9、光信蝶と空飛ぶ羊
「これでモンスターも消えたことでしょう」
ヘルマンは右の指先に淡い光を灯し、軽く揺らした。
すると、光は幻想的な光の粉を纏う蝶々の姿になって、ひらひらとどこかに飛んでいく。
「綺麗な魔法ですわね。あの蝶々はどこに行きましたの?」
ダリアが光の蝶に見惚れていると、ヘルマンは自分の手を覆っている白い手袋を脱ぎ、右手の人差し指に填まっている指輪を見せた。蝶々の形の紫の宝石が付いている。
「まあ。可愛い」
美男子が可愛い指輪を手袋の下に隠しているなんて、なんだか胸がくすぐったくなる。
「連絡用の光信蝶です。私の騎士団で使っている魔道具ですよ。お嬢様にも差し上げましょう」
ヘルマンはそう言って懐からリングケースを取り出した。
「えっ?」
なんですって。何をくださるって?
指輪? えっ、指輪なの?
「わ、わたくしに指輪を……? 結婚指輪もまだですのに」
「離婚予定の夫婦に結婚指輪を用意するのは無駄ではありませんか。この指輪はただの連絡用魔道具です。今回のようなときに連絡ができると便利でしょう?」
結婚指輪を無駄と断定する物言いは色気がないが、ヘルマンの口調は歌うように柔らかだ。
彼はケースから同じ指輪を取り出し、手ずからダリアの右人差し指に填めてくれた。
これは妄想? 夢?
ダリアは自分の指に指輪が填められる瞬間を瞬きを惜しんで凝視した。
心臓が踊っている。表情に出さないように気を付けないと。
表情筋を働かせている間に、ヘルマンは指輪の使い方をレクチャーしてくれた。
何かあったときは、蝶を飛ばして連絡を取り合うのだ。
それって素敵。
いつでもお話できちゃうじゃない……。
「モンスターの王を倒せばモンスターはすべて消えますので、私は『さっさと倒してしまおう』と思い、外を部下に任せてダンジョンに潜ってみたのです。先行者がいることに気づいて警戒していましたが、お嬢様だったとは驚きました」
「わたくしはダンジョンをお散歩する趣味がございますの。淑女の嗜みですわ」
「お嬢様は以前と違い、危なっかしいご趣味がおありのようですね」
ヘルマンは眩しそうに目を眇めた。整った顔立ちが作る新鮮な表情、とても好い!
ダリアは心の中で喝采した。心の外の表情管理は完璧だ。
「ふふん、ヘルマン……あなたはわたくしのことをなにも知らないのですから、もっと知る努力をなさるべきね」
「知ってるつもりでしたが」
ヘルマンは言い返してくる。
ダリアはもやりとした。
初対面で挨拶すらまともにせず、それきりの相手に、よく「知っているつもり」などと言えたものだ。
「ヘルマン。あなたは何も知りません。子供は何年も経つと大人になるのですわ」
「ならないひとも多いですよ、お嬢様」
ヘルマンは困ったように肩をすくめて、鞘に入った聖剣を地面に平行に捧げ持った。
そして、まるで天に献上でもするように聖剣を掲げ、歌うように言う。
「アルシリオン、私は旅を所望する」
その声に応じて、聖剣が発光しながらヘルマンの手を離れ、ぷかぷかと虚空を漂っていく。
ま、眩しい。
夫は何もしなくてもきらきらしているが、何かするといちいち発光する。
このひとと過ごす妻には、光を遮る色付き眼鏡が必須アイテムなのかもしれない。
そんなことを考えている間に、光は収まった。
聖剣があった場所には、代わりに巨大な羊が現れていた。
空に浮かぶ白雲のようなふわふわの体毛に、黒スグリのようなパッチリした目をしている。
騎乗できるように鞍と手綱がついていて、目が合うと「メ゛ッ」と鳴いた。
「まあ。聖剣が可愛い羊さんになりましたわ! 可愛いですわ!」
羊の顔は、自信に満ち溢れているように見えた。
撫でるとしっとり、もこもこした極上の手触りが伝わってくる。
「すごいわ、ふかふか! 雲を触ったらこんな感触かしら。ヘルマン、あなたはどう思って? ちょっと触ってみて?」
ヘルマンはくすくすと笑い、ダリアを抱き上げて羊の背に乗せ、自分は後ろに乗って手綱を握った。
「お嬢様のお気に召したようでなによりです」
「きゃっ……? わ……わたくしのことを荷物みたいに扱いますのね?」
「驚かせて失礼。それにしてもお嬢様は羽のように軽いので、心配になります」
心配ですって。
それに、まるで後ろから抱きしめられているみたい。いい匂い。
美声がすぐ近くでわたくしだけに囁いてくるの。
何? これは夢?
もこもこの毛に埋もれるように座りながら、ダリアは陶然とした。
「座り心地はいかがですか? お嬢様?」
「最高よ……」
「それはよかった。では、私たちの都市に帰りましょう。しなければならないことが山積みです」
ヘルマンは大人しく座っている妻に満足した様子で手綱を動かし、羊を飛翔させた。
「メ゛ッ」
短くも雄々しく鳴き声を上げ、羊はふたりを乗せて高度を上げ、ぽっかりと空いた青天井の外へと出てダンジョンを後にする。
空には虹が架かっていて、見下ろす地上にはふたりの領地が広がっていた。
炭鉱ダンジョンの周辺には傭兵と兵士が集まって後始末中だ。
町や村の近くにはモンスターの姿はなく、荒らされた田園、消火活動が済んだ町や村には領主一族の旗が並ぶ。
地面と似た色をした天幕が並び、炊き出しに列を作る領民が見える。
「《黒犬》ちゃんが働いていますわ」
「彼らはお嬢様の配下になったのですか? この地方では有名な悪党……素行の悪い組織のようでしたが」
言葉を選び直すのが面白い。気を遣っているのかもしれない。
「悪党でも人助けできますのよ。あなたの傭兵とそれほど変わりませんわ」
胸元から小さな魔笛『小鳥の女王』を取り出して意思を伝えると、地上の《黒犬》が空を見て手を振ってくる。
それに釣られたように、周囲の領民がひとりまたひとり、上を見て驚いた顔をするのが微笑ましい。
「ヘルマン。ご覧になって。彼らがわたくしたちの領民ですわ。英雄の領主様が手を振れば、彼らはとっても心強く励まされて元気と希望でいっぱいになるでしょう……」
わたくしはそんな英雄が見たい。
願望で目をギラギラさせていると、ヘルマンは領民に手を振ってくれた。そして、ダリアを抱き寄せた。
「あまり乗り出すと危ないですよ、お嬢様」
「……!」
領民が見ていなければ、蕩けて蒸発していたかもしれない。
今日はどうしたの、ダンジョンを攻略したから古代の魔術師がご褒美をくれたの?
ありがとう魔術師さん。攻略してよかったわ。領民も喜んでいるし……。
ダリアは幸せ気分で空の旅を楽しんだのだった。




