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第4章 揺れる距離——近すぎる背中の向こうで、意識してしまう

こんなに近い距離で誰かといるなんて、初めてかもしれない。


乗馬経験のない私は、凌越の前に座る形で馬に乗せられていた。


背後から囲われるような距離に、落ち着くはずもない。


夜の道は、街灯がぽつぽつと灯るだけで、あたりは薄暗い。


それがせめてもの救いだと思いながらも、心臓の音はうるさいくらいに鳴り続けていた。


顔もきっと、ひどく赤くなっている。


後ろにいる凌越は、慣れた様子で手綱を操りながら、ゆっくりと馬を進めていた。


おそらく私に合わせて、速度を落としてくれているのだろう。


その気遣いが分かる分だけ、余計に落ち着かない。


会話が途切れると、自分の鼓動ばかりが耳に響いて、どうにかなってしまいそうだった。


「あの……本当にすみません。お疲れなのに」


気づけば、また同じ言葉を口にしていた。


何度目かも分からない謝罪に、背後から大きなため息が落ちる。


「だから問題ないと言っている」


呆れたような声音に、今度は別の意味で心臓が跳ねた。


「すみません。でも、その……」


言葉が続かなくなる。


何を言いたかったのか、自分でも分からなくなっていた。


「またか」


短くそう言ってから、凌越はもう一度、息を吐いた。


「怒っているわけではない。武官の治療で遅くなったのだろう。なら、自宅まで送るくらいは当たり前のことだ」


淡々とした口調で続けられる。


「それに、俺にとっても恩がある」


その言葉に、思わず振り返りそうになるのをこらえた。


「あれは私の仕事ですから……当たり前のことで」


慌てて言葉を返すと、少しの間を置いて、低い声が落ちる。


「なら、これも仕事だ」


わずかに手綱を引く気配がした。


「国民の安全を守るのが、武官の役目だからな」


――国民。


その言葉に、胸の奥が引っかかった。


一瞬、思考が止まる。


私は、ここの国民なのだろうか。


黙り込んだ私に気づいたのか、すぐ後ろから声が落ちてくる。


「どうかしたのか」


「あ、いえ……」


慌てて言葉を探す。


「ただ、その……私は異世界から来た人間なので、国民に入るのかなって思ってしまって」


自分でもつまらないことを言っていると思いながら、無理に笑う。


すると、すぐに小さく息を吐く気配がした。


「この国にいて薬師として働いているのなら、それで十分だろう」


少しだけ間があいて、続く。


「どこで生まれたかなんて、関係ない」


その言葉が、思っていた以上に胸に残った。


……嬉しい、と思う。


ここにいていいのだと、言ってもらえた気がした。


「……ありがとうございます」


小さくそう言うと、


「いや」


短い返事だけが返ってくる。


それ以上は何も言われなかったけれど、不思議と、それで十分だった。


やがて見慣れた道に入り、お師匠様の家が見えてくる。


馬を降りたとき、ようやく緊張がほどけて、大きく息をついた。


「送っていただいて、ありがとうございました」


振り返って頭を下げると、


「ああ」


簡潔な返事だけが返ってくる。


けれどその声は、少しだけやわらいでいるように感じた。


そのまま家に入ると、師匠が待っていた。


「遅かったねぇ」


そう言いながら、ちらりと凌越を見る。


「あら、越じゃないか。送ってくれたのかい、助かるよ」


気軽な調子で声をかけながら、なぜか楽しそうに私の方を見る。


……嫌な予感がする。


「姫香、いくつに見える?」


やっぱり。


「お師匠様……その、私の年齢当て、面白くないですから」


止める間もなく、会話が進む。


凌越は一瞬だけこちらを見てから、あっさりと答えた。


「十八、くらいかと」


――さすがに、それはない。


思わず顔をしかめる。


この世界の人たちは、私と同じアジア系の顔立ちでも、少し彫りが深い。


その中にいると、自分の顔立ちが幼く見えるのは分かっているし、身長も低い。


けれど――それにしてもだ。


「残念でした。もう二十七だよ」


師匠が楽しそうに言う。


「え」


さすがに意外だったのか、凌越がわずかに言葉を詰まらせ、こちらを見る。


私は思わず苦笑いを浮かべた。


「たしか、越は二十五だったか」


師匠がさらっと付け加える。


思わず目を瞬く。


――年下。


落ち着いた雰囲気だったから、同じくらいか、少し上だと思っていた。


「そうですか」


凌越は短く答え、それ以上は何も言わなかった。


まあ、今後そこまで関わることもないだろうし、年齢が分かったところで関係ない話だ。


……そう思ったはずなのに。


胸の奥に、ほんの少しだけ引っかかるものが残る。


「じゃあ、気をつけて帰りな」


師匠の声に、凌越は軽く頷いた。


「ええ、では」


短くそう言って馬に乗り、そのまま去っていく。


その背中を、なんとなく見送る。


私は、彼にほんの少し好意が芽生えていたことに気づいてしまった。


……仕方がないと思う。


好みの男性に少し優しくされたら、恋愛経験がほとんどない私が意識してしまうのも無理はない。


――まあ、思うだけなら自由だし。


ふと、背中越しに感じていた体温を思い出し、また顔が熱くなる。


……たぶん、もう会うこともないのに。

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