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その暗殺令嬢は政略結婚の夫を殺したいほど愛しているので  作者: 朱音ゆうひ@4月1日新刊発売!


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12/13

12、仮病はうつりません

 王都までは、もうあと少し。 

 そんな旅の終わり際、雨が降り始めた。


 一行は濡れながら残りの道を進み、馬上の夫は外套のフードを深く被っているものの、金糸のような美しい髪は雨に濡れて頰に張りつき、毛先から雫が滴り落ちていた。

 滴る雫が顎を伝い、首筋を経て鎖骨へと落ちていく。

 『水も滴るいい男』だ。

 

 格好いいけれど、見ているだけで風邪を引いてしまいそう。

 ダリアは夫を看病する妄想が浮かびかけるのを振り払い、馬車の窓から声をかけた。


「ヘルマン。馬車に乗ってはいかが? 風邪をひいてしまいますわ。わ……わたくしがハンカチで拭いてあげてもよろしくてよ」

「お嬢様、ご心配なく。私は頑丈なので物心ついてから一度も風邪をひいたことがありません」

「そんな!」

「なぜ残念そうなんです?」 


 わたくしが夫を看病する日は一生来ないのかもしれない。

 良いことだけど。良いことだけど!

 

「ヘルマン様、お嬢様は看病なさりたかったのだと思われます」

「そうか。教えてくれてありがたいが、お嬢様は繊細だ。内心を言い当てるなら、もう少し声を潜めて差し上げろ」

 

 ああっ、部下とひそひそ話しているのが全部丸聞こえ。

 ヘルマンが話している部下は、褐色の肌に黒髪の眼帯騎士だ。ヘルマン・ウェルザーの武勇伝にもよく出てくる彼の忠実な部下の名を、ダリアはもちろん知っていた。

 

「ノエ・トレモイユ……」

「俺のことをご存じで……?」

 

 名を呼ぶと、驚いた顔でダリアを見る。


 ヘルマン・ウェルザーの武勇を支える騎士ノエ・トレモイユ卿と、領地で留守を預かる元パン屋の文官ポール・ブーランジエは『英雄の双翼』や『ウェルザー家の大きな二本柱』といった異名がある有名人だ。

 なのに、この騎士は自分が有名だという自覚がないらしい。

 

 ダリアはくすくすと笑った。


「ふふっ、わたくしはなんでも知っていますわ。あなたがとっても優しくて、ヘルマンへの忠義心が厚いこととか」

「……奥様が俺を……ありがとうございます……邪魔をして失礼しました。お、俺はこれで……」 

 

 ノエは顔を赤くして頭を下げ、逃げるように馬車から離れていった。図体が大きくて怖そうに思える男だが、話してみるとなんだか可愛い。

 ダリアが視線で追いかけていると、それを遮るようにヘルマンが割り込んだ。


「お嬢様は相変わらず罪なお方ですね。そのように下々の純情を弄んで……」  

「わたくしが何をしたと言うのよ」

「ご自分に懸想する男を喜ばせてしまいました」

「まあ、ヘルマン。懸想が真実でもあなたの思い込みでも、部下の秘めた恋心を暴露するのは立派な領主のすることではありませんわよ」

 

 言い争いのようになっていると、馬車の中でメイドが、外では騎士たちがおろおろとした気配を醸し出してくる。

 わたくしたちはもしかして今、夫婦喧嘩をしているのでは?

 ダリアの脳裏に「喧嘩するのは仲がいい証拠」という花の界隈(社交界の令嬢グループ)の噂話が思い出される。


「ヘルマン。わたくしたち、夫婦らしくなってきたのではなくて?」

「お嬢様の感性が独特に進化なさっているので、私はいつも驚かされます。お嬢様の思われる夫婦らしさとはいったい……」


 しばらく進むと、前方に王都を囲む立派な白壁が見えてきた。

 あとは関門を通過(パス)して迎賓宮へ向かい、到着の手続きを済ませて部屋に案内してもらうだけだ。


   ◆◆◇◇◆◆◇◇◆◆

 

 迎賓宮入りしたダリアは、王太子が手配してくれた部屋へと無事、案内された。

 王太子は良い仕事をしてくれていて、部屋は夫婦同室だった。

 

「あらあら、滞在中は夫婦同室、一緒のベッドで眠るのですわね。王太子殿下の命令ですから仕方ありませんわね」

 

 ダリアは緩んでしまいそうな顔の表情筋を引き締め、「仕方ないですわ。ええ、ええ。仕方ないのですわ」と繰り返した。


 外は寒かったが、心はすっかり温まっている。

 ベッドは窓際にあり、王都の景色がよく見える。

 

「ヘルマン。湯あみをなさってはいかが? わたくしは馬車の中にいましたけど、あなたはずぶ濡れ……ではないようね……」


 外から内へと視線を戻すと、夫は背を向けて風の魔法で全身を乾かしていた。

 

 入浴を勧めて湯上がり姿を堪能したかったのに。


 ダリアの目に「残念」という感情が溢れた。

 

「お嬢様。私は別の部屋で……」


 ヘルマンが振り返る。

 ぱちりと目が合うと、彼はダリアの落胆を察したようだった。氷のような碧眼が奇妙な温かさを浮かべる。

 

 がっかりなさったのですか、すみませんね、といったニュアンスの、声に出さない感情。

 どこか面白がるような、同情するような、ちょっとだけ罪悪感も混ざっているような。

 そんな温度感で、彼は口を開いた。

 

「お嬢様」

「なんですの、ヘルマン」

「私は風邪をひいてしまったようなのですが……」

「まあ」 

 

 幼子をあやすような柔らかな口調で明らかな嘘を言い、ヘルマンはベッドに腰かける。

 

 看病ごっこをさせてくれるのだ。

 ダリアは夫の意図を理解して「仕方ありませんわね」と勝ち誇った。


「ええ、ええ。あれだけ雨に濡れたのですもの。普段からお庭で過ごしていて、きっと休息が足りていなかったのですわ。わたくしが看病してあげましょう。ベッドでお休みになって?」

「風邪は感染(うつ)るので、あまり近づいてはなりませんよ、お嬢様?」


 なるほど、看病ごっこをさせる代わりに部屋を別々にしようと提案されている。

 商人らしい取引提案だ。

 市場に出回る武勇伝でも、彼は言葉巧みに自分の思い通りに状況を動かす取引を持ち掛ける。

 ダリアは「わたくしの目の前にホンモノがいるわ!」と高揚した。


「嘘つきな商人さん。仮病は感染(うつ)りませんわ」 

 

 『嘘つきな商人さん』というのは、物語の中で彼に救われた女の子のセリフだ。

 ダリアは微笑み、ヘルマンの肩に両手を置いてぐいぐいと押した。


 力いっぱい押しても夫はびくともしなかったが、ダリアが辛抱強く「えい、えい」とプッシュし続けていると、やがてパタリと倒されてくれた。粘り勝ちだ。

 

 こうしてダリアは看病ごっこと王都滞在中の夫婦同室を勝ち取ったのである。

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