11、お嬢様のお好みのままに
王都ドラクーンは、ウェルザー伯爵領の北東、馬車で十日ほどの距離に位置する大都市だ。
王宮『ドラクーン宮殿』は大河に臨み、貴族街には宝石商や絹織物のブティックが軒を連ねている。
夜になるとカラフルな魔法灯が石畳を幻想的に照らす、華やかな都市だ。
王都への馬車旅は、ダリアにとっては物足りない時間だった。
てっきり夫と同じ空間で会話を楽しみ、夫婦の絆を深められるかと期待したのに、夫ヘルマンは同乗せず、まるで護衛の騎士のように馬車のすぐ隣を白馬で移動していた。
もちろん、宿場町では別々の部屋で眠る。
「お嬢様、旅は順調ですけど、旦那様との触れ合いが少ないのが少し残念ですね」
メイドのメルフェは毒入り茶を淹れて、「使用人仲間から聞いた旦那様のお話」を教えてくれた。
毒入りのお茶は定期的に飲む習慣があるが、舌にぴりぴりとした刺激があって独特の酩酊感が心地いい。
「街道が混んでいて、一度進むのを止めたタイミングがあったじゃないですか? あのとき、道の先で盗賊団が出ていたらしいんです。でも、旦那様があっという間に退治してくださったのだとか」
「まあ。わたくしがメイドたちと恋話大会をしている間にそんなことが? 見たかったわ……」
「たまたま外国のお姫様が襲われていて、旦那様に一目惚れしたという噂も」
「まあ……英雄譚が増えましたわね」
恐ろしい盗賊団に襲われ、震えていたところに白馬に乗った美形騎士がやってくる。
しかも、世界的に有名な英雄だ。お姫様の気持ちがたやすく想像できる。
~妄想~
白馬に乗った英雄騎士伯「お怪我はありませんか」
お姫様「なんて素敵な方。結婚してください」
白馬に乗った英雄騎士伯「申し訳ありませんが私には愛する妻がいるのです」
ごめんなさいお姫様。その妻はわたくしなのですわ。
おほほほ……。
ダリアが高笑いしそうになる口元を押さえていると、メルフェは何やら口ごもった。
「しかもお嬢様……その……」
「どうしたの、メルフェ。遠慮はいりませんわ。なんでも思いつくまま口にしてごらんなさい」
わたくしは寛容な女主人。
何も怖いことはなくてよ。
酩酊気味の微笑を湛えて促すと、メルフェは決心した様子で拳を握った。
「そのお方、同じ宿に宿泊なさっていて、先ほどお宿の主人にお金を握らせて旦那様のお部屋を質問なさっていました」
「まあ」
お姫様にもタイプがある。
既婚者の美男子に助けられて「素敵な思い出ができたわ」で終わるタイプと、「記念にワンナイトしたいわ。あわよくば略奪するわ」と攻めるタイプだ。
今回のお姫様は後者ということ?
~妄想~
バスローブ姿のヘルマン(見てみたい)「姫君、こんな夜中に一体?」
ワンナイト志望の姫君「わたくしの権力にひれ伏しなさい。さあ、ベッドに横におなり」
バスローブ姿のヘルマン(見てみたい)「いけません姫君(押し倒される)」
ワンナイト志望の姫君「素敵な筋肉。これが異国の英雄なのね(堪能)」
「まあ、まあ、あら、あら……わたくし、お姫様の役がやりたいですわ」
ダリアは本音を漏らしながら荷物から暗殺稼業用の黒いローブを出した。
ネグリジェの上からすっぽりと被り、フードを被ると、メルフェが心配そうな顔になる。
「お嬢様。まさか不埒なお姫様を暗殺なさるのですか……? 露見すれば国際問題になってしまいます」
「メルフェ。心配はいりませんわ」
わたくしはちゃんと外交を理解しています。
まずは様子見。
理想はやらずに相手を追い返し、「大変でしたわね」などと言いながら部屋に入り込む。
その後わたくしが自然な流れで同衾。
後日、外交ルートで英雄への不倫強要を批判して謝罪の印に何かいただきましょう。
「どうして思いつかなかったのかしら。妻は夫を押し倒してもいいのですわ。愛の秘薬を盛ることだってできますの」
毒の扱いに長けたダリアは、秘薬の調合もお手の物。
偶然、材料もそろっていた。手早く調合してヘルマンの部屋に向かうと、部屋の前でヘルマンが姫君を押し倒していた。
ええっ、ヘルマンの側から押し倒すなんて――とショックを受けかけたのは一瞬で、ダリアはすぐに駆けよって姫君の手から毒塗りの短剣を奪い取った。その拍子で、袖から愛の秘薬入りの小瓶が落ちて割れたが、それどころではない。
にわかには現実が理解できないが、これはつまり、そういうこと?
