10、ヘルマン・ウェルザーは成功した大商人でもあります
伯爵領の中心都市カルドアの中央広場に、凛とした若々しい声が響き渡った。
新領主の挨拶だ。
「着任の挨拶が遅くなり、すまない。私は王室よりこの地方の守護と発展を任された、ヘルマン・ウェルザーだ」
太陽の光を溶かしたような黄金の髪に、整った顔立ち。
理知的な瞳で語り掛ける青年領主に誰もが目を奪われている。
声は柔らかで、優しげだ。
清廉な輝きを放つ領主は、可憐な夫人を伴っていた。不仲という噂もあるが、絵になる美男美女の夫婦だ。
雲の上の存在である統治者が、じきじきに姿を見せて、言葉をかけてくれている。
領民は胸を熱くさせた。
「領民の皆に心配をかけていることは重々承知している。これより領地の諸問題を一つずつ解決し、皆の暮らしを確かに豊かにしていく所存だ」
夫人がアイテム収納用の魔道具を掲げる。
それを見て、青年領主は、聖剣を天に掲げた。
すると、天から何かが降ってきた。
ゆっくり、ひらひらと舞い降りる小さなそれを、領民は最初、花びらだと思った。
しかし、ひとりが手に取って仰天する。
「ぎ、銀貨だ!」
「一枚しか拾えない」
なんだって、と周囲が次々と手を伸ばす。そして、不思議なことに気づいた。
それは確かに銀貨で、しかも、ひとり一枚しか拾えない魔法がかけられている。
「……お金だああ!」
広場は大騒ぎになった。
それを微笑ましく見つめて、夫人が口を開く。甘やかさの滲む、綺麗な声だ。
「領主、ヘルマン・ウェルザーは成功した大商人でもあります。皆さまは単なる領民ではなく、これからは大商会の一員になったも同然。治める税は投資のようなもの。わたくしたちは労働力や税に見合った利益を皆さまに還元してまいりますわ」
生粋の貴族令嬢のはずの夫人が、即物的なことを言っている。
だが、他の土地と比べて生活苦の大きい領民の耳には、それがとても素晴らしいことに思えた。
「おい。われわれの領主のお姫様は、綺麗なドレスを着てお茶会するだけのお姫様ではないらしいぞ」
「それはそうだ。キンツェル家の令嬢だぞ」
「≪黒犬≫の件を知らないのか}
「離婚する噂はどうなったんだよ」
ざわめく領民に手を振り、領主が聖剣を羊の姿に変えて夫人を抱えて騎乗する。
不思議な羊に『お姫様』を抱えて騎乗する姿は、まるで英雄物語の挿絵のように絵になっていた。
広場に集った人々は胸を熱くした。
まるで、自分が物語の中にいるようだ。
こんな領地、他にない!
拍手と声が広がり、大きくなっていく。
「領主様、ばんざい!」
「我らが英雄領主様に栄光あれ!」
「美しき領主夫人に幸あれ……!」
都市カルドアには、英雄夫妻がいる。
自分たちは世界で一番英雄譚に近い、特別な都市だ。
人々は皆、自分たちの英雄に夢中になった。
◆◆◇◇◆◆◇◇◆◆
ちゅん、ちゅんと小鳥が楽しげに歌っている。
窓の外では、真っ白な雲が縦に積み重なりながら、のんびりと風に流されていく。
爽やかな朝だ。
「ヘルマン。今朝の新聞はごらんになって? やっぱり、お金は大事なのですわ。口先だけで甘いことを言ってもだめなのです」
ダリアは自分たちを好意的に書いている新聞記事ににんまりとした。
ダンジョン騒動の後始末に追われる中、夫婦生活は若干の進展を見せていた。
ウェルザー夫妻は、食事を一緒に摂るようになったのだ。
「さあヘルマン。わたくしお手製のジャム入りのサンドウィッチを召し上がって」
「刺激的な成分が入っているようですね、お嬢様?」
「毒ですわ。やはり、暗殺といえば毒殺でしょう? 毒には日ごろから体を慣らしておくのが一番ですの」
ラディ・ブールをつまんでいたヘルマンは、猛毒のタリカブラジャムを少量だけ塗ったサンドウィッチを受け入れてくれた。
夫を長生きさせる計画は順調だ。
ダリアは「別にあなたのためではありませんのよ?」と説得力のないツンを織り交ぜながら守備を語った。
「あなたの寝室を改装しています。つまり、わたくしたちの寝室なのですが……こほん。どんな暗殺者も忍び込めない鉄壁の守備仕掛けを施していますの」
「お嬢様。私は庭で寝ますので」
「ああ、それにヘルマン。あなたを排除したがっている貴族は、わたくしがリストアップして対処しておきますからね」
「リストアップされるほど私を排除したい貴族がいるのですか。気になりますね」
ヘルマンを気に入らない様子の貴族のうち、懐柔の余地がない三分の一は潰して残りは贈り物をして友好の手を差し伸べてみることにした――そんな方針を語るうちに、ヘルマンの忠実な部下が知らせを持ってきた。
「殿様、奥方様! 王都より緊急の召命が届きました……王太子殿下のご直命でございます!」
ふたりで一緒に書簡を覗くと、達筆な文字でメッセージが記されている。
末尾には王家の正印付きで、王太子『バティスト=アンリ・ド・ドラコンヴィル』の署名がされていた。




