第15話 付き合ってんの?
「朔、そこ押さえて」
「どこ」
「違う、右」
「右に行ってる」
「朔から見て右」
「最初からそう言えよ」
長机の上に広げた模造紙の端を、朔は指で押さえた。
放課後の二年二組は、いつもの教室とはずいぶん違っていた。机はほとんど壁際へ寄せられ、真ん中に長机が二つ並んでいる。色紙、段ボール、はさみ、定規、ガムテープ。黒板の端には、誰かが大きな字で『文化祭まで あと十三日』と書いていた。
いつものように二組の前まで来た朔は、今日は先に帰る、と言う前に千夏に捕まっていた。
「そこ。動かさないで」
「動かしてない」
「ちょっと動いた」
「動いてないって」
「じゃあ、そのまま」
千夏はテープを短く切り、文字の端を留めた。朔はすぐに手を離して、一歩下がって眺めた。白い模造紙の上に、展示のタイトルらしい大きな文字が並んでいる。最初のでよかったじゃん、と不満そうに言うと、曲がってたでしょ、と千夏が返す。
「分かんないよ」
「分かんなくてもいい」
「じゃあ何で手伝わせたんだよ」
手が足りなかったから、とだけ言って、千夏は次の紙を取った。それもやるの、と朔が言う。
「こっちは貼らなくていいよ」
「じゃあいいじゃん」
「でも、半分に折らないといけない」
「何だよそれ」
教室の後ろから、望が笑いながら近づいてきた。
「朔、諦めなよ」
「二組の文化祭なのに、何で俺が一番働いてるんだよ」
「一番じゃない。朔はさっき来たばっかりじゃん」
千夏が即答した。そういう問題じゃない、じゃあどういう問題、と言われて、朔は観念して紙を半分に折った。
「これでいい?」
「ずれてる」
千夏が端を合わせ直す。今度こそ終わり、たぶん、たぶん? 今のところ、と続いて、望がまた笑った。
「朔、帰りたいなら帰ればいいじゃん」
「帰るよ」
そう言って出口へ向かいかけたところで、ちょっと待って、と呼び止められた。
「そこにある定規取って」
朔は足を止めた。
「……自分で取れよ」
「今、手が塞がってる」
渋々、近くにあった長い定規を取って渡した。ありがと、と言った千夏に、もう絶対帰るから、と朔が応じる。千夏は、はいはい、と返す。そのとき、近くで段ボールを切っていたイガグリ頭の根岸が顔を上げた。
「金井、二組の準備まで手伝ってんの?」
「捕まっただけ」
「朔が勝手に来ただけでしょ」
作業の手を止めずに千夏が言った。根岸は笑いながら、朔と千夏を交互に見た。
「金井と成瀬って、付き合ってんの?」
朔は一瞬、固まった。隣を見ると、千夏も顔を上げていた。
『え?』
声が揃って、周りから笑い声が上がった。息合ってるじゃん、と誰かが言う。
「たまたまでしょ」
千夏がそう言っても、根岸は、でもお前らいつも一緒じゃん、とにやついている。望も一緒じゃん、と千夏が根岸をにらむと、少し離れたところから望が、いるよー、と片手を上げた。
さっきまで帰ろうとしていた朔も、根岸の方を見て言った。
「お前と違って初等部から一緒なだけだから」
根岸は、それ以上は何も言わなかった。
「じゃ、今度こそ俺帰るから」
「うん。ありがと」
千夏は顔を上げずに言った。テープを切る音が、一度だけ遅れた気がした。
* * *
教室を出て少し歩いたところで、後ろから呼び止められた。
「金井」
振り返ると、根岸だった。片手にガムテープを持っている。
「さっきの話だけど」
「何が」
「だから、成瀬の話」
「千夏が何」
根岸は声を落とした。
「金井、そういうの考えたことないの?」
「そういうのって」
「いや、だから……」
言いかけて、根岸はやめた。まあいいや、と言う。何だよ、と聞き返しても、別に、と言い残して教室へ戻っていった。
昇降口に着いたところで、望からメッセージが来た。
《夕ごはんまでには帰るってお母さんに言っておいて!》
《分かった》
送ってスマートフォンをしまい、靴を履き替えて外へ出ようとしたところで、後ろから声がした。
「…………金井くん、少し時間良いですか」
図師先生の「少し」は、一時間のことだった。結局、校舎を出たころには、空はもう暗くなりかけていた。ため息をついて、今度こそ帰ろうとしたところで、昇降口から出てきた千夏と鉢合わせになった。
「……朔、何でまだいるの?」
「図師先生に捕まった」
「ああ。それは本当に捕まった、だね」
「千夏に捕まったのと一緒じゃん」
あれは朔が勝手に来ただけでしょ、と言いながら、千夏も靴を履き替えた。
「明日も手伝ってね」
「嫌だ」
「暇だったらでいいから」
「暇でも嫌」
「今日も最初はそう言ってたじゃん」
「今日と明日は違う」
「何それ」
千夏が怪訝な顔をした。朔は黙って歩き出し、千夏が後ろから追ってきた。
* * *
校門を出てしばらくは、どちらも喋らなかった。
「そういえば、さっきの、変だったよね」
千夏が言った。
「さっきの?」
「根岸の『付き合ってんの?』ってやつ」
千夏は声を低くして言い、最後だけ裏返った。朔は思わず吹き出した。
「全然似てない」
「うるさい。……でも、何でそう見えるんだろ」
「知らないよ。根岸が変なんだろ」
「だよね」
千夏は前を向いたまま、軽い声で続けた。
「初等部から一緒なだけ、だもんね」
朔は返事が一拍遅れた。
「……そうだろ」
「うん。そうだよ」
千夏はそう言って、少し黙った。それから、まあいっか、とつぶやいた。
「いいんだ」
「別に困らないし」
「じゃあ聞くなよ」
「朔は、何とも思わなかったの?」
「別に」
「ふうん」
それきり、千夏は何も言わなかった。
朔は横目で千夏を見た。制服も、髪も、歩き方も、いつもと同じだった。初等部のころから、何度見たか分からない。今日だって、紙を持たされて、定規を取らされて、細かいことで何度も言い合った。
初等部から一緒なだけ。嘘ではなかった。七年、同じ教室にいて、同じ道を帰ってきた。それなのに、千夏の口からそのまま返されると、「だけ」の方が、どこか足りない気がした。
「朔」
「何」
「見てる」
「見てない」
「見てた」
「横を歩いてるのが悪い」
「それ、私のせい?」
千夏はまた怪訝な顔をした。
「やっぱり今日、変」
「何が」
「知らない」
いつもの分かれ道が、少しずつ近づいてきた。じゃあ、また明日、うん、と言って別れかけたところで、朔は背中を向けた千夏を呼んだ。千夏が足を止めて振り返る。
「何」
「明日は、手伝いやらないから」
「そう。分かった」
千夏はそれだけ言って、自分の道へ歩いていった。
何でよ、くらいは返ってくると思っていた。朔はしばらくその場に立っていて、それから、自分の道へ曲がった。




