうだ、と朔が立ち止まって、スマートフォンを取り出した。望、と聞くと、一応、と答える。

《母さんは?》

 すぐに返信が来た。

《大丈夫。お肉が安くてたくさん買っちゃったんだって》

《重いに決まってる》

《三年生のカード終わったから帰る。ジュース二本よろしく》

 今度は少し間があって、《欲張りすぎ!》と怒っているキャラクターのスタンプつきで返ってきた。朔がスマートフォンを持った手を差し出すので、千夏は少し首を傾けて画面を覗いた。

「望、怒ってる」

「二本分くらい働いたじゃん」

「たぶん、ね」

 朔はスマートフォンをしまい、二人は並んで歩き出した。


 話したのは、明日の英語の小テストのことや、数学の宿題のこと、それから図師先生が今日また別の本まで出してきたことだった。朔がその本の題名を口にして、そのまま中身の話を始めたあたりから、千夏は半分聞き流していた。知らない人の名前が三人続いたところで、もう分からなくなったのだ。それでも、朔が話している横を歩くのが、いつの間にかまた、いつものことになっていた。そう気づいて、千夏の肩から力が抜けた。

 コンビニの前まで来ると、入口の横に並んだ箱が目に入った。赤や茶色の包装に、ハートの形の飾り。その下に、バレンタインフェア、と書いてある。

「バレンタインか」

 朔がつぶやいた。もう二月だからね、と言って、千夏はそのまま通り過ぎた。数歩進んだところで、朔がもう一度、振り返るように店を見た。

「千夏」

「何?」

「今年も作るの?」

 千夏は足を止めずに歩き続けた。分かっていて、聞き返した。

「何を?」


「チョコ。毎年作ってるじゃん」

 朔の声が、後ろから聞こえてくる。

「望にもあげてるけど」

「知ってる」

 朔は、そこで話を終えた。千夏は少し待ったが、続きはなかった。

「……まだ決めてない」

「ふうん」

 千夏は何か言おうとして、口を閉じた。数歩ぶんの距離が、そのまま二人の間に残った。少しして、いつもの分かれ道に着いた。いつも通りの挨拶をして、いつものように別れた。

 家に帰って机に向かい、宿題を始めようとしたところで、帰り道の会話を思い出した。

――まだ決めてない。

 毎年、望と材料を買った。何を作るか相談して、失敗した分を二人で食べて、出来上がったものを何人かに配った。朔にも渡した。ずっと、そうしてきた。

 去年までは、決めるようなことではなかった。

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