第22話 何となく。
「……俺?」
朔は一瞬、固まった。
「他に誰がいるの」
「いや、だって」
言いかけて、続きが出てこなかった。ひかりは鞄の持ち手を両手で握ったまま、こちらを見ている。
「何で?」
「何でって?」
「待ってたんでしょ」
「うん」
「だから、何で」
ひかりは目を逸らした。
「一緒に帰ろうと思って」
それだけ言うと、先に歩き出した。朔はその場に一秒ほど残ってから、あとを追った。
「何かあった? 俺に用事とか」
「ないよ」
「じゃあ何で待つんだよ」
「一緒に帰るのに、用事いる?」
「いらないけど」
「じゃあいいじゃん」
ひかりは少し笑った。帰る方向は途中まで同じだから、偶然一緒になって帰ることなら、これまでにも何度もあった。けれど、待たれていたのは初めてだった。
「結構待った?」
「ちょっと」
「何分?」
「数えてない」
「時計見てた?」
「見てたけど、数えてないの」
「それ、結構待ってるじゃん」
「図師先生が長いのが悪いんでしょ」
「さっき、やっぱりって言ったの、それ?」
「うん。望ちゃんと千夏ちゃんから聞いてた」
「最初から言えよ」
「聞かれなかったし」
少し先で信号が赤になって、二人で立ち止まった。
「で、何だったの? 図師先生」
「ああ」
朔は鞄から、さっきまで見ていた紙を出した。
「これ」
「また? 昨日の地図と似てるけど」
「あれとは違う」
ひかりは受け取った紙を両手で広げた。細かい字と地図が、隙間なく並んでいる。
「読めない」
「読めるだろ」
「字が多いって意味」
「だから説明すると――」
「待って。今ここで始めるの?」
「聞いたの、ひかりちゃんじゃん」
「聞いたけど」
信号が青に変わった。ひかりは紙を持ったまま歩き出した。
「歩きながらならいいよ。止まって聞いたら、家に着かなくなるから」
「そんな長くない」
「昨日もそう言ってなかった?」
「昨日は現地だったから」
「今日は?」
「先生に聞いた話」
「余計長そう」
ひかりが笑った。
朔は横から、紙の端を指でたどった。昨日見た弾薬庫跡のこと。戦争が終わったあと、あの場所がどうやって今のこどもの国になったか。軍の土地がほかの使い道に変わった場所は、ほかにもあること。図師先生は準備室でそれを、いつものぼそぼそ声で話し始めて、途中から急に早口になった。
「あと、鉄道も」
「あ、それ昨日言ってたやつ。弾薬運んでた線路」
朔は、ひかりを見た。
「……覚えてたんだ」
「覚えてるよ。で、それが?」
促されるまま、朔は話を続けた。ひかりは分からないところで聞き返し、知っている言葉が出てくると、それ昨日の、と頷いた。気づけば、いつもの角を一つ通り過ぎていた。
「……長くなってるじゃん」
「まだ途中だけど」
「ほら」
「聞くって言ったじゃん」
「だからやめてとは言ってないでしょ」
「じゃあいいじゃん」
「朔くん、それ便利だと思ってる?」
「何が」
「じゃあいいじゃん、って」
「ひかりちゃんもさっき言っただろ」
「私はいいの」
「何で」
「知らない」
横断歩道を渡って、住宅街へ入る。学校を出たときより、空の赤いところが広がっていた。家の窓にも、少しずつ明かりがつき始めている。朔は紙を折りたたんで、鞄にしまった。
「そういえば、望ちゃん」
ひかりが言った。
「今日、ちょっと元気なかったよ」
「望が?」
「うん。なんか、上の空っていうか」
「朝は普通だったけど。人の髪がはねてるとか言ってきたし」
「ふうん」
ひかりは、それ以上は何も言わなかった。
「ひかりちゃん、もし俺がもっと遅かったら、どうしてた?」
「もっとって?」
「三十分とか」
「それくらいは待った気がする」
「そんな待たせてないだろ」
「じゃあ二十分」
「何分でもいいけど」
「……帰ってたかも」
「帰るんじゃん」
「だって、いつ来るか分かんないし」
「連絡すればよかったのに」
「そうなんだけど」
ひかりは、そこで一度黙った。
「何となく、今日は待とうかなって気分だった」
朔は、歩く速度を上げた。
「何で速くなるの?」
「別に」
「またそれ」
「普通だろ」
「普通じゃないよ。さっきまで同じ速さだったじゃん」
「ひかりちゃんが遅いだけ」
「待ってた人にそれ言う?」
足が、止まりそうになった。
待ってた人――。
そんな言葉をさらっと言っておいて、ひかりは何でもない顔で、横を歩いている。
「……何」
「何が?」
「いや、何でもない」
「変なの」
今度は、ひかりが少し先を歩いた。朔はその背中を見た。
付き合うって何なんだ、と昨日思ったことの答えは、分からなかった。でも、待ってた、と言われて、嬉しかった。
「朔くん?」
「何」
「またぼーっとしてた」
「してない」
「してた」
「ひかりちゃんも、昨日してたじゃん」
「昨日?」
「こどもの国で」
「あれは違う」
「何が違うんだよ」
「違うの」
ひかりは足を速めた。追いつくと、もういつもの分かれ道が見えていた。
「じゃあ、私こっち」
「うん」
「また明日」
「また明日」
ひかりが手を上げて、自分の道へ曲がっていく。朔は数歩進んでから、振り返りかけて、やめた。鞄の中で、図師先生にもらった紙が、歩くたびに小さく擦れていた。