ダリアは目を瞬かせ、夫に確認した。
「ヘルマン、あなた……今、暗殺されそうになっていました?」
「遺憾ながら」
「国際問題ですわ!」
よくよく見ると、お姫様には見覚えがあった。
すでに決着がついた戦争の敗戦国の第一王女だ。
ダリアとヘルマンを王都に呼びつけた王太子バティストとの政略結婚も決まっていたはず……。
ダリアはもう一度呟いた。
「……国際問題ですわ!」
廊下の向こうから宿の主人を先頭に、王都から同行していた衛兵たちが駆けつけてくる。
ダリアはお姫様を引き渡すのを手伝い、さりげなくヘルマンの腕を引いて部屋の扉を開けた。
「大変でしたわね、ヘルマン。でも、お怪我がなくてよかったですわ。別に、あなたの心配をしているわけではないのですけれどね」
「お嬢様、お部屋までお送りします」
ヘルマンは当然のようにダリアを抱き上げて部屋まで送り、さっさと自分の部屋へと引き上げてしまった。
落ちないように、という名目で夫の首に両腕をまわすという役得感に浸りつつ、ダリアはいつも通りの「ツン」を目指した。
「あなたって、なんだか事あるごとにわたくしを荷物のように持ち上げますのね。でも、楽だからわたくしは構わなくてよ(本音:どんどんお姫様抱っこしてちょうだい。わたくし、これが気に入っていますの)」
ヘルマンは部屋の前で妻を降ろし、長身をかがめてダリアの右耳に唇を寄せた。
耳心地のいい美声で、至近距離で囁かれる。
「お嬢様のお好みのままに」
一瞬のちに、耳たぶに掠めるように唇が触れる。
「……!」
ダリアは熟れた林檎のように真っ赤になって耳を押さえた。
それを見て、ヘルマンはいたずらが成功したような目になって微笑み、思い出したように謝った。
「失礼。お嬢様が可愛らしくて、ついいたずらをしてしまいました」
「ヘルマン……!」
「おやすみなさいませ、お嬢様。先ほどもご覧のとおり、世の中は物騒ですから、できれば今後は夜におひとりで出歩くのはお控えください」
ヘルマンはそう言って自分の右耳に触れ、そこに付いていた耳飾りをダリアの手のひらに置いて自室へと帰っていった。
魔法の力を感じる小さな真珠の耳飾りだ。
……まあ! さきほどまでお耳に付けていた耳飾りを、わたくしに?
「おかえりなさいませ、お嬢様。心配していましたよう! 国際問題にはなりませんでしたかっ?」
「メルフェ、大変な事件が起きてしまったわ。この耳飾り、さきほどまでヘルマンのお耳に付いていたのよ!」
「えっ、奪ってこられたのですか?」
ダリアは興奮気味に体験を共有した。
「え~っ、お嬢様! 片方だけ耳飾りを外して渡すって、なんだか……色めいていますねえ!」
「でしょう、でしょう? 何か特別な意味があると思うの」
「お耳にキスも……」
「夢じゃないのよ!」
ふたりはひとしきり盛り上がり、ダリアは耳飾りを枕元に置いて幸せ気分で眠りについたのだった。




